◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2010/09/01 http://dndi.jp/

発信力を強める日本学術会議

 ・「科学の基礎研究が重要」を強調
 ・「成果主義は危うい」と金沢会長の警告
 ・「科学・技術」表記をめぐる勧告へのご意見
〜安藤晴彦氏、山城宗久氏、黒川清氏、下平武氏、橋本正洋氏〜


DNDメディア局の出口です。やっと9月。が、空にまだイワシ雲はない。汗ふきふき見上げれば低くモクモクと夏の雲が居すわったままです。ぎらぎらした太陽が照り返り、少しも衰えを見せないところが憎々しい。シトシトと雨がふらないかしら、ねぇ。


8月の私の記憶では、8月8日にさらっと霧のようなお湿りがあり、翌9日にやっとひとふりあったがそれっきり、その後は灼熱のカンカン照り。例年9月は雨が多いという。台風は控え目にお願いしたいが、雨が恋しくなってきました。近所の田畑は、乾いてカラカラです。どうか、ザーザー降りますように〜。


さて、我が国84万人の科学者、研究者を代表する学術界の最高機関、日本学術会議(金沢一郎会長)が、このところ発信力を強めています。先月24日は通常の医療とは異なる民間療法「ホメオパシー」が、「科学的な根拠が否定されている」として治療で使わないよう求めました。続く25日には、「科学技術」の表記を「技術重視」の弊害があるとして、「科学」と「技術」を「・」(中ポツ)で分ける「科学・技術」とすべし、という科学技術基本法の改正を求める勧告を菅首相に提出しました。技術は、どちらかというと下に見られるらしい。


「ホメオパシー」への諌言は、朝日が1面トップ扱いでした。その勢いでテレビも取り上げて大きなインパクトを与えました。日本学術会議が、科学の社会的役割を強調し、その存在を誇示するかのような一歩踏み込んだ提言をくり返す背景にどんな狙いや意図があるのでしょうか。


まず、日本学術会議のこの勧告は、「総合的な科学・技術政策の確立による科学・技術研究の持続的振興に向けて」と題し、政府の総合科学技術会議の在り方の改善に寄与する4つの具体的な方策を盛り込んでいます。冒頭には、我が国のイノベーション政策に触れ、単に科学・技術政策にとどまらず税制や雇用政策などを含む広い意味での政策として構想すべきである、と述べ、次に科学・技術政策については、「基礎科学を含む全体としての科学・技術研究の持続的振興」を目指すべきである、として「科学の基礎研究の重要性」を強調し、そのための「科学技術基本法」の見直しを求めているのです。


詳細は、以下から。
 http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-21-k102-1.pdf
 この中で私が重要視したのが、その1と4でした。


その1は、〜我が国において従来用いられてきた「科学技術」は、国際的に用いられる「science and technology」(科学及び技術)に対応する意味ではなく、「science based technology」(科学に基礎付けられた技術)の意味で政策的に用いられる傾向が強く見られ、結果として、政策が出口志向の研究に偏るとの疑念を生んでいる、という具合でとても激しい内容となっています。


「科学技術」を「science based technology」(科学に基礎づけられた技術)の意味で使われているのは技術重視に陥ってしまいがち、これでは短期的な結果を求める成果主義に偏る。そして、将来につながる科学の基礎研究が軽視されることを懸念するーという。朝日の25日付の夕刊は、この動きを伝え、金沢会長の次の談話を掲載しました。


「経済が右肩下がりの時は安易に結果を求めがちで、将来に危うさを感じる。ささいなことかもしれないが、言語の正確さは大事だ」と。


科学技術創造立国というのをよく耳にするけれど、科学と技術、その定義や関係について、私自身実のところよくわかっていない。「科学技術」の4文字を熟語として使うのに、これまでいささかのためらいもなかったのだが、「科学」と「技術」とは違うものを指し、どうも「科学技術」は、「科学・技術」という位置づけの方がよりふさわしいのではないか〜と、私もDNDメルマガvol.375「研究者らにもっと自由を!」で、こんな感想を述べていました。いま思えば、とても稚拙な思いつきでしかなかったようです。


勧告のその4に触れますね。


◇その4は、科学・技術振興基本計画」の策定に当たっては、あらかじめ、「わが国の科学者の内外に対する代表機関」(日本学術会議法第2条)である日本学術会議の意見を聴くものとすること。


ご存じの通り、総合科学技術会議は、総理大臣を議長に関係大臣ら、有識者8人の14人で構成する。有識者は以下の8人で、日本学術会議から会長の金沢氏がメンバーの一人に入っています。そこにさらに日本学術会議の意見を聴くものとする、という背景には、日本学術会議が「我が国の科学者コミュニティの唯一の公的な代表である」ことから、「科学・技術振興基本計画」に対して意見を述べるのは当然の責務であり、逆説的に言えば日本学術会議が「科学・技術振興基本計画」の策定に関わらないというのは、画竜点睛を欠くということなのでしょうか。専門機関として大いに力量を発揮してもらえばいい。

