塩 沢 文 朗

前内閣府大臣官房審議官
(科学技術政策担当)



昨今の大学改革論議について感じること


 大学改革の議論が、経済財政諮問会議でも、規制改革会議でも、教育再生会議でも行われ、嵐のように吹き荒れているようです。大学改革に関する議論の嵐が吹きまくるのは、今から5年以上前の2001〜02年にかけて、国立大学の改革のあり方について国を挙げた大議論が行われてから2回目のことになります。

 でも、この「イノベーション25戦略会議」への緊急提言が昨年の10月から始まった頃は、産学連携推進の重要性は叫ばれていたものの、大学改革については、2004年4月に発足した国立大学法人の第一期中期計画の終了時期の2010年度末まで、その進捗を見守っていこうというのが大方の雰囲気ではなかったかと思います。私は、日本の大学が、技術革新の種を生み出し、また、それを可能とする人材を育てる世界の拠点となることが、わが国がイノベーションの波を起こし続けていくために必須の条件の一つと思うので、日本の大学の改革が一刻も早く進んでいくことは大賛成です。だから、2010年まで大学の改革に向けた自助努力を見守っていくというのは、正直言って、まだるっこしい思いを持っていたことも事実です。実際、国が毎年投じることのできる約3兆8,000億円の科学技術関係予算のうち、国立大学法人の運営費交付金は、約1兆2,000億円を占めるのですから、イノベーション政策に力を入れれば入れるほど、大学のパーフォマンスが気にならないわけがありません。さらに、世界のトップ大学は、日本の大学改革のペースにお構いなく、どんどん意欲的な改革を進めています。

 しかし、学問の自由を保障する大学の自治という極めて重要な価値と、国立大学法人という新しいシステムに移行するまでに積み重ねられてきた議論の蓄積に鑑みれば、2010年までは、組織運営の自由度が大幅に高まった大学の自己改革努力を支援していくことが重要です。そのような自己改革努力を促進するには、大学に対して教育と研究の成果、組織運営に関する積極的な情報開示、発信を求めつつ、その情報をもとに社会と大学との間で活発な対話を行い、大学が自己の改革の進め方を自ら考える環境をつくっていくことが有効です。そして、こういった情報は、大学間の相互比較も可能となる一覧性の高い形で、既に公表されています。社会全体で大学の自律的改革を後押ししていくための道具立ては、整いつつあるのです。こうしたことを私は、昨年の11月に「イノベーションの源泉を涵養する」と題する文章に書きました。

 昨今の大学改革をめぐる議論を新聞等で見る限りは、こうした問題意識に立ってみるといくつか気になる点があります。2007年5月3日付けの朝日新聞によると規制改革会議は、大学の運営費交付金を「教育目的の公費として『学生数に応じて配分額を決定』」する一方で、研究目的の公費は第三者の評価によって競争的に配分するように求める方針と伝えています。また、経済財政諮問会議の民間有識者議員は、2月27日付けの意見書で「国際化や教育実績等についての大学の努力と成果に応じた配分ルール・基準とす」べきと意見を述べています。もちろん、このようにトップダウンによる改革の実行も必要ですが、大学の自己改革努力の進展の状況の客観的な評価や、大学の本来的な価値を踏まえたうえでの議論であるのかどうか、新聞報道や公表されている資料からでは良く分かりません。

 例えば、大学の研究資金の窮状をどのように認識し、このような状況となっている原因をどのように分析しているのでしょうか。平成18年10月27日付けの「国立大学法人等の科学技術関係活動に関する調査結果」内閣府(科学技術政策担当)(第60回総合科学技術会議資料3-4)で明らかにされているように、大学の運営費交付金を原資として大学の本部から各研究室に配分される研究費は、既に相当に限界に近い状況にあるようです。これは、運営費交付金の中では、教育経費、研究経費として算定され、配分されているはずの資金が賃金職員の人件費や光熱水費、施設管理費などの学部共通経費、学術雑誌の購入費や実験施設関係経費などの学科共通経費に消えているためと説明されています。こうした実態は、大学の人事管理や経費管理が厳格に行われているのかどうかということと併せて評価される必要がありますが、そうした評価がきちんと行われたということは聞いたことがありません。評価以前の問題として、光熱水費や実験施設関係経費を管理したくとも電気メーターや水道計が研究室や学科毎に設置されていないという実態もあるようです。

