◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2008/05/14 http://dndi.jp/

緑走る、初夏の日光

  〜ロシアの医療機器関係ご一行のおもてなし〜

DNDメディア局の出口です。そちらも雨模様ですね、白い霧が立ち込めて遠 くの山は霞んだままかもしれません。でも、やがて雲の切れ間から日が差して くるし、本番の明日は天気に恵まれる、と確信します。こんなに心を砕いて準 備してきたのですから。日光東照宮の伝統の例大祭、流鏑馬の行事や千人武者 行列は、さわやかな新緑の息吹の中で大勢の人を楽しませてくれることでしょ う。美しい緑走る日光の5月、その日を心待ちにしていました。


東武日光駅から裏手の霧降大橋を進むと、にわかに視界が開けてきて上流か ら風が吹きこんできます。清い流れの大谷川に目をやれば、まだ雪が残る日光 連山の山並みが迫ってきます。橋の先、その正面真向かいには、こんもりなだ らかな丘陵の小倉山で、そこは日光八景のひとつに数えられています。その山 路に押し寄せる色とりどりの青葉、若葉が澎湃として盛り上がり、その樹木の 種類によって実に様々な緑の色彩を演出するものなのですね、圧倒されてしま いました。ふ〜っと肩の力が抜けてくるのが分かる。とてもリラックスしてい るらしい。


 霧降高原に続く登り坂を小倉山に森に向かえば、静寂な空気の中でいくつも の花が彩りを添えていました。細い枝に可憐なピンク花は、微かな風に揺れる ヤシオツツジ、淡い緑のパステルの葉を重ね合わせたコントラストは、ひとき は映えていました。栃木県の花ですね。ふわっと綿を宙に浮かせたような薄紅 色の桃の花、土手には黄色のレンギョウがこんもり枝垂れていました。その近 くに年老いた父がひとり棲んで、元気なら夥しい数の鉢植えの花の手入れをし ているハズです。


この一ケ月、ほぼ毎週日光を訪れていました。ロシアの医療機器関連のお客 様らを是非、日光にご案内したい、という旧ソ連時代から長くロシアを舞台に ビジネスを展開している「日ソ貿易」社長の水野茂樹さんのご依頼があったか らでした。ロシアご一行15人、それに水野夫妻、日ソ貿易関係者ら総勢26人の 1泊ツアーになります。それが明日15日なのです。


写真:緑の森にまばゆい光が射しこめる
ー日光東照宮晃陽苑ホテル付近で


 ホテル側との部屋の確保や料理の調整、日光市内や奥日光の見学ルート、レ ストランの選定などに細かくこだわったのは、これまでの2度のロシア訪問で 学んだ、もてなし上手のロシアの人の接待のコツを実践しようと考えたからで す。そのコツとは、誠心誠意、その要諦は月並みな言い方ですが、真心だと思 います。一泊二日、初日の昼と夜、朝、最後の昼の4回の食事の場所とそれぞ れのメニューをアレンジしました。


まあ、観光地は季節になれば料金を釣り上げてぼったくる、という不評が絶 えず付きまといます。日光も例外ではありません。これは観光地の悪しき慣習 といえなくもない。例えば、こんなエピソードがあります。


フランスの風刺画家で、浮世絵など日本美術に魅せられて21歳の若さで日本 にやってきた、ジョルジュ・ビゴー(1860-1927)が、何度か日光を訪れてい ます。馬返しと呼んだ、今日の険難の山道、いろは坂手前の民家でそのビゴー の直筆の絵が1枚見つかるのですが、その絵の表面に走り書きがあり、調べる と「同胞に告ぐ、奥日光へ行くとお店はぼったくるからご注意!」とい意味だ ったのです。風刺画家の機転というのか、悪ふざけというのか、面白いでしょ う。この絵の作者を割り出し、古典的なフランス語を訳して、これを記事にし たのは当時24歳の新米、出口記者でした(笑)。


さて、日光ウオッチ30年の経験でお薦めの3つ星は、日光東照宮近くの明治 の館、その洋館の石造りの佇まいも重厚だがその裏にある和室の隠れ家、堯心 亭は3000円からの、精進料理は逸品です。神橋を見下ろす日本最古の金谷ホテ ルのパンはいまなお絶品です。その真下にステーキハウス「みはし」は明治の 館の発祥の店で、ここのハンバーグは1500円程度でボリュウムもあり若者向き です。和牛のステーキも各種用意しています。また最高級のステーキは、「日 光グルマンズ和牛」。霧降高原の別荘地に瀟洒な店を構えています。


