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「事実自らが歌う」

 〜映画『明日への遺言』に冴える巨匠の眼〜

DNDメディア局の出口です。妻を、そなたと呼んで慈しみ、息子夫婦の行く末 を案じながら孫に目を細める、そんな明治生まれの父親が、忠実に指揮をとり正 義を通し部下を守る、という軍人としての潔さの代償として裁きが下り、それで 彼ら家族から、やさしさも、思いやりも、響く声も、品位も、夢も、それらかけ がえない幸せの多くを根こそぎ奪い取ってしまう、その戦争を繰り返さないため にはどうすべきか、あるいはその軍人が命と引き替えに残してくれたものをどう 引き継ぐか―。


戦時下とはいえ、凄惨な無差別爆撃や搭乗員の処刑という罪の重みをテーマに 扱いながら、その映画のスクリーンの随所に、悲しみを救う心の美しい眼差しが 向けられていました。


世に知られることが少ない戦後の横浜法廷の軍事裁判で、B29搭乗員の処刑を 命令したとして絞首刑の裁きを受けた実在の人物、岡田資(おかだ・たすく)中 将の遺稿や裁判記録などに基づいて綴った作家・大岡昇平氏の『ながい旅』、そ れを原作にした映画『明日への遺言』が3月1日に全国で封切りになります。ひ と足早く試写会に出向いてきました。


『明日への遺言』公式サイト


う〜む、素晴らしい。家族そして夫婦の絆や信頼、そのなんとも切なくそして 美しく際立つ場面に何度も涙し、すっかり心が洗われてしまいました。その余韻 が続いて、いまだに幸せな気分をもたらしてくれています。なにものにも代えが たい安らぎが、心の奥に棲みついてしまったようです。


言葉も習慣も、法制度も違う。いわば勝者が敗者を裁く連合軍裁判という、極 限の状況下での絞首刑の判決に、少しも怯まず重い責任を負って、むしろ潔く覚 悟して逝った下士官の気概や安寧の境地はどこからもたらされるのか、ある種の 敬意をもって綴る大岡氏の気迫が、この本の行間に息づいていました。 そして、 今度は、2000年の『雨あがる』のデビューから4作目を数える、黒澤門下の小泉 堯史さんが、その魂を引き受けるかたちで、映画という手法でその史実をリアル に再現させていました。


さて、主題に忠実な法廷のシーンが連続する映画なのに、時間の経過と展開、 その間合いが自然でわかりやすい。小泉監督といえば、『雨あがる』のデビュー から、2002年の『阿弥陀堂だより』、2006年の『博士の愛した数式』と完成度の 高いヒット作を連続しています。いずれの作品も繰り返し拝見しました。素晴ら しいセリフと美しい風景、これらは僕の心の宝箱に仕舞い込みました。そう簡単 に披露するわけにはいきませんぞ〜。


事実の断片を積み重ねる精緻な映像表現が巧みで、その手法が今回の映画にも いかんなく発揮されていました。僕は、こういうストーリー展開やリズム、動と 静のコントラストが生きるカメラワークがお気に入りです。なんというか少し触 れると、『雨あがる』のラストシーン、誤解に気づいた殿様が先頭に立って馬を 並べて追っていく場面、左の画面からザザッと川の飛沫を蹴散らして画面中央を 横切って、右に抜ける、そして中央からまっすぐこちらに向かって走る、という アングルは、『明日への遺言』のクライマックス、ブループリズンから13ゲート までの中庭、午前0時。月明かりの中を黒く長い影が画面の左から現れます。そ して上から見下ろすアングルが恰好で、左から対角線に中央、そして右、さらに 中央にぴたり照準があって、13の階段、まばゆい光が差し込んで、それがシル エットになって浮かんでいました。いやあ、あまり書いてしまうとヤボというも のです、見る楽しみを削いでしまいかねません、ね。


小泉監督作品第2作の『阿弥陀堂だより』では、遠望の利く千曲川が日に照っ ています。お梅さんが、小説についてこういうのです。「わしはねぇ、この年ま で生きてきたけれど、もう切ねぇ(せつない)話はウーンと聞いたから、いい話 だけ聞きてぇでありますよ。誰も切ねぇ話を聞くために、わざわざ金を出して本 を買うのは嫌だもんなあ。わしゃ、いい話を聞いていい気持になりてぇだ」とエ ンターテイメントの本質を突く。このセリフの意図は、小泉監督の映画づくりの 底流に流れている、ヒューマニズムなのでしょうか。で、その次のお梅さん、
「山がきれいに晴れてるだぁ」と遠くに目をやる。カメラが捉える風景は、風渡 る千曲川、それに幾重にも重なる北アルプスの雪を頂いた山並みでした。


