DNDメディア局の出口です。上海から再び福岡へ。帰りのフライト時間もほ ぼ1時間40分でした。その機上のまどろみの中で、この数日間のさまざまな出 来事を思い起こしていました。上海から北西に車で500キロ走ると、そこはタ イムトンネルで昔に引き戻されたような昭和30年代の日本の原風景でした。猛 スピードで変貌する都市と、恐ろしいほど動きが鈍い農村を時計の針にたとえ れば、同じ文字盤上の長針だけが加速しているように見えます。近未来と過去 が同居する、今の中国の断面を紹介しましょう。
まだ戸外は暗い早朝6時前、上海市郊外から高速道路に入りました。新しく 整備された片側4車線の北京道路だという。ここはどこ?と聞くと、案内人の 李堅真さんは、庭園や木造建築が美しいとされる蘇州という。やがて運河がめ ぐる水郷の町・無錫を過ぎるとようやく東の空が白み始めました。車窓の左右 に巨大なクレーンが林立しているのがみえる。夥しい数の高層マンションが一 気に建設中でした。凄い勢いだ。
写真:高層マンションの建設現場
途中、ドライブインで休憩をとりました。大きな敷地にトイレ施設や休憩所、 それにフルーツや軽食を売る24時間営業の店がありました。若い女性店員にカ メラを向けると、こぼれそうな笑顔を見せてはにかんでいました。ネットに入 ったミカンを買いました。小粒だが味が濃く甘い。車内に甘酸っぱい香りが広 がっていました。
写真:24時間営業のドライブインで、フルーツが売られている
さて、そこからさらに西へ。延々と続く農村地帯、水路が真っすぐ東西に延 びているのがわかる。古い石造りの家が7−8件並んだ集落も見えます。あれは、 太陽光発電か、と李さんに質問すると、いや、あれは太陽熱を利用した温水器 だという。どこの古びた家でもその南側の屋根に一見ソーラー風の温水パネル が設置されていました。政府が助成して設置を奨励しているらしい。どこの家 にもある。それが太陽に反射して一瞬光ります。凄い数ですから、まぶしいく らいでした。
写真:長江を橋の上から望む。画面右は造船所
これからまもなく長江を渡ります。別名、揚子江は下流部の呼び名らしく正 式には長江という。車のフロントに白い大きな橋がみえてきました。対岸まで 5−6キロはあるらしい。体を乗り出してみると、航行中のタンカーや船が幾隻 も内陸方向に波を立てていました。遠い昔から水上交易の中心だという。その 悠久の流れ、滔々たる大河は、まだ朝靄の中に烟っていました。
車は2台。先頭の車には、熊本の「オーシャンエナジーテクニカ」社長の横 山高明さん、取締役で現地駐在の李堅真さん、それに運転手と私、後続の車に 「日本―ロシア・チュバシ共和国友好協会」の会長で実業家の田村文彦さん、 専務理事でジャーナリストの柴田敏雄さんで、そのことはこのメルマガの前半 でも紹介しました。
写真:トヨタの愛車のそばで、お世話になった李さん
何度か、ドライブインで休憩し、スタンドでガソリンを補給しました。時計 はもう11時近い。ざっと5時間も走っていました。やがて石材店が数百と軒を 連ねる江蘇省の中央にある街に入りました。
そこは工場団地でした。天井の高い倉庫のような工場がひしめいている。横 山さんが、ここの工場のオーナー経営者と取り扱い部材の委託契約を結び、新 たに新商品の開発をもてがけようという考えでした。
工場を持つ経営者はエンジニア出身という。新製品に関する図面や特許関連 の書面をみせながら、その締結の快諾を申し出ていました。横山さんは李さん の通訳を介して、今後、相互の信頼に基づいてアライアンスを締結したい旨を 率直に伝えていました。そして、両者で新たな製品開発を進めるための研究所 の設立が議題にのぼっていました。今後細目を詰めることで基本的に合意し、 固い握手を交わしました。その後、生産ラインの現場や製品の展示室、そして 社員の作業風景も見て回りました。さて、これからどんなドラマに展開されて いくのでしょうか。
また生産を止めている機械設備が整った工場を是非、見てほしいという要望 を受けて再び、移動を開始しました。そこは、工場経営者の故郷ですぐ近くと いうのですが、猛スピードでどんどん郊外へ。細い川が縦横に流れており、ゴ ミが散乱する川に朽ちた舟が幾隻も捨てられていました。車は、砂埃を巻き上 げながら、さらに農村地帯に入り、右に左に曲がりくねった道を走ること約1 時間も。工場群は、とてつもなく広く約2万坪はある、という。その工場の概 要や設備の説明を聞きました。すぐにでも大量に部材の生産が可能だ、と言い たいようでした。が、休業状態の工場は埃をかぶったままで機械も錆びが目立 っていました。
