塩 沢 文 朗

前内閣府大臣官房審議官
(科学技術政策担当)



専門人材教育について考える



 原山先生、橋本さんの問題提起に触発されて、イノベーション政策においてよく言及される専門人材教育について考えていること、悩んでいることを書いてみたいと思います。

私は、原山先生の書かれた『理系文系の呪縛』に指摘されてみて初めて、日本の「理系」と「文系」について自分がこれまで何となく感じていた違和感が、原山先生の指摘される「呪縛」によるものだったのかとやや新鮮な驚きを覚えました。原山先生は「理系」と「文系」の英訳について、  『理系文系の呪縛』の注3で「あえて訳すならばScience & Engineering(自然科学及び工学)とHumanities & Social Sciences(人文社会科学)となろうか。」と書かれていますが、私が、かつて留学したStanford大学では、Humanities & SciencesとEngineeringにSchoolが分かれており、さらに日本の大学に慣れ親しんだ目に新鮮だったのは、School of Humanities & SciencesにPhysics学科とChemistry学科が属していたのです(*i) 。

 原山先生の原稿を読むまで、このことは何となく日本の大学と米国の大学では学部の分け方が違うのだなという程度に考えていたのですが、今般、欧米の大学事情に詳しい原山先生の投稿を読んで、欧米では「理系」と「文系」という分け方が一般的でないとすれば、日本の社会に君臨する「理系」と「文系」とは何なのか、しかも社会制度の一つの基盤として人生設計にも影響を与えている「理系文系の呪縛」を解き放つことは真剣に検討されるべきことではないかと思いました。

 なお、私個人の経験から言えば、理系・文系の差を言うのであれば、理学系と工学系の学科を出た方の思考方法や行動様式の差の方が、理系・文系の差より大きいのではないかと感じたことが多々ありました。もっともこうした分け方も原山先生の指摘されるとおり、いらぬ足かせを設けるようなものでしょう。

 原山先生の提案される「理系文系の呪縛」を解放するための「具体的なアクション」には、全面的に賛成です。ちなみに、原山先生も触れられている公務員制度の「技官」と「事務官」の区分は、何と明治政府の太政官令を起源とするもので、その後、この区分の必要性、有効性について何も見直されないまま今日に至っている、まさに「呪縛」の最たるものの一つです。

 原山先生の問題提起に呼応して、NEDOの橋本さんが技術経営力についての問題提起とその涵養のための取組みについて出稿されていますが、私は、最近、いろいろなところで目にする「○○力」をもった専門人材育成といった取組みには、玉石混交があるのではないかとやや疑問を持っています。(なお、この文脈でこうしたことを書くと、誤解を生じる恐れがあるので注記しておきますが、私は、技術経営力や技術経営人材育成を目的としたMOT人材育成について、疑問を持っているわけではありませんので、念のため。)

 私が、現在、従事している標準化活動(*ii)の分野でも、国際標準を制することによって製品市場を拡大することができるとの考えなどから、「標準化専門人材」の育成の必要性が指摘され、標準についての基本的な知識のほか、規格の書き方、規格案の審議ルールなどについての「専門知識」の伝達を内容とする人材育成のためのカリキュラムや教材づくり、人材育成コースの設定などが進んでいます。しかし、「標準化専門人材」とはどういった人材であるのかという基本的な点について、十分な考察が行われた形跡は残念ながら見当たらないのです。

 私なりに「標準化専門人材」とはどのような人材か考えてみると、(標準化によって技術進歩が阻害されることもありうることから)この技術は現段階で標準化することが妥当であるか、ユーザー側から見たときに標準化する十分なニーズはあるのか、標準化することが妥当だとしたらどのような事項についての標準化を図り、全体としてどのような標準化の体系とすることが適当か、などについて的確な判断ができる人材ではないかと思うのですが、それは、前記のような知識の伝達だけでは育成することはできないと思います。もっとも、実際の標準化活動において効果的に活動できるようにするための一種のスキル獲得のための基礎となる知識、スキルを伝達する教育訓練の必要性を否定するものではありません。ただ、これらのことを峻別して考えないと「専門人材育成」のための取組みは、単なる教養講座を増やすことだけに終わってしまう可能性すらあると思うのです。

 「標準化専門人材」に例をとって、私の問題意識と悩みを述べましたが、人材の育成において、「○○専門人材」が身につけるべき本質的に重要な知識や能力を見極めることはきわめて重要と思います。

 やや雑駁な言い方になりますが、大学の教養教育で施される教育・訓練は、長い年月をかけて磨かれてきたものだけに、高度専門人材にとっても欠くことのできないものでしょう。原山先生は、こうした基盤的能力を「論理的思考、分析能力、批判的精神、課題探求力」と非常に明快に整理されています。各専門分野で教えられる従来から存在する「◇◇学」によって学生が学ぶ「概念、知識体系、研究手法、評価システム」(再び、原山先生の原稿から引用)は、(やや思考停止したもの言いになりますが)やはり、その分野における専門人材教育にとって基盤となるものでしょう。

 また、医学や法学のように専門的知識の積み重ねが、専門人材を育成する上で大きな比重を持つ専門分野があることも確かです。こうした分野では、専門的知識の伝達が専門人材育成のための重要な手段の一つになると思います。知財専門人材もこのカテゴリーに入るのかもしれません。

 最近、いささか安易に「○○専門人材」の育成ということが語られるような気がしてなりません。ここで言いたいことは、「○○専門人材」の専門性とは具体的にどういった知識、能力を指すのか、それは、どのような方法によって涵養することができるのか、よく考えられる必要があるということです。


*i. Stanford大学には、大学の学部としてSchool of Earth Sciences, School of Education, School of Engineering, School of Humanities and Sciences, School of Law, School of Medicineが、大学院の学部としてこの他に Graduate School of Businessが置かれている。
*ii 技術や製品についての標準的仕様や性能を規格という文書にまとめる活動。それにより、技術に関する用語や性能評価について、共通の言葉で情報交換することが可能になるほか、製品や部品の互換性の維持を図ることなどができるようになる。