のびやかな映像が、心を豊かにさせてくれます。スクリーンと劇場、いまそこ にある画面の向こうの日常が、まるで現実のような錯覚に陥ってしまいます。


この監督の手にかかったら、幽閉の独房もユリの花一輪で光まばゆい野辺に一 変してしまいそうです。法廷で大写しになる妻や子供たちの顔、優しさのなかに ふと不安がよぎる一瞬の表情を見逃しません。月明かりを映した群青が、一服の 名画のように黒い人影を浮かび上がらせていました。


その絶妙なタイミングに加古隆さんのメロディーが弾けるのです。今回もその 小泉logicが冴え、小泉組のプロの仕事師らの総力が見事に結集していたようで す。撮影の上田正治さん、照明の山川英明さん、録音の紅谷愃一さん、美術の酒 井賢さんらかつての黒澤組のベテラン陣、それぞれの映画にかける意気込みや洗 練された仕上がりの熟練度、関係の資料を読むと、その準備と段取りにかける時 間と熱意に驚かされました。それらの成果が実際に映画の場面で使われるのは、 実にほんの上澄み程度なのかもしれません。手を抜かない。その姿勢に乾杯です ね。頭が下がります。そして衣装の黒澤和子さん、編集は阿賀英登さん、装飾は 相田敏春さん、撮影の北澤弘之さん、照明の山川英明さんらが名を連ねていまし た。それに総指揮の原正人さん、永井正夫さんら超大物プロデューサーが統括し ていらっしゃるのですね。それらの取り組みのエピソードを書いたら、それだけ でドラマになりそうです。


これは総合芸術なのですね。いやいや、小泉監督をコンダクターにした5段円 筒の組体操のようです。それぞれが自分の持ち場をしっかり支えていないとたち まち崩れてしまうか、歪んでしまう、という印象です。小泉監督は、長い間師事 した黒澤明監督の言葉を忘れない。僕は、美しい映画を作りたい、と語る黒澤さ んの望んだ美しい映画に少しでも近づきたいし触れてみたい、という"想い"がス タッフ、キャストとともに映画をつくる力になっている、と思うと語っていまし た。真摯で気負いがない、正直な人です。


小泉監督の『ながい旅』の脚本化は実に構想15年という。だからじっくり熟成 された深い味わいがあるのでしょう。考えて、悩んで、試行錯誤を重ね、いくつ か確かな手ごたえのある映像シーンが練られていたのでしょう。


振り返れば、これは不思議なめぐり合わせです。岡田中将の処刑は、昭和24年 9月17日で享年59歳、今年がちょうどその59年目。大岡氏の『ながい旅』の出版 は33回忌でした。それから25年となります。節を刻み、時を超える共感の連鎖と いう印象すら受けます。作家から監督へとその魂がちゃんとリレーされているの ですね。巨匠の資質、それは歴史の重みを虚心に見つめ続けた賜物なのでしょう。


もうひとつ、小泉監督の着眼の凄みは、キャスティングにあるのかもしれませ ん。岡田中将役に渋い熟達の俳優、藤田まことさん、その人物と人柄、そしてお 兄さんが戦死し母親の悲しみの深さを胸に仕舞い込んでいらっしゃることを察し ての起用は、ご本人の口からOKがでるまで半年待ったらしい。その粘りと人を見 抜く目は一流であることが、スクリーンの上で十分に証明されていたハズです。 その妻に、立ち居振る舞いがなんともお美しい、富司純子さん、劇中にセリフは ありませんが、8日間続いた法廷で証言に立つ、夫の姿を傍聴席から見守る役で した。状況が不利になる、不利になる証言にも関わらず堂々と言い切る夫、裁判 長らが刑を軽くするための質問にも耳を貸そうとしない…その時々の妻の微妙な 表情の変化をカメラが追う、そこも見せ場の一つかもしれませんね。キャスティ ングへのこだわりは、これまでの主人公の妻の配役をみれば、わかります。今回 は、連合軍裁判ということもあってアメリカ人が弁護士、検事、それに裁判長な どの役柄で登場します。ここでも小泉監督の執念に似たキャスティングのオーデ ィションに多くの時間を割いていたようです。


