◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2009/07/15 http://dndi.jp/

民主圧勝の東京都議選を読む

・自民古参VS民主新人の構図
・「黒い手帳」記録のレトリック
・石黒憲彦氏、商務情報政策局長に
・橋本正洋氏、特許庁審査業務部長に
・連載は、谷明人氏、比嘉照夫氏
・九大、谷川徹教授の一押しイベント

DNDメディア局の出口です。光を、にわかにまぶしく感じて見上げると、青く澄んだ夏空が広がっていました。窓辺のゴーヤが屋根に向かって緑のカーテンのツル先を競うように伸ばしていく。朝の食卓を彩る栄養たっぷりのゴーヤは今年も豊作のようです。が、梅雨が明けて戸外がこんなに明るいというのに、混迷の政局は相変わらずのドロ沼状態、21日の衆院解散までまだひと波乱あるのでしょうか。分裂危機の自民党、対決に牙をむく民主、そのあおりで重要な法案は、ごっそりゴミ焼却場で廃棄処分に。いやはや、大切な時間が無駄に流れていきます。衆参のねじれ状況から、この数年ずっと同じレールを行きつ戻りつしているように感じます。


さて、東京人は、粋というか、へそ曲がりというか、いやいや、いいかげん堪忍袋の緒が切れたというべきかもしれない。風を読むのに敏でその変化を見逃さないのが、東京人。いつも政治のトレンディーを生んで、選挙となれば、クールに新風を巻き起こすのです。20年前のマドンナ旋風も東京が震源地でした。今回のつむじ風も凄まじいものでした。


民主圧勝で第1党、そして自民大敗で自公過半数割れを招いた東京都議選。これは1200万都民の「世論調査」のようなもので、そっくり8月30日投開票の衆院選の「予告」と読み取れます。そして、その「予告」の先に何が待ち受けているのでしょうか。民主党による政権奪取によって、安寧の豊かな生活重視の政治を取り戻す、という期待は強いが、それって本当に大丈夫なのでしょうか。遠くから、何かが崩れ落ちる不穏な軋みが響いてくる〜。


政権交代の流れはもう誰にも止められない情勢というのが専門家の一致した意見です。都議選で満面笑みで当選の喜びを語る民主新人は、若鮎のように清新で、女性は知的で健康的な印象を持ちました。民主党の新人は、従来型の政治家のイメージをすっかり変えてしまいました。


民主が第1党に躍進し慣例で議長ポストは民主にゆだねられる見通しです。が、さてどうなりますか。問題は、主導権争いが激しくなる議会運営です。この新しい勢力図からみて、なんらかの妥協や調整をしないと、条例や人事案件のひとつも通らない。都政が、国政同様、停滞したままになる恐れがあるのです。今回の選挙で、この各党で存在感があった調整役の重鎮がひとりもいなくなってしまったのも懸念材料となっているのです。


都議会の過半数は64で、民主の議席54ではまだ10足りない。民主から議長を選出すると、不足分は11になる。民主が議会の主導権を握るには、共産の8に東京・生活者ネットワークの2、そして無所属の2から不足数を加えてやっとという状況です。


キャスティングボードを握るのは少数会派ということになります。自民が38、公明が23で合わせて61、そこの不足数は3となります。ネットは民主寄りなので、無所属2を取り込んでもまだ1足りない。どう転んでもこの先不安定な議会運営を覚悟しなければならない、という見通しなのです。


当面の課題は、来年度の予算審議に関わる「築地市場移転問題」は、民主が反対を表明し、代表の鳩山由紀夫さんが「築地は移転させない」と街頭演説でぶち上げたので、暗礁に乗り上げる公算が大きい。いやあ、移転反対なら築地での建て替えか。議論は、再び昭和60年頃の計画策定段階の振り出しに戻ってしまいそうです。この問題にこれまでどれほど多くの時間と労力をかけてきたことか。暗くて狭い、そしてコンクリートの壁面が朽ち果ててボロボロの内部は、決して清潔とはいえない。建て替えは、現実的ではない、と指摘されてきました。首都圏3000万人の台所をあずかる築地市場を建て替え工事のために長期間休むわけにはいかない。築地は、何かに呪われているとしか思えません。


