◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2009/02/05 http://dndi.jp/

シリコンバレー旋風、TiE日本上陸

 〜伝説の起業家、Rekhiさんに急接近〜
 〜東京、福岡のTiEシンポジウム報告〜
 〜石黒氏の経産省の緊急施策のポイント〜
 〜9回目のダボス会議、黒川先生の報告〜

DNDメディア局の出口です。玄関先の凍てついた庭の福寿草の、その蕾の先 っぽが、少し割れているのを見つけました。今朝、開花したのかもしれません。 しゃがんでのぞき込むと、その中から花の黄色がまばゆく光ってみえました。 耳を澄ませば、周辺から小さな命の胎動が響いてきます。


さて、米シリコンバレーの繁栄の礎を築いたとされる、印僑・伝説の起業家、 カンワル・レキさん(Mr.Kanwal Rekhi)に先月末、東京でひと目見て感じ入 り、福岡では間近に接して、その実践的で誠実な語り口に強く衝撃を受けまし た。その胸中は、いったい何を思い描いているのか。そのレキさんの底知れな い魅力を、この拙文で伝えるのは容易なことじゃありません。


インド人初の株式上場などITベンチャーのフロンティアであり、シリコンバ レーのゴッドファーザーの異名をとるレキさん、一見そんな豪傑風のイメージ とは、なにもかも裏腹でした。深い祈りの中で、まるで瞑想しているかのよう な不可思議な存在感は、いったいこれもどこからかもしだされるのでしょう。


ゆったりとした物腰、それが気になるほど静かで、気負いのかけらも見受け られません。それでいながら知的で繊細なのでしょう、あたかも悟られぬよう に注意深く周辺に気を配っていたのかもしれません。おとなしいほど慎み深い のですね。どんな場面でも、その英語の抑揚は少しも乱れることがありません でした。それが、夥しい数のThe Great Indian Dreamを育んだカリスマ起業家 の真髄なのでしょうか。


が、言葉への反応は人一倍鋭いらしく、時に静かに笑みを浮かべ、時にその 問題の性質によっては身をのりだすほど、真剣な表情を見せる場面がありまし た。レキさんを師と仰ぐ、TiE東京支部の人たちは器用に日本語を操り、こま やかに心を砕いていました。


Globalizationの風に運ばれて、シリコンバレーのDNAがやってきたのです。 もう変革の波が、すぐそこまで押し寄せています。レキさんを囲んで、そんな に上手じゃない和製の英語が堂々と飛び交っていたし、これまで考えなかった 「自分で仕事をスタートさせる」というEntrepreneurship(起業家精神)が、 ひょっとしてわが国のInnovation(価値創造)の扉を開く歴史的一歩となった かもしれません。


苦境のインドから8ドルを手に渡米し、幾多の困難や差別の壁を越えて築き 上げたレキさんの成功物語、それと世界最大規模を誇る起業家ネットワークTi E(The Indus Entrepreneur)については、NHKスペシャルの取材班がその近著 『続・インドの衝撃』(文藝春秋刊)で、その裏表を余すところなく取材し、 読みやすくまとめています。


インドから海外に雄飛して成功をおさめた数多くの人々、世界の頭脳といわ れる印僑です。NHKスペシャルは、その動きをフォローしているのですね。そ れが、遅ればせながら東京で旗揚げしたのです。



TiEの真ん中のi。そのindus の文字にind(India)とus(United States) の意味が込められているとは知りませんでした。この起業家ネットワークが、 インドだけのものでなく、あるいはアメリカだけのものでもない。その両方な のですね。しかし、そこだけでとどまらないのです。これまで世界で11ケ国、 49都市で12000人以上の起業家ネットワークを構築することが可能だったのか もしれません。


この造語のひとつを例にとっても、人間の知恵というか、現実と向かい合う 融和の東洋哲学、その奥の深さを感じます。そして、このたび、レキさんをシ リコンバレーから招いて、非英語圏では初めてTiE東京支部が設立されたこと は、わが国の土壌からやっとEntrepreneurshipの芽が育って成長段階に入って きたことを意味する、と感じました。


東京駅正面の丸ビル。その7階の丸ビルホール&コンファレンススクエア。1 月29日午後14時、「Entrepreneurship &Globalization」と題したTiEの東京 支部設立のシンポジウムが開かれました。会場提供の三菱地所、そして21c東 京クラブの田中克徳さんらが東京支部の理事に名を連ねていました。


