◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2009/04/08 http://dndi.jp/

「忘れえぬロシア」に魅せられて

 ・豊穣の国立トレチャコフ美術館展開催
 ・亀山郁夫氏、常田照雄氏が探る「涙の理由」
 ・DND登録1万人記念プレゼント当選者発表
 ・好評連載は、石黒憲彦氏、塩沢文朗氏

DNDメディア局の出口です。モスクワからトレチャコフ美術館展がやってく る、と聞いて、居ても立ってもいられず無理を承知で知人にチケットをせがむ と、そんなに楽しみにしているのなら、と特別内覧会の封筒が招待チケットと 一緒に送られてきました。うれしいロシア美術との邂逅は、ほぼ2年ぶり、こ れは私にとっての「忘れえぬロシア」なのです。



:トレチャコフ美術館前の通り


国立トレチャコフ美術館展「忘れえぬロシア」(6月7日まで。毎日新聞社な ど主催、各都市で巡回展を予定)の招待状を持って、一般公開の前日の3日、 急ぎ渋谷駅周辺の雑踏から道玄坂をすり抜けて、渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムに足を運んできました。副題の「リアリズムから印象主義 へ」といえば、ロシア美術を燦然と彩る名作ぞろいと評されます。その中でも 選りすぐりの75作品が紹介されています。「みずみずしく捉えたロシアの人と 大地は、忘れえぬ感動を呼び起こすでしょう」と案内書に書かれていました。


ロシア美術というと、初期キリスト教の宗教画イコンや王侯貴族の肖像画を イメージしてしまいます。が、それはきっと見事に裏切られることになるでし ょう。家族や農婦、その日常の生活や自然の風景、文豪らの肖像など、どの作 品をとっても、繊細でしかも優美、静寂で平穏、豊かで明朗といった、ある種 の安らぎが伝わってくるのです。


しかもそこに、微妙な心の動き、その一瞬の印象を描ききって、そのリアル な情感を額に封じ込んだまま、いまなお、その鮮度を失わない。しっかり目を 凝らすと、闇の中で見えていないところの筆遣いが、うすぼんやりと浮かび上 がってくるじゃありませんか。


モスクワでの感動とは違って、そこに新たな発見がありました。時代はロシ アの激動期、恵まれた若い芸術家らを捨て身の行動に駆り立てたのは何か、内 戦と革命の暗い世相とは裏腹に、どうしてこのような詩情豊かな傑作が生まれ たのか、そして彼らのやさしい眼差しがなぜ、リアリズムと称されたのか。い くつかの疑問が、少しずつ氷解していきます。


さて、照明を落とした会場は、テーマごとに仕切られていました。壁の朱色 と白のコントラストが目にやさしく、いい空気が流れています。トレチャコフ 美術館の外観の色調をアレンジしたのかもしれません。これまで美術館に行く と、視力の利かない目でざっと、一通り見渡してみてハッと心に響いた作品を 選ぶという、そんな鑑賞をしてきました。前宣伝で、この一押しの傑作という 看板作品には、あんまり関心が向きません。さり気なく通り過ぎる、という偏 屈な態度をとってしまいます。だから今回も、題名となった「忘れえぬ女」は、 気になるのだけれど、後回しです。


入口付近のすぐ左壁面に、くつろいだ風景が広がっています。「夏の終りの ヴォルガ河」でした。サヴラーソフは、ヴォルガ河畔のニージニー・ノブゴロ ドなど地方を旅した、という。祖国の典型的な風景、風さえ見えてくる、解説 にありました。懐かしく感じられたのは、モスクワから600キロ東の都市に滞 在した時のことが甦ってくるからでした。広大なユーラシア大陸、そこを南北 に流れるヴォルガ河、この風景画から河は見えてきません。しかし、澄み切っ た空に浮かぶ雲、その雲の流れが、河の流れを縁取っているのです。


