第38回 福祉施設におけるEMの活用
本シリーズがスタートして3年目をむかえることになった。EMの普及活動の原点は、安全で快適、低コストで高品質、累積的な持続性で高度情報共存共栄の望ましい未来型社会の構築、すなわち、幸福度の高い社会づくりである。その実現のためには、自己責任原則と社会貢献認識が合致する生き方の指標が必要である。EMを空気や水の如く、生活や生産のあらゆる場において活用すると、結果論的に自己責任と社会貢献が合致する生き方となり、あらゆるものを蘇生化する力として機能するようになる。
これまで、多様なEM活動の事例を紹介してきたが、幸福度の高い社会づくりとなると、福祉や教育や医療健康問題の解決も不可欠である。今から17年前のことである。岐阜県可児市の奥村さんから、福祉作業所でEMボカシを作ってもらったら、とてもいいボカシが出来た。その上、障がいを持った園生に様々なリハビリ効果が認められており、EMで障がい者施設を応援したいという相談があった。
私は二つ返事で協力を約束し、講演の都度、関係する市町村に生ごみを処理する場合、障がい者施設で作ったEMボカシを使って欲しい旨を説明し、EMのボランティアも、福祉作業所のEMボカシ作りに積極的に参加するようになった。その結果、EMボカシは地域の生ごみリサイクルに安定的に活用され、施設の収入源となり、障がいを持った人々が環境問題の解決に積極的にかかわるようになり、EMを通し、幅広く一般との交流が進められるようになってきた。
今では、数千の障がい者施設が、何らかの形でEMを活用しており、EMボカシの販売のみならず、EMボカシで処理された生ごみを回収し、自給菜園や養鶏を行ったり、中には有機JAS認証を取得し、自立的な福祉施設になり始めている例もある。農地の確保が容易な北海道には、自立的な福祉施設はかなり多く、施設で作ったEMボカシを自治体やEMのボランティアが購入し、生ごみを処理した後に、施設の農場で活用し、様々な活動を展開するようになっている。
すなわち、農作業には、一般はもとより、高齢者のボランティアが協力し、秋には、地域ぐるみの収穫祭を行ったり、個人の家庭で不要になった家具や機材や資材が施設に寄付されたり、地域の学校や老人施設の交流も積極的に行うようになってきた。日本橋川や外濠の浄化に使われた50万個余のEMダンゴは、茨城を中心とする関東の福祉作業所で作られたもので、1個30円で買い取るため施設の大きな収入源ともなっている。
EMボカシが、福祉作業所での収入源になり始めた頃、日本の景気は下降線をたどり、福祉作業所には、きわめて安い仕事しかなく、また長時間にわたる単純作業は、障がい者にストレスとなるものが多く、その仕事すら、中国の台頭によって激減したのである。その上、障がい者支援法の改悪によって、自立の為の根本的な対応が求められるようになってきた。
話は遡るが、奥村さんの提案があった17年前に、私はEMボカシをはじめ、EMを活用した様々な福祉施設を訪ねるようになり、施設でのEM活用の多様化を図り、障がい者の自立についてのEMの可能性を考える機会を与えられた。過去も、現在も、EM技術の発展は、最も困難とされる様々な課題の解決によって加速され、その可能性が確認されてきたいきさつがあり、私は障がい者の自立という難問に取り組むことを決心した。
私は、奥村さんに無理にお願いをして、福祉施設を中心とする障がい者の自立を図るための「EMボカシネットワーク」の会長になってもらい、EM研究機構の最重要課題とし、福祉作業所で必要なEMやブルーシート、各種容器等々の無料現物支援や技術指導を行なう仕組みを作り上げた。
EM研究所や様々なEMのボランティアの協力により「EMボカシネットワーク」は全国に広がり、EMボカシを使った生ごみ減量運動を通し、障がい者施設の関係者が地域の人々と積極的に交流することが可能となってきた。その2年後、岐阜県の可児市で行なわれたEMの講習会の後に、障がい者施設や、その保護者の方々と懇談する機会があり、私は次のような話を聞かされたのである。
