DNDメディア局の出口です。う〜む、いい眺めです。ついうっとり。手入れが行き届いているとはいえ、葡萄畑がなぜ、こんなにも美しいのだろうか。こう配がきつい西斜面の山ふところに抱かれて安らいでいるようです。空気が澄んで遠くの淡い緑が目にやさしく心が和みます。雨が、パステル調の色彩を際立たせていました。
節くれだった黒い蔓から伸びる枝先に緑の葉っぱ、それが葡萄の品種によって微妙に色を変え、横一列に重なってせり上がる。山頂から、まだ袋をかぶったままのマスカット・ベリーA、その下がスパークリング用のリースリングリオン、一番下段周辺にタナ・ノートン種、そして甲州種という。全部で7種類の葡萄が栽培されていました。このグラデーションは、お菓子にたとえるならさしずめ抹茶色のミルフィーユを連想します。
このナチュラルでピュアな景色が、どの視界からも飛び込んでくる。天井に葡萄棚をあしらったバルコニーから、おしゃれでカラフルなショップから、醸造工場の作業場から、そして知的ハンディの学園生の寮からと、まるで一幅の名画の趣で、清々しく心が洗われるようです。
傾斜38度の急こう配では、さて、その山頂からどんな遠望が開けていることか。風になりたい。風になって、ふんわりこの斜面で宙返りしたら、どんなに楽しいことでしょう。そんな夢想にかられるではありませんか。
そこは、栃木県足利市にある障害者支援施設「こころみ学園」(川田昇園長)のワイン醸造工場「ココ・ファーム・ワイナリー」です。ココ・ワインをご存じでしょうか。沖縄サミットや洞爺湖サミットの晩餐で振舞われた世界サミットご用達といえば、なんだか飛びっきり高級ワインのように聞こえますが、その葡萄作りを支えているのが知的ハンディを持つ学園生なのです。
ココ・ワインのココは、「こころみ学園」の「ここ」を指す。こんな高品質のワインを醸造できるのも葡萄栽培に丹精込める園生らの心意気の賜物という。
もう少しで収穫祭を迎えます。この広い葡萄畑が人で埋め尽くされるのです。料理に舌鼓を打ち歓談に花を咲かせる。大勢のお客様に喜んでもらえることがなによりうれしいに違いない。そして、この1年間、葡萄の栽培やワイン醸造に専念してきた彼らへの感謝の日でもあるかもしれない。
その収穫祭は、今月20、21両日に開かれます。わずか2日間で約1万8000人を超える客が集う。足利の駅では、客を送り迎えするシャトルバスの臨時便が用意されるほどです。きっと天気になるでしょう。
私が、仲間らとこのワイナリーに足を運んだのは、台風14号の接近で荒れた先月30日でした。雨もいいものです。負け惜しみじゃなく、葡萄の木々が濡れて、黒々とした幹に潤いをためていました。
振り返れば、27年ぶりの訪問になります。ちょうど30歳前後の数年間、駈け出しの新聞記者は栃木県日光エリアの駐在を終え、次に赴任したのが足利でした。地方記者6年目のまだ新米で、きっと毎回、その収穫祭の取材に出かけていたはずです。新鮮なワインに自家製のソーセージやハムをいただいたかもしれない。沿革をたどると、園長の川田さんは、栃木師範学校を出て小学校教諭となり、地元の中学で初めての特別学級を設置し担当教諭になる。障害者支援のため、やがて教頭の職や千葉県の福祉センター所長を辞して「こころみ学園」を設立する。昭和44年のことである。鷹揚とした構えの川田園長がいつも控えめながら大勢の語らいの輪に中で、その圧倒的な存在感を示していたころの記憶が甦ってきます。
「なんだかんだ言ったって、あの子たちがよいワインを作っているんだよなぁ。あの子らが、山の急峻な斜面とか厳しい自然から仕打ちを受けて生き抜いて行く道は、百姓の道ですからね。どんな時代がきたって、人間が、そこに戻ってきて、またそこから出て行くところですよ。ここ(こころみ学園)には、ひとりで立ってみんなと歩むという、本来あるがままの福祉の姿がある、と思う」