試写会当日、東京の新名所、豊洲の映画館は、スポンサーや配給会社、マスコ ミ関係者らが席を埋めていました。僕は、小泉監督の高校時代の同級生で、親し くさせていただいているNHKエデュケーショナル社長の軍司達男さん、やはり同 級生で共同通信元局長の小岩井忠道さんからのお招きを受けていました。茨城県 水戸の名門、水戸1高の昭和39年卒の仲間だという。そばに高砂熱学の大和田 克美さん、株式会社SUMCOの社長、重松健二郎さんらが駆けつけていました。み なさん優秀だが、控え目で遠慮がちで、愚直で一徹という印象を持ちました。


さて、会場上段の中央付近に軍司さんと座っていると、小泉監督がさっとやっ てきて挨拶していきました。試写会が終わって、軍司さんが紹介してくださり、 しばし小泉監督とお話しする機会がありました。


あのラストシーンの月明かり、画面がブルーに見えました。高いアングルから 影を撮り、そして…とその場面の印象を伝えると、クレーンを使ったのはあそこ だけですね、えぇ、この映画の脚本段階から、すでにこのシーンは明確なイメー ジとして浮かんでいました、という。


どんな脚本になっているのか、興味は尽きません。そこで無理を言って、準備 稿と書かれた赤い表紙の脚本を軍司さん経由で入手し、ときめく心を抑えつつそ の玉手箱を開けるようにそっと、ページをめくってみました。いやあ、なんと、 原作を読んでいましたから、ぎりぎりまで無駄をそぎ落とした緻密な印象を持ち ました。


脚本って、家の設計図みたいなものなのでしょうか、その行間から史実に基づ いたある物語をイメージし、それに肉付けして張り合わせ、線から面、そして立 体へと進んで時間軸を加えて4次元に仕上げていく、創造空間のイマジネーショ ンが巧みじゃなくてはならないのだろうか、と思い込んでみれば、そうじゃなく て、小泉監督は、こう述べていました。


「自分の意図や作為をできうる限り排し、尊敬の念を持って歴史の事実に寄り 添うように心掛け事実自らが歌ってくれることを願っていました」。


とても参考になりますね。『事実自ら歌う』という今まで耳にしたことのもな い極めゼリフをさらっと述べていました。その小泉監督、淡いサングラスの目の 奥から静かに何を伺っているのか、小泉作品の全編に流れる、清らからメロデ ィーとこぼれ落ちそうな温もりは、小泉堯史さんご自身そのもののような気がし てきました。


小泉は、偉ぶったことはしないし、ごく普通の物静かなタイプです。毎年新年 1月2日に同窓会があるのですが、誰に対しても態度を変えないし、偉くなって も姿勢は同じです、そこが彼の魅力かもしれない、と軍司さんは指摘していまし た。


さて、最後にいくつか参考程度のメモを残しましょう。


大岡氏はその『ながい旅』の中で、私は昭和43年『レイテ戦記』執筆中、軍人 は上級になるほど政治的になり、ずるくなるが、軍司令官クラスには立派な人が いることを知った。(略)そのように岡田中将もすべては自分の責任である、と の前提での下で戦った、と指摘し、その本の解説で中島岳志さんは、大岡といえ ば自らの一兵士としての戦争体験から、日本軍人には厳しい目を向けるのですが、 彼はすべての軍人を一方的に断罪したわけではない。本書のように、岡田資とい う司令官をある種の敬意をもって描くことも行っている、とその著作の動機に触 れていました。


小泉さんは、大岡氏の『証言その時々』から「戦後一般の虚脱状態の中で、判 断力と気力に衰えを見せず、主張すべき点を堂々と主張したところに、私は日本 人を認めたい。少なくとも、そういう日本人のほか私には興味がない。……戦場 でよく戦うものは、平和のためによく戦うだろうと思っている」という言葉を引 用し、彼は彼で、清明で豪胆な志気と清らかな深い愛情を、戦後の荒廃の時期に 於いても見ることが出来たことは、私たちの誇りであり、希望でなければなりま せん。この映画は、そのような日本人の一人として、久遠の平和を願った東海軍 司令官、岡田資中将の最後の姿を事実に即して、虚心に描かんとするものです、 と、やはり大岡氏と同様のある種の緊張感を持って岡田中将の生き様と向き合い、 平和を願う強い祈りを込めて映画制作に取り組んだ意図を明らかにしていました。


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