◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2010/07/28 http://dndi.jp/

新連載『大学発ベンチャーの底力』への期待

・米国シリコンバレーで起業の氏家豊氏の確信
・口蹄疫終息宣言とEM効果の現場報告
・塩沢文朗氏の「舌鋒鋭く世相を斬る!」
・石黒憲彦氏の「サービス産業を成長産業に」
・山城宗久氏の「宮崎大宮高の後輩がやってきた」 

DNDメディア局の出口です。いやあ、尋常ならざる炎暑というべきでしょうか。一歩外は日差しが頭上を直撃するから心細い髪なんか、ぼわっと焼け焦げてしまえばいい、と効き目が薄い育毛剤に少々恨み節。そんなやけっぱちな暑中のお見舞い。そうはいっても太陽の恵みは得難い。青空を見上げてわくわくするのは、梅雨明けを待っての梅の三日干しでした。


梅干して人は日陰にかくれけり     中村汀女





ふく郁たる梅を白梅酢の甕から大ザルに並べて天日にさらすこと3日間、家中が梅の香りで匂い立ってきます。炎天で熱し夜露で冷ます、昼夜その繰り返し。今年はさらにいい塩梅です。長年梅干しを漬けると、毎回新鮮な驚きがあります。梅雨明けの3日間は約束事のように晴天続きで夜は無風、そして夕立の気配すらないという事実と、朝日が昇れば蒸発するものと思い込んでいた梅に付着した露の玉は、逆に梅の中に吸い込まれているのではないか、という不思議な浸透現象に気付いた。本当か、どうか定かじゃない。が、私にはそう思えた。朝日を浴びる露の玉は、キラリ輝く小粒の真珠のようでした。熱中症対策には、こまめな水分補給と梅干しのひとかじりがあれば、大丈夫らしい。



◇新連載、氏家豊氏の『大学発ベンチャーの底力』スタート
 さて、久方ぶりにDND連載の新たな執筆者をご紹介いたします。シリコンバレーでご活躍のSBFコンサルティング代表の氏家豊さんです。特筆すべきは、99年春、日本企業と米国のベンチャーを結んで米側の技術製品や事業開発の面における戦略的なアライアンスのために会社を辞して家族で渡米し、今日のSBFを創業、国際的なネットワークが支えとなった、という。得意とするのは、あくまで実践に即した経営感覚で、「いかにしてその実態に即した各論を組み立てるかの対応力」と述べているように、課題がクロスした場合の問題解決力はプロの凄味を感じさせます。


DNDで『産学連携講座』を担当された東北大学大学院教授の原山優子さんらと昨年夏に『産業革新の源泉』(副題:ベンチャー企業が駆動するイノベーション・エコシステム)をあらわされています。いわば、日米のベンチャー起業の本質を知る論客であり、ハイテクベンチャーの応援団を自負されています。


DNDとの出会いのきっかけは、なんと氏家さんがご自身でDNDユーザー登録をされ、偶然に11111番目の記念の人になったのです。お会いしてみるとタフな面持ちながら繊細で真摯な人柄が気に入りました。東北人の個性ともいえる優れた現場感覚と本質を見抜く力に感服した次第です。


タイトルは氏家さんご自身が考案されました。『大学発ベンチャーの底力』、日本の明日を展望するような力強さを感じます。本日、その第1回の原稿「チャンス到来:日本企業、大学発ベンチャー」をサイト上にアップしました。どうぞ、ご期待ください。ご意見並びにご要望をお待ちしています。 

以下は、その書き出しです。

「この度、本コラムの連載をさせてい頂きますSBF, Inc.(SBFコンサルティング)の氏家豊です。この連載の歴代執筆者の何人かはよく存じ上げていまして心強く感じます。また以前から、6-7年に亘って日本経済新聞ネット版に米国技術・ビジネストレンドについて毎月執筆したり、ベンチャー、イノベーション等のキーワードで他にも書いたり話したりする機会も結構あります。ただこの度は、読者の方々に鑑み、書き出しで少し考えをめぐらしていましたら、事務局の出口さんから、『あまり最初から飛ばさなくていいから。カリフォルニアの雰囲気なども出して・・』との言葉を頂きました。タイトルは『大学発ベンチャーの底力』としました。二つの含みがあります。大学発ベンチャー当事者の皆さんへのエールという意味と、彼らにある意味で対峙する日本の大手・中堅企業でイノベーションを担っている方々へのメッセージです」という。