その少し先を急ぐと、そこに「眠る子どもたち」。すやすやとやすらかな寝 息が聞こえてきそうです。納屋のわらの上に寝入る、裸足の子供ふたり。それ でも貧しさや哀しさを超えているのは、やわらかな光と子供のネックレスのせ いかもしれません。


2mを超える大作は、「ネヴァ河でのそり遊び」です。サンクトペテルブル グのパノラマ的な冬の景観です。何かのお祝いでしょか、正装して大勢の人が 繰り出しています。そりを引く馬は、何頭描かれているか。画面手前だけで50 数頭を数えました。圧巻でした。


光の森、夕暮れの田園、青白く浮かぶ神秘の山、そして屈託ない幼子の寝姿、 語らう農婦ら庶民の生活…と、いずれの作品と向かい合っても、精緻で写実的 な描写に心が奪われてしまいます。じっと絵画に耳を澄ませば、野鳥のさえず りや風の歌すら聴こえてきます。その静寂で澄んだ風景の中に、なにひとつ警 戒心を抱かせるものはありません。魅入っていると、ほんと心が和らいでくる のがわかります。絵画をみていて、こんな豊かな気分にさせられるのも珍しい ことです。


その全作品75点を丹念に見て回りました。ペンを片手に立ち止まって作品に むかっていると、また画家たちの叫びが聞こえてくるようでした。私にとって の一押しは、アルヒープ・クインジ作の「エルブルース山―月夜」でした。


画面真ん中に、堂々たる威容の山、そこが青白く浮き上がってみえる。艶め かしく神秘的に光を放っているのです。月の光は、こんなに明るいのだろうか。 この山を際立たせる峰々を左右に分ける中央に、川の源流がうねって、その曲 がりに光が反射しています。逆光で黒く陰る画面左右の手前、そこは見えない ところなのですが、次第に目が慣れてきて、切り立った赤茶色の岩肌が徐々に 見えてくるのです。


月光をモチーフにした作品は、この1点でした。が、トレチャコフ美術館に は、色彩を極力抑えた作品が、数多く見られました。闇の風景、月と川が描か れているのです。いやあ、素晴らしい。呼吸が次第に乱れてきました。


エルブルース山は、ロシア連邦のコーカサス山脈に位置し、グルジア国境か ら北に約12キロ、山頂は氷河で覆われた万年雪で、二つの山頂が並んで高さは、 高い方で5642bとヨーロッパ最高峰という。ネットで調べると、真夜中の雪の 山頂付近で隊列を組む登山家らが写真に収められていました。月光が雪に反射 して登山家の足元を明るく照らしていました。


それにしても、この画家、アルヒープ・クインジはどういう人物か。ウクラ イナでギリシャ人の靴屋の家庭に生まれ、サンクトペテルブルグの美術アカデ ミーに学び、光の使い方に独特の技法があるようで、光の詩人と呼ばれていま した。図録の解説には、絵の具の特性と光の影響を研究するため、化学者のド ミトリー・メンデレエフに師事したのですね。そして、この作品以外に、1880 年に発表した「ドニエプルの月夜」は、社会にセンセーションを巻き起こした という。ネットでも確認できます。これは驚愕の作品のようです。実物を見て みたい、そう思いました。


さて、会場中央の1枚の絵を大勢の人が取り囲んでいます。34年ぶり2度目の 日本公開となるイワン・クラムスコイ作の「忘れえぬ女」でした。プレートに 「unknown Lady」とありました。「見知らぬ女」とも訳されています。