そこで、お昼を食べようという。工場のオーナー社長の案内で辿り着いた先 には、まあ、なんとも懐かしい昭和時代の風景が再現されたような寂れた農村 の一角でした。十数軒の店が軒を連ねていました。この辺りが唯一繁華な通り のようでした。
写真:郊外の農村はタイムスリップしたような長閑さでした
食堂は2階建で、1階ではすでに2組の家族らが手前と奥の円卓を囲んで華や いでいました。大人も女性も子供も、お年寄りも若者もテーブルにぎっしり、 6〜7人かげのテーブルに15人は席についていたのではないか、と思うほど、隣 同士がスクラムを組んでいるように見えました。次々と湯気を上げて運ばれて くる鍋料理や大皿に、子供らが目を輝かせていました。喉がゴック!旨そうだ。 鍋を運ぶ女性店員の動きも機敏で、店全体にエネルギーが満ち溢れている感じ でした。食へのこだわりと旺盛な食欲が、ふ〜む、中国の活力の源なのかもし れません。
一行は、2階の個室へ案内されました。ここは工場オーナー生まれ育った村 らしく、村一番の成功者で周辺から羨望の目で見られていました。ポケットか ら煙草の箱を取り出して、回りの人に1本ずつ勧めていました。どうも、これ が目上の人の思いやりの表現らしい。これまで何回も煙草を勧める。僕のポケ ットにすでに2本入っているので、これ以上は、とお断りした。吸わないなら 吸わないので遠慮しますと、最初から言っておけばよかった。
そこの料理は、このメルマガのクライマックスにしていいほど激しかった。 産地のレンコンの酢漬けやピータンとベーコンの和え物、キュウリのサラダな どから始まって、アヒルの肉と餃子が入った熱々のスープ鍋がドーンと運ばれ ると、豚肉と青菜の炒め物、地鶏とクワイの煮込みと続いて、次はおやっと思 って眺めてもなんだかわからない。これがナスの甘辛煮でした。絶品でした。 どうしてこんなふくよかな滋味が醸し出せるのだろうか、とその食感がいまだ に忘れられない。完全に脳をやられた感じです。前日にホテルで食したキノコ のソテーに近い味でした。
写真:絶品はナスの甘辛煮
そしてコンロ台の上に豚バラとキャベツの回鍋肉風の料理、アヒルの肝臓と 豆腐の炒め物、ウサギと野菜の煮物、トウモロコシや紅芋の蒸し物、そして特 別にスッポンのスープが加わって、なんだかわからないがニンニクに赤トウガ ラシ、シャンツァイ、薄切り玉ねぎのこってりしたソースで長時間煮込んだ感 じの謎の料理も飛び出して座は多いに盛り上がりました。上海蟹は最後の締めでした。
写真:料理は、どれも熱々で美味しい
お酒は紹興酒をやかんで湧かした豪快なものでした。いやぁ、あっという間 の2時間でした。これでもかあ、というぐらいの品数と量でした。それでもせ っかくの料理を随分と残してしまいました。これが病みつきにならなければ良 いのですが〜。
席上、なんども乾杯をしてお互いエールを交歓しての楽しい食事でした。午 後2時過ぎでした。この店のオーナーが挨拶に見えました。はちきれんばかり の赤ら顔で、まだ若く健康そうでした。その足で帰り際に、1階に降りると、 さきほどのテーブルには骨の髄まで食したような見事な平らげ方で、完食して いました。凄いね、そのパワーも。
写真:やかんで湧かした紹興酒で乾杯。右から田村会長、横山社長、そして筆者
外に出ると、横山さんが面白い売り方をしている店がある、と、食堂の並び の角の店まで連れて行ってくれました。子供の背丈ほどもある壺に入った紹興 酒で、それが3つ。いずれも1年もので、この壺から少量をはかって売るという。 「珍しいでしょう」というから、「昔は日本でもそういう売り方していたじゃ ないの」と、言おうと思ったがやめた。土佐の高知と、炭鉱の夕張じゃ、昔と 言っても同列に語れませんものね。
それでも珍しそうに壺を眺めていると、店の関係者かどうかわからないが年 頃30歳ぐらいの男が3人、店の脇で僕の方を見ているから、ポケットから煙草 を取り出して、その中の年長者風の男に差し出したら、笑顔で受け取ってくれ た。もう1本を別の男に上げたらはやり素直に喜んでくれた。その調子で3人の 写真を撮って見せてあげたら、3人とも嬉しそうでした。
