話は、ちょっと「イノベーション25」からそれますが、年末から正月にかけてThomas Friedman の"The World is Flat"を読みました。英語の勉強のつもりで読み始めたのですが、その凄さ、面白さといったらない。自分の考え方にも大きな影響を与える、久しぶりに出会った本でした。何が面白いといって、ものすごい勢いでグローバル化が進んでいる世界の姿が、多くの実例により生き生きと、かつ、説得的に描かれている。黒川先生の文章は、そうした世界の動きを体感して書かれているために、「基本的考え方」を読んで、思わず英語で読んだ"The World is Flat"と頭の中で重なり合うイメージが出てきてしまったのではないかと思います。
私が、"The World is Flat"を読みながら、感じたことの一つは、「島国、日本語という環境にある日本は、同一の競争条件が支配する経済や社会が時空を超えて広がっていく世界のフラット化からやや距離を置いた状況にあるのではないか。これについては、フラット化の波に取り残される、逆に、フラット化に飲み込まれずにすむという受け止め方の双方があり得、その双方の考え方の隔たりはそう簡単に収斂するものではない。その結果、このまま行くと国家としての日本は将来どうなっていくのだろうか」ということでした。
またまた話が少しそれますが、「基本的考え方」でも触れられているCSR(Corporate Social Responsibility*i) という概念は、グローバル化のアンチテーゼというか、グローバル化する世界を律するための手段として生まれてきたものだ、という人がいます。私は、その解説が正しいのかどうかは分かりませんが、こうした解説にやや合点がいくのは、人類全体が直面する地球規模の問題が顕在化し、世界の社会、経済活動がグローバル化している実態にもかかわらず、効果的に対処するための対策や規律の整備が追いついていないという状況に対する焦燥感を多くの人が感じていることです。その大きな要因としては、国土、国民を対象とし、国家を主体とする統治システムにいろいろな面で軋みが生じてきているということではないかと思います。