◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2007/07/18 http://dndi.jp/

山口大学MOT認証評価試行の旅の途中

DND事務局の出口です。街灯の白い光と警報器の赤の点滅が、コントラスト を描いて闇に消え踏切が次々と現れては飛び去っていく。繁華な街中の地べたを 抜ける在来線ならではの光景でした。ふ〜む、なんでもないのに妙に気持ちが落 ち着いてくるようです。


街、人、その声、地の味、豊かな湯、心に染みる詩…それらひと時の記憶を窓 の外に映し、山陽から東海道をひた走る寝台特急の窓に顔を寄せて、しばし時間 を忘れていました。


ある日、ふたつのお誘いが前後して舞い込みました。それが偶然、日程と場所 が接近していました。ハア〜こんなこともあるのですね。ひとつは、「12日に広 島駅で合流し、瀬戸内海に浮かぶ江田島に行きませんか、素晴しいところです。 是非、出口さんに見て欲しい」と、中古車のオークションを全国展開し、ビジネ スの教えを乞うUSSの代表取締役副会長の田村文彦さんからでした。


もうひとつは、「技術経営研究」(MOT)系専門職大学院の認証評価の試行 を山口大学工学部のキャンパスで13日(金曜日)午後1時から実施するので、認 証評価委員として民間の立場から参加してほしい、というのは、親しくさせてい ただいている東京農工大学大学院技術経営研究科長で教授の古川勇二さんからで した。そんなに予算がない、とも笑いながら言う。


古川先生からのご指名なら断われません。しかも、地図を広げながら時刻表を 丹念にくくると、江田島の港から朝8時23分のフェリーに乗れば、宇品港、広島 駅から新幹線で新山口駅、そして宇部線のローカルで宇部、そして宇部新川で下 車、そしてタクシーを乗り継げば、正午過ぎには、山口大学常盤キャンパスに到 着する、ことが分かりました。


なんともひと足早いリゾート気分、広島滞在、そして瀬戸内海、山陽の長州路 といずれも初めての訪問です。もう気分が高ぶって、この時期は何が美味いか、 旅の本をあれこれ漁っていました。ウム〜ひとつ気がかりなのが沖縄周辺に上陸 しつつある、超大型の台風4号の接近でした。


何ごとも準備が肝心です。空も陸も台風で万が一不通になるとも限りません。 客員教授を務める専門職大学院の研究テーマがリスクマネージメントですから、 こんなときにこそ、その力量が問われるというものです。で、ひねり出したのが 寝台特急「はやぶさ」の利用でした。ちょうど1週間前の11日夕刻、メルマガを 配信してその足で東京駅へ、出発は18時03分、広島駅着が12日の早朝5時21分、 長〜い旅の始まりでした。


ざっと足跡をたどってみれば、なんといっても朝の5時過ぎです。閑散とした 広島駅周辺をぶらぶらしていました。そしてヒロ電の始発で、厳島神社がある宮 島口行きの電車にのって広島県公設卸売市場に向かいました。市場で新鮮な朝ご はんを食べようーっていう試みです。いやあ、時折雨、蒸し暑い、荷物を押して 歩いて行った先が食堂「恵美」、常連客らが500円の定食を食べながら、広島 カープは前日延長戦でまた負けたケン、どうにもならんと、凄いのはイチローじ ゃが、マリナーズとの5年契約で120億円というがどれくらいの金やろね〜とス ポーツ新聞のネタを話題にしていました。


そこを、こっそりしのび足でノレンをくぐりカウンターに。メニューがよくわ からないから、すみませんラーメン定食ください〜!「まだスープができとらん とね」というから「あっ!すみません、では、恵美(えみ)丼ください」って再 び注文すると「めぐみどんね」ってたしなめられました。


いやあ、冷汗ものでしたが、そこの女将さん、客みんなが帰った後、東京から ここの市場を目指してきたーと告げると、途端に態度が変わり、ようきなされま したなあ、とナスとひき肉のハンバーグ、それにカレーの野菜炒めをサービスし てくれました。恵美丼は、いくら、ウニ、マグロ、地元の白身の魚の刺身がたっ ぷりのった獲れたての海鮮丼でした。800円は安い。親切に近くで和菓子店を営 む「」を教えてもらって行ってみると、冷やしぜんざいをもたせてくれました。 なんだか、旅のスタートから優しい人たちです。その足で再びヒロ電に乗って、 東方向の宇品天然温泉は新装の「ほの湯」、入浴料が370円でした。いい気分で したね。薄日の差す雲の晴れ間から、雨がぱらついてきました。


昼過ぎに駅周辺のホテルで、田村さんら一行と合流し、昼食はお好み村でお好 み焼きにビールでした。ベンツとレクサスの高級車を仕立てて移動した先は、広 島平和記念資料館でした。入場料50円、館内は外国の人の姿が目立っていました。 開催の企画展は、当時、爆心地に入って撮った林重男氏の写真展でした。広島商 工会議所の屋上の望楼に立って口を衝いて出た言葉が「こんなばかな。」だった、 という。ヒロシマ壊滅の記録は、いまだに当時のあまりに酷く悲惨な風景が熱を 帯びて迫ってくるようでした。原爆は人類の敵です―とあらためて強く脳裡に刻 むこととなりました。原爆ドームの保存に尽力した一人の建築家、丹下健三先生 を偲びながら、その慧眼に頭が下がる思いでした。


