DNDメディア局の出口です。その昔、私が新聞社に入った頃は、新聞は、 「社会を映す鏡」、「社会の木鐸」を自負していました。新聞を読んでいれば、事件の本質も経済の構図も政治の仕組みも、そして病理の細胞から神秘の宇宙まで、その森羅万象を捉えて、いま何がどうなっているのか、を瞬時に伝え、時には政官の権力の癒着の断面をも浮かび上がらせる。しかし、その鏡がいまなぜ、敬遠され始めているのでしょう。
そのガラスの表面が曇って見えにくいのか、映すべき対象が肥大化して全体 を捉える事が難しいのか、鏡を見る側に何か意識の変化が起きているのか、ど うか。このところの新聞の読者離れ、広告の激減は、極めて深刻な様相で、新 聞経営の屋台骨をぐらつかせているらしい。
まず、今の新聞業界の現状。週刊ダイヤモンドは今週、「新聞・テレビ複合 不況」の特集で、表紙に崩落寸前の岩場に足をすくませるライオンのシルエッ トを描いて見せて、「崖っ縁に立つマスメディアの王者」の見出し。それを追 うと、水面下でメディアの大再編が蠢いており、あの日経も広告激減に見舞わ れて業界が窮地に追い込まれている、そうだ。
広告激減の嵐は、どうも新聞ばかりじゃなく、テレビ媒体にも加速している、 といってその理由を、特集の前文でこう記述しています。
「米国のサブプライムローン問題に端を発した景気悪化が背中を直撃、繁栄 を支えた経営モデルも足元から急速に崩れ落ちる『複合不況』に陥っている。 次にどんなビジネスモデルを構築するか、先がまったく見えない閉塞感が、不 況の底をますます深くする」と憂いて、そして、「はたしてマスメディアの王 者は谷底に転落してしまうのか、それともギリギリで踏みとどまれるのか」と 疑問を投げかけていました。
いやあ、周辺を見渡すと、前職の先輩の口から、その不安と苛立ちが繰り返 し伝えられてきます。中堅の記者からは、深夜に及ぶ過酷な仕事が増えて、 「体調が悪い」という訴えが漏れてきます。ある編集長は、ベンチャーがリス キーで大手企業は安泰というのは、もはや遠い過去のこと、いま大手企業の方 が危ないのは新聞社も例外じゃないようで、日々どうしていいか、分からない、 と切実だ。
月刊誌も惜しいことに廃刊が相次いでいます。駅の売店では、普段の乗降客 も減ってスポーツ紙や夕刊紙がさっぱり売れない。本日のスポーツ紙の一面の、 遠征から帰国した卓球の「愛ちゃん」の記事で、さすがに売店のおばちゃんで すら、「これじゃねぇ、誰も買わないわよ!朝、テレビでやるんですもの」と、 あきれ顔でした。
この新聞や雑誌などの活字媒体の部数並びに広告の激減の、その背景につい ては、「インターネットや携帯電話などのメディアと競合して定期購読率が低 下し、市場は縮小傾向を余儀なくされているのが実態」とよく指摘されます。
ネットの成熟で、メディアの環境が激変し、端末でいつでも情報が手に入る 時代です。『ウェブ2.0は夢か現実か?』(宝島社新書)の著者、佐々木俊尚 さんは、そのあとがきでフリードマンの「フラット化」を引き合いに出し「フ ラットな土俵の上で、企業と個人、個人と個人が相互に接続されていく。あら たな社会は、そんな枠組みから作り上げられる」と喝破していました。情報の 発信、それを受け取る、という従来のメディアの概念が、根底から崩れている というあらたなパラダイムが生じている、という指摘です。
そこで、佐々木さんが「Googleチルドレンが歴史を塗りかえるか」、といえ ば、さる先月放映のNHKのスペシャル「デジタルネイティブ〜次代を変える若 者たち〜」では、子どものころから、インターネットを「水」や「空気」のよ うに使いこなしてきた若者たちを「デジタルネイティブ」と呼び、この若者た ちの考えや行動が、世界を変える可能性を秘めている、という。
いま、メディアは大きな歴史的転換期を迎えているのでしょうか。新聞は、 社会を映す鏡でいられるか、さて、その鏡は、いつの間にか、見覚えのあるシ ワを刻んだ老人の疲れた表情を映していないか。鏡がぼやけているのか、見る 側の問題なのか、判然としない〜そんなサマセット・モームの小説のような皮 肉な話に聞こえてきます。
しかし、ねぇ、よく考えてみてください。それでも私は、新聞を支持します。 こんなに面白く、安価で、役に立つ、確かな媒体は、ほかに存在しないではな いか。折り込みチラシだって有益で、その日のスーパーの目玉商品がひと目で わかる。新聞配達といえば、毎朝毎夕、嵐の日も地震の日も自宅の郵便受けに きちんと届けてくれる。雨の日ならば、ビニール袋に入れて濡れないように気 遣う。また、更新が近づくと、ビール券や洗剤を置いていくし、お好きなもの をどうぞ、と商品カタログを持参したり、と至れり尽くせり、なのだ。
