DNDメディア局の出口です。燎原の火のごとくまたたく間に広がるソーシャルネットワークfacebookをツールにした反政府運動が、チュニジア、エジプト、そしてリビアに飛び火し、傭兵を抱えた中東の狂犬は、その本性をむき出しに空爆の愚挙に出る。テレビ映像で醜悪な大佐が濁った声で叫ぶ。そのカダフィの傘をさす姿が奇妙でしたね。戒厳の街中に銃声が轟き、硝煙が上がる。無防備な青年らが息絶えて転がっていた。ああ、なんとも血の惨劇が繰り返されています。
この火の粉が、アジアへと不穏な動きをみせるのだろうか。中国では屈強な治安部隊が、デモに加わった若者らを取り囲んでムギュっと髪の毛を掴んで乱暴に連行していた。髪掴みは、痛々しい。連行された先で顔がゆがむほど卑劣な暴行を加えるのでしょうか。
さて、独裁政権への市民の不満をfacebookがつなぐ。この新しい現実に既存メディアは、どうなってしまうのだろうか。このfacebookの果たした役割は極めて大きい。NHKスペシャルで先週、タイミングよく特集していました。facebook上では、楽しみだ、とか見ています、とかいった書き込みが殺到していました。ソーシャルネットワークの雄、facebookは凄まじい勢いで新しい現実の扉を開いていく。
動画「zoome」代表の異才、工藤純平さんから、英国のガーディアンがWikileaksを一次情報にしてカダフィfamilyの詳細をまとめている、とそのURLをfacebookに送ってきた。仁王立ちの恐ろしい形相のカダフィの写真が添えられていた。メディアが自分たちの役割を探している。
ご存じのように、今年に入って繰り返しfacebookを取り上げています。少し違和感があるでしょうか。ある先輩から、いやあ、出口さん、あんまりのめり込まないように、とねんごろにご忠告をいただいた。確かに、前のめり状態ですね。決して反政府運動をやろうっていうわけじゃない。が、facebookによる動画やイベント開催のUstream中継を駆使して、中小製造業の復興の可能性や、マーケッティング分析、ベンチャーやビジネスの創業支援、それに第3のコミュニティ形成の意義を強く感じます。
ソーシャルメディアに詳しい坂田誠さんから、宮崎県都城市の西元久晴さんが2月4日に霧島連山・新燃岳の爆発噴火で積もった火山灰を「どげんかせんといかん!プロジェクト」を立ち上げたことを知らされた。意義のある活動です。灰を除去するロードスイーパー車購入の1000万円募金をfacebook有志に呼びかける運動が広がりを見せています。facebookで、こんな活動をやるのは初めてではなかろうか。
そのバーチャルなWeb上に、超現実の世界が浮かび上がってきた印象です。2週間で39件686、860円の善意が届けられているという。凄いと思いませんか。私も一肌脱ごうと決めています。末尾に、募金の口座を紹介しています。
さて、手のひらのiPhoneに、それらの夢を託して日々刻々、凄まじい量の情報が走り抜けていきます。時間は止まらない。facebookは眠らない。が、いつでも、どこまでも人と人の心がつながっていきます。いまfacebookにすっかり心を奪われていることを認めます。ご関心の方は、deguchi-shunichi@dndi.jpまで。メールをお待ちしています。
◇ ◇
■facebookで綴る「2011年冬、九州・福岡の旅」(後編)
【facebook再現】
2月9日:DND連載で『イノベーション戦略と知財』を執筆する特許庁審査業務部長の橋本正洋から。
□13時37分:「DND第37回イノベーションの構造化を投稿しました。が、もっとも出口さんは福岡の海浜公園で原稿読めないでしょうけれど。」
