第2回 自然に即した生き方の重要性



 今回の世界バブルは言ってみれば資本主義の崩壊現象ですが、先に崩壊してしまった社会主義も根は同じものです。 すなわち、何もかも数値化(デジタル化)し理論的に市場や社会を運営できるというゲーム的発想の破綻として捉える必要があります。


 小中学生に株や金融を教育し急成長をした国々、自国には何もないのに金融工学のネズミ講が発達した国々では何もかも失った人々があふれ出ています。


 日本はこの第三次世界大戦に匹敵するような状況で独り勝ちした形になっていますが「失われた10年」で自然に即した生き方を見本に額に汗して働くことが、日々の仏行(人間性を高める修業)であり、人様に迷惑をかけない、人に親切にするというお世話心が他の国々よりも健全であったという証が随所に現れています。


 今回の失業者に対するボランティアや社会全体の対応は、他の国と比較すると群を抜いており、株で失敗した人々や苦境に立たされた人々のインタビューでも、自己責任認識と再出発に対する覚悟の程が明確に伝わってきます。かつての自分の不運は他人や社会のせいにする風潮は変わり始めており、成人式における若者の態度も模範的回答とはいえ、様になっています。


 生命を軸とする自然は全体が大きな生態系をなしており、あらゆる場面に「原因と結果及び調和の法則」がはたらいています。その上に人間の創造的思考が加わると次元は多層化しデジタル化できる部分は限られており、デジタル化してもすぐに不要化してしまいます。


  DNAの発見から始まる現代生物学は、あらゆる生命の共通のチェーンとしてDNAを位置付け生命の本質を中心とする自然の解明に挑戦し始めていますが、ある程度の構造や機能は明らかになっても、多次元に対応するDNAやRNAの自在的な変化をデジタル化することは不可能に近いといえます。


 とは言えDNAやRNAの科学的な取り組みは今後も積極的に進める必要がありますが、お金が目標で競争する研究システムでは現今の自己破壊的な状況に陥ってしまいます。自然に即した生き方を定義することは容易ではありませんが「原因と結果および調和の法則」と同時に自然界における「蘇生と崩壊の原理」も極めつつ総体的な対応が基本となることを忘れてはなりません。


≪20世紀医学の最大の功績は生活習慣病の発見である≫
 私は前回に幸福度の高い社会を作るための条件として自己責任を原則に「病気にならないこと」等々の項目を上げました。病気は個人的、社会的な心身のストレスの総和が当人の限界を越えた場合に発生します。科学的にはそのストレスの破壊作用によるDNAの機能不全ということになりますが、DNAの機能のレベルははるか先祖のまたその先まで関与しているといっても過言ではなく単純に割り切れるものではありません。


 いずれも食べ物や空気や水等々を含めた生活の基本と環境と環境に直結したものですが日常的な生活に支障を生じないレベルの健康を考えると、人間は「食べたようにしかならず」「生きてきたようにしかならない」ということになります。現代はこの点に関する認識が甘く、病気になったのは無理したからであり不運であり、病気は医者が治すものという風潮がはびこっています。


 私は20世紀の医学の最大の功績は生活習慣病の発見であると考えています。せっかくならば性格習慣病も同時に発表してもらったら、なお効果的であったと思っています。逆説的にいえば病気の大半は生活習慣とその人の性格習慣が重なって発生するからです。そのようなことは今では誰でも知っている常識ですが、その常識を実行に移すことは容易ではありません。


 健康問題を考えると食の安全性は当然のことであり究極は食の機能性にあります。すなわち日々の食べ物が健康の維持に積極的に機能する素材でなければならず居住環境を含めあらゆる環境が蘇生的なレベルが高くない限り本質的な解決は困難ということになりますが個人の責任で対応することは極々限られた微々たるものです。


 EM(有用微生物群)は光合成細菌をベースに抗酸化作用を持つ乳酸菌や酵母等を軸に様々な抗酸化物質を産生する微生物の複合体として活用されている微生物資材です。米のトギ汁に糖分を加えEMの種菌を添加しペットボトルで密封すれば1〜2週間で抗酸化力の極めて高いEM発酵液が誰でも簡単に作ることができます。


 この液を掃除、洗濯、トイレ、お風呂はもとより野菜を洗ったり、加熱する食材に1〜3%くらい添加すると、食べ物の安全性をより確実にし機能性を高めることができます。同時に居住環境や衣服も抗酸化的になっていますので病気にならない場を容易に作ることができます。


 私は常々にEMを水や空気のように使う生活になれば健康や環境問題の大半は自然に解決されると思っています。



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