DNDメディア局の出口です。衆参ネジレの屈折した混迷の政治に、やっと新 しい展望を拓くことになった8・30の衆院選は、開票の午後8時の時報とほぼ同 時に、NHKを初め民放各局は、その大勢を占うテロップを流し、「民主が300議 席超え、政権交代が確実な情勢」という見通しを伝えていました。まだ開票作 業は、投票箱を開けたばかりなのに、その予測の数字は凄まじい結末をもたら したのです。
その衝撃も一瞬のことで、それほど驚かなかったのは、政権交代への期待が、 すでに後戻りできない状況にまで有権者の間に暗黙のムードが醸成されていた からのように思います。が、この数日を眺めていて、新政権の行く手に危険が はらんでいるとすれば、小沢一郎代行が最も忌避するメディアとの確執ではな いか、と思うのです。もうすでに火花が散っているようです。
投開票の30日夜、民主の開票センターから中継で結ぶテレビ局のインタビ ューに一番乗りしたのは、温厚な野田佳彦幹事長代理でした。「悲願の政権交 代に向けて必死に頑張ってきた。身の引き締まる思いです。いまは何をさてお いても、まずお約束したマニフェストを実行していくことです」と、ゆっくり した口調はいつも通りでしたが、どこか表情は不自然でした。
野田さんのそれは緊張からくる硬さなのか、疑っていえば裏で失言を諫めら れることを恐れてやや臆病になっているからなのか。そんな風に思ってしまい ました。ふ〜む、時間を追うごとに確実に民主の当選者が増えていきました。 出口調査では定評のNHKがいきなり「民主300議席超え」と打ち、テレ朝は、午 後7時56分から、全国9000か所、54万人の出口調査で当確を判定、「民主がど こまで議席を伸ばすか」と前宣伝に慌ただしさを見せていました。いよいよ歴 史転換の瞬間が刻々と近づいていたのです。
また、日本テレビ系のアナウンサーは、その民主の開票センター状況を「緊 張感と高揚感に包まれています」と実況していました。テレ朝に中継で出演し た奈良1区で当選の馬淵澄夫さんは、選挙期間中、「マグマのようなうねりを 感じた」とコメント。白いスーツがお似合いの参院議員の蓮舫さんが、激戦の 東京5区を制した手塚仁雄さんの事務所からの中継で、「民主躍進の立役者」 と紹介されてやや紅潮気味に「100人以上の応援に行って…歴史が変わるとい うことですから、とてもうれしい」と短めに答えていました。今回の選挙で、 蓮舫さんは、よく目立っていました。それだけご活躍されたということでしょ うか。しかし、みなさん、空前の圧勝にもかかわらず発言が少々慎重でした。 歴史的な政治転換を実現しながら、その喜びが少しも民主の幹部から伝わって こない事態のです。
そんな折り、フジテレビの女性キャスターがひときわ高い声で、小沢一郎代 表代行がフジテレビに初の生出演です、と突然、予告するから、独占インタビ ュー?と思ってこちらもやや緊張して身構えてしまうほどでした。それに先立 ってスタジオの政治評論家、三宅久之氏がこの選挙を総括して、「反自民なん ですよ、力量とか経験とか関係なく、民主の看板を背負っていれば有利な選挙 なったんです」と断じていました。まあ、そりゃあ、そうかもしれないが、そ れを言っちゃおしまい。個別に選挙区をのぞくと、そう単純な構図でもない。 が、こういう強弁も三宅さんだから、通じるのかも知れません。
さて、小沢さんになかなか中継が通じない。後で判明するのですが、各局時 間を区切っての生出演でした。決して、フジテレビの生出演が独占ではなかっ たのです。独占とは言っていないが、初の生出演と聞くと、つい引き込まれて しまうのは、こちらの勝手な思い込みからでした。チャンネルを切り替えると、 フジから、NHK、そしてテレ朝、TBS、次に日本テレビという順番で、小沢代行 が生出演していました。これがあんまり面白くないのです。どうも不機嫌で、 ある質問には、なんでそんな質問するの、とばかり突っかかっていました。こ の人、嬉しいお祝いの席でも仏頂面している、と感じました。
それぞれの局のキャスターや評論家が、ここぞとばかり、小沢さんに質問を あびせるのですが、ところが、その反応がすこぶる鈍い。まだ開票が始まった ばかりで、(300議席の見通しという)いまの予測はあくまで、報道のそちら 側の話で、まだわからない。だから、見通しを聞かれても開票がされていない のだから答えようがない、とかわし、「自公の不信感が国民の間に強かったこ とを各地で肌で感じた」、「私たちは、国民生活第1、生活を守ることを理解 されるように活動しなくてはならない」という発言を繰り返していました。