□13時41分:「 すみません。原稿ありがとうございました。福岡にまだまだいます。いま福岡市博物館にいます。」
それから8日の2月17日午前9時02分のことでした。
facebookに橋本さんから:「出口さ〜ん。この原稿忘れていませんか?なくなっていたら、後で再送します」との確認のメールをいただきました。
ドキ!冷や汗もんです。橋本さんの原稿を失念し、一週間飛ばしてしまった。なんという失態。そして橋本さんが、再送した原稿の冒頭には、こんな書き出しでした。
「実は、この稿は2月9日に出口さんに投稿したのですが、ちょうど出口さんが(福岡出張中で)facebookの海に漂っていたときで、私の原稿は、facebookの波におされてどんどん海の底に沈んでいったのでした。おそろしやfacebook」
ふ〜む。あの日、福岡市博物館の喫茶店でひと休みしていて、facebookに載せる旅のルポに熱中していました。博多湾に面した海浜公園、振り返れば天に突き刺す福岡タワー、すぐそばに前日訪問した百道浜の福岡LSIシステム総合開発センター、道路を越えれば堂々たる福岡市博物館でした。国宝、漢委奴国王の金印を見た。が、そのミュージアムの外観と周辺の景観は、見事なものでした。
街に出て、櫛田神社に行った。銀杏の老木、勇ましく艶やかな山笠、干支恵方盤が目を引いた。博多町屋ふるさと館へ。博多人形や張子など伝統の技法が鮮やかに今日に伝承されていることを知った。
が、その道すがら、そこで見聞きしたことは初めてのことばかりで興味深かった。が、心そこに有らず、ずっと考え事をしていたのかも知れません。というのは、その日の昼前、九州大学教授の谷川徹さんとの懇談が、とても刺激的で人生のあり様というものをしばし、考えさせられたからでした。
個人の力をつけて自分の能力でいかようにも生きていく。その人の生きざま、そのものがアントレプレナーシップの原点かもしれません―。
facebookで綴る「2011年冬、九州・福岡の旅」(後編)のハイライトは、九州大学箱崎キャンパスに新設された「ロバート・ファン/アントレプレナーシップ・センター」の訪問でした。九州経済産業局の担当者に無理を言って視察先に組みこんで調整していただいた。お陰で、ここのセンター長で教授の谷川徹さんから、たっぷりとロバート・ファン/アントレプレナーシップ・センターの設立趣旨、そしてアントレプレナーシップに関する貴重な体験を聞いた。この話を聞くに及んで、我が人生を再び考え直すきっかけとなりました。
谷川さんは、京都大学法学部卒後、日本開発銀行に入行。穏やかな人柄ながら持前のその本質を見抜く鋭い力で、審査、経営企画、国際畑というエリートコースをあゆむ。ロサンゼルス支店長という米国の経験が、人生を変える転機となった、といってはばからない。支店長から本店の部長に戻った、ある日のこと。上司から呼ばれた。地方の有力企業の副社長と言うポストは、恵まれていたはずだ。それまでの自身の経験やキャリアを必要としないポジションであることを伝えられて幻滅し、自分のやりたいこができないのなら、自分の蓄積が生かされないのであれば、と、辞める覚悟を決めた。当時、50歳だった、という。
谷川さんは、一晩考えて辞表出すのだが、日本の知人らは眉をひそめて「大丈夫か?」と、心配した。が、米国の友人たちは「Congratulations !」と口をそろえた。君の Endeavorに祝福したい、という明るい声に励まされたという。地方の有力企業の副社長という"天下り"は、それなりのめぐまれたものだったと思う。次の社長のお守りでいい、という上司の一言には愕然ときた、と振り返る。これも米国の経験がなければ、なんの疑問を持たずにその転籍を受け入れたかもしれない。