新聞の宅配サービスって、よくできたシステムで、100円前後の商品を玄関 先まで届ける、というのは、他にはありません。1日に1千万世帯に新聞を届けられる、というシステムもミラクルです。信州の険しい山小屋にも、道東の岬の漁村にも、津々浦々、一軒一軒お届けし、そしてその購読料金は変わらない、というのだから、凄いと思いませんか。
そもそも、日々、新聞をちゃんと読んでいる人は、どのくらいいるのでしょ うか。ふと、そんな疑問が湧いてきます。
若者の新聞離れ、それは、もうひとつ違う角度からアプローチしてみると、 新聞の読み方が、分からないのではないか。新聞社も販売店も、新聞の「レシ ピ」に、無頓着すぎる。どうもそんな気がしてきます。
裏を返せば、新聞編集に携わる人たちが、読者の視点に立っていないためではないか。そう疑えば、新聞記者がお互いに、あれはよかった、これはどうだった、ってあんまり目立った論評をしない。某新聞を、それほどの根拠もなく攻撃する、徹底してやっつける、そういう一部の識者グループは存在するが、記事を褒める、ということを基本的にどこもやらない。だから、記事の第三者評価がないがしろにされているように思う。
まあ、毎年秋の新聞協会賞の発表の時は、その取材姿勢や、スクープに敬意 を表するイベントはあるが、それも内輪のことですね。一般の読者には、関係 がない。
それなのでどれがいい記事なのか、1面と社会面の違いはどこにあるのか、1 面と2面、それぞれの面立ての特徴についてそれほど説明されていないし、そ こを読み慣れるまで数ヶ月はかかる。つまりページ建てや週替わりの連載や企画がどこにあるのか分からない。といえば、ページの上に「経済」とか、「運動」とか、書いてあるというでしょう、書いてあるからいい、あとは読者の心がけというのであれば、これは社保庁的発想です。
初めて新聞を読んでみると、迷路のようで読み進めるうちに目眩がしてきそうだし、1面から最後まで読むと、結構時間がかかるものです。だいたい、全部に目を通さないと、何がどこに書いてあるか、分からない仕掛けになっているのも不都合です。「検索」の窓がないのです。朝日はそれでも1面に特大のインデックスを開いているが、それでもまだ足りない気がします。
新聞とウェブの、私の読者としての立場からみた決定的な違いは、それは何 を読むか、と誰を読むか−にあるように思えてなりません。新聞に29年間在籍した経験からの新聞の面白さは、実は、ウェブの世界に転身して気がつくのですが、新聞に対しても、常に誰を読む、を意識しています。何を書くか、何を読むか、という視点から誰が書いたか、誰を読むかへの転換が起きている。そこがポイントな気がします。
そこで、新聞離れの若者向けに、新聞はこんなに面白い、ぜひそう、伝えていきたいのです。その手始めに、「新聞記事は人が書く。お気に入りの人を探そう」を提案したい。
個人的なお気に入りの記者を挙げれば、毎日新聞記者の杉山康之助さん、朝 日編集委員の疋田桂一郎さん、読売はコラムニストの高木健夫さんーでしょう か。みんな物故者で僕と同時代の記者じゃありませんが、その記者としての矜 持というか、読者に伝える文章術とその姿勢に心打たれます。
杉山さんには、事故で急逝した後の遺稿集『御意見無用』(非売品)が、疋 田さんには、最近、疋田さんの薫陶を受けた"疋田飯場"育ちの柴田鉄治さんと 外岡秀俊さんが編集に加わった、『新聞記者 疋田桂一郎とその仕事』(朝日 選書)が、そして高木さんには晩年のライフワークとなった『新聞小説史』 (国書刊行会)が存在し、それらを書棚の並べて時折思い出してページを開く と、かれらの息遣いがすぐに感じられます。この人たちが活躍した時代に、新 聞で彼らの記事が読むことができたら、どんなに毎朝の新聞が待ち遠しくなっ たでしょうか。
最近では朝日の夕刊で、「記者風伝」の第2部で、「疋田桂一郎」のその足 跡をが10回にわたって綴られていました。担当は、編集委員の河合史夫さん、抑えのある渋い文章で、疋田ワールドを捉えていました。もっと読みたい、と素直に思いました。その最後の回で、退社前の私的なスキー旅行についての週刊誌の誤った記述に激しく抗議した、というくだりは、痛く胸に刺さりました。 これは余談ですけれど…。
さて、例えば、今日の世界金融危機と景気悪化のニュースを拾うと、こんな のがあるのです。