大手企業とベンチャーの相関をどうとらえるか、大企業と新興ベンチャーのコラボレーションはどのように進めればよいのか、それらの難題をシリコンバレーのベンチャー企業の発展の系譜から我が国の大学発ベンチャーの将来的な発展の見通しを読み解くという野心的な内容に仕上がっていくことを期待します。

【氏家さんの主な略歴】
 1956年6月生まれ、東北大学経済学部(マクロ経済理論)卒後、日本の大手証券会社に入り、主に法人関連のいわゆるインベストメントバンキング業務に従事。米国ベンチャー企業とのシステム型資産運用面の企画・提携、系列シンクタンク、投信ファンド運用部門での企業分析と資産運用、株式公開・M&A・新興成長企業の発掘、その資金調達引受などの業務を行う。
 これらの過程で、米国カリフォルニア州政府や同地域の代表的企業との接点を築き1999年4月、シリコンバレーに移り、その中核都市パロアルトにSBF, Inc.を設立して独立。日本企業向けに、技術・製品開発、事業開拓面のサポート業務を行う。最近はIT・エレクトロニクスの応用領域としての環境・エネルギー、医療・ヘルスケア分野に注力し、日本経済新聞ネット版のライター(米国技術・事業トレンド)、日本の複数地方自治体の海外アドバイザーなども歴任。事業・産業イノベーションに関する委員会・講演活動、関連の論文も多数。


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◇宮崎県の口蹄疫終息宣言と比嘉氏のEM効果の現場報告
 宮崎県の口蹄疫問題は、家畜の移動や搬出制限、外出の自粛などを求めた非常事態宣言を全面解除し、約3ケ月ぶりに終息に向かう形になりました。今後、県は感染した家畜の排せつ物の処理を急ぐことになる、という。殺処分された家畜の合計は約29万頭に上りました。


そこでの教訓は、種牛の殺処分や防疫の方法をめぐって県と国が対立して意思決定が遅れ感染をみすみす広げてしまうという重い反省やワクチン接種に伴う殺処分の法の欠陥、未感染の家畜の殺処分に関する法的規定がなく、農場の同意に頼る問題が浮き彫りにされた(読売27日付3面)。


中でも問題は、埋却地探し。肝心の埋却が遅々として進まないために爆発的な感染を招いた(読売)というほど。「県も業者も四苦八苦した。感染が多発した県東部ではほとんどの養豚農家が自力で埋却地を確保できず、殺処分の日程が遅れる大きな要因になった」と指摘する。農家の人たちは、この痛手と失意にあって、さらに埋却地を探さなければならない窮地に追い込まれていった。周辺の同意が必要という困難がつきまとった。こんなのおかしいよね。感染が拡大したかもしれない。国が国の責任で埋却地を確保すべきだった。「すみやかに感染を防ぐ手立てをすべきだ」という遠吠えのような発言は、なんの役にも立たない。


現場で何が起こっているのか、誰が動いていたのか。その辺がなかなかクローズアップされにくかった。メディアも立ち入り制限区域に踏み込めなかった。難しい取材を余儀なくされた。それでも地元、宮崎日日新聞や西日本新聞は連日大車輪だった。


埋却が遅れると、殺処分した牛や豚が累々と積み上がり周辺は悪臭が充満していた。そんな劣悪な状況で何が起きているのか、と想像をたくましくするしか手がなかった。やはり現地に行かなくては書けないなあ、と諦めていた。個人的には忸怩たる思いがありました。


比嘉照夫氏が、『甦れ!食と健康と地球環境』の第30回「EM技術による自前でできる危機管理」の項で、比嘉氏の指導を受ける県内の近隣のボランティアが、県や地元の自治体職員と力を合わせて汗を流していたことが明らかにしました。私は、この原稿をある種の感動をもって読みました。この間、EMへの批判があったからです。地獄絵図のような現場を知らず、冷房の利いた部屋から、ひとりよがりの批判を正義と取り違えるのは、罪つくりじゃないかしら?