その4部構成のシンポジウムは、冒頭、東京支部の理事長に就任した、サン シーヴ・スィンハさん(Mr.Sanjeev Sinha)が挨拶に立ち、日本語で「日本に 必要なグローバル化のためにTiEのネットワークを駆使して日本と世界の起業 家をつなげていきたい」と抱負を述べていました。それもこれも、田中さんと スィンハさんの出会いから始まるのですね。


精力的に動くスィンハさんは、1973年生まれの35歳、1996年人工知能研究の ゲンテック社に入社するため来日、それから12年。昨年、日本とインドを結ぶ コンサルティング会社「サンアンドサンズアドバイザー」を設立するなど、活 動の幅を広げていました。インド工科大学の日本同窓会を2003年に創設し、20 07年秋開催のIIT卒業生の集いに、カンワレ・レキさんを招いたのもスィンハ さんでした。


さて、その第1部、注目のレキさんの登場です。司会に日経の関口和人さん、 壇上では、レキさんをはさんで左側がVCを立ち上げてベンチャー支援に情熱を 捧げる西岡郁夫さん、右側がいくつもの起業で数々の成功を収めるイー・モバ イルの会長の千本倖生さん、いやあ、どうもその真ん中というポジションのレ キさん、左右の論客の舌鋒に、いささか恐縮している風に見えました。


すでに一段高い後部席までぎっしり埋まって立ち見まででる盛況ぶり。メデ ィア関係者も多く、NHKのテレビクルーも撮影に追われていました。セッショ ンでは、パネラーらから日本の起業環境の課題についていくつかの指摘が行わ れていました。


司会が日経新聞のベテラン記者ということもあって、直言のパネラーから日 本のビジョンを担う新聞社が、その紙面でわが国のイノベーションを創出する ベンチャー欄を廃止したというのは、大いに問題でそれを再開すべきという声 をあげられないなら、その椅子に座る資格なし、という意味の冗談まじりの厳 しい指摘も飛んで、まあ、それもごもっともと会場から賛同の笑いと拍手を誘 う場面もありました。終始、熱っぽく、こんな風にベンチャー育成に情熱を傾 けられる先輩が、我が国にも多く存在していることに意を強くした参加者もい たのではないか。


ところで肝心のレキさん、やや控え目で言葉も少なめでした。日本の課題、 インドとの違いについてふられて、「私は日本の専門家じゃないので…」と前 置きして、少なからず日本を見ていると、失敗しちゃいけないという考えがあ るのではないか。起業家が育つには、失敗を受け入れる社会的土壌が必要です。 モラルを持った上で、失敗を恐れない。自分の失敗から学ぶ。そうしないと、 ろくなベンチャーしかでてきません。そして、成功例を作ってどんどん成功モ デルをつくることが大切です、という。


また日本の状況について聞かれて、快適な環境に慣れると、つい甘えてしま うのではないか。社会の環境は刻々変化しています。その変化にどう対応する か、このような状況では、「早く行動を起こすことです」と指摘し、進化する ことをやめたら生存ができなくなってしまいます。日本は、この20年間、際立 った成長が見られないのは、新しい考え方がでていないためではないでしょう か、と語っていました。



エネルギーなどのテクノロジーに精通し、日本での起業並びに在住期間が長 い、もうひとりの外国人、マイケル・アルファントさんは、どちらかといえば 日本びいきという印象を受けました。しかし、そのセッションの途中で、私の 時間切れ。次の広告代理店との打ち合わせが控えていて、後ろ髪を引かれる思 いで会場を後にしました。


前の列に、福岡のシンポを伝えてくれた九州大学の五十嵐伸吾さん、その後 ろに、この東京支部のセッション取材もお忘れなく、と教えてくれた北海道ベ ンチャーキャピタルの松田一敬さん、僕と同じ中段の列には、DNDスタート当 初、番頭役を務めてくれた葛巻岳さんの姿がありました。「メルマガを見てす ぐ申し込みました」という。いつも勉強熱心です。その後のセッション、そし て懇親会はさぞ賑わったことでしょう。


そしてその2 日後の31日午後は、福岡市の中心街、天神エリアにある西日本 新聞会館に足を運んでいました。街は突風が吹き荒れていました。午後13時、 定刻通り、同時通訳付きの国際シンポジウム「TiEの活動から学ぶグローバ ル・アントレプレナーシップ」の開始です。司会は、五十嵐さん。


席は中央の3列目の左側、その通路をはさんで左側の前方に、本物のカンワ ル・レキさんが座ってくるじゃありませんか。手を伸ばせは届きそうで、声を かければこちら側に振り向きそうなくらい、わずか1メートルの至近、ふ〜む、 どうしようか、Hello Mr.Rekhi,って、そんな突飛なことができるわけもない のに、なぜか、その衝動を抑えようとしていました。カメラを構えてファイン ダーから、意味もなく実物のレキさんをのぞき込んでいる…ちょっと変かもし れない。


