DNDメディア局の出口です。新緑のさわやかな5月がスタートしました。そこ にゴールデンウィークとくれば、遠くに行きたい、という旅の誘いに心が動き ます。しかし、どうでしょう、その気分は暗転し、膨らんだ夢はたちまち萎ん でしまいそうです。はたして世界的大流行となるパンデミックの警戒レベル、 フェーズ6の危機は回避されるのでしょうか。WHOは本日、その呼称を「インフ ルエンザA」(H1N1)とし、これまでの呼び名から「豚」の文字を削除しまし た。
つい1週間前の25日でした。「豚インフル60人死亡?メキシコ市、全学校を 閉鎖」のニュースが社会面の3段程度の扱いで掲載されました。うっかりすれ ば、見落とすところです。が、27日夕刻、世界保健機構(WHO)の緊急委員会 は、世界各地で急速に感染が広がっている、として警戒レベルを「3」から 「4」に引き上げる声明を出したのです。
WHOで会見に臨んだケイジ・フクダ事務局長補代理は、「状況次第で引き上 げる可能性もあるし、戻すかも知れない」と今後の成り行きに含みを持たせて いました。テレビで流れる会見の模様を急いでメモすると、それでもフクダ氏 は「状況は流動的で、状況は変化している。WHOのフェーズにとらわれること はない」と注意を促していました。すると、昨日になってパンデミックの一つ 手前のフェーズ5に警戒レベルを上げることになったわけです。
時々刻々、その状況変化の展開が、もう24時間フルの体制で見守らないとつ いていけないほど急激です。こんな風にしていても何が起こるか分からない状 況です。世界同時不況、金融危機も津波のようなスピードで襲ってきましたが、 それでも週単位、月単位での変化でした。新型インフルは、昼、夜の間隔で状 況が深刻になっているような気がします。
そして我が国への上陸の危機感もまだまだ先のことでしょう、とタカをくく って今朝寝て起きてみたら状況が一変しているじゃないですか。カナダから帰 国した横浜の高校生に新型のインフルエンザの疑いが出た、との厚生労働省の 未明の記者会見で、今度は列島に緊張が走ったのです。その感染症の正体は、 シロかクロかどうか、の検査はもう一日程度かかる見通しのようですが、新型 インフルエンザの患者と確認されれば、同行者がいるため複数の感染者が出て いる可能性も否定できないらしい。
ピリッと、こめかみ辺りが動きました。GWにニューヨークへ向かう予定の知 人に急ぎ、電話した次第ですし、26日ごろに米国へと向かった、黒川清先生の ことが気掛かりになってくるではありませんか。
今朝の新聞を見ると、私が住む埼玉県では、そのニュースに触れられていま せん。米国のクライスラーが破産法を申請というニューヨーク発のニュースを 大きく扱っており、「国内初新型インフルの疑い」という大きな見出しの記事 は、東京周辺に配られた新聞だけに掲載された様子です。舛添厚労相が記者会 見したのが午前1時半、とっくに新聞の締めきりが過ぎるギリギリの時間でし た。きっと、記者会見の予告があって各社が締め切り時間を延長する「降版協 定」を結んで特別の対応したのでしょう。新聞社もそれから記事を作り、それ までの記事を差し替えて印刷に回し、配送のトラックを待機させます。販売店 には新聞の到着時間の遅れを伝えなければならないのです。
どう対処するか。マスクに手洗いの励行、人込みを避けるなど、まず冷静な 判断が必要と繰り返しアナウンスされています。そうはいっても新聞に目を配 ると、東京の中野区や墨田区の教育委員会は幼稚園や小中学校の保護者に食料 品、飲料水の備蓄を文書で求め、千代田区では町内会などに「(不要不急な外 出はさけ)人ごみに出ない」などの対応を促すチラシを配布し、都内で流行し た際には、学校を臨時休校にする準備にも入っているという((読売新聞都民 版)。
□ □
それでもこの季節、行くならどこですか。サクラ祭りの青森・弘前か、石積 みに涼風が吹く風の盆の富山・八尾か、せせらぎに野鳥のさえずりが響く長 野・松本か、新緑にピンクの可憐なやしおつつじが映える奥日光か…いやはや、 旅情抑えがたしなのです。
ご存知でしょうか、新幹線の車内誌、月刊「ひととき」。この定期購読を始 めたのは、このところめっきり出張が減って新幹線に乗らなくなったのと、乗 っても「ひととき」が持ち帰り自由のグリーン車を使わなく(使えなく)なっ て、入手できなくなってきたというのが、その理由です。定期購読すれば、当 然の事ながら毎月20日に手元に届きます。真新しい雑誌のページを開く新鮮さ が、すごく贅沢に思えてくるのです。