かつて都政を混乱に陥れた迷惑知事といえば、青島幸男さんでした。ムードに乗ってハプニング的に当選してしまって、その任期4年でやったことといえば、都市博覧会の中止、お台場など臨海副都心建設の見直しと工事延期―でした。なんでもぶち壊して、放り投げてしまえばいい、という稚拙な反抗モードに終始していました。それで都政は混乱、その傷ついた信頼の回復には多くの時間を要しました。終盤の4年目の任期切れの間もない2月、4月に総選挙という段になって、新年度の予算審議の途中で、突如、「やーめた」と知事の座をおりてしまったのです。側近の副知事ら幹部は、あんぐり、開いた口がふさがらない、という風でした。


いまから20数年前、私も都政記者クラブの産経新聞のキャップとして都議選の開票当日は、当落判定や記事の送稿に追われていました。1989年のそれは、社会党委員長の土井たか子さんが「山が動いた」と表現したマドンナ旋風で躍進した参議院選挙の、その少し前の都議選でした。開票と同時に、長期低迷の社会党が3倍増の39議席を確保するという快挙を成し遂げたのです。今思えば、消えかかった線香花火のような一時の儚い瞬きのようなものだったかもしれません。それ以降、社会党は低迷し、再び浮上しませんでした。


どんな状況でも、都議会にこの調整役の3人がいれば安心とされていました。たっちゃん、うっちゃん、それになっちゃんの3人でした。その一人は、公明党元都議の橋本辰二郎さんでした。たっちゃんは、自称・早稲田のサッカー部員、人がよく議員を勇退された数年後に相前後して死去されましたが、新聞やテレビ局の記者を分け隔てなく対応するので記者からの人気は一番でした。議員という職業が、どれほど激務か、彼の訃報に接して「これは殉職だ」と思ったほどです。


次は、今回の選挙で千代田区(定数1)から、7選に挑んだ自民の内田茂さん(70)です。うっちゃんは、ご存知の通り、26歳の民主新人、栗下善行さんに176の票差で涙をのみました。党東京都連幹事長の要職にあり、与謝野財務相陣営の重鎮で都政屈指の論客です。若くして都議会自民党の幹事長を務め、人望もありました。


鈴木俊一都政の晩年、その鈴木さんの4選出馬をめぐって、自民の党本部と東京都連本部とが分裂しました。NHKの元キャスター磯村尚徳氏を擁立したのが党本部で、その責任者が幹事長の小沢一郎さんでした。うっちゃんはこっそり小沢陣営にまわり、西川太一郎さん(現・荒川区長)ら都議会自民党の若手の取りまとめに動いていたのです。時がめぐってやがて、うっちゃんはその小沢陣営の刺客に敗れるのですから、その思いは複雑でしょう。


さて、うっちゃんと、26歳の栗下さん、都政にとってどっちが有益な候補か、うっちゃんの存在を脅かすほどの候補だっか、どうか。しかし偏屈な東京人は、非情にも26歳の青年を選択するのです。千代の富士を入幕間もない新鋭の貴乃花が打ち負かし、ついに引退に追い込んだかのような交代劇でした。それも、投票日の3週間前に立った青年は、笑うと白い歯がこぼれるようで、憎らしいほどさわやかでした。政治の舞台に地殻変動がおきているのでしょうか。


3人目は、激戦の大田区(定数8)から、民主現職なのに次点に泣いた名取憲彦さんです。なっちゃんは、この選挙区で民主新人の2人が1位、2 位と大量得票した、その勢いにはじき飛ばされて落選したのです。