この美術館展の象徴とあって会場のど真ん中、その特設の朱色の壁に飾られ、 ひときわ華やかで謎めいて人目を引いていました。ロシア絵画の中で最も愛さ れ、人気がある作品なのですね。私には、その憂いの黒い瞳は、何を訴えてい るのでしょう。美しさより、深い悲しみを誘うように見えてきます。ロシア文 学の第一人者で、東京外国語大学長の亀山郁夫さんが、会場にそのスリムな姿 を見せていました。亀山さんは、図録に寄せた随想の中で、「忘れえぬ女」の 作品に触れて、出会いの度に鮮烈な印象を呼び起こしてくれる、と語り、彼女 の内面にきざしているドラマが恐ろしい勢いで迫り、激しい動揺を覚えた、と 述懐しているのです。文学者の想像力は、人物の表情からその心の奥を察知し、 その時代の空気や状況を読み取ってしまうのですね。その理由?いやいや、ス トーリーの結末を急いではいけません。


その彼女の潤んだ瞳に思わず目が行ってしまいます。が、ここでもじっくり 眺めていると、場所はサンクトペテルブルグのエルミタージュの宮殿に通じる ネフスキー通り、季節は冬。ミンク風の毛皮、金のブレスレッド、黒いレース の手袋など洗練された装飾から、そのあらゆる色彩を取り去ることによって、 あるいは背景や設定を殺風景する効果によって、馬車の上の貴婦人の表情がい っそう際立って見える、のではないか、と思いました。


この絵を右側から見ると、左側の通路の壁に、縦長の絵が妙に気になってき ました。クラムスコイ作の「画家シーシキンの肖像」でした。持ち物からスケ ッチに出向いているのでしょう、杖に体をあずけた格好でさわやかな印象を与 えています。その澄んだ目は遠くのどこに向けられているのか、その行方に風 が吹いているようです。会場の絵のそばで、女性が「ポールニューマンに似て いる、格好いい!」と声に出していました。モデルのシーシキンはクラムスコ イの友人で、美術アカデミー在学中に知り合ったようです。


1点1点、こんな風に見ていくと、楽しいものです。古く重厚な額の装丁や展 示の意図を知るのもいいかもしれません。これで結構、時間がかかるものです。 それにしてもロシア美術、その作品のレベルは群を抜いています。


やはり考えれば、美術展のサブタイトルで示した「リアリズムから印象主義 へ」という変遷の時代は、19世紀半ばから20世紀初頭です。王侯貴族と農奴と いう抑圧の帝政ロシア、その崩壊の激動期です。そこで花開いたロシア絵画に、 その悲嘆の痕跡が何ひとつとどめていないのです。批判や告発の虐げられた現 実が、少しもみあたらないのです。逆に、明るく平穏で屈託がありません。


それは、なぜですか?ほぼ2年前の国立トレチャコフ美術館訪問で抱いた疑 問を、これまで繰り返し反すうしてきました。今回、やっとそのヒントを得て、 氷解しそうなのです。


息づく自然を愛し、そこから学ぶ、その感動を詩的な感性で描いていく。祖 国への思いを風景画に託す、というのです。現実の切実な矛盾を誇張して見せ たり、感傷的に捉えたりはしない。人間の持つ優しさを根底に秘める、そんな ところがロシア美術のリアリズムの特色であり、後に移動展派と呼ばれる画家 たちの優れたところである、と、トレチャコフ美術館の絵画部長、ガリーナ・ チェクラさんが、今回展の図録の中で解説していました。


この画家たちの特筆すべきエピソードといえば、1863年のサンクトペテルブ ルグの美術アカデミーで起こった"事件"です。フランス留学などの特典がある コンペティションの有力候補だった14人の卒業生らが、アカデミーから提示さ れたコンクールの統一課題を拒否し、卒業制作のテーマを個々に選ぶことを主 張したのです。この要求は受け入れられず、彼らは卒業後の特権や称号を捨て て全員退学した「14人の反乱」でした。


