◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2012/07/04http://dndi.jp/

民主分裂騒動にみる "政治権力ムラ"の正体

 ・小沢一郎さんのメディア攻略の構図
 ・「自覚がない」政治ジャーナリズムの劣化
 ・メディアの罪、「迎合している自覚を失う」
 ・この20年で新聞広告費半減の凋落
 ・創作替え歌:小沢さんへのエール「一ちゃんの夢」
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・山城宗久氏の「第44回そんなに想って頂けての巻」

DNDメディア局の出口です。金沢工大での"白熱教室"の続編は次回にして、今回は際物、もう触れたくも近寄りたくもないだろうけれど、その政治ネタです。小沢一郎さんの離党騒動を扱うのだけれど、小沢さんの目線が選挙目当てだとか、壊し屋の本領発揮とか、追い込まれた挙句の断末魔とか、じゃ、ない。まあ、反増税と反原発の二枚看板で選挙を戦ったら、小沢陣営に"神風"が吹くでしょう。が、そんなことを書くつもりはない。どこが勝つか、政界再編か、なんてこの20年、そのたびにメディアが騒ぎ立てて政治家と一緒に戯れてきたのは紛れもない事実だ。


世の中をつぶさにみてみると、政界の、政治家の、政治状況の、その多くにはらむ機能マヒ、思考停止の症状が無自覚の上に深く進行してしまったのである。ひと昔前の政治家は、失言ひとつで首が飛んだ。が、いまは嘘八百ならべても平気な顔をしている。それが何よりの証左でしょうね。


その挙句、市民のささやかな希望を踏みにじりその暮らしを脅かしてばかりだ。就職のできない子、介護施設に入れないお年寄り、偏った税金のばらまき、はびこる既得権益、原発冷温停止のまやかしと再起動への不信、そんなあやしい隠し事を危ぶむ声が静かに広がっているのである。政治家にはそんな声は聞こえない。あいも変わらずそれ解散だ、やれ総選挙だ、票だ、金だ、と要求しまくる、あわてん坊のサンタクロースなのだ。要は、選挙が、かれらの一番の仕事になってしまったということですよ。庶民の暮らし、それは口実にすぎない。だって、その暮らしが危ういじゃないの。政治が問題解決するのではなく問題を拡散しているのだ。


質の劣化もいなめない。何を言っているのだかよくわかんない口ぱく大臣、ガールズもいいが、もっぱら週刊誌ネタにされたんじゃ、気の毒だ。その気取りだけじゃ、安っぽい。しっかりしてください。いるべきところに人がおらず、そうじゃない人が上座にいるから、ふらつくのである、と、まあ、久々にそんなところを捉えてみようか、と思う。


たとえば、非難が集中した原子力発電をめぐる産学官の「原子力ムラ」の構図がメディアによって糾弾されたが、それと同じように政治の周辺には「政治権力ムラ」が存在しているのである、という問題意識なのだが、政治の方の性質の悪さは、テレビ、新聞といったメディアがその構図の中心的役割を担っているということである。


この回のおおまかな趣旨は、以上です。ここで読み終えても、最後まで読み進めても、そんなに理解に変りはない、という気がします。



さて、各論です。


離党だ、新党だ、解散だ、とメディアが1面で大きく取り上げればこれは戦後政治の一大事と勘違いしてしまうのだが、こんな報道に煽られてはいけない。自民分裂騒動が勃発した1993年からこの20年余り、政治は、市民の期待を適える、と見栄を切りながら解散・総選挙、そして政党の離合集散を繰り返してばかりいる。が、実際は、市民の期待は少しも実現されないのだ。 そして今回、あの人の登場である。またぞろ、ガラガラポンのガラガラが始まったとコメントした石原慎太郎都知事の見立て通りなのである。いわば今度も、"政治フェスタ"みたいなもの、政争に翻弄される日本。ほんと、もういい加減にして…。


メディアが、この政争に火をつけまわっていないか。小沢離党に絡んで新聞は暴走気味で、連日の扱いにバランスを失いブレーキが効かないのだ。だから新人議員は浮足立って親分の切れ味にドギマギして、とその行く末に戸惑いを隠さない。小沢さんが動くとメディアが騒ぐという。メディア攻略、それはメディアそそのかし作戦、それだけのことなのだ。それはなぜなのだろうか。


新聞社の上層部はその多くが政治部上がりだからだ。政府が政治主導なら、新聞社は政治部主導なのである。現場が、政争の動きを執拗に追うのも無理がない。公器たる新聞紙面を不毛の政争が牛耳る理由が、それだ。官邸の若手記者らが初めて体験する政争という名の"戦場"で政治家を追い掛け回すから、政治家も勘違いしてしまうのだ。