トップ当選の民主候補は5万票を超えました。次点の名取さんは1万8700票でした。ひょっとして2千票余り上積みすれば、なっちゃんは当選できたかもしれません。区割りや票の分配がもう少し上手にできていれば、と惜しまれます。が、これも政治変動の象徴的な出来事なのでしょう。


なっちゃんは、温厚で政策通でした。自民と公明の間に入って常に絶妙な調整役を務めていました。各会派の利害が激突しても、公明のたっちゃん、自民のうっちゃん、そしてなっちゃんの3人がいれば、「話がついた」と言われていました。しかし、この3人は姿を消し、過去の人となってしまいました。


いまや古参や重鎮、ベテランという評価は、どうもマイナスに作用するらしい。未経験者よりベテランの方がいざという時に役に立つのではないか、と思うのですが、それがある種のしがらみや利権に染まってしまっているかのように、胡散臭く映ってしまうのでしょうか。利権あさりに走り、本来やるべきことをやらない、という不信感や疑念を持たれてしまっているのかもしれません。


さて、古い話に気を取られてばかりはいられません。今回の都議選の特筆すべき点は、この逆風をはねのけて、候補者23人の全員当選を成し遂げた公明党の底力です。支援団体の創価学会の組織力もさることながら、それ要介護だ、住宅だ、年金の手続だ、と、地元住民に親身になって接し、どぶ板をまわるように、各候補が普段から地域住民の中に入って証だと思います。その都議会公明党で、知っている議員といえば、超激戦の荒川区(定数2)の一角をものにした鈴木貫太郎さん、ただひとりになってしまいました。


つい最近、当時、記者クラブで一緒だったライバル紙の記者と久しぶりに懇談する機会がありました。今回の民主の圧勝と、20年前のマドンナ旋風がだぶって映るらしく、「凄いね、民主への風、民主の勢いがいつまで続くかわからないが、いつまで続くものではない。案外、政権交代から1−2年で暗転するかもしれないぞ、まあ、都政は知事選にむけてゴタゴタする」という感想をもらしていました。


そこで当時の都議会公明党の幹事長だった藤井富雄さんに話しが及び、元公明党委員長の矢野絢也氏の「手帳」の引き渡しをめぐる裁判に絡んで、藤井さんが登場していることを聞かされて驚きました。最近出版された矢野氏の『「黒い手帳」裁判全記録』(講談社)で、それによると、藤井幹事長が深夜、緊急事態だと言って、矢野氏宅を訪れ、「学会中枢の一部がF暗殺計画を進めている。矢野さんから、学会の会長に連絡して、未然に止めるようにしてほしい」という意味の内容が紹介されている、という。翌日、さっそく本を買って確認しました。ふ〜む。これはちょっとおかしい、とすぐに感じました。


Fは、実在する都議会公明党の元幹事長のことです。ライバル紙の彼が、「当時、そんなことあったの知っているか?」と聞く。それ(F暗殺計画)は「知らない…」が、それとは別にまるで主語が入れ違った逆の情報は掴んでいたのです。つまり、「F氏が暴力団を雇って、池田名誉会長の暗殺を依頼した」という物騒な内容で、この詳細は当時、いろいろ耳にしていたし突っ込んで取材もしたことがあったのです。


が、「Fを暗殺」するという計画は聞いたことがない。それも学会が…。彼も「そうだよね」という。「F暗殺計画」は、「Fの暗殺計画」の聞き間違いか、あるいはレトリックなのか、どうか。同じ時期の話なら、ぜひ、その真相を明らかにしてもらいたい気がします。


しかし、どうしてこんな奇妙なことが起きるのだろうか。伏魔殿と呼ばれた都政を舞台に、表に裏に、虚々実々の駆け引きが行われ、一歩踏み誤ると、そこに大きな落とし穴が仕掛けられている、というような危ういご時世でした。昭和から平成に年号が変わり、世は地上げが横行し、数億円が翌日数10億円に化ける。そんなバブル経済の走り、みんなどことなく異常なほど気分が高揚していたのかもしれません。


