DNDメディア局の出口です。青空が戻って江戸風情の柳橋辺りは、さわやか な川風が吹き抜けています。きょう16日は、その天も寿ぐ鳩山新政権の誕生で すね。言葉が命の政治家、多くの人の納得が得られるような実感のこもった自 らの言葉で、ごまかしのない政治を作り出して欲しいものです。
その朝、鳩山代表は、ご自宅前で記者らの用意した新閣僚の組閣に関する質 問を遮って、「それよりもイチローの活躍はすごいじゃないですか」と、米大 リーグ史上初の9年連続200本安打の偉業に触れて、「見えないところでも、あ れだけ練習しているからこそ、ああいう成績を世界に残せるということをみん なが学ぶべきで、そういう思いで組閣もやりたい。天下に恥じないいい仕事を やらなきゃいかんと思います」と、云い切っていました。
タイミングよく14日夜放映されたNHKの「スポーツ大陸」。その記録達成ま での軌跡を追った番組は、イチローの記録にかける執念や、数々の重圧からく る苦悩、そしてチームの中での孤独感など、外からは見えにくいイチローの内 面を浮かび上がらせていました。イチローが、200安打のカウントダウンに入 りながら、この8月にふくらはぎを痛めて欠場した試合でも、そのベンチ裏で バットを握り、マウンド上の相手投手の投球フォームを伺いながら素振りを繰 り返し、投手を研究しているのです。
人材を生かすも殺すもリーダーの資質次第と言われます。ひたむきなイチ ローの努力を絶賛する日系4世のドン・ワカマツ監督の存在もイチローには救 いでした。鳩山さんは、そんな映像を見ながらの感想だったのでしょうか。
特別国会の召集、衆参両院での首相指名選挙で第93代、60人目の首相に指名 された鳩山さんは、直ちに組閣に入りました。次々と入閣内定を伝える速報を 聞きながら、鳩山さんの「そういう思いで組閣をやりたい」という言葉の意味 が、なるほど、と感じ入ったところがありました。
これまで民主党本部で、さまざまな依頼や苦情、その対応や処理に寝食を忘 れて踏ん張った小沢鋭仁さんが環境相、広報担当として荒波を越えた千葉景子 参院議員が法相という、これまでもっぱら裏方に徹してきた陰の人が表舞台に 引き上げられたのです。下馬評にのぼっていたメディアでの露出が多い若手か らの登用は、政策通で総務相の原口一博さんぐらいでした。
各種メディアの解説によると、新政権の閣僚の顔ぶれは、かつて与党の要職 経験者、それに党内の各グループを代表するベテランなどをそろえ党内の軋み や不満を抑えた陣容となっており、やや寄り合い所帯のところが弱点だ、と指 摘していました。
確かに、そうなのでしょう。当選者の割に女性が少ない。民間からの登用は 見送られました。目立ったのは、62歳になる首相の鳩山さんを始め、その新政 権の命運を握る重要ポストの起用は、いずれも団塊世代の重鎮で占められまし た。副総理で国家戦略局担当の菅直人さんが62歳、行政刷新相の仙石由人さん が63歳、経済産業相の直嶋正行さんも63歳、文部科学相の川端達夫さんが64歳 という具合で、みなさん実力の論客ぞろいという顔ぶれです。
いつの時代も果敢に戦いを挑んできた頼もしい世代です。が、あえていえば、 批判してもっぱら壊すことは得意だが、何かを新たに創造していくことは、あ んまりやらないというのが、唯一の欠点かも知れません。これはあくまで一般 論ですが、イノベーションの原点は創造的破壊ですから、壊すなら政官業の利 権の構図で、疑惑の密約をも白日に曝し、慣れ合いの随意契約などの悪の根を 断ち切ってもらいたいものです。
それにしても、イチロー選手、凄いじゃないですか。鳩山政権の組閣に影響 を与えたかもしれない、そのイチローの凄いところとは、どんなところなので しょうか。その瞬間をテレビ中継で見ていました。
