第15回 EMで甦った東京の日本橋川(1)
環境問題の大半がいつの間にか地球温暖化に置き変えられている。すなわち温暖化対策を行えば環境問題はすべて解決すると考える誤解がまかり通っている。EMを自力で世界に普及することを私に決心させた1992年のリオサミットでは、温暖化の問題は脇役であり、ごみ問題やダイオキシンをはじめ化学物質の汚染、生活および工業廃水、畜産公害、農薬や化学肥料等々の汚染問題がこのまま続けば人類の未来はないというものであった。
我が国でも、それらの対策のために様々な法律が施行され、それなりの成果を上げているが環境汚染問題は依然として解決されておらず、その深刻度は更に重度な方向へ進んでいる。CO2は人間にとっては毒ではなく、その量が現在の数倍になっても地球の酸素の量が変わらなければ、人間が病気になることも死ぬこともない。活性酸素の制御という観点からはCO2の濃度はある程度(現在の数倍以上)高い方がガン等の難病にとってはいいといえる理論も成り立つものであり、ちまたには炭酸飲料やドライアイスが日常的に使われている。
2年に一度のローテーションで開催される「世界水フォーラム」は世界の水の汚染の深刻な状況をアピールするとともに人口の増大や産業の発展による水需要のレベルは水が有限資源になりつつあることを前提とした活動である。したがって将来的には、水の利権にからむ紛争に対する未然の話し合いによる解決策や水の浄化やリサイクル等の情報の集約と活用を積極的に進めているが決定的なものはなく、水事業は企業の新しいビジネスになり始めている。
EM技術による水質河川、湖沼の浄化は、京都で開かれた第2回水フォーラムでも広く紹介され参加者の投票による最も実用的な技術として最高点を得たが大半のマスコミはこの事実をあえて無視し報道しなかったいきさつがある。ちなみに本会場となった京都国際会議場の池もEMボランティアによって、きれいになったにもかかわらず、この一連の事実を放映したのは大阪のABCのみであり、日本の公の名の付く部所はすべて無視と言っても過言ではない状況であった。
京都の二条城のお堀がEMできれいになっても、大阪の道頓堀川の悪臭が消え、ワカサギをはじめ多種多様な魚が戻り、大腸菌やヘドロが激減しても、市の関係者は、そのボランティア活動を無視し続けてきた。
:橋洗い
東京の名橋日本橋保存会は毎年7月に橋洗い行事を行い名橋保存の活動を続けてきたが、橋を洗う合成洗剤が川を汚すのではないかという懸念を持ちながら行っていたということである。
たまたま、あるきっかけから、大阪の道頓堀川がきれいになったことを知り調査に行き、その成果に目を見張る思いと同時に川や海をきれいにするEMシャボン玉石鹸の存在を知ったのである。
今から4年前の平成17年のことである。それ以来、名橋日本橋の橋洗いはEMシャボン玉石鹸が使われるようになったがせっかくなら大阪道頓堀川のように日本橋川もEMできれいにしようという案がまとまり、平成18年の12月からEMの投入が始まった。
:日本橋川
システムとしては千代田区の協力で堀留橋の近くにEM活性液装置を設置し週1回10トンのペースでEM活性液を日本橋川に投入する単純なものである。EMを培養する水はすべて日本橋川の水を使い平成21年8月までに2000トン余のEM活性液が投入されている。
日本橋は中央区に属しているが日本橋川は小石川橋の近くの神田川から分流する4,8kmの一級河川で新宿区や千代田区とも水系としてつながっている。そのためスタートの当初は中央区と千代田区から始まり今では新宿区の関係者の協力も得て日本橋川の上流に位置する外壕の浄化も同時に行っている。
:テープカット
いずれも日本橋保存会、日本橋川・神田川に清流をよみがえらせる会と、NPO地球環境・共生ネットワーク(U-ネット)を支えるEMのボランティア団体の協力のたまものである。EM活性液装置のテープカットは平成18年の12月の寒い日にもかかわらず中央区長や千代田区長をはじめ、多くの関係者が参加しEM活性液の投入が始まった。
また川底に堆積しているヘドロを分解するため米ヌカ等の有機物を土に混ぜ、EM活性液を水がわりに使ってダンゴを作り、それを十分に乾燥させた後に定期的に投入する補助手段も実行した。EMのダンゴ作りは千葉や茨城の福祉施設で作ってもらいそれを買い取る形をとり、福祉施設の収入になるように協力するとともに、各作業所の障害者の環境浄化運動としても機能するように配慮した。
:EMダンゴ
EMダンゴは関連する区内の小中学校やボランティアはもとより、関東のU-ネットのボランティア、または福祉施設の関係者のよって日本橋川や、外壕に投入され平成17年から今日まで合計で238,500個が投入されている。
その結果、数ヶ月で悪臭は消え、半年後にはヘドロがかなり分解されゴカイやミミズが発生し、ハゼやボラが見つかるようになり、1年後には大腸菌も極端に減って、水泳可という水質まで改善され、ボラやスズキやウグイ、カニ、エビなど多種多様な生物が戻り生態系が豊かになってきた。
日本橋川は、かつて江戸城をはじめ江戸の中心部に物資を運ぶ物流の要として機能していたが東京オリンピックの時にその上に高架道がかぶさり、カミソリ堤防となり豪雨時の都市排水を流すだけの川となってしまい臭い、汚い、危ない川として沿線の住民から見捨てられた川になっていたのである。今でも大雨が降ると汚れた川となるが数日もすると透視度が2〜3m、川底まで見える清流となる。にわかに信じられない話であるが1年そこらで日本橋川は甦ったのである。
:EM活性液装置(二次培養液)の日本橋川へ投入
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