これもその当時のひとこまでした。意識しなければ記憶がどんどん遠のいていくのですが、公党の議員Fが、学会から命を狙われる、というのではなく、Fが暗殺を依頼したとされる暴力団幹部に、その真意を確認するため隠密裏に取材した当時の体験は、私の脳裏にいまでも鮮烈に残っています。


都内のホテルで、私は少し緊張しながら相手が来るのを待っていました。すると、予定時間きっちりに、その男は姿を見せたのです。「ほんまもんのヤクザ」と思いました。名前をMといい、名刺を差し出しました。某有名暴力団の幹部でした。私からは、なぜマスコミに告白することにしたのか、その計画はまだ継続中か、依頼者F議員との接触のきっかけは、なぜそのやり取りをテープに残したか、など事前に社会部の先輩と練って用意した質問を浴びせました。


結局、その取材で暗殺計画の有無は事実として確認できましたが、着手金などの金銭の授受についてFが「まだ金の用意ができていない」として計画の断念をにおわせている、この段階では事件性が薄いなどを理由に記事にすることは見送りました。


あれから20年、降って湧いたようなおかしな話です。矢野氏が本で書いていることは、いくら裁判で係争中とはいえ、学会がF議員を暗殺する、という話は、事実とは違うのではないか。何かの意図で、記述しているように感じられました。暗殺を依頼した張本人のFが、逆に暗殺のターゲットにすりかわる、これは何かのトリックじゃないか、と思いました。


それにしても「Fを狙った暗殺計画」という根拠の薄い伝聞が、堂々と雑誌や書籍で公の目にさらされてひとり歩きしている、というのにも違和感を禁じ得ません。裁判の詳細はわからないが、この問題になぜメディアが関心を示さないのか、とっても不思議でならない。


さて、再び都議選余話。やはり自民で6期連続当選の中央区の立石晴康氏は、民主新人の岡田真理子さんに大差で敗れました。立石さんも馴染みの一人でした。また激戦で最後の最後までもつれた世田谷区(定数8)では、民主が上位3人を独占し、支持した東京・生活者ネットの女性候補を加えた4人の当選を果たしました。が、そのあおりで、都議会では唯一、都政の行革に徹底して切り込んで実績をあげてきた「行革110番」の後藤雄一さんが弾かれてしまいました。後藤さんが落選して、ホッとしている役人や議員も少なくないのではないか。


民主党の菅直人氏のおひざ元での武蔵野市(定数1)を大量得票で制した民主現職の松下玲子さんは、テレビのインタビューに答えて「今回の選挙は、民主に風というより、自民に怒り、だと思う」と発言をされていました。そうかもしれませんね。


が、凋落の自民の古参議員に対抗する、民主新人の清新でキャリアな若者、自立した女性という構図は、「自民大敗、民主圧勝」の2007年参議院選でも実証済みです。当時のデータを拾うと、自民の最大の敗因は、1人区での勝敗によるもので「6勝 23敗」という惨憺たる結果でした。


小泉ブームの01年の1人区の獲得議席は「25勝2敗」でしたから、まるで天地がひっくり返った感じです。2007年は1人区の、これまで自民の保守の牙城だった農村地域で惨敗していたのです。


例えば、全滅の四国の選挙区で見ると、徳島では民主新人の38歳の会社員が、3選を目指す自民の51歳を大差で破りました。香川では、温泉宿泊施設会社代表の39歳の新人女性が、5選目のベテランで72歳の元環境庁長官を破りました。愛媛も民主は元Jリーガーの32 歳、自民は議員歴31年の69歳の重鎮、そして高知も、民主48歳、自民は60歳という顔合わせで、いずれも民主の勝利でした。


古参VS新人女性のパターンは、岡山の自民参院幹事長の片山虎之助さんを民主の姫井由美子さんが、島根では3選を目指した自民の景山俊太郎さんを無所属の亀井亜紀子さんがそれぞれ打ち破ったのです。