「みはし」はその日は定休日、「明治の館」、それに「和牛」は定員20人 が限度という。26人の団体客のキャパがない。これは悩ましい。日光の「み はし」から市役所方向に下って、うなぎの「沢本」、昼の2時間、夕刻の3時 間程度しか営業しません、それは備長炭が消えたらその日は店じまいというこ だわりを持っています。ゆば料理は、本格的な日光ゆば懐石が看板の割烹「恵 比寿家」、市内の中央に昔旅館だった「ますだや」でしょう。市役所入口に小 料理屋「新松」はお昼にゆば弁当を出しています。日光では、ゆばは「湯波」 という漢字をあてています。


そしてソバといえば、西参道の市民会館前に「新駒」、昔ながらの縮り麺で、 おばあちゃんが煮た「ゆば」も美味です。昭和天皇が行幸の折り、お付きの宮 内庁の記者らが、こぞってこの店に昼を食べにきていました。昭和57年当時 だったでしょうか。僕もよく通います。そばといえば、最近は今市のそば祭り が年々有名になりました。いまもっとも人気のそば店は、日光カントリー倶楽 部前の交差点を鬼怒川方面に向かう途中の、今市小百の「田舎そば」は午後3 時の看板まで、連日ぎっしり客足が途切れません。ここも素朴で地元の農家の おばあちゃんらによる手打ちです。セイロ500円、かき揚げ100円だが量 は都心の3倍はある。交通は、車じゃないと不便かなあ。


町村合併で、日光に名を変えた旧今市の評判は、今市インターを降りたらす ぐ左にある、とんかつ「東」(あずま)、その先を進めば左右に「たまりのら っきょ」の店が並んでいます。寿司は鬼怒川に向かい橋のたもとの「みとや寿 司」は、ネタも新鮮で、勿論寿司は当然ながら、個人的に一押しなのは、うな ぎの肝焼きは丁寧にした処理をしているので香ばしく、鳥の竜田揚げも試して 損はありません。若い板さん、親しげな顔を向けるので聞けば、昔の親方に似 ている、という。どんなお店でも初めてのところでも、なんとうかなれなれし いというか、図々しいというか、人懐っこいというか、すぐ馴染んじゃうのは、 ひょっとして特技かもしれません。


それで、ロシアの人の料理はどうするか、とくに昼は困り果ててしまいまし た。26人を一度に迎えられる店は限られるからです。そば、うなぎ、という わけにはいかないでしょう。


あれこれ迷った末、初日の昼は、日光市役所の入り口角にある、小料理屋 「新松」でご当地の定番、てんぷらや刺身などのゆば料理の弁当にそれに少々 肉類を添えました。なにせ、大所帯なのでお座敷を含め、お店は貸し切りにし てもらいました。独身の頃、実はここでよく焼き魚の定食を注文していた、懐 かしいお店なのです。


昼食後、次はさっそく世界遺産の日光東照宮へ向かいます。丹下健三氏設計 の新社務所には、特別に参観させてもらいます。この建築設計は僕の紹介でし た。80トンもの銅をあしらって天井や壁は、見事なまでの杉の一枚板を使用 していました。もうこんな建築は物理的に不可能かもしれません。フランスの 元大統領の、シラクさんがお忍びで見に来られていました。


昨日は、成田に着いたその足で、ニュージランドの女性首相、ヘレン・ク ラーク女史が日光に見えていました。ニュージランドと日光東照宮は、境内の 三猿が描かれている厩舎のご神馬に縁があり、もう何代もニュージランド首相 から献上された白馬なのです。


そしてその境内の国宝・陽明門や奥の院などを見て回って、宿へ行く途中は 小倉山付近の日光乗馬倶楽部、そして日光彫の「手塚日光彫」に立ち寄ります。 ここの日光彫は丹念な注文生産で、お盆や手鏡、化粧机などの作品に匠の技が 光ります。道路の斜面に沿った瀟洒な建築で、小川をはさんで広がる裏庭の丘 陵に野生の鹿が行き来し、羽色に青の光沢が鮮やかなオオルリが群れをなして 飛んでくる、という。なにより物静かで心優しい素敵なご夫婦です。


宿泊は、広大な敷地に男体山など日光連山を一望する日光東照宮晃陽苑、夜 の懇親には日光東照宮の稲葉久雄宮司も挨拶にきてくださる予定です。稲葉さ んとはかれこれ30年以上のお付き合いになります。が、初対面当時、彼は38歳 で東照宮の青年将校の異名を持つ実力派で総務課長、僕といえば痩せぎすの新 米記者、独身。あんまりあれこれスクープするので記者クラブからも睨まれ、 ついにお宮から出入り禁止になってしまいます。実は稲葉さんとは目も合わせ ない犬猿の仲だったのです。が、時を経てそれも氷解し、いつの間にか逆に気 心の知れる間柄になっていました。