「土地の人がそれをどう受けとめるか、みんなウサン臭そうに見るか、いやぁ、あの子らはあの子なりに頑張っているんだなあ、と見るかどうかなのです。同情ではなく理解して陰で支えてくれる人がどれだけいるか。後は、本人がどれだけ自分を鍛えてあるか、によります。繰り返しますが、障害を持っていてもどれだけ鍛えてあるか、これで答えがでるんです。いい答えがでりゃいいと思っているのですけれどね」(1992年、地元のタウン誌「渡良瀬通信」のインタビューから)。
昔の記事に目を通しながら、いまいちど、この葡萄畑や醸造工場を見渡すと、ある種の感動が込み上げてきました。ワインの品質と種類の豊富さ、醸造工場の充実した設備、色を抑えたシンプルなレストラン、目に留まるのはお客様用のひざかけが唯一華やかなロッソでした。こんな場所でのウェディングもいいかもしれない。学園生のささやかな「ぶどう小屋」で誕生したワインなのだが、それにしても、いつの間にこんな洒落た緑の空間を創り上げたのだろうか。やはりここの主役は、来月、卒寿を迎える園長の川田昇さんだろうし、そしてそこの園生らであることは確かです。考えれば、知的ハンディがどうしたらその子らの個性となって輝いていくのか。ハンディを負う子らの働き場所としての葡萄畑があり、ワイナリーが完成した。その川田さんの志が、どのような系譜で開花したのか。学園創設時を知る支援者の一人で前足利商工会議所専務理事、中島粂雄さんの記述によれば、これは「奇跡の軌跡だ」という。
今回は、知人で地元・足利のタウン誌「渡良瀬通信」編集長の野村幸男さんに段取りをとってもらいました。東京から友人の橋本正洋さんファミリー、「営業参謀」代表の赤羽広行さん、そして家内の6人での訪問でした。
野村さんのエスコートでショップに伺うと、にこやかに出迎えて下さったのが池上知恵子さんでした。川田さんのご長女で、学園の理事長を兼ねながらワイナリーの専務取締役です。華奢で小柄な池上さんの、どこにそのマネージメント力が潜んでいるのだろうか。とっても気さくな美人です。創刊の女性誌「GLOW」の付録の花柄のバッグを手にしていました。ははあん、このショップやレストランの垢抜けしたセンスは、きっと池上流なのかもしれません。
外は、まだ雨がそんなに激しくなっていない。池上さんは、まず、隣接の学園の内部を案内してくれました。広い正面玄関に大きな絵と熱帯魚の水槽、昨日来たばかりというピレネー犬のような、大きな白い毛の犬が待ち受けていました。お昼時で食堂では園生らが食事の最中でした。壁に彼ら、彼女らの記念写真やスナップが貼ってあった。学園の旗なのでしょうか。素敵な絵柄ですね。お風呂は、広く清潔感がありました。温泉みたいでした。
「この葡萄畑は開墾から52年間除草剤を使ったことがないんです。害虫は、一匹一匹手でつまむし、ぶどうの葉の汚れさえ、素手で一枚一枚ふき清める。そこまで徹底してやっているところはないのではないか、と思う。園生らの、そんな働きが、良いワインを生むのだと思います」と池上さん。池上さんは、東京の著名な出版社勤務を経てUターン、現在は池上さんの妹で学園の管理者の越知眞智子さんと二人三脚で、川田園長の志を継ぐ。凄いね。
工場見学は、学園の事務局長でワイナリーの総合事業部長の佐井正治さんが案内してくれました。醸造工場周辺では、ベルトコンベアを囲んで葡萄の房のつぶれた粒をはねたり、汚れを落としたりする選果に取りかかっていました。園生らもかごを抱える運び役に。移動距離は2−3m、終日、この作業に打ち込むという。発酵させるステンレスの巨大なタンク庫前では、ワインのる製造方法を説明しました。早いので2−3週間で飲むことが可能だ、という。
いやあ、凄いのは、葡萄栽培や醸造工程で見える園生らの極め技の数々でした。
そのタンクから出された発酵したワインは、隣のクリーンルームで瓶詰めさます。1日で約1万本をこなす。この工程で、検品に携わる園生がいるという。朝から晩までずっと、コンベアで流れるワインをチェックするのだが、瓶の中の汚れ、ほんの微細なコルクダストを瞬間的に見つけては、コンベアから抜く。1日に12本程度が検品にひっかかって試飲室に運び込まれる。が、佐井さんらが、このボトルを手に取ってどれがコルクダストなのか、目を凝らして探してもそう簡単には見つからない。「どこにあるのだろう」かと、試しに、口をあけて初めてダストに気付く有様なのだという。