「ことしの株式市場は米国のサブプライムローン(信用力の低い個人向け住 宅融資)で揺れた。その震度の大きさはほとんど市場関係者にとって予想外だ った〜」。これは、日経新聞のリレーコラム「大機小機」の「リスクと株価」 の冒頭のくだりでした。「投資」の視点で論じて、「投資するかどうかはいま 決断しなければならず利益は将来のことだ。だから投資にはリスクが必ず伴う わけだ」、「株式投資のリスクは確かに高くなったように思われるが、来年は また変化するに違いない。それにリスクは投資期間が長くなればなるほど低下 するというのがこれまでの実証研究の結論である」−という記述の署名が、 (一直)で、この記事は、2007年12月28日の朝刊でした。ねぇ、もう1年以上 も前のコラムなのです。
そこで今朝の日経を開いて「大機小機」を見ると、偶然、そのお気に入りの 署名(一直)でした。どこのページか、といえば19面の「マーケット総合2」 の左脇は、いつもの指定席です。ねえ、このコラムの存在をDNDメルマガで知 って、新聞のページをめくる。が、19面って書いてあげないと、なかなか見つ からないのですよ。今日の日経に載っているよ、といってもお目当ての記事を 探すのが容易じゃない、ことに新聞制作に携わる方々はそれを知って工夫して ほしいものです。まあ、これは余談。
で、(一直)さん、コラムの冒頭は、「ハーバード大学の学長が最近、教職 員と学生、卒業生に向けて大学の資金運用が大きな試練に直面しているとの趣 旨のメールを送ったという」ものでした。ハーバードで何が起きているか、と いえば、その100年に一度の国際金融危機の影響は免れなかった、そし、他の 大学も同様の状況であろう、と指摘していました。この小さなコラムの影響度 は決して小さくないでしょう。わが国の大学の経営に関わる、寄付金等のポー トフォリオを賄う財務担当は、すぐにその情報を取りに動くでしょうし、この コラムの最後に明記している、この景況における処方は、大いなる励みになる かもしれません。
(一直)さんのコラムは、昨年と今年とのを並べて読んでも、その流れが一 貫していてまるで昨日今日の続きを読んでいる錯覚さえしてきます。ところで、 (一直)さんって、何者なのですか、ねぇ。
自分の関心のあるテーマをいくつか設定して、それに該当する記事があれば、 読むかどうかは別にして、まず、切り取っておく。コラムは、いつでも読める から、何かの必要な時にひっぱりだせばいい。(一直)さんのコラムは、昨年 12月のモノとは思いませんでしょう。この本文には、「もちろん、今回のサブ プライム問題は実物経済に影響する可能性がある」と、すでにその影響性をも 見通しているんですね。
次に紹介するのは、緊急の連載企画です。朝日新聞の経済面。「急減速の米 経済」の(中)、中ということは、(上)、(中)、そして(下)の3回のシ リーズという意味です。(上)の次に(下)とくれば、その通りの2回の連載 です。
記者は、ニューヨークの丸石伸一さんで、まあ、アメリカの金融危機を随時、 それも的確に記事を送っていました。で、この記事の見出しは、―「貸し渋 り」老舗倒産、大型開発も中止危機―という米国の老舗の住宅関連メーカーが、 倒産に追い込まれたことを伝え、経営幹部の「昨年10月〜銀行団に融資の借り 換えをお願いしてきたが、受け入れてもらえなかった」という話を記事の冒頭 に紹介していました。
感心したのは3点。ひとつは、この記事が2008年2月1日だったこと。それに 取材の舞台が本社を構えるテネシー州チャタヌーガで、そこが、「29年の大恐 慌後のニューディール政策によって南部の重工業都市として開発された町」と いう設定。そして、3つ目は、その経済動向の先の見通し―です。
「空前の好決算が相次いだ米企業の業績も昨年後半に失速。頼みの個人消費 も07年の年末商戦は、百貨店など小売大手の売上高が5年ぶりの低水準にとど まるなど振るわない。消費の減速は明らかで、企業業績や設備投資には暗雲が 漂う」との実態を述べて、そして、その後に、「サブプライム問題をきっかけ にした『貸し渋りの』の拡大。企業経営者たちは『リセッション(景気後 退)』の足音に耳をそばだたせながら、金融機関の動向に神経をとがらせてい る」という見通しに「リセッションの足音」という、その重大局面を示唆して いるところの確かさに改めて気付かされます。