 また、かつて国立大学法人システムへの移行の際に、そのシステムの前提となった考え方は、大学における「教育と研究の一体不可分」という考え方でした。そして、この考え方に立って大学教員の人件費が運営費交付金で支給されています。大学の教育にも研究にも競争的な仕組みを導入しようという考え方は、私は基本的に賛成ですが、今般の議論を聞いている限り、この基本的考え方の整理に関する議論は聞こえてきません。そうした整理なしに、どうやって教育に必要な経費も、研究に必要な経費も、ともに競争的に配分できるのだろうと考え込んでしまいます。

 まだこんな議論がまかり通っているのかと感じてしまうような主張が行われているのにも驚いてしまいます。それは、平成19年4月23日の教育再生会議の総会で「第3分科会(教育再生分科会)の意見の概要」という資料に垣間見え、多分、それをもとに新聞報道された主張なのですが、「我が国の高等教育に対する公財政支出の規模は世界的にも低水準であり、対GDP比で欧米と同等を目指す」というものです。この主張にある「我が国の高等教育に対する公財政支出の規模は世界的にも低水準」ということは事実ですし、私は、「対GDP比で欧米と同等を目指す」という方針に全く反対ではありません。実際、日本の高等教育に対する公財政支出の対GDP比が0.5%であるのに対して、イギリスは0.8%、フランスは1.1%、ドイツは1.0%(ともに2003年、OECD調査)と日本は世界的にも低水準です。しかし、私は、かねてからこの主張は、事実の全貌を語っていない点で、教育論議にはふさわしくない、ややアンフェアな議論ではないかと思っています。

 高等教育に必要となる経費が、公財政支出に加えて、民間支出で賄われていることを忘れてはいけません。家計が負担している授業料です。実は、公財政支出と民間支出の額を合わせて見ると日本の高等教育に対する支出はGDP比で1.3%と、イギリスの1.1%、フランスの1.3%、ドイツの1.1%と遜色のない規模になります。(ちなみに、米国は、公財政支出で1.2%、民間支出で1.6%と世界の中でも突出して高い水準にあります。)つまり、少なくとも欧州主要国と比べる限りは、日本で大学に対して投じられている資金規模は、経済の規模に応じた水準になっているということです。対GDP比の数字という問題はあるものの、欧州の大学は厳しい状況にないのでしょうか。国際比較をするなら、欧州の大学の実態との比較もきちんと行うべきだと思います。(この関連では、国連大学の現学長のファン・ヒンケル先生(元オランダのユトレヒト大学の学長)から、オランダの大学も国からの資金供給が減らされていく中で、大学改革をやり遂げたという話を聞いたことを思い出します。)

 この議論には、まだまだ気になる点があります。まず、この日本の高等教育費の数字には、大学数や大学生数の約75%を占める私立大学が含まれているので、国立大学への公財政支出は、この0.5%という水準よりはるかに高い水準であるはずなのに、この数字は国立大学に対する運営費交付金を増やすべきとの文脈で使われることが多いことです。また、国民の立場に立った議論であるなら、公財政支出の規模の低さを問題にするだけでなく、日本の大学の授業料の高さを問題にする必要があるのではないでしょうか。授業料の問題に何も言及がないのは、大学のことしか考えていない議論のように感じます。この教育再生会議の資料は、紙幅が限られているために、上記のような論点に触れていないのかもしれませんが、高等教育に対する公財政支出の対GDP比の国際比較の資料に関連して、上記のような論点についてきちんと議論している資料を、私はこれまで見かけたことがありません。

 断片的ではありますが、昨今の大学改革論議に関連して報道等から聞こえてくることについて、大学改革に関心を有している者が感じていることです。


*i. IEEEのワシントン事務所は、Washington D.C. 1800L St. NWにあるが、このビルにはASTM、ASMEのワシントン事務所も入っており、Engineering Buildingとも呼ばれている