40代の女性で知的、身体的重度の障がい者の母親から、現在は、自分が子供の面倒を見ているが、70才を越えた今、自分も大変だが、自分が死んだら、この子の面倒を誰が見るのか?この子の行く末を考えると死ぬにも死にきれない。どうしたらいいでしょうかということである。その重度の障がいをもった子供は、車イスで寝たような状態で施設へ来ており、ボカシ作りなど手足を動かす作業は不可能である。しかし、嗅覚は正常に機能していることを生かし、EM活性液やEMボカシの品質を匂いで判定できるため、ボカシ作りに参加していたのである。
要するに、出来上がったボカシを他の知的障がいをもった子供が、その重度障害をもった子供の鼻に近づけるのである。その匂いを感じた彼女が、笑顔を見せるとOKで、渋い顔をするとやり直し、再び彼女に判定してもらうという役割をはたしていたのである。そのため、EMボカシの作業は、彼女が車イスで横になりながら皆と一緒にいると、他の子供たちも元気で作業の能率も良くなり、和気あいあいとなるが、彼女が休んだ日は、皆落ち着かなくなり、作業能率も雑になってしまうということであった。
また、ある父兄からは、EMボカシを作るようになり、多くの人たちから、ありがとうという言葉を沢山いただくようになり、子供の性格が明るく前向きになってきた。これまで、私達は、他の人々に、いつもありがとうと感謝を表する立場であり、生涯にわたって、ありがとうと言いつづけ、他人からありがとうと言われることは無いのではないかと思っていた。それが、EMにかかわるようになってからは、多くの人々から、心のこもったありがとうを受けるようになり、この子も、社会に役に立っているんだと嬉しくなり、涙したという話も聞かされた。
その他、諸々の深刻な悩みも聞かされた私は、私が考えている障がい者の社会的役割と障がい者が幸福に暮らすための方法について、種々の提案を行なったのである。「競争の社会における障がい者は、戦力的にマイナスであり、ある種の大きな負担である。そのため、障がい者をまとめて、効率よく面倒を見ようという発想が現在の障がい者施設の原点である。その結果、障がい者が、社会から隔離された状態になっている。」「また、様々なトレーニングや工夫をこらし、健常者なみに作業をやらせている例もある。これも、一見するとすばらしい感動を与えるものであるが、心身にハンディキャップを持っている障がい者の立場から見れば、ノルマでしばり、ストレスを上乗せする以外の何物でもない。怪我をして、体が不自由になた時の、我が身を考えれば、誰でも理解できることである。したがって、障がい者に仕事を与える場合は、苦痛やストレスを与えるものは、やめてEMのようにリハビリにも役立つものを考えるべきである。」
「世間には種々の苦業、難業があり、健常者がその修行を達成すると、社会は、その人を師として仰ぎ、修行の成果が人生の成功として尊敬されるようになる。それに対し障がい者は、いかなる苦業や難業に匹敵するような現実を、生涯にわたって抱えつつ、何の見返りもなく、社会も仕方がないものと考えている。しかしながら、一生かけても克服できない様々なハンディキャップを背負って生きる姿は、ある意味で、説教がましい覚者よりも社会的教育効果ははるかに上である。」
「何故ならば人類は全体の健全性を維持するために、DNAに及ぼす多様な障害を排除するメカニズムを持っており、不幸にして、生まれながらに、その障がいを引き当てた結果が障がい者である。この不運は、誰にでも起こる可能性があり、健常者は単に運が良かったということである。」「これは本人の意思とは全く関係がなく、中途で障がい者になった場合も、不運としか言いようがなく、それにめげずに懸命に生きる姿は、社会全体に対し、生きることや命の尊さを本質的に教育する力を持っている。」
では、どのようにすればよいのだろうか。私の提案は以下のようなものであり、この信念は不動のものである。「先ずは、障がい者施設でリハビリ効果のあるEMボカシやEM活性液を作り、地域の人々に販売し、生ごみリサイクルや水質浄化や家庭でのEM生活に役立つことから始めるべきです。」「EMの良さを知った人々の大半がEMボランティアになったり、EM活動に深い理解を示すようになります。そのような人々や、障がい者の父兄が一緒に協力し、EMボカシで処理した生ごみを使い、野菜やお米を作り、ニワトリや豚を飼育し、自給自足ができる体制を作るべきです。EMを使い無農薬で化学肥料を使ってない有機農産物は、健康や環境にとっても、はるかに価値のあるものです。」
