第32回 EM技術による建造文化財の保護



 今や、まさに世界遺産ブームである。世界遺産に指定されると当初はパニックになる程に観光客が殺到する。その後は、時間とともに退潮し、遂には、元に戻り、残されたのは常時発生する、保全に必要な膨大な経費である。同時に、歴史と共に、様々な汚染が蓄積し、人間の健康にとって好ましくない状況となってくる。古い建造物に伝わる不吉な話は、裏を返せばその汚染によるものである。


 古い遺跡や建造物を調査している人々に、ある種の職業病がある。その大半のものは、肺にカビが生えたり、ウィルスや原因不明とされる微生物によるものである。いずれも、免疫力が低下した場合に発生しており、抗生物質が効かない例も多く、中には遺跡をあばいたり、盗掘した天罰だと言い伝えられている例もある。


 この原因となっている微生物は、アスペリギリス属を中心とする発酵機能を持つ有害なカビの仲間である。古い建造物や墓には、そのような有害な微生物や小動物に保持されたウィルスが増殖し、密度を高める仕組みとなっている例も多く、湿気が高い場合は加速的である。


 根本的な対策は消毒ではなく、有害な微生物相をEMのような有用な微生物に相転移することである。素人的にいえば、EMの活性液を50〜100倍にして全体にしみ込むように、ていねいに数回の散布を繰り返す。その後、これまであった特有の古カビ臭が消え、深呼吸が出来るくらいに空気がきれいになればOKということになる。更に、年に1〜2回のEM活性液の散布をすれば、その後の経時的な環境劣化や建造物の劣化を完全に防ぐことが可能である。


一之倉邸
写真1:一之倉邸

アメリカシロヒトリ
写真2:アメリカシロヒトリ

 10年以上の前のことである。岩手県盛岡市の保護庭園である「一之倉邸」にアメリカシロヒトリの発生が年々ひどくなり、傘をささないと歩けないくらい幼虫が降ってくるような状態に陥り、名所のモミジも台無しになったことがある。同時に薮蚊や人を襲うハチなども大発生し、木造建築の内部も、梅雨時には、ひどいカビ臭があり、様々な虫が多発したとのことである。



 この「一之倉邸」は平民宰相の原敬が有志とともに時の政治を論ずる為に活用されたことで有名であるが、建造物そのものは、古いというだけで、文化財的評価は今後の維持次第である。


 このような状況にあった「一之倉邸」の樹木や池や、床下にEMの活性液とEMセラミックスを混和したものを、数トン余り、初夏に散布したのである。農薬でも防除が困難なアメリカシロヒトリも、数日で激減し、いつの間にか姿を消したのである。薮蚊やハチ等も極端に少なくなり、古カビ臭のあった床下の臭いも消え、すがすがしい状況になったのである。


 その年の秋から「一之倉邸」のモミジは復活し、今では以前にまして色は鮮やかで、長く楽しめるようになったとのことである。当然のことながら、建物の劣化は止まり、維持管理に当たっているボランティアの人々も大喜びである。


EM散布後の一之倉邸の紅葉
写真3:EM散布後の一之倉邸の紅葉

 古い遺跡や建造物の調査や維持管理に当たっている人々で、不幸にして肺にカビやバクテリアが発生し、抗生物質が効かない事態が発生した場合は、免疫力を高める以外に方法がなく、下手をすると院内感染と同じ悲劇にあうことになる。


 すでに述べたように、EMの持つ抗酸化力や非イオン作用やエネルギーを付与する力は、人間や各種の動物の免疫を著しく高める効果がある。宮崎の口蹄疫対策にも、その力は、いかんなく発揮されたが、抗生物質が効かなくなった感染症にEMやEMXゴールドは、顕著な効果が認められており、肺のカビやバクテリアが完全に消失している例も多数確認されている。


 北海道大学工学部、八戸工業大学、日大理工学部の土木建築関係者の協力を得て、EMの土木建築資材の機能性や耐久性の向上が明らかになったのを受けて、EMの土木建築への応用が広がったが、EMウエルネスセンターの設立を機に、古い建築物へのEM技術の活用が試みられた。


 この建物は、1971年に沖縄の日本復帰直前に立てられた230室余の沖縄ヒルトンホテルである。後にシェラトンホテルに変わるが、その後、他の資本に移り、我が国のバブル崩壊とともに倒産し、放置されたまま、13年余を経過したホテルである。ホテルとして20年くらい使われ、その後、10年以上も放置されたため、その劣化は著しく、沖縄の巨大な幽霊ホテルとして、週刊誌やテレビ等をにぎわし、いわく因縁のホテルであった。したがって、取り壊す以外に対処の方法がない状況となり、沖縄県も地元の北中城村も当惑した状態であった。地主も90余人、土地代の支払いも数千万単位で滞っていて、八方塞りとは、まさに、そのことであった。