相澤 益男(常勤議員) 元東京工業大学学長
本庶 佑(常勤議員) 京都大学客員教授
奥村 直樹(常勤議員) 元新日本製鐵(株)代表取締役 副社長、技術開発本部長
白石 隆(常勤議員) 元政策研究大学院大学教授・副学長
今榮 東洋子(非常勤議員) 名古屋大学名誉教授
青木 玲子(非常勤議員) 一橋大学経済研究所教授
中鉢 良治(非常勤議員) ソニー株式会社取締役代表執行役副会長
金澤 一郎


さて、この日本学術会議の異例ともいえる"勧告"を皆様は、どう考えますか。DNDネットワークを通じてご意見を頂戴しました。公表についてご本人の了解(匿名希望を含む)が取れたものに限ってご紹介します。



◇【安藤晴彦氏】日本学術会議の本音が見え隠れ


この話は、年末の新成長戦略骨子の段階で「科学・技術」とあって、事実上、勝負ありだったのではないでしょうか。ちょうど、「世界一でなくてはいけないのか?」という「事業仕分け」で、スパコンがやり玉に挙げられ、研究コミュニティの危機感が異常に強まったときと一致しています。ノーベル賞学者が勢揃いして、あたかも圧力団体のように声高に叫び、さらには「歴史の法廷に立つ覚悟・・・」云々という傲岸不遜な発言も飛び出しました。プロジェクト管理のお粗末さを棚上げした発言には、「最高責任者として何を研究マネジメントしていたの?」という率直な疑問が湧きました。そもそも、思惑の違う民間企業3社を、4桁の豊富な予算で、言い換えると、札束で顔をひっぱたいて、付き合わせていただけではないのか、と感じた次第です。


元に戻って、この「中ポツ」の狙いは、極めて政治的でもあります。旧科技庁は、科学技術=science-based technologyであって、そのため、旧科技庁の官僚が差配する予算では、基礎研究が無視され、仕分けされる一方で、出口指向が強制されるのではないか、という研究者サイドの被害者意識と怨嗟の思いが底流にあります。自分たち優れた研究者が行う研究は、官僚や、ましては一般人には理解できないのだから、余計な口など出さずに、予算をつけて、「自由な発想の研究を、好き勝手にやらせろ」という、思い上がりにも似た感情があります。しかし、これは、前述の傲慢発言と同じ発想です。


science and technologyを表記するのに科学・技術にするという話は、表向きはきれいですが、その狙いは、科学と技術を分断して、科学を聖域化するというものでもあります。財政が厳しくて、いろんな予算が削減されていますが、それとは無関係に基礎研究費だけはふんだんによこせという話です。


更に根が深いのは、欧州の大学は、science志向で、technologyというのは一格下にみられています。日本でも、この見方が根強く残っていて、理学部は崇高で、工学部は卑しいというものです。日本では、文系・理系が分断され、さらに、理系の中でも、細かく専門分野が分断されている「たこ壷状態」にありますが、これこそが、新たな発想で、分野融合的・分野横断的に取り組む斬新な研究を阻んでいたりします。


横道にそれましたが、忘れてはならないのは、血税を使って研究するということの「重さ」です。自分のお金や、賛同する企業や財団や私立大学のお金で研究するのは、まったく自由で、好き勝手にやってもらっていいですが、国費を使う以上、国民に対して、わかりやすく説明する必要があるはずです。それが血税を使う責務ではないかと思うのです。


科学技術コミュニケーションを重視していこうという流れで、3000万円以上の国費を使う有力研究者は、母校の小学校・中学校や地元の図書館でもいいので、自分の研究を国民のみなさんに伝えてくださいという方針が決まりましたが、研究コミュニティからは、「研究時間は貴重なので、素人などに話す時間はない」「子供たちに説明した経験もないし、不安だ」といった本音がちらつきます。これは、自分勝手に研究はしたいけれども、説明責任など、考えたこともないし、経験もないということの現れです。傲岸不遜な反面、他人に伝える能力を持たないというのでは、社会人としてどうなんでしょう…(もちろん、子供に伝えるということは、本当に大変なことで、難しいことを、わかりやすく、たのしく伝えるというのは、簡単ではありません。でもその努力をして、何回も経験することで、日々研究している難しいことを、基本に戻ってシンプルに考えてみるという、よい自省の機会になるはずです。)