晩餐はメニューに趣向を凝らしました。山菜と蟹のゼリー、牛タンの赤ワイ ン煮、大谷産生ハム、太刀魚のポテト焼き、とちぎ和牛ロースステーキ、お造 り、まだまだあって、タラバ蟹と野菜のマリネ、牡丹エビなどの寿司、蛤のお 椀などで、とくに季節のフルーツの盛り合わせ、という内容です。地元の名産 をベースに無農薬の新鮮な素材にこだわりました。お酒はワインを基本に焼酎 や日本酒も手配しました。浴場は源泉を運んで沸かしたものですがヒノキ造り で広くて清潔で、露天風呂もあります。


司会は、日ソ貿易の増谷州欧さん、34歳。青森生まれで、東京外語ロシア語 学科卒の秀才です。同期に産経新聞モスクワ特派員のE記者がいるようです。 挨拶と進行と、通訳と…。初めの歓迎の挨拶は、社長の水野さん、小柄ながら 鍛え抜いた筋肉質の体形は素晴らしい。ロシア語でやるのでしょうか、やはり ロシア語が堪能で通訳兼ガイドの資格を持つ令夫人、典子さんとご一緒で、稲 葉宮司の配慮で17日は流鏑馬の特別席で御観覧される予定です。さて、どんな 宴会になるでしょうか。



:東照宮の「流鏑馬」で、的を射る決定的瞬間 =出口写す


翌朝は、7時半に苑内を散策、鶯など野鳥のさえずりの中で森林浴を楽しみ ます。8時に朝食を取り、9時にはバスで奥日光へ。やはり中禅寺湖畔では華厳 の滝でしょう。フラットなユーラシア大陸からすると、97メートルもの高さか ら一気に落ちる滝の豪快さは、興味をそそられるらしい。そこからぐるーっと 湖畔をめぐって立木観音前の駐車場へ行けば、眼前に湖面が広がり右側に男体 山がそびえ立つ絶景のポイントです。


まあ、なによりのご馳走は、春から初夏、それも標高差のある奥日光周辺で の、刻々と表情を変える多彩な緑のグラデーションかもしれません。木の芽が 吹いて山が淡い緑に染まっていきます。晴れるなら杉の木立の木洩れ日が強い 光の紋をつくり、霧雨なら静謐に包まれた森の緑がいっそう際立つ、というこ とになります。


そこから一路、奥日光に向かい、湯元の源泉で足湯としゃれましょう。途中、 紅葉が一番早いとされる竜頭の滝、そしてカラ松の新緑を抜けて戦場ケ原、そ して一本の白樺で知られる湿原の小田代ケ原にも足を運びたい。よく晴れてい ても、山の天候は急に変わります。ざっと一陣の風が吹き抜けたかと思えば、 俄かに雲が怪しくなり雨がくる、ということもあります。雨に濡れる新緑も、 これも風情がありますね。そして4回目の最後の食事になります。ふ〜む。


日光探訪は一応そこで終わります。そこでひねり出したアイディアが、これ でした。中禅寺湖畔で古くから酒屋を営む「小島屋」の主人、小島喜美男さん に相談し、倉庫3階の趣味の隠れ家を開放してもらうことになりました。料理 は、お隣のフレンチのレストランからのケータリングという趣向です。お酒は、 小島さんがこだわって製造販売している赤ワインの「洛山晃」(らくせんこ う)を用意します。


小島さんのいまは亡きご尊父とは、よく麻雀をしました。小島さんが20代の その当時、僕が日光に滞在していたころのことです。山梨でぶどう畑を買付け てワインをつくり、そして日光の冷気で熟成させてみたのが、その「洛山晃」 で、香りと色、それにやや渋めの濃い味わいが評判となっていました。このワ インの誕生、限定販売の事を最初にニュースにしたのが、実は僕でした。なん だか自慢話みたいで恐縮してしまいますが、どうぞ、奥日光に足を運びました らこのワインをどうぞ、ご賞味ください。


もし移り住むなら、日光と決めている。宮司にそれとなく伝えると、たまあ に来るからいいんじゃないの?という。そうかもしれません。が、この壮大な 四季折々の自然のドラマを、日常的に朝夕、享受できるならこれほどの喜びは ないのではないか、と思いがだんだん強まってきています。