個人の力をつけて自分の能力でいかようにも生きていく。その人の生きざま、そのものがアントレプレナーシップの原点かもしれない。組織に頼らないで自分らしく生きる。そんな個人の力を強めていく流れになっていることが大事ではなかろうか。だが、日本はまだわかっていない、と思う。
う〜む。谷川さんが好きになってしまった。私も50歳で新聞社を退職し、いまの仕事に就いている。が、しかし、大手企業にいるのと、名もない個人経営とでは、世間の受け入れる度量が際立っていることに歯ぎしりすることもあります。そこでもう一度、自分が本当に好きなことをやれているのか、そのための個人で生き抜く力を備えているだろうか、というこのふたつの命題を突き付けられた思いがした。
谷川さんは、2000年に退職し、その足で米国スタンフォード大学客員研究員という立場で、ベンチャーの本場、シリコンバレーでベンチャー起業のメカニズムや産学連携の研究を続けた。03年、九州大学教授に就任、九州大学の知的財産本部あど産学連携のシステムに貢献した。09年からRobert T.Huang Entrepreneurship Center of Kyushu University,略称・QRECのトップとして活躍する、と略歴の紹介文にありました。
QRECが、この度、ベンチャー・ビジネス・ラボラトリー(VBL)を発展的に解消し、新たに実践的な起業家教育を学部学生から一貫したプログラムを組んで動き始めています。その設立を祝う記念のシンポジウムが1月22日、九大の伊都キャンパスの稲盛財団記念館で開催された。その席には、来賓としてこのセンターの名の冠となっている起業家のロバート・T・ファン博士が来賓として招かれた。ファンさんは、九州大学工学部電子工学科卒後、渡米し、コンパック社(現在シネックス社)を創業し、03年にニューヨーク証券取引所に上場、昨年は12月にはシネックスインフォテックの代表取締役に就任した。ロチェスター大学工学修士、MIT経営学修士、そして九州大学名誉博士という経歴を持つ。もう6年前から母校の九州大学に資金提供を続けてきた。また今回新たに百万ドルを寄付した。その資金をベースにQRECのセンターを設立したという経緯があります。
凄い話だと思いませんか。ファンさんは台湾のご出身です。母校忘じ難し、というのでしょうか。ファンさんのお陰で、谷川さんは毎年この時期に学生らをシリコンバレーに連れて実地のアントレプレナーシップの研究プログラムを受けさせてきました。もう120名を数えました。今年もこの27日から一週間の研修に旅立つ予定です。貴重で、しかも感動的な数々の体験が語られることでしょう。この研修については、いつかきちっとフォローしたいと思います。またこの4月からスタートする学部から大学院までの一貫した体系的な起業家教育プログラムカを持った九州大学の試みは全国のモデルとなると思います。ここのコアとなる教員に、ここの副センター長でアントレプレナーシップがご専門の準教授、五十嵐伸吾さん、産学連携マネージメントなどがご専門の準教授、高田仁さん、そしてイノベーションマネージメントがご専門の準教授、朱穎さんらベテランが顔を揃え、さらに内外著名な方々がアドバイザーに就任し、グローバルな人材育成に力を添えています。
シリコンバレーでの研修では、シリコンバレーで活躍する旧来の谷川さんの友人らが手弁当で駆けつけてきてくれる。その講義は、実践的な起業論などに加え、ご自身の涙した、あるいは挫折した、またこんなビッグマネーを手にしたなどの成功体験も織り込まれているようです。これらの困難を超えるパーソナルストーリーをじかに聞いて心打たれる。学生らはそれらの感想を語る時、感極まって涙する学生も少なくない。