何が、それほど楽しみなのか、というと、その毎号の特集が、私の知らない 地方の人々の暮らし、街の風景や伝統の祭り、建物や食の文化という視点でと らえ平明な語り口で読ませてくれるからです。その清新な季節を切り取った風 景写真が実に巧い。どちらかといえば、誌面は、文章より写真が勝っている、 といった方がよいかもしれません。
それも最新号は、格別いい写真を満載していました。今月は「屋根付き橋と 緑の里」というタイトルで、日本の原風景を求めて訪れたい里といえば、「愛 媛県喜多郡内子町(うちこちょう)」なのだそうで、その地域の町並みや自然 を特集していました。黒い格子戸の「御宿月乃家」、江戸後期から栄えた豪商 の屋敷、それと並ぶ漆喰の蔵、それら重厚な造りと趣が往時を偲ばせています。 題材の木造の素朴な屋根付き橋は、クリント・イーストウッド主演の「マジソ ン群の橋」と、そっくりなのには驚きました。この道はどこに通じているので しょうか、すぐにでも飛んで行きたい衝動にかられてしまいます。
郊外のくねくねした山道を行くと、そこは豊穣の美田、泉谷の棚田でした。 「耕して天に至る」と表現しています。5月中旬になると、勾配のきつい山の 斜面の棚田に湧水がはられ、そこが夕日をうけて茜色に染まる。不思議な布が 白蛇のように棚田にうねって見えます。鳥取大学の先生が研究し地元のメー カーが開発した「布マルチシート」による、水稲直播(すいとうじかまき)有 機栽培なのだそうだ。そして、街では、約千統もの大凧が乱舞し、糸を切り合 う伝統の「いかざき大凧合戦」が5月5日繰り広げられる、という。
ほんと、文を読み写真を眺めていると、ひんやりした風や川のせせらぎの音 が聞こえてきました。特段、ツアー旅行のCMのようなお仕着せもなく、気負い も感じさせないところが、その魅力なのかも知れません。こういう地方の里山 で暮らしてみたい、と思います。きっと心底、癒されることでしょう。
その他、シリーズでは「万葉から吹く風」の8回は「紫の万葉歌」、「ちょ っと寄り道うまいもの」の7回は、「岡山のママカリ」が紹介されています。 長期連載の「芭蕉の風景」94回は「仙台」が舞台です。表紙の写真は、京都市 の「白沙村荘」で、明治の画家、橋本関雪の居宅だという。精緻な建築美を軒 下からのぞむアングルに、その先の開けた空いっぱいにモミジの青葉が枝を広 げています。風が走るのでしょうか。
もうひとつ、送られて一番最初に開くページが、目次をめくった左のページ の連載コラム「車窓歳時記」です。筆者は、宗教評論家の「ひろさちや」さん で、DNDメルマガでこれまで何回か紹介したことがありますが、ひろさんの、 このコラムのやさしい語り口には、毎度癒されます。
今月のテーマは「紅一点」です。多くの男性の中に女性が一人まじるのを" 紅一点"といいます。が、本来は、「緑の葉の中に一輪の赤い花が咲いている 状況をいったものです」と説明し、で、その赤い花は何でしょうか…と問うの です。その答えを中国の古典に求め、中国・宗代の詩人、王安石の「詠石榴 詩」を引用して、そのいわれを解説しています。その蘊蓄はさらに奥深いので す。王安石は春の景色に石榴の花を詠んでいるが、として、石榴が花を咲かせ るのは陰暦5月の梅雨のころなのだという。
「どんより曇る暗い中に、燃え立つような紅は印象的で、なるほど"紅一点" という言葉もよく納得できます」と表現していました。
いったいどんな風にしてこんなコラムの着想を思い描くのでしょうか。今回 で58回目です。毎月、それも四季折々の風情を捉える、その感性に心打たれ、 繰り返し読みながら再び癒されていく自分を発見するのです。これが、私の 「至福のひととき」なのかもしれません。
□ □
さて、どんな時に、癒されますか。それを、どこに求めていますか。とはい っても癒される対象って、そんなにあるわけじゃないですね。音楽鑑賞、庭い じり、犬や猫のペット、メダカの飼育もその一つかも知れません。
しかし、最近というか、このところ、時代のタガが外れた感じで、癒される どころか、考えると、気が滅入ってしまいそうな問題が目についてしょうがあ りません。
記者2人が殺傷された朝日新聞阪神支局襲撃事件をめぐる週刊新潮の誤報事 件は、なんだか悔しいというか、情けないというか、嫌な気分にさせられまし た。識者の指摘の通り、「騙された」という経過報告で済まされるものではな いし、それで許される問題ではない。
この週刊誌の記事が、遺族や関係者らにどれほどの苛立ちと苦痛を与えたか。 これはメディアに関わる立場の人の共通の問題として、なぜ、こういう記事が 堂々と世の中に罷り通るのか、その記事が毎週毎週売られている間、誰もが 「嘘っぽい」と感じ、多くの指摘があったのにもかかわらず、それらを無視し て執拗に嘘の連載を繰り返し展開したのは、なぜか、その説明もないまま、何 一つお咎めもないというのも奇妙な話です。