写真:紹興酒の秤売りの店で、男性3人のスナップ
棟続きの隣の店は美容室でした。丸顔の男が、中年の女性の髪を編むように カールを巻いていました。カメラをむけると、店の人も客もニコリとしたので しめたと思って、シャッターを切りました。見せてあげたら、やはりうれしそ うだった。「謝謝」と2回言って、「再会」と手をあげたらみんな笑顔を向け てくれました。その隣も、その隣も 目があった子供や若者にカメラを向けま した。食堂の店の前では、食事を終えた若い母親が赤ちゃんを抱いているので、 カメラを向けたら赤ちゃんを抱き上げていました。そこへ店のオーナー が姿を現したので、写真を1枚撮った。次回行くとしたら、この写真を大きく 引き伸ばして額に入れて持って行ってあげましょうか。
写真:町唯一の美容室。壁に女優のポスターが貼られていた
なんだか、短い針はじっとして、一向にテイクオフする構えが見えませんで した。でも、いつまで長閑な状態が続くか、こんなところにも私たちが入りこ んでいるのですから、あと10年もすれば、また違ったものになるのでしょうか。 時代から取り残されたこの町が、無性に懐かしく切ない思いにかられていまし た。家族4人がみんな一緒だった幼い頃の自分を思い出していたのかもしれま せん。
写真:母親に抱きあげられた赤ちゃん、子供は宝ですね。
結局、上海は食事と宿泊のみでどこも見てはいません。それなので、空港の 本屋で上海の写真集「shanghai」(写真家・岡田文男氏撮影、上海人民美術出 版社)を買い求め、帰りの機内で、「へえぇ、こんな風になっているんだ」と ひとり納得しながら繰り返し眺めることになってしまいました。
上海といえば、租界時代の欧風建築が並ぶ、外灘(ワイタン)、通称、バン ド。日本を発つ前にNHKの軍司達男さんから、ぜひ、その辺を歩いてみてくだ さい、と勧められたエリアです。その外観が写真集の表紙を飾っていました。 その浦東地区は、眩いばかりの未来都市でした。
シンボルの上海テレビ塔。高さ421メートルを誇る、金茂大厦(ジンマオ ビル)、その後ろに森ビルが建てた超高層ビル「上海環球金融中心」(上海フ ァイナンシャルセンター、101階、高さ492m)が控えている。その夜景は、近 代中国のめざましい繁栄ぶりを象徴しているようでした。最速のリニアモー ターカーも乗っていない。大学の同級生でJICAから在中国大使館に3年勤務経 験がある新井明男さんによると、「でぐっちゃんなら、きっとはまるかもしれ ないよ」と言っていたその"予言"通りです。
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■メディアから見る中国最新事情
「中国の急成長が目覚ましい。国内総生産(GDP)は年内にも日本を抜き、
世界第2位に躍り出る。膨張する巨人の実像を報告する」という書き出しは、
読売新聞27付朝刊一面の「メガチャイナ」の連載で、アフリカ南部のアンゴラ
で計画が進む。中国製20万都市の衝撃のルポです。日々のニュースから中国の
話題がない日がないくらい中国の動向が注目されています。
たまたま昨日夜の私的な懇談の席上、東京大学理事で副学長の松本洋一郎さ んが、わが国の大学の将来を憂いながら、米国立科学財団の報告による米国の 博士号取得者数約5万人のうち、米国人が3万人でそれはしょうがないが、残る 米国以外の海外からのドクターのうち、なんと中国が5000人で断トツ、韓国10 00人、果たして日本は?と問い掛けて300人というショッキングな数字を紹介 していました。
「毎年、中国から物凄い数の留学生が訪れて太いネットワークを築きあげて いるのです。その中で戦わなくてはならない。日本の大学に将来はあるのだろ うか、グローバルなところにもっていけるだろうか、国内の大学が戦ってどう するのか、強い大学同士が連携するという考えが必要ではないか」と問題提起 されていました。至言です。
気になっていたのは、新年早々の『AERA』で、アジア1の商都、上海で活躍 する日本人のMake storyを特集していました。タイトルは「中国で爆走する日 本人」。