小沢一郎さんは、ベテランだ。狡猾に、その仕掛けのチャンスをうかがっている。仕掛けてその中心に居座ることで求心力をつなぎとめているのである。メディアが冷静に距離をはかれば、小沢一郎という政治家は終わる。小沢さんは、その意味で選挙の名人かもしれないが、メディア使いの名手なのである。


今週のAERAは、小沢さんが輿石東幹事長との会談を重ねたことに触れて、それは党の結束を最優先したい輿石氏の顔を立てつつ、離党のタイミングを計るための単なる時間稼ぎに過ぎない、と断じた。誰の目にもそう映ったことでしょう。意味不明のゆるい協議は、始めから芝居じみていた。40分の密室談義、わざわざ日を置いて何回も行ったり来たり、その度にメディがわーっと取り囲む。その一挙手一投足に関心がもたれる風に仕掛けるのである。この茶番ですら、テレビがカメラを回し、協議不調とか、説得した、とか、緊迫感をもってメディアが効果的に演出する。こんな猿芝居を見せられる視聴者や読者は、百も承知だ。メディアは、わかっていてやるのだろうか。不思議だよね。


いつやるか、そのタイミングも外さない。紙面は6月下旬から、民主、離党検討40人規模という見通し記事に始まり、26日の衆院本会議の増税法案をめぐる小沢グループの造反、離党不可避、秒読み、と連日1面を"小沢離党"がジャックした。離党のタイミングもよく計算されていた。7月1日は大飯原発の再稼働だから1日は避けないといけない。2日付の新聞紙面は、原発とバッティングしては扱いが小さくなるからだ。今後、合流かどうか、新党への道筋もロンドン五輪前に、と考えるのは当然だ。オリンピック期間中は話題が霞んでしまうから。


小沢さんのメディア攻略の技量は超一流なのである。そういう意味では、これは世間の耳目を惹きつける感覚というのではない、メディアを牛耳るから、茶の間に小沢さんの意図がストレートに入り込むのである。メディアが取り上げなければよいのだが、小沢さんはその辺のツボを心得ている節があり、いざという場面でしか、めったに口を開かない。あれあれ、テレビ番組に出ない歌姫や、ロック歌手みたいなもので、年に1回程度露出するから価値がある、それと同じ。


繰り返しになるが、その小沢戦略がうまくいくのはメディアのお蔭だ。今回の離党騒動のメディアの扱いは凄まじいものがあった。新聞に加え、番組表をみるとテレビの報道も連日、重大事件並みの扱いだ。ラジオだってゲストに解説を頼んで特番を組んでいた。みんな面白がっているのは、不思議な気がした。


やはり政争は、"政治フェスタ"なのかもしれない。笑い声がもれてくる。ナベツネさんのような政治部出身の長老も裏で動くのだろうか、コメンテーターや評論家も稼ぎ時、真摯な学者らも巻き込んだこれらを原子力ムラになぞらえて、"政治権力ムラ"と呼んでみよう。小沢さんが動くと、これらが機械仕掛けのバネのように連動する。この離党、分裂という低次元の空騒ぎを、メディアを使って国家の一大事に仕立てる、それが小沢マジックの凄味なのである。



振りかえればこの20年、この連続だった。その政局の中心に居座ってよく言えば台風の目、悪く言えば、騒動の主犯が小沢一郎という政治モンスターなのだ。剛腕、壊し屋の異名に、あのむっつりした強面だから迫力がある。この人なら何かやるのじゃないか、やってくれるのじゃないか、と、周辺に期待をまき散らしてきたが、その正体がようやく見えてきた。幽霊の正体みたり枯れ尾花なのである。


世論調査(朝日)では、小沢新党に「期待する」が15%、「期待しない」が78%だった。社説は、実行不能の公約を振りかざし、またぞろ政治をかき回す。そんな小沢氏に対する、民意の疑念が読み取れないか、と手厳しい。が、要は、15%をどう分析するか、ここにかかっていないだろうか。自民が、民主が、そのいずれも15%前後というのなら小沢新党の船出はまずまずだ。小沢さんは、消費税率増税に対して、「わたしどもは、増税先行は国民に対する背信行為、ウソつきと言われてもしかたのない行為だ」(6月26日会見)と野田政権を非難し、三党の修正協議の欺瞞性については「もはや野田政権のもとでの民主党は、政権交代を成し遂げた民主党ではない。民主、自民、公明という3大政党が、官僚のいうがままに消費税増税先行を押し通すことは、国民からの政策を選ぶ権利を奪うことだ」(7月2日会見)と3党をバッサリ切った。選挙が始まれば、街頭で叫ぶであろう、なにをどうするか、の理念は隠して、徹底的に反増税、反原発をいいまくるに違いない。選挙向けといわれようが、そこに分がありそうだ。有権者の50%を超える無党派層を取り込んで、不評な既存政党との対立軸を設定する、そういう仕掛けが浮かんできませんか。増税を強いて原発に懲りない中央政府、大政党、官僚体制、既存権益を打倒する、そんなうねりがもうじんわり拡散しているのである。そこへポッと火をつければ、たちまち燎原の火の如く燃えつくすだろう、と。