歓迎の挨拶に続いて、レキさんの講演です。一歩一歩ゆっくり壇上に進んで、 まず口をついてでた言葉が、「福岡は美しい街です」でした。これまで20回ほ ど来日し、西日本のエリアは大阪までで福岡は今回が初めてでした。


スピーチは、42年前、22歳の時の思い出から始まりました。インドの政情が 悪く第3世界と呼ばれる時に、インド工科大学ムンバイ校を卒業した。インド は何をしたらいいのか分からない状態に置かれていました。そんな時に渡米し た…とその生い立ちから、インド人というだけで、どんなに仕事の能力が勝っ ても、昇進ができない、管理職に登用されない。その屈辱や失望をバネにシリ コンバレーで独立した動機に触れていました。


ある職場で、レキさんの部下に英国人のデビッド・ジャクソン氏がいて、彼 が突如、会社を辞めて独立したのです。1981年のことでした。まさにあれが起 業だったのです。


「私の部下がやってできるなら、私にだってできる」と、レキさんも会社を 辞めて自分の会社をつくりました。レキさんは、TCP/IPというPCやインターネ ットの接続に欠かせないプロトコルを民間で初めて実用化に成功し、インター ネットの普及に大きく貢献しました。製品の設計を数週間で仕上げ、インテル のチップを搭載したボードを作ったり、ペンダゴンに売ったりして、ITのパイ オニアとしての役割を果たすことができました、という。当時の日本のパート ナーは、東京大学でした。85年、レキさんの技術を導入していたのです。


こんな調子でスピーチは続きました。レキさんは淡々と振り返ります。が、 『続・インドの衝撃』のV.第二章「シリコンバレーのゴッドファーザー」を 読むと、「成功までの長い道のり」、「百回断られても諦めない」、「熱意で 偏見を打ち破る」、「ウォール・ストリートの壁」などの見出しが意味するよ うに、それは苦難の連続でした。そういう苦しいエピソードは、そこでは多く を語りませんでした。


本には、こんなくだりがあります。
 レキ氏は仲間と共に、連日、二百ページの分厚いビジネスプランを携えて投 資家を訪ねては出資を求めた。しかし、百人近い投資家に立て続けに断られた という。しかも、投資家たちはまるで判を押したように同じ言葉を繰り返した。


「アイディアは素晴らしい。しかし、君たちはエンジニアだ。会社の経営と いうものを知らない。誰かきちんとした経験のある人物、つまり白人の経営者 がトップに立つ必要がある」と。


しかし、レキさんらは、誰かがきっと「イエス」と言ってくれるはずだと信 じて投資家への説得を続けるのです。そしてついに白人の投資家が現れること になります。そこまでの苦難、そこからの苦難と栄光の歴史は、これこそが The Great Indian Dreamといわれる所以で、大きな感動をもっていまだに伝説 として語られ続けているのです。


そして話は80年代後半、起業ブームで台頭したのがインド人で、そこからTi Eの発足につながっていくのです。設立の趣旨、インド人が産業を創る、とい うことでした。その辺からレキさんの講演は熱が入ってきました。94年の設立 のセミナーに500人の起業家が手を挙げてくれた。その後の、シリコンバレー のスタートアップを支える人物が大勢加わっていた、という。


レキさんは、そこで、「アメリカの大地に新たな歴史がインド人によって刻 まれた記念日となったのです」と語気を強めていました。1990年にはインドで 自由化が進み、2000年から目覚ましい成長をみるのですが、これは政府主導で はなく草の根、ボトムアップからのロールモデルでした。あの人が出来るなら、 私にもできる、という起業家の登場は、人を変え社会を変え、国家を変えます。 社会に活力を与えるのも起業家の役割といえます、と持論を展開し、お互いの 切磋琢磨で経験を共有し、新しい雇用を生んで、生活を向上させてサービスや 富を生み出す、そのノウハウを提供していくことです、と訴えていました。


その中で日本の現状に触れて、今の豊かさが起業家を生む阻害要因になって いるのではないか、今の殻を破る情熱を持って欲しい。戦後、ホンダやソニー といった起業家が生まれました。潜在的にそういう起業家精神を分かっている し、心の深いところに持っているものと確信していますーとこれからの日本の あり方に期待を寄せていました。