子供服のナルミヤ・インターナショナルが08年秋に上海に進出した。上海法 人の野口和則さんは、日本はデフレで安さを追求したメード・イン・チャイナ 製品が溢れているが、中国人は品質にこだわりメード・イン・ジャパンを選ぶ のだという。「中国マネーが瀕死の日本企業の救世主になっている、という。
創業110年目のロート製薬は、上海に「化粧品会社」を立ち上げた。ロート といえば目薬だが、売上の2割は化粧品事業が稼いでいる。上海のブランド通 り、南京西路(ナンキンシールー)にはいたるところに仏ロレアル系列の高級 化粧品の巨大広告があった。上海万博に合わせて通り沿いに8フロアぶち抜き の化粧品売り場が開業する、ともいわれている。
中国進出の「勝ち組」の代表格といわれる資生堂は新ブランドのスキンケア 商品の中国先行発売をぶち上げた。秋葉原の家電量販店「ラオックス」を買収 したのは、中国最大手の蘇寧(スーニン)電気で、次にパイオニアに目をつけ て自社で売る薄型テレビに「パイオニア」のマークをつける契約を交わした。
アスクル社が、セコムが、上海で現地化しつつあるという。アスクルは、当 初、「明日来る」では遅いと指摘されたそうだ。この18日のニュースでは、日 本ヤマト運輸(17位)グループと上海巴士物流が合弁したヤマト・チャイナ運 輸有限会社が、上海で事業を展開するという。
そして、中国が国内総生産で日本をまもなく抜いて、世界第2位に浮上しそ うだという点を捉えて、「ジャパン・アズ・No.3」のタイトルで朝日がインタ ビュー記事を掲載していました。これからの中国の市場をどうみるか−いい企 画でした。こんな話を紹介していました。
ここ数年、中国での売上高が20〜30%増の快進撃を続ける資生堂は、中国で の「勝ち組」の筆頭という。社長の前田新造さんは、その「成功」の理由を聞 かれて、「商品は中国女性に合うよう、肌や髪の研究を重ねた」という。女性 の社会進出で化粧人口が増え、2008年は6千万人だったが、10年に1億人、20年 に4億人になるとみられている。いま化粧品専門店との契約が4500店になり、 上海に美容センターを開いた。「中国の農村部に美容コンサルタント数十人を 派遣し、お化粧の講習や女性のあざや傷跡が目立たぬようにお化粧をする、そ んな支援的な事業も始めた」と語り、日本企業が成長するには何が必要か、と 問われて、「グローバル市場も含め、1人の顧客とどれだけ深く、長く、よい 関係を続けられるかが、肝心だ」とポイントを突く。
データとして、こんな数字を紹介していました。08年の名目GDP総額を平均 レートで換算すると、約4兆5千億ドル。08年の日本の約4兆9千億ドルその差は 約4千億ドルまで縮まった。78年の「改革開放」政策の転換で「世界の工場」 として海外からの投資を促し、経済の停滞から抜け出した。07年まで5年連続 で10%を超える高成長が続いた。07年にドイツを抜いて世界第3位になり、08 年は78年の86倍、01年の2.9倍の規模に拡大し、09年に初めて新車販売台数で 世界一となり、「製造拠点としてではなく市場としても存在感を高めている」 と分析を加えていました。
この連載で私が一番興味を引かれたのは、「TECOT社長の島耕作氏」のイン タビューでした。漫画家、弘兼憲史さんが「モーニング」(講談社)で連載 「島耕作」シリーズの主人公です。初芝電産の「課長」からついに「社長」に 登り詰め、いまなお連載は続いています。とくに「取締役」、「常務」の昇進 の過程で島耕作が上海の現地法人の会長となって活躍し、そこで中国事情が詳 しく描かれているのです。
弘兼さんは、そのインタビューで島耕作に「日本人はアジアに対して『上か ら目線』になりがちです。そんな意識は早く捨て去るべきです。人工も10倍い る中国に経済規模で勝つなんて無理でしょう。一緒に繁栄しようと頭を切り替 えていかなきゃならない」と言わせています。そして、なぜ、島耕作を02年に 上海に赴任させたのか、という質問に対して「現地の情報が日本の本社にきち んと伝わらない。現地の中国メーカーの部品がわが社の製品にも使えるほど品 質が向上している、という報告を本社はなかなか信じない」とか、「日本が韓 国や中国に技術を教えた、という意識が強く、現実が見えなくなりかけていた んです。成功ゆえに目が曇り、内向きになっていた本社に、世界の成長セン ターになりつつある中国の情報をきちんと伝えるための赴任でした」と、その 理由を明らかにしています。