小沢さんの増税反対は、増税先行に反対という趣旨で、決して増税に真正面から反対しているのではない。が、消費税率増税は確かに中小企業に強烈な痛手となるだろう。どんな影響があるか、それによっては3党の修正協議は、彼らの命取りになる可能性もはらんでいるように思う。8%に上げたものの、その時の景気によっては見直しも迫られることにならないだろうか。既存政党離れ、増税の3政党を突き放すことで、無党派層がどれくらい取り込めるか、小沢さんの最後の戦いがはじまったのである。まあ、考えてみれば、この3大政党の要に居座ってきた小沢さんが、ひょいと豹変して3大政党を敵にするといころなんて実に天晴れというか、なんとも狡猾の極みに思えるのだが、政治とは、そういうものなのだろうか、そうだとしたら民主主義は幻想に終わった。


政治を混乱せしめ、金まみれの温床に身を汚し、日本の将来を危うくしてきたのはだれか。小沢さんとはいわない。が、憂国の士と思いきや、亡国の輩に堕していないか。東北・岩手に人々が誠実に暮らし、隣人への情けが深く、自分の事はさておいて他人のことを優先するから風土が息づいている。 東日本大震災の3・11以降、3回足を運んだ。手を取って涙し、涙をふきながらメルマガを書いた。その東北を自分流に都合よく利用してはいけない。山賊と一緒だ。東北人を憂いの中のやさしさと書いた。その優しさを踏みにじる、あわてん坊が煩わしい。


小沢さんから、東北の臭いがしてこないのである。若くして東京の人だったからだろうか。週刊文春の記事はショックだった。「妻の手紙」が事実なら、選挙区であり被災地の岩手にすぐに足を運ばなかったという"暴露"は致命傷だ。3・11にどう動いたのか、人間の価値がそこで決まる。その点でいえば、小沢さんは、政治家としてというより人間として認められるものではない。「妻の手紙」、これはフェアじゃない気がする。が、政治から生活が見えてこない、まるで別世界のように見える。それが、"政治権力ムラ"の実態なのかもしれない。



自民の会派離脱、党分裂、新党結成、離脱、結成、離脱…煽るだけ煽って、選挙ばっかしやって、政治が混乱し経済が行き詰った。この20年で、橋本龍太郎さん、小泉純一郎さんらが際立っていたぐらいで、あとは惨憺たる状況だった。



例えば、政界のドンと言われた金丸信自民党副総裁は小沢さんの後見人で、小沢さんを47歳の若さで幹事長に抜擢した。その金丸さんが1992年8月、東京佐川から5億円の受領を認めて副総裁を辞任した。その12月、小沢さん率いるグループが、竹下派「経世会」を離脱し、18日に羽田派を旗揚げした。小沢さんの分裂事始めである。


翌年6月、宮沢内閣不信任決議案が可決、政界再編を意図する小沢さんらが仕掛けたといわれる。衆議院解散、それで自民党が分裂、7月18日に第40回総選挙、自民、社会が惨敗し、自民一党体制崩壊した。小沢さんが率いる新生党が55議席の躍進、日本新党、さきがけなど非自民8党連立による細川内閣誕生、7月12日には奥尻島でM7.8地震あり。


1994年4月、細川首相が東京佐川からの借金が明らかとなり辞任、内閣総辞職。4月28日に小沢さんが担ぎ上げた羽田内閣が成立。が、6月25日、羽田内閣総辞職、29日に自民、社会、さきがけの3党による村山富市連立内閣が誕生、1995年1月17日、阪神・淡路大震災発生、3月20日に地下鉄サリン事件発生。1996年1月5日、村山首相辞意、橋本副総裁に禅譲し1月11日に橋本内閣誕生、1998年7月、小渕恵三内閣発足、1999年10月、自自公連立で小渕第2次改造内閣発足、2000年4月、自公保の森喜朗連立内閣発足、2001年4月、小泉純一郎内閣発足…その後の安倍内閣、福田、麻生、2009年8月の民主党政権発足、この3年余りの状況をご存知の通りです。