開票の速報の、民主圧勝、政権交代確実に、という見通しにもまったく意に 介さない様子でした。TBSのスタジオにいた北野タケシさんは、「小沢さんの 言い回しは、まるで宝くじの当選者みたいで、現金を見るまではまだ何もいえ ない、という言い方と同じだ」と揶揄していました。日本テレビでも小沢さん は、「皆さんの予測ではそうなったというだけで、まだ発表されていない段階 では、申し上げるわけにはいかない。自公の政権の不信感が強く…」という、 あくまで自公批判に徹していたのですから、発言は記事に仕立てにくいったら ない。ともかく、キャスター泣かせなのです。
中には、小沢さんの党内での影響力が増し、鳩山代表との関係でいえば、 「権力の二重構造になる懸念がある」とか、後ろで糸を引く「小沢院政」にな るのではないか、といった突っ込んだ嫌味な質問をするから、「そういうレベ ルで物事捉えるのは、マスコミの問題ではないか」と不満をあらわにしていま した。いやあ、小沢代表代行VSメディアのゴングが鳴った印象です。
これは31日の産経新聞1面の「政権交代」のシリーズ第1回で紹介されていた 記事の一部です。鳩山由紀夫代表が、記者会見で小沢流の対応を真似て、こう いうのです。
「私どもが最終的に政権を担うというところまで(開票が)至っていない状 況で答えるのは、不適切だと、多分、小沢代行ならそう申し上げると思う」と。 これを例に、筆者の阿比留瑠比記者は、民主党の「主役」が依然、小沢氏であ ることをうかがわせた場面だった、と指摘していました。小沢代行に、周辺の 幹部らの発言を制限するということはありえないと思う。が、鳩山代表の、こ の場面での発言は、どこかぎこちないし、阿比留記者が指摘した通り、この一 点を見ても民主のメディアへのけん制は、異様に映ります。西松建設からの政 治資金規正法にからむ秘書逮捕の事件以来、鳩山代表のぶらさがり取材拒否の トラブルなど次第にエスカレートしているのではないか。小沢代行にならって 民主の幹部がメディアに必要以上に神経質になって、発言を控えることになれ ば、新政権の船出にとってこれほどのもったいないことはない。自由に発言し、 どんどん書いてもらって、いくらか失言が飛び出すくらいがちょうどいい。よ ちよち歩きの赤ちゃんが転んだら危険だからと、乳母車にのせたまま戸外での 独り歩きを制限するようなものです。転んでやっと自立していくのです。メデ ィアとの関係もそういうことを繰り返して、やっとメディア・リテラシーが養 われるというものです。清新な論客が多い民主の議員から自由な発言を奪って は、民主の魅力は半減です。長崎2区で、自民の久間章生氏を破った民主の新 人、福田依里子さんは、言葉が生きていました。「虫けらのように踏みつぶさ れそうになった一人です」との人権や命の尊厳を訴えた叫びは、聴く者の心を 揺さぶったに違いありません。民主の強みは、現場で鍛えた自分の言葉で伝え られる発信力のような気がしてきます。それなのに、それが誰かにコントロー ルされているような印象は残念なことだし、さらにマイナス評価を与えてしま いかねません。
取材記者は、取材先が、ガチで取材を拒む態度に出ると、反対に裏から無理 にでもこじ開けて情報を取ろうとする習性があります。それに加えて、これま での野党の立場と、政権政党とでは取材する側の構えがまるで違ってくるから、 取材記者や取材相手へのきめ細かな対応が自ずと求められるのです。嫌いだか ら会見はやらない、気に入らない質問をするから話もしない、では政権政党は うまくいかないでしょう。メディアは、その名刺1枚で国民の代弁者になるの ですから。また、記者は、基本的に在野の精神というか、常に反権力のスタン スに身を置くものです。それを左とか、思想が偏向している、という風に捉え ては間違いです。権力に屈しないのがメディアの存在価値であり、公平な民意 で議員を選ぶということ同じように、メディアに公平な取材の機会を与えるこ とが、いずれも民主主義の根幹なのです。
思えば、政治めぐる攻守の変わり身は早く、そのメディアの鋭い筆鋒は、す でに選挙から一夜明ければ、躓きの自公を遠く野に追いやって、いまや権力の 階段を上る鳩山政権の急所に狙いを定めていくものです。これをメディアの変 節といわず、メディアの矜持と理解してもらいたい。野党時代と同じ感覚でメ ディアと付き合っていると、とんでもないしっぺ返しを食らうことも、ないわ けではない。そのメディアとどう付き合うか、政権政党の政治家はこれまで以 上に難しい局面に入ってきていることを自覚しなくてはならない、ということ です。最悪は、取材拒否であり、会見や説明を避けたり、ごまかしたりするこ とです。メディアに距離を置くのは、右から左とその考え方のウィングが広い ため、それぞれが自分の主義主張を述べれば、政党としてまとまりを欠いてい るようにとらえられてしまうからでしょうか。