保守王国の九州で民主が奪還した佐賀、長崎、熊本はいずれも得票率が1から最大5ポイントの僅差でした。ここでは46歳の日銀調査役、41歳の歯科医師、56歳の弁護士というように、これまで政治とは縁のない人たちが挑戦して民主が議席を確保したのです。候補者の選定にある種の民主・小沢マジックの凄さを感じます。


そして、今月21日解散、8月30日総選挙が予定されている次期衆院選の候補の顔ぶれを見ても、やはり、民主の候補はその道の専門のキャリアを積んだエリートが目立ちます。今の流れでいえば、自民党の古参議員に赤信号が灯り、地滑り的な大敗という悪夢をどう払しょくするか、余すところ45日、暑い夏をはさんで、何か選挙前に新たな地殻変動の予感がしてきます。



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【人事異動のお知らせ】DND連載で「志本主義のススメ」を執筆されている、経済産業省の石黒憲彦さんが、14日付で経済産業政策局審議官から商務情報政策局長に昇進されました。石黒さんからは、次回の原稿を頂戴しておりますが、今後の連載はしばらく休筆となりそうな雲行きです。
【連載】は、こちらも14日付でNEDOの企画調整部長から、経済産業省に復職し、特許庁審査業務部長に昇進された橋本正洋さんの連載『イノベーション戦略とNEDO』の第22回、「NEDOイノベーション戦略の総括−官僚たちの夏は熱い!」のその1です。いわば、NEDO在職3年を総括したNEDOのイノベーション戦略です。その2は、また後日掲載する予定です。
 橋本さんは、城山三郎氏原作の霞が関の通産官僚を題材に描いたTBSの日曜ドラマ「官僚たちの夏」を引き合いに出しながら、往時の、「蒸し暑く、心も熱い夜を鮮明に思い出す」と述懐されておりました。橋本さんの時代にも、佐野史郎扮する記者が口にした「通常残業省」という言葉が生きていたらしい。  まあ、何かとバッシングの対象にされがちな官僚だが、身近でお付き合いすると極めて質素な意味で「地味」で、志や覚悟の点ではある意味「滋味」といえるかもしれません。いまや政治家の攻撃のターゲットにされてしまい、世の中の悪を全部しょって立っている感じがします。が、これもいかがかなあ、と思います。
 話は横道にそれてしまいました。橋本さんは、このなかで、「NEDOの機能と役割」に触れて、研究開発の最前線に携わる独法としては、「中期計画に基づいて自立的に業務を行い、その状況を逐一公開し、業務の終了後には第三者委員会に諮って評価を受け、場合によっては業務の見直しを行う」と述べ、それでも研究開発という生き物を扱う訳ですから、うまくいったり予定通りいかなかったり、という場面がでてきます。当たり前ですが、その状況に合わせて臨機応変に対応することが求められます。これが独法の特徴でもあり、従来の特殊法人では原則適わず、経済産業省本体には制度的に難しいことだった、と指摘しています。
 そこでもう少し解説を加えて、ナショナル・イノベーション・システムのモデルとNEDOの図表を示しながら、その具体的な役割を浮き彫りにしています。これはとっても分かりやすい説明となっております。ぜひ、ご覧ください。  続いて、「NEDOへの厳しくも適切な評価」の側面を、「よく変化に対応しつつ…自らを変化させつつよくやってきたのではないか」という評価委員会の岸輝雄部会長の言葉を引用し、これを励みとしてさらなる業務の改革に努めているところです、と述べております。そして、「NEDOには何が期待されているか」の項で、1に、革新蓄電技術開発など「新エネルギー環境分野の推進体制の確保」、2に、スマートグリッドにおけるグリーン政策の強化などオバマ政権の米国やEUなどとの「グローバル化の推進」などを挙げていました。
 この総括は次回にも続きます。どうぞ、すでにサイトにはアップしておりますのでご覧いただければ幸いです。

