◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2011/03/02 http://dndi.jp/

入試問題ネット投稿と過剰メディアの功罪

〜ちょっと待った!それでも高校生らを守れるか?〜
 ・雛飾りに託す、義父母らの60年の祈り
 ・「ネットは幼稚園児に機関銃」との感覚
 ・「メディアは常に卵の側に立つべし」との認識
〜連載〜
 ・山城宗久氏の「日曜午後はサイエンスの巻き」
 ・橋本正洋氏の「仮想世界と知財」

DNDメディア局の出口です。少し薄日が差してきました。空に青さが戻り、ひんやりした川風にも春の匂いがします。DNDの秘密基地がある7階のベランダからは、高さ601mを超えて世界一となった東京スカイツリーが、飄然として誇り高く胸をはる。ここ浅草橋界隈は、吉徳や久月など人形の老舗がひしめき合う。雛祭りを目前にラストスパートです。駅付近や街頭で客引きに精を出す呼び込みの姿が、この時期の風物詩となっています。


 3月弥生の雛祭り。こんな艶やかな節句はありません。段飾りの雛人形に加えてぼんぼりや桃の花などを飾ります。古来伝わる風習の中で最も優雅で華麗なもので、この日、女の子のいない家は寂しいくらいである、と俳句歳時記は、記します。そうかもしれないなあ。


 みぞれが降った寒い日に、仲睦まじい義父母の家に久しぶりに訪ねると、玄関に版画家の大御所、芹沢圭介に師事した下平清人作の雛人形の版画が飾られていた。そして菱餅、雛あられ、雛菓子などが仏前に所狭しと供えられ、どこかやんわり桃色に華やいでい見えます。きれいな老いを刻む義父母の質素な暮らしに楽しげな雛の宴。その意を家内に問うと、生後間もなく逝った姉の弥生ちゃんへの供養だという。存命なら還暦を迎えます。数えれば、もう60年近く欠かさない毎年の習いとなっているらしい。忘れずに心にしまった慈しみの扉をそっと開ける、老夫婦の思いはどんなものなのだろうか。親の子を思う慈愛の深さを知らされた。


 雛あらば娘あらばと思いけり 子規


 老いてこそなほなつかしや雛かざる 及川貞


 さて、本日のお題は、メディアの組織力と個人の問題です。それほどの罪の意識もなく犯してしまった未成年者の過ちをメディアスクラムから、守る方法はあるのか、どうか。生意気ですが、いわば、このメディアスクラムへの警鐘となる問題提起かもしれません。ヒートアップ取材、執拗で必要以上の報道合戦による人権侵害に関わる一考です。


 投稿に関与したのは、仙台市の予備校に通う浪人生(19)とほぼ特定し、携帯の識別番号から携帯の契約者は山形県内に住む40代の女性、この浪人生の母親と判明した。はたしてその手口、この浪人生がカメラ付き携帯で問題を映して、外で待機する知人に送り、友人がヤフー知恵袋に投稿したかどうかははっきりしていない。これからの事情聴取で全容明らかにされていくことでしょう。


 京都大学など4大学で入試問題の一部が試験中にネットに流出し回答を求めた"Yahoo知恵袋カンニング"問題を検証してみましょう。


 京都府警や警視庁は、大学の入試業務が妨害されたとして偽計業務妨害の疑いで捜査に乗り出す‐との記事は昨日の朝日新聞の1面トップ扱いした。4大学の試験と投稿の状況を一覧にした別表で、2月8日の同志社文・経済(英語)から、11日の立教大学文学部、12日の早稲田文化構想学部、そして25日、26日の京都大学のそれぞれの試験開始や投稿、それに回答時間が克明に記述されていました。また、投稿者のID「aicezuki」は、昨年12月から今年1月にかけて、予備校の「河合塾」(名古屋)の冬期講習の教材内容もYahoo知恵袋に書き込まれていたこと突き止めていました。


 その日の「天声人語」は、「不心得者は顔を青くしていようか」と断じ、まじめに勉強してきた者が、「いま一歩」のために道を誤ったとは思いづらい。愉快犯か、「あわよくば」のバクチ型受験か。いずれにせよ、やることの卑小と及ぼす影響の大きさのアンバランスが、ネット時代を象徴する、とネット社会の落とし穴の危うさを強調しながら、名探偵シャーロック・ホームズが試験問題を盗み見た「犯人」を捜す一幕を喩に「一度は低いところへ君は落ちた。将来どんな高いところへ君が昇るか、楽しみにしていよう」という学生の前途を思う寛大な人情話を紹介していました。


