◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2013/09/10 http://dndi.jp/

東京五輪招致、素直に喜べない理由

・東電、メディアのコントロール加速
・アベノ五輪とイノセンス
・汚染水漏れ深刻‐95%の国民世論

DNDメディア局の出口です。ぼくは素直に喜べない、2020年東京五輪決定! 


列島をかけ抜けた8日深夜から未明の興奮、いまだ覚めやらず、と言ったところだろうか。ぼくは天邪鬼だから7年後の東京の夏、それも過熱する炎天下で長蛇の列に引きずられるのはごめんだよ、と冷ややかにライブ中継をネットで観ていた。仰々しいIOC総会の招致プレゼンは日本チームのスピーチが際立って魅了され感動すら憶えた。政治家さんの確信に満ちた演説は、さすがに一国の総理や首都の知事となると、堂々として天晴れなものだと感心した。少し力み過ぎていたかもしれないが、キング牧師の演説のように大胆にシャウトする方が欧米の流儀に適うのだとしたら、うまく乗り切った部類なのだろう、ひと声、お疲れさん、Good jobとでも言ってあげたい気にもなる。


が、ぼくが素直に喜べない理由ははっきりしている。福島原発の汚染水問題に触れた安倍総理のコントロール発言が、多くの人が指摘するようにぼくもどこかしこりとなって引っかかり続けているからだ。実際は、福島原発が制御されていると信じる日本人はごく少数だ。が、総理のこの発言が、五輪招致の決め手になった、と逆に海外メディアから評価されているという声もあるのだから、どう捉えていいものやら、複雑な心境だ。


この冒頭の箇所である。


Mister President, distinguished members of the IOC...
It would be a tremendous honour for us to host the Games in 2020 in Tokyo ? one of the safest cities in the world, now... and in 2020.
Some may have concerns about Fukushima. Let me assure you,
the situation is under control. It has never done and will never do any damage to Tokyo.


「委員長、ならびにIOC委員の皆様、東京で、この今も、そして2020年を迎えても世界有数の安全な都市、東京で大会を開けますならば、それは私どもにとってこのうえない名誉となるでありましょう。


フクシマについて、お案じの向きには私から保証をいたします。状況は、統御されています。東京には、いかなる悪影響にしろ、これまで及ぼしたことはなく、今後とも、及ぼすことはありません。」


【NHKのウエブサイトから引用】

※http://www3.nhk.or.jp/news/0904olympic/presentation.html#abe


とくに問題の、いや問題と言ってはよくないのかもしれないが、引っかかるところは、Let me assure you, the situation is under control. It has never done and will never do any damage to Tokyo.


‐のセンテンスで、保証する、と語気を強めて、状況は、under control、管理下に置かれているとか、まあ、制御されている、との訳するのであろう。


今週のアエラは、東京五輪招致の攻防をめぐる最終的な焦点は、福島第一原発事故の汚染水問題だ、として汚染水対策に後手後手だった政府が、ついに国費の投入を決めたのは「五輪招致」のために「汚染水」まで利用したのではないか、とその経緯を詳しくレポートしている。


たとえば、東京招致委員会の竹田恒和理事長が、IOC委員に「東京はまったく影響を受けていない」などと訴える書簡を送り、安倍総理も「汚染水は問題がない」とアピールしようとなりふり構わず手を打つという感じだったことに対して、「国民が誰もが気づいているように、実情はそんなに生易しいものではない」と問題視している。竹田さんが、事前のプレス相手に、東京は福島から250キロも離れており、原発事故はまったく問題がない、と語っていたが、そもそもそんなことを語る資格が彼にあるのだろうか。


アエラによると、

いま起きている汚染水問題は2種類あり、福島原発に流れ込む地下水が地中に漏れ出る汚染水と混じって海へ流出している問題と、8月19日に発覚した敷地内のタンクから300トンの汚染水が漏れていた問題だ。タンクは敷地内に溜まりにたまって約1千基、耐用年数は5年、このままではトラブルの再発はまぬがれない状況で、たとえ「国費を投入するといっても汚染水の問題が解決するわけではない」と手厳しい。


東電は、東京五輪決定のニュースで列島が湧いている9日になって、漏れたタンク付近の観測井戸の地下水から放射性ストロンチウムなどが1gあたり3200ベクレル検出されたと、発表し、陳謝した。これまでに最高の高濃度の数値だという。どうしてこのタイミングなのだろうか。政府にとってみれば絶妙といえようが、発表が9日になったのは偶然と誰が信じるだろうか。


アエラのところで触れたが8月19日にはタンクから約300トンの汚染水漏れは過去最大だった。タンク内の汚染水濃度は1gあたり8000万ベクレル、水たまりの汚染水の水面付近は、毎時100ミリシーベルトで、一般人の年間被ばく量の100倍に相当するレベルだった。その2日後の21日になって汚染水が外洋に流れた可能性を初めて認めた。今月4日には採取した地下水から1gあたり650ベクレルを検出し、そして今回の9日の発表、採取は前日の8日の日曜だった。五輪招致が決まったのを待って発表したのではないか、と疑われてもしょうがない。