さて、中国事情に話を戻しましょう。「世界の工場」から「世界の市場」へ の進化は多くの富裕層を生んだといわれます。富裕層、億万長者が人口13億人 の1%だって1300万人、5%になるというから日本の人口の半分、6千500万人も の富裕層が誕生している計算になります。それに、驚くことは毎年多くの留学 生が海を渡り、米国での博士号の取得の人数も群を抜く。語学が達者で、世界 にネットワークを広げているから、情報も多く先端技術への理解も深まってい るらしい。人財が陸続と育っていることが、中国の本当の強さではないか、と 感じています。
まあ、中国の成長の要因のひとつに、「政治の安定」がありました。ひるが えって、わが国をみわたすと、なんとも混乱の極みにあり、与党、野党の次元 ではなくここのゆがみを是正しない限り、わが国の再浮上は当面、期待できな いということになるのでしょうか。
■新企画:世界に発信する生産財製品情報サイト「M&E@Web」2月開始
我が国の産業を牽引する先端技術の動きを広く伝える産業情報関連出版の老
舗『工業調査会』の専門誌「M&E」が新装されることになり、2月1日からDND
サイト上にそのスタイルを新たにデビューします。生産財製品情報サイト「M
&E@Web」と呼ぶ『工業調査会』初のデジタルメディアへの挑戦で、いま製造
業こそ新たな対応が求められるグローバル化への"助走"として、わかりやすい
製品情報と分類はもちろんのこと、日本語、英語、中国語の3ケ国語で東アジ
アを核に世界へ向けて日本の技術を発信していくことを意図しています。また、
産業のイノベーションはまず、情報の発信からということで、ともかく製品が
広く多くの国にまで普及することを主眼においています。
工業調査会の社長、新谷滋記さんは、工業調査会が創業の1958年以来掲げて きた「今日の技術を築き、明日の産業を育てる」という企業理念に変わりはな く、「今度はインターネットのポータルサイトを通じて研究と現場の架け橋に なり、理論と実際を結ぶ情報の動脈となるよう、ユーザビリティーを高めて具 体的な成果があがるサービスに徹したい」と抱負を語っています。
我が国が目指すべき科学技術大国が、このところの中国やインドといった新 興国のエネルギッシュな勢いの前に暗雲が垂れこめ始め、なんとしてもこの局 面を打開し、中小製造業の復興のために情報発信のお手伝いをしていこうと決 め、昨年11月上旬から工業調査会とDND研究所とで検討を進めてきたものです。
ウェブへの掲載は原則有料で、昨年暮れから営業を開始しすでに40社以上に のぼる企業から問い合わせや掲載依頼などの反響があり、手ごたえを感じてお ります。この手のポータルサイトは、スタートから徐々に製品の登録につれて アクセスが急増していく傾向があり、今後の成長に期待が寄せられています。
製品へのアクセスは、DNDサイトのトップページ左の「M&E@Web」のバナー から入り、そのトップに製品情報と企業名の新着情報が現れます。「M&E」の 略のメカトロニクス、エレクトロニクス、マテリアル、マネージメントなどの カテゴリーに加え、「電子材料」、「機械と工具」、「化学装置」、「プラス チックス」など「工業調査会」の専門誌に合わせた分類を行い、製品の検索を 容易にしています。
DNDサイトへの登録や検索は無料です。
DNDとしては、挑戦するモノづくり企業には門戸を開放し、大学発ベンチ ャーであれ、研究機関初のそれであれ、共通の産業技術の知的基盤を提供する という考えは、「デジタルニューディール事業」の設立当初からの基本理念で ございます。中小企業の育成や産業振興、地域の活性化のために今後、わが国 の各種団体や協会、インドや中国、ロシアに及ぶ新興国との関係を築いていく ための専門機関との連携も視野に入っております。
産業情報に新風を巻き起こす工業調査会、原点をもう一度考えるDND研究所、 この両社のアライアンスによる新たな挑戦にご期待ください。この件に関する ご質問、ご要望をお待ちしております。スタートは2月1日(月)です。あと5 日後に迫ってきました。
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