谷川さんは、この話を学生が聞いてチャレンジしていくことの重要性を嗅ぎ取り、「自分の生き方を変えていく」のだという。このプログラム研修を受けた学生の中から、確かな起業家が育っているというから逞しい。第2のロバート・T・ファン博士の誕生が楽しみですね。
ひとつご紹介すると、高級なヘッドハンターの仕事に就く米国在住の日本人のスピーチは、なかなか学生らの心に響いているらしい。
さて、そこで3つのタイプの生き方を紹介しましょう。まず、好きなことをしてお金をもらわないのをボランティアという。次に、好きな事をしてお金をもらう人の事をプロフェッショナルという。では、嫌な事をしながらお金をもらっている人の事をサラリーマンという、と。サラリーマンと聞いて、どっと笑いが弾けるのだが、いやはや、なかなかブラックユーモアに近い。ねぇ、そんなこんなで、谷川さんのお話を聞いてのち、その言葉を繰り返し思い出しながら、ずっと考え込んでしまったのです。
橋本さんは、facebookの海に沈んだのではないか、と心配なさってくださったが、アントレプレナーシップの山で遭難しかけていたのです。死の谷にダーウィンの海…さてさて、ベンチャラスな生きざまを標榜しながら、少しは成果らしいものが、そろそろ欲しい。この残された仕上げの人生をどうすべきか、悩むのですよ。
さて、記念のシンポジウムから脱線し、少しより道しました。このシンポジウムの特筆すべきことは、来賓としてジョン・V・ルース駐日米国大使が演題に立ったことでしょうか。大使は、起業家精神の必要性を説きながら、起業家が成功するための資金やノウハウを提供する制度設計や関係機関の設立を強調し、日本のアントレプレナーシップの充実が日米関係の構築に極めて大切なものだと語ったという。
ルース大使が、よく来ましたね。凄いね、って谷川さんに話を向けると、いやいや昨年の4月に、大使公邸で開かれたパーティで挨拶をした時、アントレプレナーシップ・センター開設のことを紹介したら、ルース大使が興味を示すのでぜひ、ご参加くださいとお願いしたのがきっかけでした。が、秋口になって一度、頓挫したのだがスケジュール再度調整し実現にこぎつけた。厳重な警備で参加者も限られたが、みなさん、大変喜んでくださった。谷川さんは、さぞ、ご満悦かと思いきや、シンポジウムの事は新聞では取り上げられず、九州大学伊都キャンパスといえば、先のメルマガでの紹介したカーボンニュートラル・エネルギー国際研究所、つまり水素燃料電池車の世界的開発拠点です。ルース大使が水素燃料電池車に試乗するところばかりが取り上げられて、という。ご案内役は、村上敬宜先生でした。まあ、しょうがないね。記念講演より、試乗風景の方が絵になるし、取材もやさしい。こういう風に残念ながら最近のメディアは、やさしいところに流れていく傾向があるのです。難しいことは触れない。まあ、だからDNDメルマガのようなものがあってもいいということにしておきましょうか。
ロバート・T・ファンさんの志・夢・仲間、谷川徹教授の50歳の決断と起業家精神、ルース駐日米国大使来福の余話、起業家教育の世界級QRECモデル…取り上げるべきテーマは実に奥が深い。谷川さん、いろいろ勉強になりました。谷川さんの研究室には、もうひとりの徹さん、経済産業局の局長、滝本徹さんが駆けつけて意気投合していました。その午前中、谷川さんと同じフロアにオフィスを構える、「産学連携機構九州」社長の坂本剛さんを訪問しました。坂本さんが、DNDサイトにリンク張ってください、と頼まれて対応しました。どうぞ、トップページの右下に坂本さんの顔写真が載っています。ご注目を!
