第54回 タイ国の大洪水後の浄化活動に国策として活用されたEM


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 昨年の9月から12月にかけ、タイ国では、バンコクを中心に100年に1回といわれる大洪水が発生した。被災地は晴れていても、上流での豪雨の為、北海道の面積を上回る地域が浸水し、バンコク近郊に進出した、殆んどの日本企業の工場も水没し、甚大な被害が発生した。


 日本企業にとっては、東日本大震災とダブルパンチを受けた事例も多く、アユタヤの近くにあるEMの工場も水没した。我が国では、洪水といえば豪雨が降り急流となり滞水しても数日で治るという認識があるが、海抜0メートルに近い広大なタイの首都圏では、例え、その地域に雨が降らなくとも、上流に降った雨で浸水または、水没してしまうのである。


 流れが極めて緩慢なため、トイレをはじめ、各種の汚染水はもとより、生ごみや油や様々な廃棄物がごちゃ混ぜになった状態となり、町中が異臭を発し、不衛生極まりなく、足が長時間にわたって水に浸ると、足全体が水虫状になったり、様々な感染症が懸念されていた。


 タイ国政府は、この非常事態に軍部を総動員し、特に陸軍を中心に環境省、および社会開発省(住宅・生活関係)がその任に当たったが、その根本的な対策に、EMが全面的に活用されたのである。当然のことながら、EMの工場も水没する前に、在庫を安全な場所に移したが、タイ政府の要望に足るレベルではなく、陸軍の安全地帯にあった大きな倉庫の一部を使わせてもらい、フル操業でEMを生産し、供給することになったのである。



図1


図1はバンコク郊外の水没地域の状況である



図2


図2は軍部を含め環境省、社会開発省によるEM活動の出陣式で中央に(EM)と書いてあり、上部の写真は王室の認を得ている状況を示している。



図3


図3は各地でのEMの配布の状況であり、右上の写真の緑のマークにEMという文字が入ったロゴは、EM研究機構の商標である。



図4


図4はタイのインラック首相がEMダンゴを投入し、このプロジェクトが本格的にスタートした。(写真:ロイター通信より)



図5


図5は各地のEM活動の状況で右下の写真は兵士がEMダンゴを作っているところである。



図6



図7


図6は陸軍が一般に配布したEM使用法のマニュアルのパンフレットであり、図7はその裏面である



図8



図9


図8は、環境省が一般に配布したEM使用法のマニュアルで、図9は、その裏面である。


 その他、タイ国の経団連も積極的にEMによる衛生対策を推進したため、日本企業の大半の工場がEMを使用したとのことである。また、タイ国の仏教協会もトップ自らEMを活用し、同時に感染症対策としてのEMの飲用等々の活用を積極的に進めている。その結果、予想された衛生問題や、感染症は殆んど起こらず、タイ国は、この難局をEMで乗り切ったのである。


 この成果は、世界に報道され、我が国でも民放でニュースとして放映されたが、公共放送はEMには関心がないようである。当初、EM研究機構は、東日本大震災に対応したように、全量無償で提供する心算であったが、タイ国側から、これまでも大変世話になっており、タイ国も経済力がついてきたので、お金を払わせて欲しいということになったのである。


 EM研究機構の基本方針は、各々の国においてEMで得られたお金は、各々の国のために使う事になっており、タイ国とは、社会開発省を窓口にEM研究機構と技術指導協定書が交わされている。今回、タイ国で活用されたEMは、原液で200トン余、それを100倍に増やして使うため、使われた活性液の量は2万トン余となり、東日本大震災で使われた量の10数倍にも達している。


 日本の場合は、公的な機関は殆んどが関与せず、すべてEMのボランティアによる無償協力であったが、この活動は、現在も続けられており、特に福島における放射能汚染対策には着実な成果を上げている。現在、福島県には20箇所以上の本格的なEM活用拠点が出来上がっており、今年は更に増やす計画である。


 タイ国にEMが導入されたのが1986年である。当時タイの東北部は降雨が極端に少ない年が続いて、農村部は危機的な状況が慢性化しており、EMは、その対策として活用されたが、日本のように学会や公的機関の反対や妨害がなく、実績を積み上げた上での今日の成果である。このタイ国の成功事例は、アジアのかなりの国々に広がっているが、次回はタイ国でEMが国策となるまでの歴史的背景を説明したい。



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