このリーダーが若きクラムスコイで、今回の美術展の目玉となっている「忘 れえぬ女」の作者というのは、前述の通りです。彼は、芸術は人間を扱うので あって、「役人的組織には拠らない自由な芸術があるべきです」という信念を 持っていた、とその図録で解説していました。クラムスコイらが中心となって、 その後、移動展覧会協会を設立し、ロシア帝国内を巡回することになるわけで す。当時、実業家のパーヴェル・トレチャコフは、移動展派と呼ばれる彼らの 作品を購入し、資金提供などの支援を続けていました。トレチャコフ美術館の、 約10万点に及ぶ収蔵品の中でも19世紀後半のリアリズム絵画を完璧に収集して いるのは、その当時の活動に負うところが大きい、という。


この特別内覧会当日、そこで記念のセレモニーが開かれました。ロシア側か ら、館長のワレンチン・ロジオノフさん、駐日ロシア大使のミハイル・ベール イさんが挨拶に立ちました。毎日新聞の取締役、広告事業本部長の常田照雄さ んは、主催者を代表してこんな挨拶をしていました。


「忘れえぬ女、亀山先生の言葉をかりれば、彼女の瞳ににじむ涙、そこにど んな秘密が隠されているのか、時間を超え、心をワープさせてその理由を探っ てみることが最高の楽しみ方だと思います」と。



:トレチャコフ美術館外観


さて、モスクワ中心街の赤の広場やクレムリンから南下し、モスクワ川を越 えた先のラヴールシンスキー通りに面した、一角にトレチャコフ美術館はあり ます。その内部のスケールに比べて瀟洒な造りは、ロシア様式にならっている のでしょう。正面に、腕を左右に組んだ髭の男爵風の胸像が、トレチャコフさ んでした。ゆったりとした館内は、初期キリスト教の宗教画イコンの神秘的な 絵画が並んでいましたし、数多くの肖像画、そして彫刻からブロンズまでその 作品群は、圧倒的でした。モスクワに行った時に立ち寄って虜になり、今回の 展示会で、トレチャコフ美術館への思いが再燃してしまったようです。時間が 許す限り、繰り返し足を運んでみようと思っています。



※国立トレチャコフ美術館展は、岩手県立美術館(6月13日−7月21日)、広 島県立美術館(7月28日−10月18日)、郡山市美術館(10月24日−12月13日) と巡回します。協力:日本航空、企画協力:アートインプレッション。


■【ユーザー登録1万人突破プレゼント:当選発表】
大勢の方々からご応募いただきました。ありがとうございます。
『日光世界遺産の旅賞』
神奈川県の豊岡孝資さん:日光東照宮晃陽苑から6ケ月有効のペア宿泊券が贈 られます。おめでとうございます。
『国立トレチャコフ美術館展「忘れえぬロシア」の鑑賞券(ペア)』は
埼玉県の山中春治さんほか9名の方に決まりました。


■【連載】は、塩沢文朗さんの「原点回帰の旅」の50回「地球と歴史と人間の 主体性」で、体調を崩される最悪のコンディションでの執筆でした。塩沢さん には、「同世代の感傷的気分で読み進めていると、壮大な宇宙を飲み込むよう なストーリーに展開し、そして、人間が人間であるために…というなにか存在 の本質に迫るじゃないですか。個人的には、所詮はかなく短い人生、己の好き なように、それも主体的に生きていけばいいのではないか、とも思うのですが …」との感想を書かせてもらいました。


■もうひとつは、常連の経済産業省の石黒憲彦さんの「志本主義のススメ」の 131回は「街角景気ウォチングと次の対策」。景気回復の効果的な施策を練 る石黒さんらしく、この春、街角ウォチングの点描は、やや高揚感というか、 なんらかの手ごたえが感じられているのでしょうか。消費活動が、着実に動き 始めている、と私も同様の印象を持ちました。本題は、衆院を通過した産活法 を詳しく解説されています。いろいろ議論があったようですが、自民・公明、 それに民主各党の賛成を得られたのですね。そして次の経済対策は、と休む間 もなく、市場の回復に専心されているようです。希望的観測を指摘されると、 心理的になんだかそういう風になっていくような気になります。


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