 が、この問題解決もシャーロック・ホームズに委ねられたら、よかったのに、と思うが、そんな悠長な状況ではない。現実は、大捜査網を引いてみんなで"犯人"を追い詰めていった。


 文部科学省の高木義明大臣は28日早々に、「入試の公平性、信頼性を著しく損なうもので、誠に遺憾。許されるものではない」と語り、毅然たる態度を示した。京都大学からの被害届をうけて警視庁なども捜査に乗り出し、入試投稿の接続記録をヤフージャパンに、入学試験受験者の名簿を大学にそれぞれ提出を求めてきた。本日2日の読売新聞は1面トップ記事で、4大学の入試問題を投稿したのは、「すべてNTTドコモの携帯電話から投稿されていた」と報じた。


 そして、記事は、NTTドコモの話しとして、携帯電話の識別番号は、携帯端末に与えられた15桁の製造番号で、この番号の判明によって「端末の購入者の特定が可能になる」と、"犯人"の特定が時間の問題となっていることを印象付けていました。


 もうその辺のカンニング騒ぎとは様相が一変、サイバーテロ並みの戒厳令の趣になっていた。この異常ぶりを異常と感じる人が、身近に意外と少なくなかった。


 ネットに詳しい知人によると、なんで警察が介入するのか、といいつつ数日前から"犯人"はとっくに特定されていたのではないか、と推測する。携帯の購入の際に、個人情報の提出が厳格なので住所も容易に特定されるし、サービス提供者のヤフージャパンは固有のIDを知っているため、それからもドコモに問い合わせれば住所が判明する、と説明し、すでにまな板の鯉、完全に包囲されているのに、なぜ、こんなにもったいぶってじりじり時間稼ぎしているのだろうか、といぶかるのです。犯行が複数犯で、その周辺の確認を取る必要があったのかもしれない。


 読売は、この特ダネを1面でうけて社会面にも記事を展開し、「携帯対策は難問」との見出しで、携帯電話持ち込み禁止への大学側の対応が実に難しいことを伝える一方、この問題が抱える重大性を元東京地検特捜部副部長、若狭勝弁護士の言葉として、「試験の信頼性は大きく損なわれた。受験生から多数のクレームが寄せられて騒ぎが大きくなったり、模倣犯が出たりする可能性があり、捜査機関は即座に徹底的な捜査を行うべきだろう」と、犯罪の悪質性を強調していました。


 スポーツ報知は、この投稿者と思われる同じハンドルネームで昨年6月から、ヤフーの知恵袋に合計200回もの投稿を繰り返し、これが「同一人物なら、半年前から"犯行"の準備をしていた可能性がある」と指摘する。計画的犯行を印象づけた格好です。これをテレビ朝日の朝の野次馬新聞が、取り上げていました。


 ベテランの司会は、その辺のツボを抑えて計画的犯行の準備というのではないと思うが、と前置きして、「いよいよ、だんだん、(犯人特定が)しぼられてきましたね」と、社会部出身の新聞記者のコメンテーターに話をふった。そのコメンテーター氏、「本人はどういうつもりでやっていたか、分からないが、わが国の受験制度の根幹を揺るがす重大事件だ」と述べ、努力したものが報われるという公平性を保った日本社会の背骨への裏切り行為だ、と手厳しい。そして、ネットへの発言へと続く。


 「あまりにも軽い、やったことの重大性のアンバランス、ネットと言うのは、エジプトなんかひっくり返してしまうくらいの力をもっている。いわば、幼稚園の子供が機関銃をもっているような非常に危うい状況だ」とネット社会の危うさを指摘していました。いやあ、ネットって幼稚園生に機関銃と捉えられているのだ、と、やや驚きもし、違和感も覚えた。そして、そんな認識なんだ、と少々焦った。私も社会部だから。


 こうみていくと、世論の動向はやはりメディアが支配しているのかもしれない。新聞の社会部と警察の捜査が、車の両輪となって事件現場を疾駆する。社会部記者は、相も変わらず特ダネ意識に燃え、犯人を追い詰めていく。昔、先輩記者は、社旗をひるがえして現場に向かう自らの事を称して、「パッカードに乗った、森の石松」と揶揄したが、いまも変わらないようだ。捜査関係者と一緒になって事件の構図を組み立てていくのです。思えば、私の警視庁捜査2課のJACAの汚職事件では、おんなじことをやっていた。日本の聖域、ODAに初めて捜査のメスが入る、と連日ニュースを書き流したものだ。朝夕、朝夕と約2ケ月間、書きまくったら、当時、捜査2課長の名物キャリア、林則清さんから野球の連続出場にひっかけて「新聞界の衣笠」と言われた。ふ〜む、無我夢中、クライマーズ・ハイ状態でしたね。特ダネも連発した。それ以上にドーンと抜かれもしました。やると、それ以上のメガトン級の特ダネをやられる。そんな猟犬のように走り回る毎日でした。今振り返れば、胸が痛みます。