比嘉氏は、その原稿の冒頭で、問題は殺処分された大量の家畜の埋却処分場で発生する悪臭と二次汚染であった、と書いた。比嘉氏が現地に入っていたのです。比嘉氏の確かさは、常に現場に身を置きながら、苦境にあえぐ農家の人らと向かい合っているという事実です。少々、引用します。


〜公的に了解をもらい、宮崎県新富町を中心にEM活性液の散布を実施した。5月30日のことである。散布後、72時間経過した6月の2日に、私(比嘉氏)は町の担当者と一緒に現場検証を行ったが、近隣から苦情があった悪臭は完全に消え、噴火の如く吹き出ていたガスや血液の発生も止まり、重機のオペレーターもマスクを外して埋却作業を続けていた〜


と、その凄惨な状況がEM活性液の散布で鎮静化している状況を説明していました。EM技術が宮崎県内で多く活用され、その効果を上げていたのです。できることなら、お願いして取材に同行させてもらえばよかった。それにしても噴き出していたガスとか、血液の発生というのは生々しい。


どんな作業を行ったか。EM研究機構と町の協力で1日10トン以上のEM活性液を培養する増殖タンクを設置し、EM研究所の協力を得て6月4日から本格的に準備、宮崎県のEMボランティアの協力を頼み、前に報告した「えびな方式」を実施した、とあります。いみじくも政権交代で、EMの各省の受け止め方に変化が起きている、という。いい傾向です。詳細は、本文をお読みください。


比嘉氏は、EMを生活化する、地域の住民がEMを空気のように水のように活用する、そんな風に町内で「EM生活」の仕組みを作り、役所とボランティアが日ごろから連携していくところに「ある意味で家庭の危機管理の最上のものであり、地域のそれであり、さらには国家の危機管理にも直結する」と喝破されていました。


EM活性液を米のトギ汁で、糖蜜や果物ジュースなどを加えて自前で増殖させる。1リットル2000円の活性液を1000倍に増やし、さらに増やしたものを200倍から1000倍に増やして使うため、1リットルから最終的には20トンから100トンの活性液を培養することになる、という。密閉式のタンクが必要なのですね。ふ〜む、ここがミソだ。中古でもいいと、書いてありました。凄い話じゃないですか。


記事には、現地で撮影された2トンプールやタンクが並んでいました。二時感染を防ぐため、感染した農家の排せつ物を微生物で処理する方法がとられているという。今朝のテレビでも排せつ物を分解する微生物の働きに期待が寄せられていた。シートをかぶせて発酵させ60度以上の温度になるとウイルスは死滅し、それらを肥料としての活用も可能という。これをEM技術で実現している。


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◇塩沢文朗氏の「舌鋒鋭く、世相を斬る!」
【連載】は、塩沢文朗氏の『原点回帰の旅』の第67回「軽薄な都会と『おごっそう』の山里』。いやあ、そのタイトルは、なんとものびやかな響きだが、それはカモフラージュで本題は舌鋒鋭い。これを塩沢さんは「暑さの八つ当たりコラム」とするが、案外、本音が潜んでいる場合があるから心して読まなくてならない。

タイトルは随筆風だが、書き出しは「世相を斬る」感じの論評という2部構成です。グリコのアーモンドキャラメルの宣伝文句じゃないが「ひと粒で2度美味しい」とはやや時代モノでしたね。キャラメルの味ながら食べていくとアーモンドの粒々が香ばしく口の中でくだけていく、それだから2度おいしい。解説は野暮でした。塩沢さんとは同年代なので…。

その論評。金賢姫の訪日の国賓級の接遇への疑問、来年度予算編成にあたっての菅政権の目玉となる「1兆円相当程度を超える」という「元気な日本復活特別枠」をいぶかる。その怒りの矛先は、農産物にカーボン・フットプリント(CFP)をという奨励政策への異論。「もっとおかしいと思うのは、使用した肥料、農薬を生産する際に排出されたCo2量はCFP量に加算する一方で、肥料、農薬によるCo2排出削減効果はまったくカウントしていない」とその矛盾を突く。

本題の「おごっそう」の山里は、NHKが「小さな旅」で取り上げた山梨県芦川地区のことでした。熱くなった頭を信州の冷気でさます、というしゃれはこの人らしい流儀、避暑に行く途中にふと回り道してこの里に足を運んでいました。どうぞ、つくりたての素朴なこんにゃくの風味をこの随筆から嗅ぎ取ってみてください。