さて、その新政権への期待は、何か。官僚主導から政治主導などと、その理 念や取り組み姿勢の解説は、もう必要ないと思います。現実的に何と何をどう 変えて、それでどうしたのか―の具体的な成果が急がれているように思います。 が、朝令暮改は、この変遷めまぐるしい情勢下では、日常茶飯事と思います。 マニフェストにとらわれず、これはあくまで指標ですので、現実の課題にどう 取り組むかが、大事になってくるように思います。
さて、歴史的大敗を期した自民党。すっかり小沢マジックにやられてしまい ました。理念や政策も大事だが、選挙区は候補者の人柄が前面にでるガチンコ 勝負です。自民候補者の多くは、その旧来の地盤から移動したり、候補者を変 えたり、といった流動性が極めて低い。それでは、飽きられますね。
清新でキャリアな若い民主の女性候補は、薄っぺらで経験がないと批判され ながらも、老獪な保守系の大物政治家と並んで比べてみれば、いま有権者が求 めているのはどちらかは、一目瞭然でしょう。その動向に、小沢さんの候補を 選ぶ目が冴えわたっているということです。比例は政党を選ぶが、小選挙区は 人物、それも対立候補との比較となります。そこに自民は、融通性がないので す。まあ、それも新人候補としてのたった1回のインセンティブのようなもの ですから、候補者の新陳代謝が常に求められるということです。神奈川11区の 小泉純一郎元首相の次男の進次郎さんは、自民で世襲制のダブルパンチを受け ながらも劣勢を跳ね返して、初陣を飾りました。テレビのインタビューで見せ た、はっきりとした弁舌とその話の奥深さに胸打たれましたね。素晴らしい人 材だと思いました。選挙運動の最中の映像が映し出されて、通りすがりの中年 のオヤジが、「おめぇの親は、ろくなもんじゃないなあ」と捨てゼリフを吐い ていました。また、差し出した名刺を破り捨てる失礼な輩もいました。ろくな もんじゃないのは、どっちでしょうか。いやあ、醜いのはいつの時代も大人と いう、人種なのですね。進次郎氏は、それらのオヤジの言動に顔色ひとつ変え ませんでしたが、内心はおだやかではなかったハズです。偉いもんじゃないで すか。
今回、軒並み落選の憂き目をみた自民の候補は、その地盤で30年、40年のベ テランも少なくありませんでした。いいかげん辟易されていたということもあ ったのではないか。自転車で懸命に路地を走り繰り返し辻立ちで声をからす新 人候補の方を、つい応援したくなるというのが人情というものです。しかし、 勝負を分けたのは、無党派の票の行方と、今回は特に際立ったのが、自民支持 層から民主候補に流れた2割、3割の心変わりの票でした。
余談ですが、選挙の鉄則は、内部を固めることというのは、間違いなさそう です。当選を重ねて、次期大臣候補というベテラン議員になると、利権あさり の新参者が、いつのまにやら幅を聞かせ始め、うるさ型の草創の支持者を遠ざ けてしまうのです。議員も、告げ口する新参組に、草創の恩人らを指して裏で 「あれは、昔から問題があるだ」などと調子を合わせるもんだから、陣営内に 不協和音が響いてムードが険悪になるのです。負ける陣営は、その選挙事務所 に足を運んで空気を読めば、すぐわかるものです。つまらない蔭口は命取りに なるということです。自分から相手が去っていかないように、気になる人の悪 口を云いふりまわる。情けないことだと思います。
人の一生のうち、なんどかこんなはずではなかった、と悔いることがありま す。若い時は、それにへこたれず何度もやり直しがきくから、反省することで 次の踏ん張りにつながったりもする。年齢が55 をすぎると、心を入れかえて 一から出直そうとしても、気力も失せて、なかなか再起が難しい。しかし、い くつになっても、どんな状況に陥っても、諦めちゃいけません。人間万事塞翁 馬というものです。政権樹立の民主と、下野した自公とて、この先、どんなド ラマの続きがあるか、いままだその第1章のページを開いたばかりです。下野 したとしても、この我が国のあり様に政治家としてどう向き合うか、超党派で 力を合わせて難局に向かって欲しい、と強く思います。
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