ダブルヘッダーの第2打席、外角に流れるストライクを2球見送った後の3球 目でした。外角の高めを流し打ちすると、大きくバウンドしたボールが深く守 備に就くショートのミットに入るが、投げられない。イチローらしい内安打で した。
やはりイチローの目が違っている。鋭い目が、球を捉え打ち抜くと、見開い たままの目が球の行方を追うのです。速球の微妙な変化が、イチローには見え ているのですね。イチローらしい内安打ですね、と解説者が伝えていました。
スタンドは一瞬、静まり返り、そしてひと呼吸おいて、どよめきが起こって いました。安打か、エラーか、電光掲示板にその判定がでるまで観客は固唾を のんで見守っていたのです。これがエラーなら、記録にならないからです。
歓声を浴びながらも、イチローは表情を変えません。そのクールさが、逆に 孤高の極みに立つトップアスリートの風格を感じさせていました。スタンドで もアメリカのファンが、「すごい!」という日本語のプラカードを掲げて飛び あがって喜んでいるのが、テレビに映り出されていました。
一塁のコーチがイチローの背中を叩いて祝福していました。イチローは、い つものように、出塁と同時に右ひじのプロテクターを外し無言のままでした。 アウエー特有の冷やかな空気が流れていたのでしょうか。イチローは、右中間 スタンドから顔をゆっくりホーム方向に戻すと、思い出したように、ヘルメッ トを右手で浮かせて、やっと観客のスタンディングに応えたのです。
野球解説者で、通算安打3085本の記録を誇る張本勲さんが、9年連続200本安 打を達成したイチローの凄いところを「卓越した動態視力にある」と評し、投 手の球を遠くで捉え、その直前で探すのだから、たまりませんね、という。球 が、曲っても落ちても、内、外角でも、そのコースを見極めるバットコント ロールの速さがヒットを量産させる秘訣で、こんなことはありえないことだ、 と絶賛していました。
大リーガーでチームメイトだった大魔神こと佐々木主浩氏は、イチローの姿 をそばで見ていた様子を語りながら、試合に臨む直前の準備に余念がなく、そ のストレッチは毎回同じメニューでそれをしっかりやってランニングに移り、 次にキャッチボール、次に打撃練習、そして守備というのがルーティーンにな っており、その基本忠実で決して手を抜かない。普段の生活も食事や睡眠も、 そのすべてが試合でいい仕事をするためにあるのです、と語っていました。
イチローを多くの人は天才と呼びます。が、その天才が人一倍努力をするの ですから、ご夫人の言葉じゃありませんが、「イチローは努力する天才」なの で、凡人が3倍努力してもかなわないと、NHKのテレビ解説者は言う。イチロー のその努力の結果、次々と新記録を打ち立てる。9年連続200本安打など、これ までの偉業の数々は、今度は、それによってチームメイトが熱くなってチーム 全体が盛り上がっていく効果がある、とマリナーズのドン・ワカマツ監督が感 心していました。
どれほど、凄いのか。といえば、「スポーツ大陸」の番組で、これまで200 本安打の連続記録というものが、どれほど困難なものか、往年の選手の実例を 引いて比較していました。
まず、イチローの今回の記録は、108年ぶりの快挙という根拠は、ウィ リー・キーラー選手が1901年に達成した8年連続の記録を超えたのでした。 キーラー選手も俊足で、ヒットを量産する好打者でした。以来、大リーガーで は、多くの選手がキーラーの記録に挑んできました。
球聖と呼ばれたタイ・カップ選手、打撃王のルー・ゲーリック選手、安打製 造機のピート・ローズらは、いずれも3年連続200本で潰えているのです。ヒッ トの職人との異名をとるウェイド・ボックスが7年連続を達成し、松井秀樹と 同僚のニューヨーク・ヤンキースで活躍するデレック・ジーターでさえ、3年 連続を2回達成しているが、その記録が途中で途絶えてしまうのです。