私は、その夕方、経済産業局での「アジアビジネス戦略研究会」の準備会にオブザーバーとして参加し、6時過ぎに中座して空港へ。怒涛の38時間の旅が、もうやっと終息します。facebook仲間の東洋経済の山崎豪敏さんが、出口さんのスケジュールはどうなっているのですか、まるで死の行軍のようだ、と感想を送ってくれました。
翌10日朝は、ゆっくり。昂揚した気分をクールダウンするため、庭木や鉢植えの手入れ。おやっ!なんと、出窓に置いた鉢に、緑の葉の陰に可憐な白い花がふたつ、うつむくように咲いていた。クリスマスローズの楚々とした花姿。う?む、父が住んでいた日光から運んだ鉢の一つでした。こんなことをfacebookに投稿した。写真を添えた。すると、どこからか声がする。
「ほう!咲いたか。花は、下をむいているでしょ。そうなんだ。下を向いて咲くんだよ。」。うれしそうで、誇らし気な父の声でした。
真心の花の命をもらいけり
クリスマスローズというから、12月に咲くのかと思ったら、違うのですね。花言葉は、慰め、追憶、そして、私を忘れないでーとありました。オヤジの事は、一寸たりとも忘れません。いま、また花の下の茎から白い蕾を膨らませています。こんな話もfacebookで紹介します。
◇ ◇
■facebookで広がる「火山灰、どげんかせんといかん!プロジェクト」
九州経済産業局の滝本さんはその翌日早く、爆発噴火の危険が襲う新燃岳の視察に向かっていました。前述したように坂田さんのfacebook投稿から、「火山灰、どげんかせんといかん!プロジェクト」の動向を知り、そのスレッドに書き込みをしていたら、なんとfacebookに参加したばかりの滝本さんが、こんな投稿をしてくれていました。日曜日なのに、御苦労さんです。
「今回の新燃岳噴火に伴う降灰量は、桜島の年間量の10倍、三宅島5年間の3倍、普賢岳噴火の10倍。記録の範囲で、日本人が経験した最大量だとか。
回収した灰の量は、1000分の1程度、国道はきれいにしたが、市道は1割程度だそうです。先週、農業に加え、災害復興の中小企業金融支援など始まりました」と。プロジェクトが動き出して三週間、徐々に参加者がその輪を広げ始めてきました。皆様、どうぞ、ご協力をお願いいたします。
※【火山灰をどげんかせんといかん!プロジェクト】代表 西元久晴(宮崎県都城市在住)、「世界中に幸せな親孝行を広げる」がモットー。
こよなく宮崎と鹿児島(特に霧島)の温泉、地鶏、宮崎牛、マンゴー、芋焼酎を愛しています。
【募金口座】
宮崎銀行 都城北(ミヤコノジョウキタ)支店
普通口座 168011
口座名 火山灰をどげんかせんといかん
プロジェクト 代表 西元久晴
※大変申し訳ありませんが、振込手数料は各自ご負担をお願いしております。
※振り込め詐欺対策のため、こちらからお電話で募金の振込を依頼することは一切しておりません。
◇ ◇
■橋本正洋氏の「イノベーションの構造化」
【連載】特許庁審査業務部長、橋本正洋氏の『イノベーション戦略と知財』第37回「イノベーションの構造化」。冒頭、facebookの海に溺れる私、橋本さんの玉稿を見失ったことなどが、書かれています。さて、主題は、今月5日に開催の東京大学 知の構造化センターシンポジウムの報告と、3月1日開催の東京大学イノベーション政策研究センター第2回シンポジウムのお知らせです。詳しくはこちらへ。どうぞ、ご参加ください。問題意識として、以下の説明に目を通しましょう。
≪知の構造化センターのHPから:
「日々蓄積される大量の知識を様々な構造化技術を用いて,意思決定とイノベーションに役立てるための「知の構造化」の研究開発 を進めています.
学問の分野では,日々量の知識が生産されています.ところが,あまり学問が細分化されすぎて,専門家でも専門外のことが分からなくなっています.私たちの日常生活でも,検索エンジンでたくさんの情報を調べることができます.しかし,役に立つ情報を得るには とても時間がかかります.