 朝日の「天声人語」で、シャーロック・ホームズの面白いエピソードを紹介していた。試験問題を盗み見た「犯人」の謎解きから解決までの一連の捜査で、「一度は低いところへ君は落ちた。将来どんな高いところへ昇るか、楽しみにしていよう」という人情あふれる名セリフをはく。が、コラムニストは、そこで同じ言葉をかけるに値する人物なら、自ら名乗り出るはずである、と突き放すのです。それもごもっともなこと。が、彼らの将来のためにシャーロック・ホームズの登場を期待したいじゃないですか。2人の高校生がほん星なら、どのような声をかけますか。彼らを包みこむ言葉を持ちあわせていますか。それらを自らに問うのです。


 今朝の読売の名物コラム「編集手帳」が、その冒頭で≪先生「ジョージ・ワシントンの父親は、ジョージ少年が桜の木を切り倒したとき、なぜ、許したのでしょう?」。生徒「少年がまだ手に斧を持っていたからです」−というエピソードを紹介し、「少年がウソをつかず、正直に告白したから…」というのが"正答"なのだが、実際の世の中は、この正答より笑い話がぴったりくる場面が少なくない、として永田町で繰り広げられる政局の話につなげる。この枕に続く話として、「入試問題のカンニング生徒を許す寛容さが、あってもよい」ぐらいの話にもっていってほしかった。


 もう一つ産経新聞のコラム「産経抄」はこうだ。漱石も子規もカンニングをしていた、という話を題材にしているのだが…。


 「実は同じ年に試験を受けて、やはり合格した夏目漱石も、数学でカンニングをしていた。『隣の人に見せて貰(もら)つたのか、それともこつそり見たのか、まアそんなことをして試験は漸(ようや)つと済した』。『私の経過した学生時代』という随筆で、あっけらかんと明かしている」と、書く。


 次にこの産経抄子は、このカンニング問題をどうとらえるのかなあ、と興味をもって読むと、「そんな2人でさえ、仰天するような事件が起こった。(中略)新種のカンニング騒動の発覚に、まじめに勉強してきた受験生が、怒り心頭に発するのも当然だ。携帯電話が使われた点では、大相撲の八百長メール事件とも共通する。かつて角界の粋(いき)として、「人情相撲」が容認されていたように、子規、漱石の"不正"は、笑い話ですんだ。今は違う」と、"現代カンニング犯"には厳しい言葉を浴びせているのです。


 ねぇ、冷静にこれらのコラムを読みなおすと、シャーロック・ホームズやジョージ・ワシントン、それに漱石、子規にいたるその"小さな過ち"の引用の"オチ"は、実はいま繰り広げられている大捜査線とは裏腹にある、「寛容」の心なのだが、竜頭蛇尾とでもいうか、エピソードの頭と結末が、すり替わってしまっていることに気付くのです。カンニングを糾弾する、追い詰める、警察に突き出すという例は、これまでみあたらない。たかがカンニングなのですよ。その発覚した時の対処仕方が、いかにも教育的であることが望ましい、と思いませんか。頭ごなしにすぐ警察沙汰にする方法は、一番易しくて知恵がないやりかたなのです。


 う〜む。なぜ、こうなるのか、しばし、考えてみました。その答えは、テレ朝のコメンテーターに見つかりました。社会部記者出身の彼は、ネットはエジプトの独裁政治をもひっくり返す力を持っている。ネットを活用するという意味は、幼稚園児に機関銃をもたせるようなもの、という発言の中にその誤謬の多くが見え隠れしていることに気付いた。つまり、残念ながら大学関係者も捜査当局も、そしてスポーツ新聞を含めたメディア関係者もその根底に潜んでいるのは、新しく次々登場するネット全般への偏見や誤解があるのではなかろうか、と。


 「ネット→若者→危険」、「ネット→起業家→不正」、「ネット→出会い系→性犯罪」というようなステレオタイプな思考の裏返しが、今回のような過熱した報道合戦を生んでいるのだとしたら、これはなかなか収まりそうもない。なぜなら、社会部出身や大学関係者、それに捜査当局は、ネットという環境と一番遠いところに位置する人たちだからです。今回のこの一連の事件発覚から身柄確保、起訴猶予処分などの流れで、いろいろ反省事項が指摘されるのだろうと思うが、こんな火花を散らす時に、そんな声は届かない。


