◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2007/12/26 http://dndi.jp/

心の宝箱

DNDメディア局の出口です。肩で風をきり、急ぎ足で橋をかけ上がれば、ぞく っと背筋に快感が走る〜。海の匂いを運ぶ潮風が、疲れた体を癒すのか、朱の屋 形船に木造の船宿、さざ波の上を白いゆりかもめが低く飛び交う、そんな浅草橋 から柳橋をのぞむ風景が、ゆったりとした気持ちの和みをもたらすのか、江戸の 風情は、儚い人の哀愁を包み込みながら他人の顔を見せて知らないふりをするら しい。


そっと記憶を呼び戻し、そのあることを見定めたらすぐに封印してしまうのは、 あることだけを確認すればそれでいいからなのかもしれません。時折、心の宝箱 をのぞくようなものでしょうか。


東京・銀座1丁目の小料理屋「卯波」(うなみ)が、店じまいをするという。 俳人、鈴木真砂女(すずき・まさじょ)が03年3月に96歳で亡くなった後、それ っきりになって、ずっと足が遠のいていました。あれから、もうどのくらいの時 間がたったのでしょう。


カウンターに9つの椅子席、奥に4畳半の座敷、その襖を隔て横に1畳半ほど の隠れ座敷が用意されていました。座敷は、前もって予約すればいい。が、これ 幸いと新参の記者が、遠慮がちな常連の俳句仲間の集まりの邪魔をしてしまって いたかもしれない。そう思うと、なんだか情けなくもあり、それがチクリと胸に 痛い。


真砂女さんは、座敷の上がり框近く置いた小さな丸椅子に浅く腰を下ろし、いつもかすかな気配だけで何気ない様子でした。 ない様子でした。すると、ある時…。


あなた、新劇の北村和夫さんによく似ているわね。これで二度目でしょう、娘 がねぇ、やはり新劇で北村さんと同期生なの。初めて見えた時、北村さんかと思 ったほどでした、と笑う。細い目をさらに細めて、微かな笑みを浮かべていたの を鮮明に記憶しています。北村さんは、今年5月逝去されました。享年80歳。親 子ほどの年齢差、う〜む、それは彼女にはさほど気にするほどのものではなかっ たらしい。


「卯波」閉店への記事は朝日新聞の日曜付で、愛読の人間ドラマ「家族」のシ リーズでした。今週と先週の2回にわたって掲載されました。理由は地上げ、周 辺一帯はみんな移転に同意し、引っ越した店も少なくない。ここで卯波が最後の 1軒になって、来年1月25日に閉店する、という。それまでにもう一度、行ってみ なくてはと強く思っています。


朝日の取材は、綿密でした。タイトルは、「銀座・卯波の3代」。その家族の 話で、第1話が「真砂女と孫をつないだ店」、第2話が「人生は小舟、店は『勲 章』」というもの。卯波の店の前で撮った一枚のモノクロのスナップが記事に大 きく載っていました。孫の今田宗男さんと母親で新劇女優の本山可久子さん−で す。が、一瞬、本山さんが、真砂女さんの写し絵のように見えました。


記者、降旗賢一さんは、読者に代わって宗男さんにこんな質問をしています。 一番好きなおばあちゃんの句はどれか―。



あるときは船より高き卯浪かな



 「宗男さんは迷った末に、店の名のもとになった句を挙げた。卯月(陰暦4 月)、太平洋は大きくうねる。その波にあやつられ、うねりの陰に見えなくなっ たかと思うと再び姿を見せる小舟ひとつ。真砂女はそれに人生をなぞらえたのだ という。」


実は、真砂女さん逝去の報に接した03年の3月、僕はこんなメルマガを書いて いました。Vol,24「鈴木真砂女と紫木蓮」。


〜DNDの出口です。連日、テレビで流れる米英国軍とイラク軍のきな臭い交 戦の間を縫って、今朝のNHKは、札幌の街路樹にカメラを向け、小さく膨らん だ紫木蓮(しもくれん)の蕾を映していました。冬枯れの街に、遅い春がようや く訪れたのでしょう。ほっと、肩の力が抜けるようなやすらぎを憶えました。


紫木蓮―と聞いて、テレビにすぐ反応したのには訳がありました。女流俳人で 、銀座で小料理店を営む鈴木真砂女さんが去る14日に他界され、紹介された産 経新聞の「葬送」の記事に一句、「戒名は真砂女でよろし紫木蓮」が、ずっと気 になっていたからです。


享年96歳。間口一軒の店「卯波」には、最近まで20年近くよく通っていま した。古風だが、華奢で凛とした美人でした〜。


当時、このような世相を題材に取り上げることには正直、抵抗がありました。 しかし、こちらの迷いとは裏腹に、このメルマガにはこれまでにない多くの反響 が続いたのです。なぜだろう、と不思議に思えました。誰が書いたかわからない 官報を垂れ流すのでは意味がありません。なにより心を砕いて素直な実感を伝え る、そこに読者との共感が生まれる、と感じました。それが、僕にとっての開眼 のきっかけとなるメルマガ第1号でした。


さて、DNDの秘密基地周辺は、そこは神田川が隅田川に注ぐ合流点の南側の東 日本橋にあります。神田川の向こうは台東区、隅田川にかかる両国橋をはさんで 墨田区に隣接しています。神田川をやや上ると千代田区です。「浅草」、「神 田」、「両国」、そして「日本橋」が一点に集中する、贅沢な江戸のクロスポイ ントなのです。


7階のベランダからの光景も素晴らしい。疲れたら、風を五体に感じて遠くに 目をやると、いいアイディアが浮かんできます。浅草のアサヒビールの黄金のオ ブジェあたりまで遠望できるんです。


夕刻の出舟の頃、赤の提灯が揺れます。隅田川にそそぐ流れが、潮の満ち引き の影響なのか、いつも逆流している風です。春は、桜の花びらが花筏を作って流 れ、水面を一面見事に桃色に染めてしまいます。


江戸時代の古地図を年代ごとに見比べると、この辺は大きな武家屋敷跡なので すが、この数百年この地形に特に変化がありません。眼下にちょうど神田川の最 後の橋となる、柳橋が目に入ります。由来は、元禄11年(1698年)に遡ります。 当時、「川口出口之橋」(かわぐでぐちのばし)と呼ばれていた、という。古い 縁を感じさせます。


橋のほとりに柳が植えられて、いつしか「柳橋」と呼ばれるようになったので すが、花街として栄えたのは江戸期中ごろからで、ひところは料亭や芸者衆も多 く隆盛を誇ったらしい。が、それから幾星霜、それらの多くは夢のまた夢、男女 の情愛も金銭の貸し借りも、栄華も衰退もなにもかもが忘却の彼方に消え失せて しまうのは道理というものです。


立つ浪、吹く風、それでも、川は流れていきます。橋から橋、一陣の風が吹き 上げてきます。瞬間々々、刻一刻と、そのすべてが形や色を変えていくのですね。 悠久の営みの中で、変わらないものはあるのでしょうか。それは何か‐。


年の瀬が押し迫って、柄にもなくなんだかこんな事を考えてしまいました。光 陰が、矢のような勢いで飛び去っていく―そういう実感です。今年一年、皆様に とっては、どのような年でしたでしょうか。


また、DNDメルマガにお付き合いくださり、また貴重なご意見やお叱りを賜り、 御礼申し上げます。ありがとうございました。そして、まもなく新しい年が巡っ てきます。どうぞ、良いお年をお迎えください。


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