構造化とは,コンピュータを使って大量の情報を調べ,(中略)大量の情報を構造化することで, 知の全体像を把握し,意思決定に役立てることができます.さらに,意外な分野間の関連を発見したり,たくさんの人が全体像を議論することによってイノベーションの創造につなげ,社会的,経済的,文化的価値を創出します≫
橋本さんは、これこそ小宮山宏総長が近年提唱してきた概念で、筆者が所属した俯瞰工学、という。
■石黒憲彦氏の「医療・介護関連サービスの可能性」
【連載】経済産業省商務情報政策局長の石黒憲彦氏『志本主義のススメ』は第160回「医療・介護関連サービスの可能性」です。いやあ、160回に到達ですね。思えば、遠くにきたもんだ!という印象でしょうか。山の頂から、来た道を見下ろすともうすそ野ははるか雲に隠れて見えなくなっているのではないか、と思います。春の連休は、第1回から、読みな直してみようかしら。
さて、本論は、いよいよ実施中の医療・介護の実証実験で成果が出始めてきました。石黒さんは、京都、沖縄に駆け足で出張して得た具体的な取り組みを紹介しています。高齢化社会への移行で、これらの各種施策は重要と思いました。
京都の事業は、(株)コナミスポーツ&ライフが中心。医療保険でのリハビリサービスの算定上限が最大半年になったことによって、4万人とも言われるリハビリ難民の受け皿となりうるような維持期リハビリ支援事業の可能性を調査している、という。心臓発作や脳卒中発作を起こした後、リハビリが必要な方が半年のリハビリ期間を終えて何もしなくなるとせっかく回復した様々な機能がまた元に戻ってしまうことが多く、いかに継続して適度な運動を続けられるかが課題です。本当です。他人事ではない。このように全編、切実な行政課題が山積しているのですね。
京都の日帰り出張の翌々日、沖縄に日帰り出張をして、医療福祉法人陽心会が中心になって、栄町市場商店街振興組合、(株)沖縄スイミングスクール、(株)アイリスエステサロンなどと組んで、地域の高齢者に対して運動指導・栄養指導による健康管理サービス、買い物弱者対策としてのご用聞きサービス等生活支援サービスなどを総合的に提供している例を見てきました、という。
個人的には、寝たきり老人の病棟でエステサービスを受けている話が感動的でした。そんなこともやるか、という驚きも。エステを受けている方は、もう言葉は話せない。が、気持ち良さそうにしておられました。血行やリンパ腺の流れがよくなるとか効用はあるようで、お年寄りの顔がすっきりしたとか、体のむくみが少しとれたという。
が、ご家族や看護師さんの評価はあるのですが、事前と事後で数字的な効果測定をして欲しいという要望がエステ側にはあったそうですが、それをしてしまうと混合診療との評価をされてしまう怖れがあることから断念したそうです。「この辺が難しいところですね」と石黒さん。確かに。うまく説明しきれませんか、この辺は、メディアがもっと積極的に取り上げていくべきテーマかも知れませんね。
■比嘉照夫氏の「福祉施設におけるEMの活用」
〜障がいを持った園生に様々なリハビリ効果〜
【連載】名桜大学教授で国際EM技術研究所所長の比嘉照夫氏の『緊急提言、甦れ!食と健康と地球環境』は第38回「福祉施設におけるEMの活用」です。
比嘉先生が冒頭、述懐されているように、この連載シリーズがスタートして3年目をむかえる。いやあ、早いものです。ますますEMの社会的要求が高まっているように感じます。
EMの普及活動の原点に触れて、「安全で快適、低コストで高品質、累積的な持続性で高度情報共存共栄の望ましい未来型社会の構築、すなわち、幸福度の高い社会づくりである」と述べ、その実現のためには、「自己責任原則と社会貢献認識が合致する生き方の指標が必要である」と喝破されております。
とくに今回の福祉施設におけるEMの活用では、こんなエピソードを紹介しています。岐阜県可児市の奥村さんと言う方からの相談で、福祉作業所でEMボカシを作ってもらったら、とてもいいボカシが出来た。加えて、障がいを持った園生に様々なリハビリ効果が認められており、EMで障がい者施設を応援したいという、趣旨でした。
これは長年、まさに新聞社時代から、「環境自治体」の創刊や、イベント開催などでEMの導入事例をその都度、ウオッチしてきたのですが、障がいを持った方々へのEMのアプローチは丁寧で、実践的で、かつおおらかなものと感心をしていました。が、今回、比嘉先生はその取り組みの詳細を述べられていますので、大変興味深いものとなっております。