日本学術会議の主張は、穿った見方をすれば、総合科学技術会議の代わりに自分たちが科学・技術を仕切りたいというようにも感じられます。「内閣特別顧問を常設化して、自分たちを総理のサイエンスアドバイザーにしろ」といったり、「科学・技術に人文を含め」といったりするところに、「学術は俺たちに任せて、素人役人や総合科学技術会議はあれこれ口出すな」という本音が見え隠れするように感じます。少しだけ、弁護するならば、日本学術会議は、これまで、所管省庁が転々とした継子状態でしたので、このままでは自分たちが早晩「仕分け」られてしまうかもしれないので、反転攻勢しなければという思いが底流にあるのかもしれません。あくまで推測ですが。



◇科学・技術―のナカポツの提言には賛同
【東京大学産学連携本部副本部長の山城宗久氏】


〜1.科学・技術について
 私自身は、科学技術という用語は、素直に、science and technology だと認識してきました。旧科学技術庁をSTAと呼んでいましたが、このSとTもandで結ばれていたと思います。科学者コミュニティの方々からすると、科学が技術の修飾語としての位置づけしか与えられていないように読めるんですかねえ。いずれにせよ、結論として、science and technologyという趣旨を明確に表現するために、間にナカポツを入れるという提言には賛同できます。


2.人文・社会科学について
 従来、施策の対象に入っていないということを知り、驚きました。施策の対象に加えるという提言に賛同します。ただ、改正案において、「基礎科学の推進」と「人文・社会科学の推進」が並列になっていることには疑問を感じました。人文・社会科学には、基礎科学に該当する領域はないのでしょうか。また、これら2つの「'〜科学'の推進」という項目と「'開発研究等'の推進」という項目の並べ方にも違和感があります。たぶん、後者を'技術'開発の推進に相当するものと位置づけ、前者を'科学'の推進に位置づけたいという、1.の論点に通じる思いが表れての表現だろうと推察しますが、概念整理が不十分な感じがします。まあ、法制化される段階では、政府部内の法制関係者による厳密な詰めが行われるでしょうから、杞憂ですが〜。



◇「科学・技術」といっても、どの程度基本が理解されるか?
 前の日本学術会議の会長で、在任中自らの定年制を敷くなど次々と改革を進めた【黒川清氏】


〜この件ですが、二つはとても違うものです。いつも「科学」と「技術」はまったく別物ものだと主張しているのですが、「うわさ」では、「企業の研究者」には、これが以外に区別されていたということも聞くところです。英語にしてみましょう。科学=science、技術=technology 「scientific technology」など等言葉を聞いたこと、見たことがありますか?


次に工学のことも考えてください。これは英語ではなんでしょう、たぶん「engineering」ですね。事実、歴史的には大学「University」で工学部が出来たのは世界で東大が最初ということも言われます。School of Engineeringですね。なぜか?ここも大事なところです。産業革命以後の英国を見た、ドイツを、フランスを見たのですね。では、大学はどこのシステムを「まねた」のでしょう。では、日本では科学者はなんと言うでしょうか?scientist でしょうか?


では、技術者は?technician? (これはいやなのでしょうね)、technologist?


では、engineerは?日本で一番頻繁に使われるのは「エンジニア」、「技術者」、「技師」です。ところで、engineering に対応する日本語は何でしょうか、「工学」、「エンジニアリング」です。technicianは?「技師」、ついで、「テクニシャン」です。「技術者」は使わないのかもですね。「technology」の日本語は、「技術」、「テクノノロジー」、ついで「科学技術」です。


では、「technology とengineering」の違いは何でしょうか?一番多く使われている「ふし」は、日本語では「工程」、では、何でも言いかえれらる「便利」なカタカナのない国「中国」ではなんと言うでしょうか?「工程師」が一番多いようです。中国語では;technology=「技術」、ついで「工藝学」です。engineerは「工程師」、「技師」です。scientistは「科学家」、scienceは「科学」、「理科」、ついで「学術」です。この辺に基本的な問題があると思います。(中略)。


じつは、戦後の成長を支えたのは大学卒の「工学士」、「技術者」というよりは、中学、高校、専門学校出身の「技術者」が、苦労しながら人を育て、部長になるなどしながら、汗にまみれて作り上げてきたのです。1945年ごろの大学進学者は3%、60年で10%、なのですよ。「科学技術」は明確な誤りですーこれに対応する英語など聞いたことがありません。「科学・技術」といっても、どの程度基本が理解されるか、ここが課題ですね〜。



◇「技術なくして科学なし…」
 東京科学機器協会の要職にあり長年先端のモノづくり現場をサポートしてきた【田中科学機器製作(株)相談役、下平武氏】


〜私の意見は、かつては科学と技術は分けるべきでありましたが、今は総合科学・技術会議の結論とは反対に分けなくてもよいのではないかと考えています。


例えば先般来の『はやぶさ』は科学か技術かと言われれば、部分的に科学(地球の生い立ちを探る、という目的など)ですが、多くは技術力の塊による成功と言えます。技術なくして科学なし、相互依存関係があると思います。出口或いは産業志向の研究に偏る心配は分かりますが、出口がダメになると科学どころではないという心配も出てくるでしょう。それが危機感を誘っていると思います。科学機器業界も困ります。我々の製品は科学と技術の両面性を持ちますが、昭和の初めから『科学』が冠せられ(それ以前は『理化学』)、戦後は日本科学機器団体連合会の名が示すように『科学機器』です。『技術機器』という名詞は辞典にも載っていないと思います。当社の社名も同様です。


