第24回 食と健康、環境を守る農業の未来像(4)



 前回までに農業は構造的に負の含み資産を増大させ、いつの間にか「国の荷物」になった経緯を説明した。原因が構造的であれば、根本的なリストラが必要である。


 そのためには、農地の利用率を高め、生産部門では、これまで述べたような超多収で高品質の限界突破(ブレイクスルー)を実行し、食料の自給率を高め、高度なバイオマス産業を展開し、高品質の農産物を輸出商品とし、農村を未来型の観光資源として発展させる必要がある。同時に高齢者や社会的弱者を受け入れ、生きがいを与える巨大な社会福祉的なセーフティネットに再構築するとともに、環境や健康や水産振興に対する役割を評価し、「農が国の基」になるように再構築せねばならないのである。


 現在の「食料、農業、農村基本法」は諸悪の根源となった旧農地法よりは、かなり進歩したものであり、企業の農業への参入や新規就農の門戸を開いているが、更に強力に農地の利用率を高める施策が必要である。日本の耕作放棄地は約38万ha(2005)現在では40万haは越える状況になっている。この面積は埼玉県よりも広く、日本の全農地の8%以上、限りなく10%に近づいている。


 リーマンショック以来、企業の農業参入や就農人口は増えつつあるが、その大半は期待はずれとなっている。その上、既存の農家に後継者がない場合が多く、就農人口は減り続けている。一方、就農したいが農地が手に入らない農学部や農業高校の卒業生はもとより、農業をしたいという人々は無数におり、その人々を受け入れるだけでも、農村を活性化することも可能である。


 それを現実のものにするためには、様々な法的整備と技術的なトレーニングと生産物の販路や所得保障的な解決策が必要である。例えば、3年以上耕作を放棄した場合は、その土地の利用権を失う制度を作り、所有権は、そのままにし、固定資産税は利用者が払うようにする。また、所有者が農地を活用したい場合は条件によっては3〜5年で戻るようにする等々の農地の利用を流動化し、利用率を高める法的措置が必要である。


 話し合い次第では、現在の法律でも、このレベルであれば、実行は可能であるが、現存する技術的なトレーニングや販路や所得保障的な解決策では、限界がある。そのためには、現在の農業のマイナスの含み資産をプラスの含み資産に転換する以外に方法はないと考えるべきである。この要は、これまで、くどいように強調してきた化学肥料や化学合成農薬を使用しない高度な自然農法や有機農業に転換することであり、一次産業のすべてにわたって化学合成物質(医獣薬を含め)の使用を全面的に禁止することである。


 これまで述べたように、EM技術は耕種農業はもとより、畜産、水産、林業などあらゆる分野で、安全で快適、低コストで多収・高品質で持続可能な技術であり、25年以上の実績がある。国内では、名桜大学やEM研究機構の協力によって北海道の三笠市をはじめ、かなりの数の市町村がEMモデルタウン推進事業に取り組み始めている。


 すでに、注目すべき数々の成果が上がっており、後、数年もすれば、国全体に広げられる普及モデルになるものと考えている。ポイントは大量のEM活性液を安価に供給し、水や空気の如く使うつもりでやれば、数年で転換が可能となる。予算的にみると、現在の有機物等のバイオマス、リサイクル法に関する助成金と有機農業推進法にかかわる助成金でも、かなりのレベルの対応が可能であるが、下水処理や地域の環境保全や自然資源の回復等を視野に入れた総合的なものにする必要がある。


 機能性の高い(健康に良い)農産物は、従来の農産物とは異なる新商品である。現状のままでも、海外で品質の良い日本の農作物は好評で、一次商品全体で4年前の輸出総額は7000億円を越え、限りなく1兆円に近づく、輸出力を持っている。


 このようなことを話すと、700億円の間違いではないかとの誤解もあるが、これまで述べたように、EM技術で根本的に日本の農業を改革すれば、食料の自給率は100%一次産品の輸出総額は10兆円以上になると考えている。


 10兆円といえば、今の農業の総生産額である。耕種部門では、それなりに理解できるが畜産のエサの問題はどうなるかという話が出て、飼料の自給は、絶対に不可能という結論になる。


 この場合も、飼料の供給システムと畜産廃棄物の高度利用と耕種部門と連動させれば解決は比較的容易である。すなわち、EMで栽培した無農薬のワラや農作物の残渣をEMで発酵処理すれば、極めて良質な粗飼料となる。EM技術であれば、飼料用の超多収の米や、トウモロコシを更に20〜30%増収でき、秋〜春の水田牧草も戦力となる。その上、EMで飼育した家畜の糞尿は超一級の有機肥料となる。