 そのような事とは、つゆ知らず、知事選挙に対するEMのアピールのため、どこからでも目立つ、その巨大な廃墟と化したホテルの上半分全面に「沖縄自立、EM立県」と書いた大きな横断幕をかかげたのである。それがきっかけで、あのホテルはEMさん(EM研究機構)が何かをするらしいという噂が立って、関係者が訪ねてきたのである。


 話を聞けば、すでに述べた通りであるが、想像を絶する債権が設定されていたのである。私は、債権がすべて放棄されるならば、EMウエルネスセンターとして活用したい旨を伝え、関係者が、すべて私の期待通りに動いてくれたため、半値に値切れるという相手の希望価格をそのまま受け入れ、地主達の土地代も、すべて払ってあげたのである。そのことについては身内を含め、関係者は猛反対、金融機関に相談に行くと、取り壊して新しく建てるなら融資してもいいが、改装して使うなら不可という返事であった。建築業界でも、10年以上放置され劣化が激しいこのような建物は、取り壊すのが常識とされている。私に声がかかるまでに、かなりの人々がこのホテルの活用を試みたが、その傷みの激しさに尻込みし、1件も話が進まなかったという有様であったことも、後になって知らされた。


ホテルコスタビスタ
写真4:ホテルコスタビスタ

 旧沖縄ヒルトンホテルは、開業時には、沖縄NO.1の近代ホテルで、現在の沖縄のホテル業界のリーダーの大半は、このホテルで修業したと言っても過言でない。デザインも群を抜いており、眺望もすばらしく、このホテルを活用することは、沖縄の人々にとっては、一種のステイタス的な意味も含んでいた。また、米軍統治時代の最後の本格的な建造物で、今となっては、文化財的な存在でもある。


ホテル レストラン(改装前)
写真5:ホテル レストラン(改装前)

 現場を案内された時、フロントの前は水びたし、和食のレストランには、ツル性の植物がうっそうと繁茂し、じめじめとした廃墟であった。階下のレストランは、更にひどく、棒で天井を突っつくと、バラバラと剥がれ落ち、鉄筋はサビだらけで、見に来た人は、すべて逃げ帰ったという話であった。


 中心部の躯体は、ある程度しっかりしているものの、増築した部分や端の部分になると見るに耐えないものとなっていた。放置される前の状況を知っていただけに、その変わりようには驚いたが、内心は嬉しくなり、この日で、この建物をEM技術で改装し、EMウエルネスセンター、ホテルコスタビスタとして活用することを決定した。


 金融機関には、旧ヒルトンホテルは、沖縄にとっては文化財的な存在であり、立地やデザインもよく、本土復帰前に出来た唯一の本格的な建物である。これをEM技術で改装し、文化財を長く大事に保存しつつ、使い続けるモデルにしたい。小さな建物なら誰も信用しないが、230室余もある巨大な建造物があれば、世界中の人々に理解してもらえる。として、説得を試みた。もし、融資が受けられない場合は、EM研究機構の職員を総動員して、時間をかけ、自力でもやるという考えも伝えたのである。


 賛否両論いろいろあったが、「比嘉先生の考えと熱意は良くわかったが、EM研究機構の借入れであっても、最終的に先生がすべての責任の保証を負う」ということであれば融資するということになり、30億円に近い融資を受けることになったのである。今から5年前のことである。


ホテル ロビー(改装中)
写真6:ホテル ロビー(改装中)

 先ず建物全体を、EM活性液で洗うことから始まった。使われた活性液は、600トン余り、出てくるごみの山には、唖然とさせられたものである。たたいて剥がれる部分は、徹底して除き、錆びた鉄筋にはEMとEMXを浸透させ、コンクリートやモルタルにはEMとEMセラミックスを入れ、食品倉庫や厨房やレストランなどの重要な部分については、EMXも添加した。また塗料にも、すべて、EMとEMセラミックスとEMXを添加し、汚れ防止と断熱、省エネ等の試みを実行した。