「白ワインならまだしも、赤となると外からまったく見えないのに、なぜダストが見つけられるのか。なんでこれがその園生にわかるか。なぜわかるのかが、それがわからない」と、その神がかり的な検品の才能に驚くばかりだという。
ワインが流れてくると、外で待ち構えるのが、段ボールの箱詰め作業です。段ボールは中に間仕切りがあるので無造作に入れると、貼ったばかりのラベルを仕切りのヘリにこすってダメにしてしまうことが多い。誰でもできるというものではない。が、ここの別の園生は、その専門家だ。スピーディーで1本1本素早く詰めるのが得意なのです。箱詰めの次は、リフトに積む作業が待っている。そこでは、力持ちの園生の出番です。佐井さんは、誰かがやる、というのではなく、自分の力が一番発揮できるところでやる、そんな個性を尊ぶ環境なのだという。
ここでの話も心が揺さぶられた。
樽が並ぶ貯蔵庫は、通年13度〜15度に温度が保たれている。発酵中に二酸化炭素が発生するので、樽をのぞきこんだらイチコロで危険が伴うのだ、という。その壁に「天使の光輪」(halo)と題した詩が掲げられていた。だれの詩なのだろうか。
まちを通りぬけた山あいのワイナリーで、
今年の5月
初めて三鞭酒ができた
この発泡する透明な葡萄酒の発祥は
昔 西欧で盲目の修道士が
瓶のなかで再発酵したワインを
誤って賞味した時からだという
樹々と西陽のもつ治癒力を信仰し
楢、椚の森と空を写す沼のある谷
その西斜面に葡萄畑と醸造所が
つくられても半世紀近くなる
農夫の顔をしたここの修道士たちは
太陽と土の匂いを頬張り 滅法陽気だ
ドラム缶を叩き ひねもすカラスを追ったり
剪定した枝を抱えて 葡萄畑を駆け降りたり
時には大声をあげて人々を威嚇したりもする
毎年の収穫祭には
まちじゅうの人々が彼らとともに
豊穣の秋と人生を称え 酔い痴れ
山野を浮遊るすのだ
そしていま 地下のトンネルの底には
熟成したワインが青白い光を放ちながら
スパークリングを続けている
人生そのもののように単調だが
正確な斜度を要求するルミュアージュ
陽気な彼らも
この一瞬だけは 寡黙な修道士となる
唄いながら手をヒラヒラさせて舞い
山彦の啓示で突然瞑想に入ったりする聖者
彼らのつくりだす発泡する酒の不思議
透明なのに複雑で 律儀で怠惰な味わい
苦悩や傷、怯えを優しく抱擁し
酔いと漂いの中に癒し 解き放つ
これはもう この谷間の森に住む
精霊たちの仕業に違いない
う〜む。三鞭酒か〜。鞭を三回打たれたような衝撃が走る酒とは、それを「しゃんぱん」の意だとすれば、「盲目の修道士」の正体は、あのドン・ペリニオンという筋書きになる。ドンペリは、オーヴィレール修道院の盲目の修道士でした。オーヴィレール修道院は、フランス北部シャンパーニュ地方のランス近郊の村落に、今も現存するベネディクト派の修道院とありました。見逃してはならないのが、「シャンパーニュ地方」という不可侵の厳然たる冠なのですね。シャンパンの商標の使用は厳しく制限されている、という。特許や商標登録がご専門の橋本さんが、さすがの米国でもこの壁は崩せなかった、という逸話を紹介していました。ここのワイナリーで、シャンパーニュ方式でシャンパン、いやいや、スパークリングワインを実際に完成させているのです。その感動をこの詩は綴っていたのです。
この厳粛ともいえる製法の秘儀を知れば、ドンペリと叫んでアホな騒ぎはできるものではない。
佐井さんによると、川田園長がワインの本場フランスに行って、そこでシャンパンの製造を目撃しその製法を聞くに及んで、「うちでシャンパンを作ればこれでまたひとつ園生に仕事が与えられるじゃないか」と小躍りしたという。
さて、その作り方といえば、発酵を終えて仕上がった瓶詰めのワインに乾燥酵母と餌になる砂糖を入れて再び発酵を促す。その瓶の中で二次発酵するから瓶内二次発酵方式と呼ぶ。この発酵によって澱がたまるため、どうにかして澱を処理しないとせっかくのシャンパンに濁りがはいる。その濁りを除去するために瓶を逆さまの状態で回転させながら酵母の澱を瓶の口元に集めて、澱を取る。気が遠くなるようなこの作業をルミュアージュ(動瓶)と言う。
