◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2011/06/29 http://dndi.jp/

本日、DND覚悟の脱原発宣言!

 ・あなたの「3・11 それから」は?
 ・子供らに責任をもつ自律モデル構築を!
〜コラム&連載〜
 ・黒川清氏
「Moving Forward: Relief Efforts, Health System Reforms, and Japan's Role in Global Aid」ほか
 ・石黒憲彦氏「日本研究者の目を借りて日本の再確認」
〜一押し情報〜
 ・被災地からの報告、写真50枚一挙公開
  http://dndi.jp/mailmaga/mm/mm110510.html

DNDメディア局の出口です。「3・11 それから」。これは、ビジネスモデル学会(東大名誉教授・松島克守会長)の秋の総会のテーマです。10月29日に東京・本郷の東京大学で開催します。運営委員の一人として参画しています。さて、この「3・11 それから」からどのようなイメージを持たれますか。


 あの日を境に、どう変わったか、などは最近の企画のテーマに多いし、実際、その手の特集が目にとまります。しかし、どう変わったか、じゃなくて何をどう変えるか、変えなくてはならないか、じゃないかしら、との指摘を受けてそれを真剣に考えているところでした。この漂流する日本、危うい劣化内閣、福島原発の隠ぺい体質と稚拙なマネージメント、この日本にどう責任をとるのか、今日明日のことより、次世代の若者らにどんな将来を適えたらよいのか。悩みが多いのね。これからは、もう他人事では済まされないし、傍観者であってはならない、と自らに言い聞かせているところです。


 3・11 「前」と「後」、何を、どう変えるか。柄でもなく哲学的な迷路に入り込んでしまったのですが、これは私自身の意見でもあり、覚悟にひとつかもしれません。


 DNDメルマガは、「脱原発」を宣言し、再生可能エネルギー優位の社会の実現に貢献していきます。将来に禍根を残すだろう、と思われる課題ひとつひとつに挑みます。もうこれ以上、国の借金はいい加減にせにゃなりません。若い世代に多大なツケを負わせるわけにはいかない。「3・11 それから」は、私の残された人生の有り様でもあるわけです。


 基本は、「一身独立し一国独立す」となります。電力と税金の垂れ流しや使い込みをやめましょう。「東京」から「地域」へ、「組織」から「個人」へ、「大企業」から「ベンチャー」へと軸足を変え、自律モデルの構築に専心していきます。


    2011年6月29日


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 栃木に住む義母は、もう80半ばというのに朝早くから庭に出るのを日課としています。車輪のついた低く小さな椅子に腰を下ろし、めっきり細くなった体をすっぽり包んでしまいそうな、つばの大きな麦わら帽子をかぶって、せっせと芝生の草むしりに余念がない。場所を少しずつ移動する以外は、動きという動きがないのだが小一時間もやれば汗がしたたり落ちるらしい。そのあとが、たまらなく心身ともに爽快なのだという。


 気持ちがよいから、と、最近、外出が億劫になってきた87歳の夫に声をかけて、「一緒にいかがですか」と、その都度、やさしく誘う。めっきりベッドで横になる時間が増えてきたことを少し心配しているのです。


 思えば、義母が庭に出始めたのは5月の声を聞いた前後だったように思う。はじめは、運動不足を解消するために始めたのかなあ、と別段気にとめなかった。それが、ある日、ぽつりとこんなことを口にした。


「かわいい、かわいいおチビちゃんがくるでしょうから、遊びにきたら、芝の上ででんぐり返しでもハイハイでもなんでもできるようにいまから芝をきれいにしているのよ」


 おチビちゃんとは、今年4月下旬に生まれた二男の息子、私の初孫で名前が春輝といいます。義母にとってはひ孫、その孫の来訪を心待ちにしている。庭の芝生は、これまで実の孫がきた時のために、長らく義父が手入れをしてきた。夏場は、芝刈り機に休みがなかった。我が家の息子3人も幼いころその芝で遊んだ。なだらかなアンジュレーションがあって広く、季節の花が咲き、トマトやキュウリ、それに梅や柿がたわわに実る。


 庭は、木々が適度な木陰をもたらすし、風の通りもよい。茶の間の窓から、青い芝の上で歓声をあげて立ち回る孫の姿に、静かに目を細める日は、果たして訪れるだろうか。そして、栃木の実家に遊びに行った若夫婦は、その子を芝の上で遊ばせる、とは思えない。やはり放射能汚染が心配なのである。芝の上で孫を遊ばせない、その理由を義母に伝える時、義母の気持ちを傷つけぬようにすべきだが、個人的には原発事故による影響なのだから、しょうがないねぇ、と簡単にすませてよいはずはない、と思う。