 「アナログ対デジタル」、「組織対個人」、「公と私」−気をつけていてもどこかでぶつかる。この対立の最後の聖戦なのか、どうかは知らないが、私は、この受験生らを応援したい。


 カンニングした受験生のヤフー知恵袋には、失恋の相談や、睡眠薬や精神科など病院の相談をも投稿されていました。そこを見逃さないでほしい。きっと、予備校への宿題や、その他、個人的相談の多くをおの知恵袋に頼ってきたのではないだろうか。本人とっては、なんでも相談してきた唯一の知恵袋だったのではないか。投稿も回答も誰にも知らなかったから、これからも知られない、と思いこんで、ついやってしまったのだろう。友人がいる。いまごろ、部屋のすみで怯えているかもしれない。あるいは、学校から連絡が入って事情を聞かれているかも知れない。これだけ連日騒がれたら、出るに出られない状況に置かれているにちがいない。


 万が一のことを考えれば、一時も早く彼の身柄を保護すべきです。警察に捜査を委ねたのは、どうか。警察の出る場面だったのか、どうかにも疑問をもっています。警察が介入した途端、メディアの取材合戦が過熱し、ここ数日、特ダネ競争が過熱したのです。関西が事件の舞台になると、勢い止まらない傾向がありますね。メディアスクラム、この恐ろしい悪弊をなんとか、しないと長野サリン事件や、足利事件など数々の冤罪を生み無垢な人を闇に葬ることになった、同じ轍を踏むことになることを心配します。


 いまメディアがやっていることは、庭先に入り込んだアリ二匹をよってたかってハンマーで打ち潰そうと構図に見えてしょうがない。壁と卵。メディアは、常に卵の側に立つべきじゃないか。川柳に、カンニングその知恵だけは京大級‐とあり、知人は、問題解決能力なら京大トップ合格!とのメッセージを寄せてくれた。


 さて、ご家族や、学校の先生、この彼らにどう向かい合うか、本当の教育のあり様がいま試されようとしています。彼のもとへ走って手を取って声をかけてあげてください。


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■山城宗久氏の「日曜午後はサイエンスの巻き」
【連載】東京大学産学連携本部副本部長の山城宗久氏『一隅を照らすの記』の第36回「日曜午後はサイエンスの巻き」です。


≪北澤宏一JST(科学技術振興機構)理事長から頂いた「FIRSTサイエンスフォーラム」の御案内。前々回のコラムでもちらりと触れた最先端研究開発支援プログラムの対象となっている30人の研究者のうち、3〜4名の方々が登壇し、主に高校生を対象として語りかけるというものです。第1回は、2月13日の14時から。終日雪だった前々日と雪は上がったものの冴えない天気だった前日に、前々からの約束で友人とのお出かけをした家内から、「貴方はついているわね。」と送り出されて、快晴の中、東京駅前の丸ビルホールへ≫


 その一流の研究者らが高校生に語りかけるわくわくするようなメッセージと、山城節をご堪能ください。


■橋本正洋氏の「仮想世界と知財」
【連載】特許庁審査業務部長、橋本正洋氏の『イノベーション戦略と知財』の第38回「仮想世界と知財」。今回は、facebookの海に溺れずに間に合いましたが、このテーマは極めて重いというか、今後のネットワーク社会のあり様にビビッドに関わるテーマを含んでいるのでなかなかコメントが難しい。その辺の緊張感が橋本さんの文章の行間からも透けて見えてきます。興味深い内容ではあります。今回は、その本文の一部を紹介するにとどめます。


≪仮想世界と知財の問題とは、なんでしょうか。
 仮想世界は、我々世代ですと、RPGを想起します。(私でも??)ドラゴンクエストなどに一時はまったことがありますが、ゲーム内の仮想の町で情報を得たり、ものを売り買いしてゲームを進めていくのがRPGです。しかし、現在では、ゲームとしてだけでなく、ソーシャルネットワークとして仮想世界が存在し、自分の分身である「アバター」が生活しています。そこでは、仮想通貨によって商品の(場合によっては「土地」までも)売り買いが行われています。仮想通貨といっても、現実の通貨との交換が可能ですから(カードのポイントと同じような扱いになるのでしょうか)、現実世界の法もカバーされるべき世界になってきているのです。そこでは、商品・役務の存在があり、知財の問題も起こりうるのです≫。




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