◇石黒憲彦氏の「サービス産業を成長産業する取り組み」
【連載】経済産業省商務情報政策局長、石黒憲彦氏の『志本主義のススメ』は第146回「サービス産業は成長産業たりうるか?」。石黒さんのコラムを読んでいると、経済産業省がいかに我が国経済の成長に腐心しているかが分かります。前回は連続して医療介護関連産業を成長産業とするための方法論を提示しました。

そこで我が国の雇用の中心が製造業からサービス産業に移行し、すでに7割に達している。が、サービス業の雇用所得は445万円で製造業の515万円に及ばない。この辺のデータ処理が分かりやすくうまい。サービス産業を稼げる産業にするには、と問題提起しその処方に言及しているのです。

まず、製造業のお家芸とされていたQC活動などがサービス産業でも有効であることは実証済みという。小見出しにある通り、「サービス産業のムダムラムリをなくせ」。重要な事は、と前置きして「お客様には見えないバックヤードの部分を徹底的に合理化する一方で、その余力をお客様に見えるフロントヤードのサービス、つまり『おもてなし』につぎ込んで差別化する、という発想を述べ、サービスで有名な加賀屋の例を紹介していました。

次に、ここでもグローバル展開を指摘。新興国も魅力的な消費市場と捉え、45ケ国400万人の生徒を抱える公文式教育研究会の成功事例、クロネコヤマトの宅急便が狙う中国市場など、グローバル展開を支援していくことが「成長戦略の一つ」と言い切る。

ただ、そこでの課題は、製造業のケースと同様に現地で要求されるサービスの品質と価格のバランスをどのようにとっていくか。それを日本の品質とローカライズという言葉で表現していました。

これらとても示唆に富んだ内容で、サービス産業の成長や向上を意図していくと、製造業のあるべき姿も捉えていたという、実に表裏、合わせ鏡のような相関に驚かされました。


◇宮崎県立宮崎大宮高校の生徒ら山城先輩を訪問
【連載】は、東京大学産学連携本部副本部長の山城宗久氏の『一隅を照らすの記』は第25回「金曜日の君たちへpart2」。先週、宮崎県の県立宮崎大宮高校の1年、2年の生徒ら一行27人が、東大に山城さんを訪ねてきたそうです。山城さんは、この宮崎大宮高校のOBなのです。さしずめ、現役の生徒にすれば、先輩訪問というところですね。

山城さんが後輩に人生指南を買って出た、という。自らの生い立ちやなぜ通産省に入省したのか、などを中心に語り、生徒からの質問にも答えたという。今の高校生へのメッセージも細かく紹介されています。その中で、大学時代にやっておくべき課題が、海外を旅する、内外の古典を読む、歴史、とくに日本の近代以降の歴史を学ぶ、というところを指摘し、やさしい先輩ぶりを発揮したことがよく伝わってきました。


◇    ◇    ◇


【御礼】
 入院中の父は、お陰で薄紙を剥がすように日々快方に向かっております。前回のメルマガに対しては、多くの方々から励ましのメールやご連絡を戴きました。数人の方が、ご自身の貴重な体験を語って勇気づけてくださいました。この場をかりて御礼を申し上げます。ありがとうございました。

ただ正直申せば、ほぼ毎日看護にあたる家内に比べてひと晩ふた晩の寝ずの番で私は疲労困憊していら立った。深夜、父が無意識に体の管を抜こうとする。それを盛んに繰り返す。その度に、叱るように声を荒げてしまった。なぜ、やさしくし接することができないのだろうか、と自身の不甲斐なさにあきれた。しばらくやるせない気分にさせられました。

いまは落ち着いて、少しわかってきました。ベッドのそばで体をさすりながら昔噺を聞かせています。夕張の時は、店の棚の奥にビンズ詰めの栗のシロップ漬けがあったよね、あれ、こっそりいただいた。釧路駅の和商市場の裏の公園で食べた茹でたてのカニは旨かった。ピクニック気分でね〜って、なんだか食べる話ばかりで恥ずかしいが、思い出すのでしょうね、静に頷きながら目元にうっすら涙を引く。早く元気になって、と叫びたい気持ちです。

私たち夫婦ばかりじゃない。みんな、表だって私みたいに口にはしないが、それぞれが命がけで親の介護や看護に専心されている。今回、あらためてそんな現実に気付かされました。

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