が、ルミュアージュは、日に2回、1回の回転が45度で、100日連続でやり続けなければならない。毎回45度の狂いない角度で回し根気よく100日続けられるだろうか。その独特の製法を習熟したのが、自閉症の園生だった、というのは驚愕でした。彼のその才能を見出した川田園長も並ではない。この詩は、その辺をこう讃嘆しているのです。
≪正確な斜度を要求するルミュアージュ 陽気な彼らも この一瞬だけは 寡黙な修道士となる≫
ということで、シャンパーニュ方式で忠実に作り上げても、フランスの本場以外は、シャンパンと呼んではならないというルールというか、掟が国際協定で定められているのです。そのため英語の表記でいうスパークリングワインにならざるをえない。それだからシャンパンは高価なのです。それにしてもではコンビニで売られている安価なスパークリングワインは、どういうわけか。それはワインの樽に炭酸を入れるだけなのだという。いわば、炭酸のジュースか、コーラのようなもので発酵は1度にならざるをえない。まあ、シャンパンとは別物なのですね。しかし、その製法をしっかり遵守してもスパークリングワインで、炭酸をぶっ込んでも同じ表記というのはやや違和感が否めませんね。せめてシャンパーニュ式スパークリングとか、瓶内二次発酵方式スパークリングとかの言い方が許されてもいいような気がしませんか。
さて、スパークリングワインの製造はこれで終わらない。瓶の口に澱が溜まった瓶をそっと抜いて、マイナス20度の不凍液で口の部分を凍らす。栓を抜くと、勢いよく澱をためたところが鉄砲玉のように飛びだしていく。さらに量を調整しコルクを打って、ワイヤーで固定するという手順をふまなければならない。いやいや、えらいこっちゃ。大変な作業だわ。そばで、飲むのは簡単なのに…という声がもれていました。
さて、このココ・ファーム・ワイナリーの名前を一躍有名にしたのが九州沖縄サミットでした。ここのスパークリングワイン「NOVO」が、夕食晩さん会の乾杯に使われたのです。このシーンをテレビの前でかじりつくように見ていたワイナリーの関係者から歓声があがったことは容易に想像できます。ココ・ワインが世界にデビューした瞬間だったのでしょう。遠因は、世界1のソムリエ、田崎真也さんが脚本家の内舘牧子さんと雑誌の取材で足利を訪れたことがきっかけでした。案内役が、ココ・ワインの育ての親の中島粂雄さん、ここのワイナリーに招いた昼食会で披露し、絶賛だったようです。まさに「奇跡の軌跡」がこの辺から始まったのかもしれません。中島さんって、不思議な人ですね。「NOVO」の会を創って、飲み仲間から資金を集めるなどしてスパークリングワインの誕生に貢献したのも中島さんらしい。10万円を一口にして年間4本の「NOVO」が贈られるというアイディアでした。中島さんは、地元の記者を大事にしましたね。ほんと足利の記者時代には随分、お世話になりました。それにしても、この詩の作者は、文人というもう一つの顔をもつ中島さんじゃないかしら。
こんな話を書いていると、いやあ、喉の渇きを感じてきませんか。「NOVO」のネーミングは、川田園長の「昇」(のぼる)の「のぼ」から拝借したらしい。縁の盲目の修道士に敬意を表して、「NOVO」のラベルには、点字でも名前が打ちつけている、という。
もうひとつ園生の話を加えましょう。夏が近づくと、必ず「カラス番はいつから」と聞いてくる園生がいるそうだ。葡萄が熟して甘くなると、カラスが房をついばんで葡萄に果実に大きなダメージを与えるため、そこでカラスを追い払うのがカラス守りの重要な役割になる。
朝5時にから葡萄畑に入り、夕方、日が落ちるまでカラス番を務める。朝ごはんも昼食も畑で取る。彼は、山に入ると、それだけでカラスが近寄らなくなるから不思議だ。この広い葡萄畑にカラス番が3人、終日、目を光らせている。朝5時と決まっているのに、山から下りて事務所に顔出すと「明日何時?」と聞く。その習慣は変わらない。が、そのカラス番は、晩秋、すべての葡萄の収穫が終わると幕引きとなる。その最後の日は、ご褒美の缶コーヒーを楽しみにしている。そして、いつもの口癖である明日何時?が、その日に限って「また来年ね!」って言い残して陽気に寮に帰っていくという。