小沢さんが動くと、政治が揺れる。毎度のことだ。過去の政治政党の変遷がそれを如実に物語っている。その都度、メディアはこぞって政争、政局報道一辺倒に明け暮れてきた。これでいいのだろうか、という反省は少しもない。


が、この人は違った。多勢康弘さん、日経のワシントン特派員や政治部記者を経て、政治ジャーナリストで、コラムニスト、テレビのコメンテーターとしても茶の間になじみが深い。


多勢さんはその著『政治ジャーナリストの罪と罰』(新潮社刊)で、「政治の質がどんどん落ちていく。その責任の一端は政治ジャーナリズムにある。が、哀しいかな、当の政治ジャーナリズムの世界には、そういう自覚がほとんどない」と語り、新聞の問題点を1、政治報道と政界・政局報道との混同、2、政治権力に対するチェックの弛みにあり、政治ジャーナリズムが政治と政界を混同しているために、世間との常識に隔離ができてしまう、と指摘していた。


しかし、そんな身を切るような告発も政治の流れのなかに埋もれてしまったままだ。政治ジャーナリズムの問題でもあるが、政治家、政党を取り囲むテレビ、新聞、ラジオ、雑誌、評論家、コメンテーター、学者、それらこぞって結束を強める"政治権力ムラ"のなせる技なのだ。質が落ちるのは、競争がないからであり、外部から脅かされる勢力も存在しないからでもある。離党だ、選挙だ、とわーわー騒いでいれば、税金のおこぼれで生きていける安住さが、この世界のインセンティブなのだ。1年余りで選挙が行われ、1年ごとに総理が変る。政治ネタは、どこまでいっても尽きないのである。



山本夏彦翁は、その辛口でメディアをどうとらえていたか、数ある本の中から『とかくこの世はダメとムダ』(講談社)をめくってさぐった。帯に、「こんな時代にだれがした。世間を一喝するコラムを厳選した」と興味を引いた。あった、あった。タイトルが「商品としての言論」。メディアの本質を捉えていた。


「マス・コミというものは、常によく売れることを欲する。テレビと新聞がその2大親玉で、テレビのごときは1%の視聴率を争う。1%は何十万人にあたるそうで、それなら20%は何百万人にあたるか見当がつかない。その途方もないおおぜいに、テレビも新聞も見てもらうことを欲すると、消極的には大衆の気に入らぬことをいわなくなる。


媚びるのである。はじめは媚びると承知して、やがて忘れ、指摘されると、苦笑いをしたり怒ったりするうちはまだしも、しまいには指摘するものの世間知らずを笑うようになる。迎合している自覚をまったく失うのである」と。


なるほど、迎合している自覚を失う、か。政治をめぐるその奇妙な世の中の倒錯をえぐった、その答えが、「迎合している自覚をまったく失う」とは。


調査データによると、2011年度の総広告費は5兆7千億円で、そのうち新聞広告費は5千990億円。これを1993年度の数字と比較すると、総広告費が5兆1千273億円、そのうち新聞は1兆1千億円だったから、総広告費で6千億円の増、これにたいして新聞広告費の落ち込みは激しくマイナス5千億円とほぼ半減した。新聞の読者離れに加えて広告の減少が止まらず、新聞経営は凋落傾向にある。


さて、政局は激流の中へ。民主が浮遊し、無党派が増えて漂流を始めた。解散、総選挙が既定路線となった。大阪市長の維新の会が地殻変動をもたらすか、みんなの党が躍進するか、またぞろ政界再編のカギを握るのは小沢一郎さんなのだろうか。この20年間、選挙ばっかりやってきた。選挙で日本の政治がよくならないのは、結局、選挙は "政治権力ムラ"の住民にとっての最大のお祭りで血が騒ぐだけなのだ、とは言い過ぎだろうか。



◇替え歌をどうぞ!「一ちゃんの夢」

新党結成、解散、総選挙にのぞむ、小沢一郎さんへのエール。「一ちゃんの夢」(替え歌作詞、俊楽、線路は続くよ、のメロディーで)を作りました。どうぞ、口ずさんでみてください。


1:
選挙は、つづくよ、どこまでも
野(野田総理)を越え、山(山口・公明代表)越え、谷(谷垣自民党総裁)越えて、 除名覚悟の、ぼくたちは
新党つくる夢、つないでる


2:
選挙は、厳しいよ、いつの日も
駅立ち、辻立ち、ノドからし
手に手をつないで、わたしらは
やさしい一ちゃんの、夢を見る
ランラ ランラ ラン ランラ ラン、ランランラン…。





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