この辺のポイントを『続・インドの衝撃』から探ると、こんな具合になりま す。これはスィンハさんが、TiE東京支部設立に際してレキさんからメンタリ ングと称する個別のアドバイスを受けた時の、レキさんの指摘です。ちょっと 重要なところなので引用します。


レキさんは、「(日本は)もっと、革新的で破壊的でなくては優位を保つこ とはできません。既存のものを壊さなければ、新しいものが生まれる余地はで きません。破壊とは、言い換えれば、『イノベーション』を意味するのだと訴 える必要があるでしょう」と説明し、そして、今の日本の若い人たちは、ホン ダやソニーに就職するのが本筋で、それを変えよう、破壊しようなどとは思わ ないでしょう。しかし、ホンダもソニーも偉大な起業家によって生まれ、『イ ノベーション』、つまりは破壊によって成長したのだと、再認識してもらう必 要があります」と語っていました。


 続いて、スィンハさんがTiE東京支部の役割について「いま日本大きなチャ ンス」と前置きして、TiE東京支部は「日本の価値を世界中に伝えていきた い」と抱負を語っていました。その後、日本に在住18年のデヴァダス・パラカ ルさんは、TiEの理念と活動について説明し、特に強調したのはメンタリング でした。TiEの活動の基本で、成功した起業家がその経験を伝えるもので、相 手の悩みや疑問に答えながら、実はメンターの側も教えられることが多いのだ という。


メンターは全くのボランティアで、逆に年間の会費を払うことになっている が、メンタリングを受ける側は無料というシステムもこの組織の特徴となって いる、という。一日も成功して、メンターに仲間入りしたい、という夢を持っ ているという。これがシリコンバレーの流儀なのでしょうか、メンターを組織 する日本の場合、成功経験も気薄ならビジネスの手法もまったく逆になってし まっている…。


シンポジウムは、要領よく進行し、その後の会場からのQAには、会社法のス ペシャリストで事業再生をてがける弁護士の古田利雄さん、TiE東京支部設立 に尽力された三菱地所の田中さんらが加わって、活発な意見交換が行われまし た。その冒頭、五十嵐さんが、会場に向かって、起業家のイメージについて挙 手を求め、「ヒーローかアンチヒーローか」を問うと、半数以上の多くが 「ヒーロー」と答えていました。


その前日、レキさんらを招いた大学のセミナーで同じ質問に対して学生の多 くが「アンチヒーロー」という答えだったことを紹介していました。その違い について、五十嵐さんが壇上のレキさんに感想を聞くと、レキさん「大変、感 銘を憶えました」と言って、すぐに「これは前もって打ち合わせしていたので はないか?」と茶目っ気を見せていました。そして、起業家は、いつの時代も 雇用を生み出し、社会を豊かにするものです、とその存在がいかにヒーローに ふさわしいかを伝えていました。


また会場から「日本の社会は起業家になるのは難しいのではないか」という 質問にレキさんは、「日本の事はよく分からない」としながらも、起業が難し いとすれば、それは外的な問題より内からの障害があるのではないか、と語り、 そして「まず第一歩、勇気を出してその一歩を進んで欲しい」と激励していま した。そして、別の質問には「リスクを恐れない。リスクと向かい合う」こと の重要性を訴えて、「馬に乗れば落ちることもある。失敗は起業家にとっては 学習であり経験です。2から3回やってみて、もうダメだと思うまで失敗しても いいのではないか。そうしてチャンスを掴んでいただきたい」と答えていまし た。まあ、いずれも的確に胸に響く指導でした。演題でのスピーチより、こう いった一種のQAによる、双方向のメンタリングの方が、熱が入るのでしょう か。


その後は、フューチャーアーキテクトの会長兼CEOで経済同友会の副代表幹 事の金丸恭文さんが、「日本におけるアントレプレナーシップ」と題して、ご 自身の起業体験と経済同友会が実施したアンケートに基づく興味深い内容を紹 介していました。なぜ、起業に踏み切れないか、とか、創業者の父の職業調査 では、創業者の半数が事業経営者だった、という結果から「身近に経営をして いる姿を見ているということは経営しやすいのではないか」と話していました。 また、大学教授を父に持つ人もだからといって諦めてはいけない、なぜなら楽 天のオーナー、三木谷浩史氏の父が大学教授だから、とのエピソードも紹介し て会場を沸かせていました。