なんだか、いろいろ話をお聞きして、凄いと思いました。なんども、池上さんに、凄いねって伝えていました。瓶詰段階で混じったコルクダストは見逃がさないし、天才的なルミュアージュはお手の物だし、陽気なカラス番も誇らしい。
葡萄栽培からワイン醸造の現場で見た園生らの、その愚直な粘りと天性の仕事ぶりに、すっかり感動させられてしまった。ここでは書き尽せないが、「ココ・ファーム・ワイナリー」の50数年の歴史のページをめくると、人の魂を揺さぶる極上のストーリーが山積みになっていることに気付かされます。きっと、それは川田園長の矜持が脈々と引き継がれているからなのでしょう。
さて、見学を終えて、テント張りのレストランに向かいました。先ほどの池上さんが、やはり笑顔でご一緒です。待ちに待った、ワインとの出会いの時間です。
◇「Climate Mozart」(モーツァルトびより)
ワインは通ではないが、美味しいかどうかなら少しはわかる。シュワシュワっと泡立つスパークリングワインの「NOVO」、その勲章のようなゴールドの輝きがまぶしく思いました。小さな泡がしきりと湧きあがってきます。耳を傾けてご覧なさい、と池上さんが勧めるのでみんなが一斉にグラスの口に耳を近付けました。何が聞こえますか、森の精霊の声でしたか、盲目の修道士の嘆きだったでしょうか。私には、「また来年ね」っていう園生のささやきが聞こえてきそうでした。
次が、北海道の余市、山形の上山で獲れた葡萄を使った、芳醇で濃い赤が冴える「風のルージュ」、「NOVO」が沖縄サミットなら、「風のルージュ」が洞爺湖サミットの晩餐に振舞われた逸品です。そして、圧巻は、粒ごと乾燥ぶどうで熟成した「マタヤローネ」、一滴一滴絞り出す味わいは濃厚でした。いずれもわけありのネーミングがいいでしょう。「またやろうね」は、園生の一人の口癖なのだという。ワインは、やはり巧みな演出家なのかもしれない。そこに仲間がいれば、つい饒舌になって陽気なひと時を演出してくれる。池上さんとの楽しいひと時は、話が尽きませんでした。
戸外に出ると、雨脚が速くなってきていました。が、緑の葡萄畑から心地いいメロディーが流れてきそうです。もうすぐ収穫祭、芳醇なワインと親しい仲間で、そのハレの「Climat Mozart」(モーツァルトびより)の佳き日を祝いたいものです。
◇ ◇ ◇
◇塩沢文朗氏「第1汽車集団と吉林石化の産業事情」
【連載】塩沢文朗氏の『原点回帰の旅』第71回「吉林省の産業事情(吉林省を歩く、その3)」は、冒頭から中国初の自動車メーカーで世界70ケ国以上で活躍する第1汽車集団の設立から今日の詳細な国際的提携戦略の一端が紹介されていました。続いて、吉林石化、やはり第1汽車集団と同時期に設立した石油化学製品を生産する企業を紹介しています。いやあ、その構成の妙というか、このストーリーのどんでん返しは、やられた、という印象を持ちました。
≪吉林省はこれらの産業の集積を与件として活用し、自動車産業と石油化学産業のシナジー効果を生み出して、今後の経済発展の原動力にしたいと考えています。したがって、一汽と吉林石化の経営戦略を探ることが、日本側研究チームと研究のカウンターパートである吉林財経大学にとっての大きな関心事でした。「その3」になって初めて書くのは話が前後し過ぎではありますが、そんな理由で今回の「吉林省をあるく」大きな目的の一つは、先の第一汽車集団と吉林石化の実態を調査することだったのです≫と、その趣旨を打ちあけてこのミッションがどういう状況だったのか、が、やや怒りを込めて記述されているのです。その辺のところも含めてお読みください。それにしても、さすが、元経済産業省ご出身ですね、産業技術政策に関する取り扱いが手慣れていらっしゃる。3回シリーズの力作でした。お疲れ様でした。大変、参考になりました。