この季節の一番の楽しみは、さんしょ(山椒)の新芽ばかりを摘んで煮た新 さんしょです。野趣あふれるさんしょの持つ独特の香味、ツーン舌先が痺れる 辛味、ビールのつまみにもいいし、おにぎりにくるんでもおいしい。新緑を食 べる、という趣です。どこの家でも自家製さんしょを作って近所に配って、味 を比べるらしい。どこの山合いの地方もそうなのでしょうか、僕は日光しかし りませんから、しかし、長野など山菜の宝庫ですのでこういうのがあっても不 思議じゃないですね。


ひと昔前、日光市の元消防署長の名古屋さんの奥さんが、「あるよ、家によ ってどうぞ、さんしょを持っていきなよ!」といつも声をかけてくれました。 が、もうお年を召して手が回らない。また、日光市内で朝日新聞の販売店を営 む親切な斉藤さんのおばあちゃんが、「よかったら、お持ちください」と瓶詰 のさんしょを持たせてくれていました。が、もうだんだん、そういう人が少な くなってしまった。


稲葉宮司に聞くと、「あるよ、持っていく!」というから小躍りしてさんし ょひと瓶、それにまだ煮ていない若芽のさんしょの葉が入った袋ふたつを持た せてくれました。メモ帳に走り書きで、さんしょのレシピが書かれている。つ いでに、天然の筍と自家製の干しシイタケを持たせてくれました。筍腐汁を作 って食べてください、という。そのレピシまで添えて…。 


沸騰したお湯に塩を入れ、生のさんしょの葉を数分沸騰した湯に浸す、それ を絞って酒と醤油で煮るーというのだ。が、沸騰した湯に入れると、みるみる 緑が鮮やかに色を増していました。しかし、うまくいかない。べちゃっとして しまうのだ。袋二つ分に自分で摘んだものを3回分に小分けしてトライしてみ ました。これは写真で見せた方がよいかも知れません。一応、写メールで撮っ ているので、なんらかの形でお見せしましょう。味は、あんまりぴりっとしな い。残念、無念、ショックだなあ、こんな悲しい事はない。


そこで新松の女将に、どう煮るのか、と問えば、ダメじゃないの!さんしょ を山から摘んだらそのまま水洗いもせず、鍋で塩をまぶして乾煎りする、水分 を飛ばす。湯で通したら、せっかくの風味が飛んでしまうでしょう、乾煎りし てから醤油と酒で煮るんだよ、といい、そして、ああ、もったいない、とため 息まじりの様子でした。家によってそれぞれ、こだわりと流儀があるようです。


さんしょの新芽、それらを取るために霧降や奥日光の山に分け入る。手袋を しないで日光山内のさんしょ、を摘んでみた。とげが痛かったが、指先にさん しょの風味がしばらく残って家に帰るまで消えませんでした。通ともなれば、 そのさんしょが、霧降でとれたものか、中禅寺のものか、栗山村のものか、そ の微妙な違いを舌で判別できるのだ、という。調子に乗って、う〜む、これは 霧降だね、って言うと、凄いねえ、たいしたもんじゃないの、ってよく褒めら れたものだったが、考えてみればいつも答えは「霧降」としか言っていなかっ た気がする。


凄いのは、本当は「栗山産」って言って間違っていたのに、「すごいじゃな いの、アタリ!」と言ってくれる日光の人々の心のやさしさだったのではなか、 とようやくこの年になって気付く有様です。


あんまりおいしいので、当時、北海道小樽の母の実家に、ひとケース2000円 もした、その市販のさんしょの佃煮を5箱送った。数日たってもなんの返事も お礼もないので、気になって聞いてみると、「いやあ、色が茶色くなって変だ し、摘んで舌で舐めてみたら、ツーンときて、ああダメダメ、あめてる(腐っ てるの意味)からみんな捨てたさあ〜」という。舌先で痺れちゃ、ね。この ジーンとくる痺れが、なまらいいんだべさ〜。  


追伸:
※12日に発生した中国四川省の大地震の死者が四川省内だけで1万2千人、負 傷者が2万6千人を超え、346万戸の家々が損壊し、さらに生き埋めになっ ていると思われる人の数が四川省綿陽で1万8645人、綿竹で4800人と 多数を数え、なおその全容がつかみきれない状態だという。史上空前の大惨事 の様相を呈してきています。なんとも悲しい事態ですが、温家宝さんが急きょ 現地に飛び迅速に救出などの指揮にあたられています。大地震で亡くなられた 方々のご冥福を祈るとともに生き埋めになっている人々が無事に救出されるこ とを切に願うばかりです。


※大学発バイオベンチャー協会の元会長で、元自民党参院議員の水島裕先生の お別れの会の日取りが決まりました。31日午後1時から東京都港区南青山の 青山葬儀場で。喪主は妻、綾子さん。


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