87年5月3日の事件発生からまもなく22年、新聞に遺族の辛い話がコメントと して紹介されていました。
殺害された小尻知博記者(29)の父、信克さん(81)は、まあ、その年齢か らして私の父と同年代ですから、昭和初期の生まれで、苦労の多い時代を懸命 に生き抜いてきたに違いありません。
そのお年寄りにこんなことを言わせていいのだろうか。
「真犯人だと名乗り出る人が現れ、写真週刊誌にカメラを向けられました。 夜中の電話や訪問取材を受け、ウソだと思いつつ、読みたくもない週刊誌を買 いました。一読して息子がこんな男に命を奪われたとは思えませんでした。案 の定、作り話でした。息子の死をもてあそび、世間を騒がす手段に使うなんて ひどすぎます。遺族は振り回されただけで、残ったのはむなしさと悲しみだけ でした」(4月28日付朝日新聞)。
息子を殺害され、その悲しみの延長線上でさらにひどい精神的苦痛を与える。 そんな権利が、誰にあるのでしょう。メディアとは、たとえ週刊誌だって、人 の痛みを感じるところから始めなければならないのではないか。ペンの暴力と いうより、これは脅迫的行為だと残念に思います。
「残ったのは、むなしさと悲しさだけでした」という信克さんの言葉を聞い て、取材の担当者らは、どう感じられたでしょう。相手は、81歳、息子が新聞 記者として誇り高く、悪逆の凶弾に倒れたのです。新聞記者という理由で殺害 されたのですから、メディアの側に立つのなら、せめてその憤りと悔しさを感 じ取れないわけはない、と信じたい。それがわからないのなら、ペンを持つ資 格はないに等しいと思います。今度の虚報は、ほんと罪深いことだと思う。
小尻記者の妻裕子さん(49)は、「ウソを証言した人も事実確認をしないで 載せた週刊新潮も、私たち遺族の気持ちを全く考えていない。とても悪質だと 憤りを覚えます。読者や周りの人たちをだましておきながら、『こちらが騙さ れた』と逃げるなんてひきょうです。売れたらよかったのですね。事件がそん なことに利用されてとても残念です」(同)。
いやあ、悪辣です。遺族の家に、深夜、取材に行ったり、電話をかけたり、 カメラを向けり…やりたい放題やる。こういうのを野放ししていいの?ご年配 の方には、体に障りますね。いきなりのカメラのフラッシュは、危険じゃない のか。せめて遺族には潔く謝罪し、それなりの責任を取らないといけないのじ ゃないか、と思います。
□ □
さて、クリント・イーストウッド主演の映画「グラン・トリノ」を見終わっ て、あまりに鮮烈で、人智を超えた巧な構成と展開に感動し、しばし息が止ま りそうなくらいショックをうけていました。体は痺れたままで身動きが取れま せん。こんな体験は初めて、と茫然としていると、やわらかな旋律がエンディ ングロールに流れ、哀愁を帯びたクリント氏自らの、渋く重い声が体に響いて きました。
この曲がなかったら、さ迷って途方に暮れる心が行き場を失っていたに違い ない。老いと病の不安が、死と背中合わせの恐怖を生むのかも知れません。過 去の苛立ちと悔いる日々、彼に癒しはあるのか、はたして救いとはなんなのか、 を問う、クリント氏最後の映画は、初期の「荒野の用心棒」で見せたニヒルな ガンマンの出で立ちを時に彷彿とさせてみたり、共演のメルリ・ストリーブと の"4日間の不倫"で全米を感動の嵐に包んだ「マジソン群の橋」で描いた家族 の素顔が透けて見えたり、となんだか、「ニューシネマパラダイス」調の過去 の映画の足跡があれこれと垣間見るようで、感慨深い映画に仕上がっていまし た。
クリント親子が関わって制作したといわれるサウンドトラック、その最後の エンディングで聴いた、風に吹かれた悲しみの歌をもう一度聴いてみたい。CD のリリースがされていないので、明日、また映画館で、と思っているところで す。この映画のストーリーは、それは、公言してはいけないのです。
思い出しますね。北海道の最東端、根室市定基町。わが家から、鈍色のオ ホーツクの海を左に見ながら、ゆるやかな坂道を下って突き当ると、その角に 映画館がありました。高校生の時の、テストが終わると、ポケットに1000円の 小遣いを突っ込んで、まず映画館、クリント・イーストウッド主演の西部劇が 流行っていました。見終わると、隣のラーメン店でラーメンをすすり、そして すぐ隣の本屋へ立ち寄って余ったお金で、本も買えたのです。あれから40年な のですね。
■ ■ ■