 福島原発事故で避難されている方々の7割が原子力利用に反対し、震災前に暮らした土地に戻りたいが、戻れないというジレンマに気持ちが揺れている、という調査がありました。その意味は重い。原発事故による避難者ばかりか、学校のグランド、公園の砂場、屋外のプール、海水浴の浜辺や海…この原発事故の影響は、子供たちの日常生活の多くの遊び場を脅かし続け、その汚染地域は日々、思わぬところに拡散している。そして一向に収束の出口が見えてこないのも不安だ。


 高濃度の汚染水が海に。じゃぶじゃぶじゃぶじゃぶ、4月上旬以来、大量の放射能汚染水が海に流れ出ています。この影響がないわけがない。熊本の水俣病と不安が重なります。数年後か、数十年後か、海底や魚の内臓に蓄積する危険がついてまわる。


 子供が外で遊べない、ひどい話じゃありませんか。こんな事態を招いた責任を政治家さんらは、どう感じているのか。与野党問わず自らをいさめなければなりません。所属する組織、団体の利益のみを優先してきたなれの果てが、これです。組織から脱皮し、人間個人としてどうあるべきだったか、そこが問われている。それはマスコミに身を置いた私の問題でもあるわけです。


 事態の原発の安全神話が崩れ、危険の先の最悪のシナリオさえ描けないのなら、原発はもうやめる方向で議論を進めていくべきでしょう。安全か、どうか、電力事情がどうのこうの、という以前に何千人もの電力関係者や専門家が、よってたかってあれこれやってもいまだにこの暴れるモンスターの制御が適わないのなら。あるいは、何が起こっているか、その危うい実態を隠ぺいするのが本業のような組織は、社会的にその存在意義を失っている。組織犯罪のようなものだ。もういらない。


 東電の株主総会なんか、案外、脱原発に舵を切るチャンスだったのになあ、と思う。現状は肯定しながらも将来に一定の方向性を見出すべきでした。ところが、総会の席で、株主からの批判をどうかわすか、切り抜けるか、相変わらずそんなことにきゅうきゅうとしている、あわてぶりが透けて見えていました。


 3・11の悲劇から何を学んだのだろうか。その教訓が少しも生かせていないのは、ああ、もう…とため息がでてしまいます。東電がそういう姿勢なら、関係機関も同様に姿勢を変えていないのだなあ、と思った。


 さて、私は前職が、産経新聞でしたから、その路線は原発推進なので在職当時は、原発に少しの迷いもありませんでした。クリーンで安全で、低コスト…と。しかし、見事に裏切られました。気に病むのは、事故後の嘘やごまかしと、事故収束の対応が後手後手であまりにケアレスミスが多いという稚拙ぶり。3月12日午後3時36分、第1号機の水素爆発で建屋周辺が吹っ飛んだ時、東電から警察にあった通報は、「ポンと音がして煙がでた」という、実にまやかしだったのです。ドガーンガンガーーンと大音響とともに黒煙が数十メートルもうもうと上がっていたし、メトルダウンも起こっていたが、それを否定し、官邸はテレビでの会見で放射能漏れも人体に影響がない、と言い切っていた。


 みんな違っていた。この事故を詳細にフォローを続けていると、原発に対する私の認識が刻々と変化し始めてきました。原子力安全・保安院の知り合いの職員にメディアとしてのリスクマネージメントの立場からアドバイスしたこともありました。しかし、思えば新聞社も原発をめぐっては、かなりおかしかった。あるときから、新聞のトーンが奇妙に変節した。放射能拡散の危うさを煽るのは控える、という自己規制によって無為な情報が放射能と一緒に垂れ流された。福島の牛や豚、鶏が、ペットと一緒に放置される事態を招いた。


 原発、東電、経済産業省、電事連、関連団体、民間原発関連企業…この原子力村の構図が厳然とした力を持った。新聞社内でも関連の産業業界紙では、反原発の言動があれば左遷人事もまかり通っていた。まあ、人事なんて局長のさじ加減ですから、会社全体としてそんなに緻密な人事はやっていないわけですが、この福島事故の以前に福島原発の危うさを追及しようとして飛ばされた記者もいた。その彼は、早期退職して福島に戻り、ローカル紙を発行し、福島原発の問題点を多く指摘してきた。


 新聞社は、やはり過去を検証し原発取材の功罪を総括すべきです。都道府県の知事に賛否を問うのですから。原発に対するスタンスをあいまいにせず、その是非を明らかにし、紙面をさいてその理由を述べる時かもしれません。我が国の進路を決める一大事だと思います。産経は、路線は明快ですのでその分、評価できます。論説の是非は、また様々な議論があるでしょうけれど、その報道姿勢やよし。一方、脱原発に傾く新聞社にしても、電力不足の課題解決のロードマップを示さないといけないし、再生エネルギーの技術開発による事業化のシナリオを解説すべきです。そして地域の個別の原発の安全性と危険性を調査し、その結果を示さないと、単なる政府や住民の動向を垂れ流すどっちつかずの紙面になって読者を迷わせることになるでしょう。





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