日本中に放置された農地が沢山あり、その気になり、関係者に協力をお願いすれば、農地を確保することも容易です。」「このような体制を整えた後に、障がいをもった子供の親や、障がい者のために役に立ちたいと考えているボランティアに参加してもらい、集団で自立的な大家族になって、皆で楽しく支え合って、希望のもてる形にすれば、この問題の解決は可能となります。」「その結果は現代のかかえる様々な問題(自殺、無縁社会、高齢者対策、就職難等々)を解決する力にもなります。」
私は、そのことを以前から、障がい者支援に深い関心のあった家内にも話し、奥村さんを中心にEMボカシネットワークを支えてくれるようにお願いし、快諾を得て今日に至っている。
今では、私の提案を、かなりのレベルで実行している障がい者施設は、相当の数にのぼるが、その代表的な事例として、岩手県一関市にある障がい者施設「ブナの木園」の活動を紹介したい。
当初は、EMのボカシ作りからスタートした「ブナの木園」であるが理事長の小野寺さんは、EMの可能性を見抜き、EMのモデル的な福祉施設にしたいという申し入れがあった。6haくらいの敷地に豆腐工場や種々の作業施設や研修所を建築するに当たって、すべての分野(舗装も含め)にEM技術を活用することから始まったのである。開所以来、豆腐の品質はとびっきり良いため、当初は品不足をきたした事も多く、今では高レベルの安定生産を続けている。
農園のEM栽培の野菜も好評で、放棄されたりんご園の再生をEMで行い、青果はもとより、品質の高いEMジュースも作っており、同時にカシスの栽培も手がけ抗酸化力の極めて高いカシス、リンゴ飲料を作り、今ではブランド品として流通するようになっている。園生の保護者やボランティアの積極的な協力もあり、小野寺理事長は、独創的な方法で、私の考えていたことを実行に移したのである。そのスローガンは「障がい者、大地に生きる」である。
昨年の1月16日、小雪の降る中、私は久々に、ブナの木園を訪ねたが、その発展ぶりに目を見張ったのである。農業法人の資格を取得し、16ha余の農場を、ボランティアや保護者の協力で経営していたのである。特にサツマイモの切干し加工品は品質が飛びきり良く、量販店のイオンも積極的に協力しており、ジャガイモ、トウモロコシ、カボチャ、キャベツ、大豆、白菜等々の計画も着々と進めていたのである。当初は、農業法人の件で市に相談に行っても、「とても無理」ということで相手にされなかったとの事であるが、これまでの実績と将来構想を説明し、試験的な取り組みが行なわれるようになり、今では、市もブナの木園に対し耕作放棄地の再生や過疎地の農業振興に大きな期待を寄せるようになっている。
この数年の内に、規模を30ha以上に増やし、障がい者の父兄やこの事業に関心のある若い健常者も積極的に受け入れ、各々の役割が十分に発揮できるようにシステム化した望ましい集団農場を目指している。
EMを活用すれば、完全な無農薬、無化学肥料栽培が可能であり、多収で高品質で、しかも、障がい者や高齢者にとって、リハビリ効果も発揮し得る余得もある。小野寺理事長の頭の中には、この農園で研修し、実力をつけた一般の青年が、耕作放棄地で独立し、「ブナの木園」と連携をとりながら、地域を振興していきたいとの夢がある。
EM技術を徹底し、EMを水や空気のように使えるようなシステムを作れば、小野寺理事長の夢は、現実のものとなる。障がい者の存在を個々人の良心に照らし合せて考えると、いかなる師よりも、より多くのことを教えてくれるものであり、社会の良識や良心を育てる偉大な力がある。その自立に当たっては、様々な叡智を生み出してくれるものである。
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