【連載】は、経済産業省の大学連携推進課長の谷明人さんの『列島巡礼 西へ東へ』の第4回「失われた野菜、復元プロジェクト」、第5回「デザイン分野での産学連携」です。以前にも紹介しましたので、ここではその4回の原稿のポイントを紹介します。それは、伝統野菜が受難ということです。せっかくの地域の特産で、そこでしか得られない野菜が、過疎化や高齢化で栽培が途絶えているのだそうだ。加えて、栽培したとしても手間がかかるし、供給もままならない。そどうやって販売ルートにのせるか、など課題は山積しているのです。が、そこで立ち上がったのが、金沢大学の法学部だったのです。何を、どう復元させたのか‐これだけでも1本のドラマに仕立てられそうです。着眼が素晴らしい、と思いました。

【連載】は、名桜大学教授でEM技術の開発者の比嘉照夫氏の『甦れ!食と健康と地球環境』の第11回「EMのよる都市汚染の浄化、グアテマラ」。毎回、涙ぐましい努力と熱意で世界の恵まれない国々を再生のプロセスにのせている、ストーリーは感動ものです。今回は、グアテマラに飛びます。07年10月に千先生は、中米3ヵ国を歴訪します。グアテマラのアマテトラン湖の汚染、悪臭を発しアオコに覆われるなど、陸地と錯覚するほどの荒れようでした。そこの浄化に乗り出すのです。「口々に奇跡」と言わしめたその成果は、どんなものだったか。サイトにアップした記事には、鮮やかなコバルトグリーに輝く湖の写真が掲載されていました。EMによる活性化は、この25年間一度も問題を起こしていない安全性は科学的にも立証されている、と断じておりました。比嘉先生の先見と確信が感じ取れる内容でした。

【一押しイベント】
 九州大学の教授で九大の産学連携、知財戦略を担う、知的財産本部国際産学官連携センター長の谷川徹さんがマネージメントされている「九州大学‐台湾工業技術研究院(ITRI)との第2回合同技術シンポジウム」が7月22日午前9時から18時30分、福岡市東区の九州大学医学部百年講堂で開催されます。詳細は、DND産学連携情報にアップしておりますが、以下のURLからもアクセスできます。http://imaq.kyushu-u.ac.jp/seminar/detail.php?SRN=198
   冒頭に、有川節夫九州大学総長の開会のあいさつで始まり、台湾の工業技術研究院の曲新生副院長が来賓を代表してあいさつを行います。両代表による、共同研究契約書の調印で幕を開けることになります。テーマが、「クリーンエネルギー」で、「低炭素社会に向けた新技術の挑戦」(NEDO技術参与、東洋大学教授の久留島守広さん)の講演を皮切りに、工業技術院と九州大学のそれぞれの「水素プロジェクト」の発表、午後は、太陽電池の技術動向と大学(昭和シェル執行役の伊藤智明さん)、シリコン太陽電池の結晶特性の予測に向けて(九大応用力学研究所副所長で教授の柿本浩一さん)ら16人の研究や事例の発表が予定されています。谷川さんも登壇されます。閉会では理事で副学長の安浦寛人さんが挨拶に立ちます。  
 実は、前回のメルマガの「一押しイベント」では、福岡アクロスを会場に21日に開催のベンチャービジネス講演会「世界が熱い!クリーンテックベンチャーをめぐる動向と日本のビジネスチャンス」の講師、内閣府参事官の安藤晴彦さんを紹介したところ、さっそく谷川さんから、翌日22に開く台湾との「クリーンテック」の研究シンポにぜひ、安藤さんにも参加していただきたい、との連絡があり、急いで、安藤さんにお伝えしました。ご専門の安藤さんが会場入りされると素晴らし出会いの場になるのではないか、と思います。が、その一方で安藤さんがいろいろ日程の調整などでお悩みにならなければよいのですが…ご活躍をお祈ります。

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