「EMボカシは地域の生ごみリサイクルに安定的に活用され、施設の収入源となり、障がいを持った人々が環境問題の解決に積極的にかかわるようになり、EMを通し、幅広く一般との交流が進められるようになってきた」。
それから17年、「今では、数千の障がい者施設が、何らかの形でEMを活用しており、EMボカシの販売のみならず、EMボカシで処理された生ごみを回収し、自給菜園や養鶏を行ったり、中には有機JAS認証を取得し、自立的な福祉施設になり始めている例もある」という。
これらの活動が本格化し、EM研究所や様々なEMのボランティアの協力により設立された「EMボカシネットワーク」は全国に広がり、EMボカシを使った生ごみ減量運動を通し、障がい者施設の関係者が地域の人々と積極的に交流することが可能となってきたのです。その実態を私は知っています。
こんなエピソードも紹介しています。
「40代の女性で知的、身体的重度の障がい者の母親から、現在は、自分が子供の面倒を見ているが、70才を越えた今、自分も大変だが、自分が死んだら、この子の面倒を誰が見るのか?この子の行く末を考えると死ぬにも死にきれない。どうしたらいいでしょうかということである。その重度の障がいをもった子供は、車イスで寝たような状態で施設へ来ており、ボカシ作りなど手足を動かす作業は不可能である。しかし、嗅覚は正常に機能していることを生かし、EM活性液やEMボカシの品質を匂いで判定できるため、ボカシ作りに参加していた」。
「要するに、出来上がったボカシを他の知的障がいをもった子供が、その重度障害をもった子供の鼻に近づけるのである。その匂いを感じた彼女が、笑顔を見せるとOKで、渋い顔をするとやり直し、再び彼女に判定してもらうという役割をはたしていたのである。そのため、EMボカシの作業は、彼女が車イスで横になりながら皆と一緒にいると、他の子供たちも元気で作業の能率も良くなり、和気あいあいとなるが、彼女が休んだ日は、皆落ち着かなくなり、作業能率も雑になってしまうということであった」。
実践の中で語れられる事実、自立支援のお手本のようなEMの活用事例をもう一度、再認識させられた寄稿でした。多くの人に伝えてあげてください。
■山城宗久氏の「『家族に乾杯』に乾杯」
【連載】東京大学産学連携本部副本部長の山城宗久さんの『一隅を照らすの記』の第35回「『家族に乾杯』に乾杯」。
宮崎市の出身である山城さんの思いれの強いコラムですね。何かと、困難が襲う宮崎県、そんな重苦しい気持ちを癒してきれたのが、先週と今週の2週連続で取り上げられたNHKの「鶴瓶の家族に乾杯」という番組で、その宮崎市が登場した、という。そこで繰り広げられる、勘違いと出会い、人生まんざらでもないことを知らされる内容でした。「一歩でも前に踏み出すことの大切さと、その一歩がもたらす人と人とのつながりの素晴らしさを改めて教えられました」という素敵な山城さんに、私から乾杯!
■氏家豊氏の「事業展開のスピード化」
【連載】氏家豊氏の『大学発ベンチャーの底力』は第11回「事業展開のスピード化」です。氏家さん、お得意のシリコンバレーモデルのノウハウ版、事業展開の秘策というところでしょうか。大手の企業との研究開発手法をめぐるインタビューなどの蓄積を通じて感じた要素は、そのタイトルの通り「事業展開のスピード化」という、一からやるスクラッチでは遅れをとり、生き残れないのだそうだ。が、その成否を左右するのが決定権とその行使、「技術をとりに行く部分は研究開発本部自身で決定し、技術と事業を併せ持つ企業そのものを取りに行く場合はトップが決定する」のだが、研究開発本部の背後にある見識などに関心が向くという。おおよそ、これらのノウハウは私の身近なところには散見されないが、事業重視の傾向があるのだろうか。
加えて、氏家さんは、日本企業に対して、さらに期待されるのがこのスピード感でしょう。「スピード経営」というフレーズは昔から知っていましたが、私自身やっと身にしみて実感してきました、という。そしてそれを裏打ちするものこそ「事業企画・コンセプト力」と強調し、「経営判断を速め成功確率を高めることで、このスピード経営を実現する要です」と言い切っております。確かに、ですね。
■リンク追加!■
九大TLOでおなじみの、株式会社産学連携機構九州の代表取締役社長、
坂本剛さんの「産学連携的な新米社長日記」をトップページにリンクしました。
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