 更に、畜産を振興するのであれば、生ごみの飼料化、農水、畜産加工場の廃棄物や飼料化も容易である。また、雑木林や竹林、間抜材や道路や公園管理から出てくる植物残渣も細断しミネラルを添加しEMで発酵すればキノコの生産にも活用でき、その残渣も含め、すべてが良質の粗飼料になる。その結果、我が国の広大な山林も濃密なキノコ資源や牧場と化することも容易となる。


 また、EMを注入した木材は、白蟻の被害も全くなく、耐久性が数倍も強化される特徴がある。同時に、木材の機能性が向上するため、化学物質過敏症の対策はもとより、100〜200年の長寿命の住宅は常識となり住む人の健康も守る理想の建築物を作ることも可能である。この応用は、間抜材に限らず、すべての木材に可能であり、これまでのカテゴリーとは根本的に異なる新建材であり、世界中に輸出できる新産業としての潜在力を持っている。


 願わくば、山頂からEMを流せば、樹木の酸性雨の被害も激減し、CO2固定力も著しく高くなり、森林生態系は豊になり、川や海の自然資源を育て、環境全体を安定的に維持する機能的な森林と化することも可能である。


 農業におけるバイオマスといえば、メタンガスに代表されるように、後向きの対策が主流である。下水や畜産廃棄物など、元々、悪臭を発する腐敗物からメタンを取り出すことは、産業的見地からすれば、愚の骨頂である。悪臭の制御には膨大なコストがかかり、機材も錆び易く、劣化が早く、自家用ならいざ知らず、事業としては、とても採算の合うものではない。


 EM技術で悪臭を発する有害な有機物を処理すれば、極めて良質な有機肥料となる。その肥料を活用し、多収品種を栽培すれば、従来の2〜3倍もの収量すなわち、炭酸ガスを資源化することが可能となる。このようにして、得られた穀類、サトウキビ等はアルコールにもプラスチックにも、石油にかわるあらゆる分野に応用ができ、その残渣は、飼料や非木材パルプとしての活用や炭酸ガス取引枠等々の高次の展開が可能である。


 農村は、緑が多く、水もきれいで、健康にいい場所であると言う錯覚が支配的である。農薬や化学肥料など毒物を散布された農村は、健康にとっては、最悪なものである。また、農業は他の見地から判断すると、犯罪行為に近い毒物を合法的に撒布する類稀な産業である。このような場所に、エコツーリズムとか、農村観光とか銘打っているのは、サギに限りなく近いビジネスである。


 したがって、高齢者やリハビリの必要な人々を受け入れる場合は、危険な化学物質を一切使わない農村が絶対条件である。また、日本の近海漁業のダイオキシン問題は未解決のままである。EMはダイオキシンを分解する蛍光性の放射菌を好気、嫌気状態でも活性化する力がある。EMを使い続けていると底質のダイオキシンはもとより、様々な残留化学物質が分解されることも明らかとなっている。


 水産振興についてはすでに述べたが、量はもとより、質の向上も同時に解決する必要がある。水産養殖にEMを活用すれば、抗生物質を含めたすべての薬剤を止めることが可能であり、海草の復活も顕著で養殖魚は天然魚なみの高品質となる。


 これまで述べたように、EM技術で、農業に産業としての付加価値を付ければ、時間の経過とともに、地域全体がクリーンになり、環境全体を望ましい「いやしろ地」に変えることが可能となる。「いやしろ地」とは、すべてのものをいやし、生き生きとさせる聖なる地のことである。


 農村が真の意味で「いやしろ地」になれば、農村は巨大な最良の保養地となり、全国の病院をすべて合せたよりも、はるかに保健効果の高いものとなる。美しい「いやしろ地」やおいしくて健康に良い食べ物、人々が親切で滞在が長くなるほど健康になるという条件はウエルネス観光の基本である。ウエルネスとは精神的にも霊的にも心身ともに健康で幸福であるという概念を持っている。


 内需拡大が容易でない我が国の状況を考えると、高機能な一次産品の輸出と国際的ウエルネス観光は、別の次元で、日本を活性化することにつながるものである。いずれも、アナログの総合力であり、従来のデジタル的方法では歯が立たない分野である。


 日本がWTOやFTOで窮地に追い込まれるのは、農業の保護が常に念頭にあり、その圧力団体が選挙を通し、影響力を及ぼしているからである。これまで述べたように、EM技術を活用し、無化学肥料、無合成農薬にし、一次産業全体が、巨大な国家の含み資産となれば、農産物はWTOやFTOの交渉に上げる必要はなく、相手国の農産物の輸入制限や課税はこちらの意のままである。


 EM研究機構を中心に、EMに関する多数のボランティア団体の協力で、様々なモデルを作りつづけており、答はすでに出尽くしている状況にあるが、要はトップの決心次第である。



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