東電は汚染水の海洋流出の公表の機会がなんどもあったにも関わらず、「データを蓄積していた」などとの理由で、流出の可能性に触れることすら拒んでいた。汚染水流出の公表遅れは、自民党が圧勝したこの7月21日投開票の参院選にもあった。選挙が終わるまで公表を控えていたのではないか、と疑われた。


こういう東電の公表の不自然さが常について回るのは、もともとの東電の隠ぺい体質だが、参院選前後を挟んで、どうも政府が東電をコントロールしているのではないか、と疑ってしまうのだ。


総理のいうunder controlとは、コントロールしているのは福島原発事故ではなく、むしろ東電のマネージメント機能のことを指しているのではないか、とうことだろうか。


もうひとつ、朝日はアエラがそうであったように東京五輪招致と汚染水問題について繰り返し警告を発してきた。汚染水漏れの記事も一面トップ級の扱いだった。8月31日の朝刊は、放射能汚染水漏れを審議する衆議院経済産業委員会の審査が9月中旬以降に先送りになったのは、9月7日のIOC総会前に審議が紛糾すれば、五輪招致に影響しかねないとの判断が働いた、と重大視し、汚染水事故よりも五輪招致を優先した、との批判を招く可能性があると指摘していた。


そうしたら、一夜明けた翌9日付の朝日夕刊は、新聞を丸ごとくるむような見開きページを「お帰り五輪。夢の炎、熱く熱く。」といったコピーで飾り、「猫背気味に視線を落としていた人たちが上を向くのだ」と勢い鼓舞する西村欣也編集委員のそれも熱っぽい文章が添えられていた。安倍総理のunder control発言についてはどう取り上げるのか、と注意して活字を追ったが、まさに祝賀ムード一色だ。名コラム「素粒子」が、「浮かれてばかりはいられない。7年間で片付ける宿題が山積み。汚染水。そんなに胸張って大丈夫か、安倍首相」とチクリ、わずかに朝日の面目を保った印象だ。そんなに胸張って大丈夫か、朝日新聞という裏返しだろう。


そして、今朝10日付は、3面で「汚染水制御、本当か」と疑問を呈しているが、首相「問題ないと約束」、「懸念払しょくできた」、そして「東電、遮断、完全ではない」などのコメントが小見出しになっていた。首相が胸を張った、というところが強調されていた感じがする。


東電が発表した放射性ストロンチウムなどが1gあたり3200ベクレル検出というニュースも3面の3段扱い。これは重要と思われる電話世論調査も小さく2段にたたまれていた。内容は、安倍政権の汚染水対策「遅かった」が72%に上り、原発事故への取り組みは、評価しないが50%で、評価するの28%を多く上回っていた。汚染水問題を深刻と捉えるか、の問いでは、「大いに」72%と「ある程度」23%を合わせると、95%が「深刻だ」と認識していることが浮かびあっていた。記事では、その辺が見出しにされていない。


東京五輪招致の決定をうけて、新聞、メディアの空気が一変した。失われた20数年の低迷から期待が膨らむ大量の広告出稿、消費税のアップはどうか新聞、雑誌はお目こぼしにあずかろうという魂胆が透けて見えるのである。


アベのコントロールは、東電を陥落させて次はメディアに浸透している。懸命なパーフォーマンスで人柄のよさをアピールした東京都の猪瀬知事は、イノセンスと呼ぼうか。うかうかしていると、東京五輪というよりもはやアベノ五輪にすり替わる。


石原慎太郎さんは、花見る時は影の人、と吉川英治の言葉を引用したらしいが、そのくらいの慎ましさが欲しいもの、政治お化けのような御仁らが大挙してIOC総会の観客席に陣取っていたよね。


 さて、政権が自民党に戻って5年ぶりに返り咲いた安倍総理の意図した通り、アベノミクスの成長戦略の延長線上に五輪招致が位置付けられ、日本経済をけん引する第4、第5の打ち上げロケットになっていくという趣旨なのだろう。その戦略が巧妙な余り抜け目のなさがいやらしさをもたらすこともあろうが、その一方でしたたかで強いニッポンが甦ってきたと言えるのかもしれない。前政権のようなぼんやりしたところは少しもみあたらない。


これまでスポーツの世界の政治介入は、遠慮がちだった。が、五輪がアマチュアスポーツ祭典とはいえ、それはもはやピュアなものではなく現実は政治が色濃く投影される国威掲揚が図られる場になっている。大胆に仕掛け勝つ戦略、2020年東京五輪の決定は、良くも悪くもその強い政治力の象徴のよう思えてくる。


しかし、あんまり調子にのると、ろくなことにならないのは世の常さ。炎天下、長蛇の列に家族を並ばせるの?地震や豪雨の対策はどうするの?公共工事を狙う五輪利権がうごめくだろうなあ、東北シフトから東京へ、復興工事がないがしろにされるよ。日本の財政は大丈夫、若者の夢は借金と背中あわせというのかなあ、


だから喜んでばかりはいられない。