そのジーターは、ケガもスランプもなく毎日出場しなくてはいけない。イチ ローの記録は、凄い。誰にもマネできるものではない、と話していました。
しかし、そのイチローにも実はスランプが襲います。大リーグ入団3年目、 投手がイチローの弱点とする外角か、外のカーブで攻めてきます。ある時、外 側のボール球を流し打ちし、内野ゴロが安打になったことがある。イチローは、 「これでも(こんな態勢でも)ヒットにできると体が覚えてしまったことが、 その後のスランプの原因になった」と述懐するのです。そして、一瞬でつかん だのは、それはすぐに消えていくものだ、という。
イチローのこれまでの打法を振り返えります。渡米した2001年ごろは、昔な がらの振り子打法でした。2004年は、早く打てるようにバットを後ろに寝かせ るのです。2007年が、内角攻めをかわすため、お腹をへこませたスタイルを試 みるのです。その遍歴を辿って、スランプからの脱出できた答えは、「足を開 いて背筋を伸ばすことだった」と、イチローは当時の苦悩ぶりを明かして、イ チローは、こういうのです。
「プレッシャーから逃げてはいけない。苦しいけれど、立ち向かっていかな いとならない。それが現実です」と。今年も開幕の4月2日から8日間、胃潰瘍 で休場し、8月もふくらはぎの痛みでこれも8日間、合計16試合を休んでいたの です。が、休む時は徹底し、完璧な状態で復帰する、というのがイチローの流 儀なのです。
米大リーガーを話題にすると、「天才的バッターのイチローがマリナーズに 入団して実力通りの大活躍をして野球ファンを喜ばせているが…」と、その熱 狂ぶりに異説を唱えたことがあるのが、日本学術会議の会長(当時)で、現在、 政策大学院大学教授の黒川清氏でした。DNDではおなじみの、人気の高い『学 術の風』のコラムを執筆していらっしゃいますね。
黒川氏が「日本の課題」と題した講演をある月刊誌が掲載し、その一部を抜 粋してしょうかいします。2004年9月15日号ですから、今からちょうど5年前の ことです。その論説は、いまだ鮮度を失うことがありません。
いまイチローが大活躍だが、そのメジャーの道を拓いたのは、今から(当 時)10年前の野茂英雄投手です、というのです。野茂は、「俺の夢はメジャー なんだから」という捨てゼリフを吐いて単身、メジャーに挑む。近鉄バッフ ァーローズのエースとしてプロ野球最高級の1億3千万円の年俸を捨てて、メジ ャー最低(約1000万円)の契約を結ぶのです。その独特の投球スタイル、北ア メリカに発生する大きな竜巻のトルネード投法で一世を風靡するのです。
野茂のメジャーリーグ入りで、バッファローズの吉井が、ロッテの伊良部が、 オリックスの長谷川が次々と海を渡り、メジャー入りを果たしたのです。野茂 がそれなりの活躍をしていくので、「俺もやれそうだ」と安全パイでメジャー 入りを果たしたのが、佐々木投手で、彼は初年度から何億という高額の報酬を 手にしました、という。
その後、2001年にイチローがマリナーズに入団し、それから松井秀樹が続き、 オープニングの試合で満塁ホーマーを打ったりして、メジャーの人気が盛り上 がってきた、と説明しているのです。
黒川さんは、誰もやらないことをやる、その勇気ある最初のひとりになれ、 といい、野茂が渡米した1994年頃は、どんな時代か、というと「インターネッ トの活用などで、あらゆる情報が世界に開かれることによって情報が世界に開 かれたフラットな時代は、あっという間にパラダイム(モノの見方)が変化し てしまうこと、つまり、今は無名の中小企業であっても、いつ世界のブランド になるかわからないのです」ということを示唆していたのです。
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