 新装となったホテルコスタビスタは、クリーニングや掃除はもとより、水のリサイクルや生ごみのリサイクル等々を含め、すべてEM仕様である。レストランで使用される食材の殆んどがEM食材または、EMXゴールド等で徹底して処理されたものである。今年の11月で5年を経過するが、建物の強度は打診すると年々固い金属音となり、抜き取り調査の結果も、強度が増強されていることが明らかとなっている。開業から3年経過した時点で、顧客満足度は、沖縄県NO.1となり、返済も順調に進んだことから、昨年、私は保証人からはずしてもらい、今では自由の身となっている。


ホテル レストラン(改装後)
写真7:ホテル レストラン(改装後)

 リフォーム関係の建築業者や工務店の来訪者も増え、海外の文化財保護関係者の来訪も増えはじめている。言ってみれば、この建物は、米軍統治時代のものであり、我が国の耐震設計を無視した違法建築である。長く飛び出している広いベランダは、地震の専門家から見れば寒心に耐えない造りとなっている。


 私は、このような専門家の指摘に対し、EMは耐震性を強化するので特に心配はなく、本土にある法的基準に満たない古い建築物でも、EMでリフォームすれば耐震性の改造は不要である。また、新築の場合でも、EM技術で強度が十分に得られるために、従来のような耐震設計は不要であり、大幅にコストの削減が可能であると主張し続けている。


ホテル ロビー(改装後)
写真8:ホテル ロビー(改装後)

 専門家から見れば、素人が勝手に騒いでいるように思われがちであるが、阪神淡路大震災でも、この点は確認済みである。EM関係者には、その後に起こった様々な地震からEMの耐震性を実感した事例はかなりの数に上るが、今年の2月27日、沖縄県に100年ぶりといわれる震度5弱(マグニチュード6.9)の地震が発生したのである。


 EMで改装したホテルコスタビスタは、コップ1つ倒れる訳でもなく、宿泊客の大半は、すこし揺れた程度にしか感じなかったという話である。まわりの民家では冷蔵庫の上にあったものが落ちたり、本棚の本が飛び出したりして、かつて経験したことがない、ひどいゆれがあったという事である。築30〜40年のコンクリートの建造物にひびが入った例も多かったのに対し、EMを活用したホテルは全くの無傷であったことは改めて述べるまでもない。



 このような事が信じられない方々に、昨年度(2009)EM仕様で改装したもう一つの事例を紹介したい。沖縄県与那原町にあるカトリックの「聖クララ教会の礼拝堂」の件である。


クララ修道院
写真9:クララ修道院


 京都出身の片岡献氏によるデザイン設計で、テーマは「CBによるモダニズムで平和の希求」であり、1958年に建築されたもので、沖縄には大きな地震がないという前提となっている。2003年には「日本近代建築DOCOMO100選」に沖縄から唯一選ばれている。老朽化がひどく、建て変えなければならない状況にあったが、予算的にとても無理なため、EMによる改装で対応することになったということである。


クララ修道院
写真10:クララ修道院

 例によって、専門家は、すべて反対、自信を持って改装し得る業者もなく、1級建築士でEM建築のエキスパートである、知念信正氏に指導をお願いしたとのことである。知念氏は、かなりの数のEM建築を手がけており、旧ヒルトンホテルの改装にも積極的に協力いただいた方である。


 知念氏によると、礼拝堂は、予算の関係で大幅な改装は困難であったが、モルタル、塗料、防水や壁のコーキング、接着剤等にEMとEMセラミックスを添加し、木造部分やクロスにはEMWとEMXゴールドを散布、施設周辺へのEMの散布はもとより、EMが活用できる場所は徹底してEMまたはEMセラミックスの処理を行い、最小限の予算で仕上げたとのことである。


 聖クララ教会のシスター達のEM活用は、附属幼稚園から宿泊研修等々の付帯施設のすべてに及び、日常的にEMを使っている。またEMで改装された旧ヒルトンのEMウエルネスセンターホテルコスタビスタでのEM研修会に最も熱心に参加し、「EM生活」をすべての面で実行しているグループでもある。


クララ礼拝堂
写真11:クララ礼拝堂

 教会は2月27日の地震の震源地にも近く、被害も予想されたが、責任者のシスターからは、次のようなコメントをいただいた。「礼拝堂は非常に古く、中央に柱がなく、天井を壁で支える独特の構造なため、地震の時には非常に心配しましたが、ひび割れもなく、全く問題はありませんでした。もし昨年、改装工事を行なっていなかったら、どうなっていた事かと胸をなでおろしています。」

 信じられない方は、EMウエルネスセンターのホテルコスタビスタへおいで下さい。聖クララ教会にもご案内いたします。


クララ礼拝堂
写真12:クララ礼拝堂


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