第3期科学技術基本計画で"イノベーション"が掲げられたときが事の始まりかと思いますが、確かにイノベーションには多分に実用的な意味が含まれていたと思います。現状のJSTはかなりイノベーティヴです。それが悪いと言って,純粋に『科学』を標榜するのはかなり難しいことではないでしようか。政策をそちらに向かわせないと予算が難しくなるというのは分かりますし,政治家にももっと遠くを見てほしいという気持ちも分かりますが,"自分たちは科学であり技術とは別物"という主張は出来にくいのではないかと思います。


第4期科学・技術基本計画からイノベーション色を抹消する意図はないと思いますが、呼び方だけ変えてもあまり実効はないと思います〜。



◇【匿名希望A氏】基礎研究を重視せよ、への問題
 問題は言葉の定義です。この時一番の問題は「基礎研究」の定義になります。大学では工学部、農学部、医学部などの教員は「自分たちは基礎研究をやっている」と思っています。ところが学術会議は「基礎研究と応用研究」とをはっきりと分けており、「なにかの役に立てようという意識のある研究を応用研究とする」と定義したいとしています(フラスカティマニュアルに従う国際的定義と学術会議は考えたいとしている)。


そして「基礎研究と応用研究はともに基礎科学を推進する」としているところは良いのですが、最後にどうなるかというと学術会議は「基礎研究を重視せよ」という言葉だけになってしまうという問題です。すなわち、理学部養護の立場であり、学術を盛んにせよ、応用研究はこの程度でよい、と言う立場と考えられます。



【連載】橋本正洋氏の『イノベーション戦略と知財』の第28回は、「科学と技術とイノベーションその3」。橋本さんも私の呼び掛けに呼応するように日本学術会議の勧告に関連した内容に言及していただきました。


〜日本学術会議が、科学と技術の峻別について、一石を投じました。今回は、出口俊一オーナーのご希望により、科学→技術→イノベーションの三層モデルの要素である、「科学」、「技術」の意味をはじめとする言葉の意味と内容について考察します、として以下のようなご意見を寄せています。
(中略)
「科学者と技術者」
 科学と技術を担う、「科学者」と「技術者」は、日本では、理学部卒と工学部卒との違いに相関して対比されているようですが、これは適切でしょうか。大学の学者と議論していると、「彼は理学部だから」「私は工学部出身なので」という言い方を聞くことがあります。理学は、純粋科学で、工学は応用科学であり、純粋科学は理詰めで研究を進めるが、応用科学は現実世界を重視して、理論が後からついてくる場合があることは事実です。一方で、理学部出身者は理論にこだわると言うことでしょう。また、この純粋か応用かとの理解であれば、いずれにしろ、理学部出身も工学部出身も学者であれば「科学者」であって技術者ではありません。これは国際的にも正しい認識です。とすれば、技術者とは誰のことでしょうか。科学者ではない技術者といえば、産業の現場にいる技術者ということになります。技術は経済学の用語でもあり、財を生ずる元にもなります。科学はかならずしもそうではありません。技術及び技術者は、その背後に産業という概念含んでいます。医学で言えば、医学そのものは科学ですが、医療にかかる技術は医学を元にした技術、ということと考えると わかりやすいでしょうか。
(中略)
「最後に」
 更に日本的な例題に、「文系」と「理系」があります。これは法学と工学、経営学と医学などを修めたダブルディグリーの人はいくらでもいる米国ではほとんど意味のない議論です。MBAへ進学する人の多くは理学部、工学部、医学部出身です。


いずれにしろ、科学と技術の違いを論ずるよりは、科学政策と技術政策の違いを論ずる方が遙かに有益であり、そうしたことをやってこなかった日本の科学技術政策の矛盾が最近露呈している様な気がします。


日本学術会議の提言は、こうしたことを背景に、国力の基礎となる「科学」振興の在り方に強い危機感を示したものなのでしょう。


なお、技術者への不当な扱いは致命的であり、それが工学部・工学系大学院の増員という一見正しい政策から生まれたとすると、それは不幸なことです。 (略)
※詳しくは、本文をご覧ください。


いかがでしょうか。新聞情報だけでは読み解けない奥深い背景が見え隠れしています。はからずもいささか厳しい内容になってしまいました。この項にご意見があれば、お寄せください。


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