で、昨日の夕刊各紙一斉に、1日に全米経済研究所(NBER)が発表した「米 経済が2007年12 月から景気後退局面(リセッション)に入ったとの判断」を 伝えていました。読売の記事は、「日本と欧州も景気後退が鮮明になっており、 世界同時不況の様相が一段と強まってきた。米低所得者向け住宅融資『サブプ ライムローン』問題をきっかけとした金融危機は脱却の道筋が見えず、米景気 の後退は戦後最長になるとの見方も出ている」と伝えていました。
お仕舞いに、これはフジサンケイビジネスi.の12月1日付の29面。Bloomberg Global Financeの記事で、「バイオ不況に特効薬なし」の現地ルポは、出色 でした。記者は、David Olmos 氏、Rob Waters氏。評価する理由のひとつ、ル ポとはいえ、米国のバイオテクノロジー分野への金融危機の影響を数字に基づ いている点。シリコンバレーっていってもこの状況はどんな風になっている の?という客観的な数字に基づいた記事や、風聞すらあんまり届いていなかっ たのですから。僕が、一番知りたかった。
で、その主な内容をかいつまんで列記すると〜。
1、資金調達がこの10年で最低の水準に落ち込んでいる。
2、破産申請や新薬開発中止を余儀なくされているバイオ企業が出ており、 この1ケ月の間に少なくても5社が破産申請を行った。今後の同様の運命 をたどる企業がでてくる。これはバイオ分野では初めての事態。で、今後、6 ケ月から9ケ月の間、同じことが起こりうるだろう、という投資会社の幹部の コメントを引用し、これまで苦境に陥った企業は、たいてい合併やライセンス 契約、投資家からの資金調達で難を逃れてきた、という。
3、バイオ企業のIPO(新規株式公開)は、08年11月半ばまでで1件のみ。それ も580万ドルを調達したにすぎない。07年は28件のIPOが行われ、17億ドルを調 達した。
4、米バリルによれば、08年1〜9月にバイオ企業が調達した資金は82億ドル (約7810億円)、前年同期の179億ドルから54%の減少。
5、ベンチャーキャピタルからの調達資金は16%減の29億ドル。
というのがその骨子で、「未曾有の逆風」という見出しに続く、ある企業の 実例も興味深い内容でした。
破綻の危険性が最も高いのは、人間を対象とした高額な臨床試験を実施して いる企業で、02年に設立の「ペプティミューン」もその1社。この会社は、多 発性硬化症(MS)の新薬開発に必要な治験の資金を調達しようと苦心している。 そして調達資金の減少という事態は、研究員の解雇や研究の延期により、数10 もの潜在的な治療法の研究が延期されたり中止されたりすることを意味する、 と指摘していました。
どうでしょうか。新聞って、面白いでしょう。テーマを持って1年ぐらい記 事をフォローすれば、そこに確かなストリーが生まれてきます。やがて、興味 が湧いて、新聞が面白くなり、次に今度は、それを何かに書こうか、という気 にさえなってきます。書くことを意識すれば、より本を読んだりセミナーに足 を運んだりしつつ、理解を深めていくことにつながります。
「社会の鏡」は、のぞき込む側の姿勢も重要です。そこを繰り返し、のぞき こんでいないと道筋が見えなくなるのです。新聞は、その数日の動きを捉える ことは大変上手なのですが、季節の変わり目や社会の関心度が他に移ると、全 く別の表情を見せます。ここが難しいのです。時系列でモノを伝える、という ことが不得手なのです。そこは読む側が、常に意識しなければなりません。
新聞を切り抜いたりする、スクラップも面倒でしょう。そのコツは、1ペー ジまるごと、あるいは、夕刊なら1面と社会面の4Pをそっくり引き抜いて折り たためば、整理しやすいし早い。そして、その束ねた新聞の山を定期的に巡回 するように、のぞいて回り、その時期に必要な情報、読みたいコラムを引き抜 いてじっくり読んで役立てる、という方法は、かなり実効性があります。その 時、もういらないと思った切り抜きやページは、迷わず捨てる、ことが肝心で す。今回は、新聞の読み方のススメでした。
◇ ◇ ◇
■連載は、石黒憲彦さんの「志本主義のススメ」の第123回は、「急降下する 景気情勢」です。その冒頭に、経済産業省の政策担当者としての苦心がにじん でいます。「足下がどんどん柔らかくなり、泥濘(ぬかるみ)に変わってきて いる感じがします。正直なところ落ち着いた話題でコラムを書く余裕が私自身 にありません」と。「朝の来ない夜はない」と新たな経済対策の検討に入って いるようです。
※僕も実は、この景況に乗じてそのマイナスなニュースを悲観的に書いては いけない、と言い聞かせているんです。悲観が悲観を呼んで、閉塞感を生んで しまうからです。でも、その心のバランスを維持するのが難しい。