:講演に立つ金丸さん


会場は、180人前後の参加者でほぼ満杯でした。僕がお誘いした飯塚市、九 州工業大学発ベンチャーの「ハウインターナショナル」社長の正田英樹さんは、 レキさんに質問して元気なところを見せていました。その彼のブログには、印 象的な言葉としては、「ITのダイナミズムは起業家によってもたらされたので あって、国家によってもたらされたのではない」というところと、90年代イン ド人起業家が出始め、当時は1億ドルの投資だったのが、2000年に10億ドルな り、2008年では600億ドルの投資となっており、この約二十年弱で600倍となっ ている、というところ、を紹介していました。


シンポは一部の締めは、九州大学知財本部副本部長で教授、国際産学官連携 センター長の谷川徹さんで、ご自身が金融出身でサンフランシスコ支店に赴任 し、シリコンバレーの風に吹かれて、新たな道を選択したというキャリアの持 ち主らしく、起業家精神とグローバル化、それに大学が地域にどう貢献するか、 が大きなミッション、と語り、今回のシンポジウムが参加者の皆様の次のステ ップの新しいヒントになれば幸いです、と挨拶していました。少しお話しまし たが、随分と幅広い個人的なネットワークを持っていらっしゃるのですね。と ても感心しました。



:閉会の挨拶に立つ、谷川さん


さて、懇親の二次会は、隣の会場でコーヒーとチョコ、それにクッキーとい うティーパーティーでした。これもアイディアです。一番のごちそうは、レキ さんやスィンハさんらを囲んでの個別のメンタリングだったようです。金丸さ んや古田さん、勿論、五十嵐さんや田中さんらが参加者の相談に耳を傾けてい ました。僕も、Infosysのエンジニアや九大の学生さんらのお相手をさせてい ただきました。地元、福岡市の創業支援室の高松和生さん、企業誘致課の富田 雅志さんら懐かしい顔も見受けられました。それにインドの方々をお世話して いた三菱地所の末永沢子さんが、こまやかな気配りを見せていました。あっち こっちでいくつもの輪ができていました。レキさんやスィンハさんらと記念撮 影もさせていただきましたし、ちょうど、スイスのダボス会議に参加の黒川清 先生からメールが入り、レキさんらへのメッセージを伝えることもできました。 スィンハさんとは以前から面識があったようです。



:スィンハさんも談笑の輪に



:TiE理事のパラカルさんを囲んで


そこでのハプニングというか、まあ、グローバル化の流れからいえば、当然 なのでしょう〜歓迎の挨拶に立った九州大学大学院教授の星野裕志さんがマイ クを持って英語でスピーチしたのです。続く経済産業省の吾郷進平さんも日本 語からにわかに英語にスイッチし、ほほぉ〜なかなかやる、ご自身、be Optimistic!と言うだけあって英語も確かなら、表情も晴れやかでした。五十 嵐さんの指名で、一番おしまいに登場した、この企画を裏方で支えた学生らを 代表して、水崎創介さんも英語でスピーチ、懸命でした。レキさんらも大喜び で、会場から万雷の拍手がわき上がっていました。みんな何か一歩踏み出した ようですね。



:インド人の参加者に指導するレキさん



:レキさんを囲んで


TiEの東京支部の誕生は、今後、日本のEntrepreneurshipにどんな衝撃をも たらすのでしょか。翌週からスィンハさんは動きを活発化させていました。そ の余波で、僕の周辺もにわかに忙しく、彼からの英語のメールは、ウェブのエ キサイトを開いて、あれこれ…なんです。五十嵐さん、皆さん、大変、御疲れ 様でした。このメルマガの配信の後に、バックナンバーで写真をアップします ので、そちらもご覧ください。


◇     ◇      ◇
■連載は、経済産業省の石黒憲彦さんの「志本主義のススメ」127回「産業活 力再生特別措置法」です。2月3日に閣議決定された改正案のご紹介で、その背 景と大意が詳しく解説されています。イノベーション創造機構、正式に「株式 会社産業革新機構」として発足する運びです。その動向にも触れています。ど うぞ、ご参考にお読みください。


■連載は、張輝さんの「中国のイノベーション」24回「中国ハイテク産業、ハ イテク企業、及びハイテク分野」です。中国のハイテク産業の現状は、そして その成長の源泉はどこからくるのかー中国のイノベーションをウオッチする張 さんの本領発揮という印象です。どうぞ、中国のハイテクのドアを叩いてみて はいかがでしょうか。


■黒川清さんの「学術の風」は、ダボス会議9年目の報告です。今回のメーン は、金融システムの崩壊と経済の大不況で、ロシアのプーチン首相の「強気」 のメッセージは、どんな評価を与えたのか、その辺の様子が描かれています。


※なお、連載には比嘉照夫さん、塩沢文朗さんのコラムは、来週に掲載し、ご 報告しますのでご容赦ください。



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