◇氏家豊氏の「オープンなイノベーションの捉え方」
【連載】氏家豊氏の『大学発ベンチャーの底力』の第6回「体験的な研究開発フェーズ話3−製品開発・事業化産業化U−」。今回も優れた事例をベースしながら体系的に製品開発・事業化産業化のマトリックスを描き切っていらっしゃる。「基礎データを除けば、私自身は米国での日ごろの業務での気付きを自由に書かせて頂いた」という感想を綴りながら、極めて厳密な論文に仕上がっています。
重要な点をいくつか〜列記すると、ひとつは「オープンなイノベーション」の考え方の整理手法です。≪どんな産業クラスターでも、初期のかつ強力な政策的サポートを経て自律的段階に入る際の大きなリーダーは先輩大手企業≫と断じ、≪彼らの上流技術研究開発を大学等がささえ、具体的な製品開発段階を新興企業、そして特に日本の場合はさらに先端・ものつくり系中小企業も支える。さらに、政策当局は、定期的に、新しい技術・産業ビジョンを産業界に提示して、産業社会の新陳代謝を促す≫として、本質的に日米そして欧州等でここの部分は大きく違いがない、と説明していました。
また、「オープンなイノベーション」のさらに大きな可能性があるとし、表1の「モジュール開発」でみると、「技術でどんなことが出来るか」という技術発志向が強いのに対して、その後の段階は事業化・産業化も進み、事業としても大掛かりになっていて、ますます顧客・市場、そして社会ニーズで牽引される結果として、以下の2点が強調されています。@が、≪社会的な機能、影響力は増し、一顧客との関係、一部消費者のニーズを満たすのみでは済まなくなってくる。スマートグリッド・コミュニティーが好例です≫という。
Aが、≪市場が成熟化した現在、マーケットからのニーズ発信がなくなってきます。「どんなモノを創る、どんなことがしたい、させたい」そして「どんな社会にしたいか」という社会ニーズ発想と創造性がより強く必要になる≫と述べています。氏家さんの熟慮の上での確信が感じられます。
◇石黒憲彦氏の「日本のコンテンツを売る」
【連載】経済産業省商務情報政策局長の石黒憲彦氏『志本主義のススメ』は第153回「日本のコンテンツを売る」。いまや、官民挙げての“国際セールス”に懸命です。石黒さんとは直接関係はないが、先のベトナムの原発2基受注は、さて、どのような評価がでるのでしょうか。ともあれ、日本のコンテンツを売る‐流れは着実に構築されつつあるようです。
この項は、東京国際映画祭、東京国際映画見本市が盛況で来場者も出典団体も増加傾向にあって、今回は過去最高というのは喜ばしい。加えて、JAPAN国際コンテンツフェスティバルを総称とした東京国際ミュージックマーケット、アニメの東京国際アニメ祭りなどにも触れていました。なんでこんなに同時期に同じ内容のもの(おじさんは、もはや区別が付きにくい)とおもいきや、それなり戦略があってのことのようです。
「海外からの有力バイヤーを招聘するにあたって、彼らが映画やドラマだけでなく、アニメや音楽などのビジネスに関わることも多いため、関心があるものを一度にぐるぐる見て回ることができるようになっている」と。
そして、9月16日から幕張メッセで開催された「東京ゲームショウ」を皮切りに10月15日から24日に開催された「日本ファッションウィーク」と、冒頭の東京国際映画祭など17のオフィシャルイベントで構成されています。9月半ばから11月半ばまで関連イベントが集中して開かれる仕掛け、という。
後段は、石黒さんらしく話題の一書の紹介と明快な解説です。ディーク大学教授アン・アリスン氏の『「菊とポケモン』(実川元子訳新潮社、2010年)です。「多様変容」と「テクノ−アニミズム」が、キーワードのようです。
◇『お断り』
※【連載】張輝氏の『中国のイノベーション』は第39回「早く死ぬか、精彩に生きるか」は、感動的な内容です。北京の青年、優美なピアノの旋律で満場の拍手を浴びた劉偉さんには、両手がない‐この原稿はサイトにアップしますが、内容のご紹介は、特別に次回に譲りますことをお許しください。