車3台の一行は、一路南下し、海軍工廠ゆかりの造船の町、呉へ。足を運んだ のが呉市海事歴史科学館、通称・大和ミュージアムでした。「男たちの大和」や 「海猿」、そして「出口のない海」などの映画のロケにも利用されたそうです。 戦艦大和の10分の1の模型や実物のゼロ戦の機体が並んでおり、驚きはそれら の造船や製造にかかわる熟練の極め技術でした。当時の棟梁が貼ったヒノキの甲 板の木組は、実に見事なものでした。が、ガラスケースに陳列されたいくつもの 筆の文字は悲しみを誘っていました。


「桜ハ咲モ己ガ身ハ母ノ言葉ニ気ハ痛ム、4月3日記ス、桜ヲ見テ沖縄ノ血戦 ヲ思ウ」。人間が入って操舵し敵艦を沈める「回天」、その人間魚雷で若き命を 失った青年士官らの遺書は、胸に迫りくるものがありました。


さて、長くなりそうですので、少し急ぎます。潮騒、微風、澄み切った空気、 夕刻、雨が上がって少しずつ、遠くの島がそのいくつもの影をあらわし始めてい ました。大きな船は、無人島から石切りの帰りという。島は、砂浜の岸辺から山 側にそそり立っていました。高台にのぼると遠望がきいて、ほっと肩の力が抜け ていきそうな景色が広がっていました。入り江に並ぶのは特産の養殖カキの筏だ という。その夜の宴は、タイやヒラメ、サザエ、車エビ…勿論、地元で獲れた天 然ものでした。長い生きしそうですね。周辺に別荘が並び、自らのクルーザーで 宇品方面を行き来しているらしい。まあ、うらやましい〜。


深夜降り続いた雨は、朝方やや小降りになっていました。予定通り、フェリー で宇品港に向いました。同行の若手の藤井さんが自慢のレクサスで新山口駅まで 送ってくれるという。どしゃぶりの雨を衝いて高速道路を突っ切ってくれました。 そして、いよいよ山口です。


山口大学工学部のある常盤キャンパスは宇部市内の北部にありました。本館前 にタクシーで到着し、さっそく会場の2階の会議室へ。入口でにこやかな表情を 浮かべて出迎えてくれたのは、DNDメルマガでも何度か取り上げたことがある、 看板教授の三木俊克さんでした。工学部長時代にお会いしたことがありますね、 って三木さん。渋く、甘いなんとも情感豊かな顔立ちです。名刺を拝見すると、 学術研究担当の副学長となっていました。山口大学の健全性は、その人事にある、 ってその後の別の会合で三木さんを喩にお話したことをしっかり記憶しておりま す。組織の、その闊達な進捗の行く末は、何も難しいところにあるのではなく、 そうですね、人事と金の扱い如何ですから…。


今回のミッションは、文部科学省の認証を得て設置した全国10大学で組織する 技術経営系専門職大学院協議会(MOT協議会)、その会長が古川勇二さんです。 で、いわば5年に1度義務付けられている認証評価の予行演習を本番に先駆けて行 い、認証評価のルールや基準をより確かなものに仕上げようという趣旨のようで した。評価認証を受けるのが、山口大学ということになります。施行の記念の第 1回目となります。さて、しかし、試行とはいえ、なかなか厳しい突っ込みが随 所に見られました。評価委員の代表は、古川勇二さん、東京工業大学の比嘉邦彦 教授、九州大学大学院経済学研究院の永田晃也准教授、民間から地元の宇部興産 から代表取締役副社長で、グループCTOの千葉泰久さん、そしてDND研究所 の僕、出口という顔ぶれでした。


テーブルをはさんで向かい合う形式で、山口大学側は、技術経営研究科研究科 長で教授の上西研さん、その恰幅でやや落ち着いて見えますが48歳の俊英で研 究科長の就任が45歳というのも山口大学の大学改革の凄味を感じさせていまし た。いやあ、堂々たるものです。野太く響く声はバリトン級で、その上西マジッ クの弁舌に終始惑わされそうになるくらいでした。副研究科長で教授の向山尚志 さんは日本政策投資銀行出身、VEC業務部長も歴任されていました。穏やかな 人柄でした。玄関で出迎えてくれた教授の河村栄さんはブリジストン出身で海外 での役員も経験されています。そして、懇親会でもっとも親しくさせていただい た教授の久保元伸さん、京都大学大学院出身でダイキンの研究開発部長なども経 験されていました。そして教授の大久保隆弘さんは中外製薬の医薬事業本部出身 という、いやあ、実地にキャリアを培った百戦錬磨の精鋭を揃えているようでし た。戦う軍団の様相です。まもなく、技術経営研究科がどんな理念で、どのよう な人材を育成し、そのため戦略や仕掛けをどう進めているか、そこのベールを一 枚一枚はがしていくことになるのですが、それは長州の進取な気風、「聞かれな いことは、話さない」と逆に、認証評価委員の実力を試している風でもありまし た。これはなかなか手強いぞ〜。


まあ、評価委員と山口大学の選任教官、背後に若手の選任教官や非常勤教員ら が取り囲んで、その一問一答の推移を固唾の呑んで見守っている風でした。ピリ リって緊張感が走りましたね。


この会の冒頭、三木さんが挨拶に立ちました。台風の接近で足元の悪いところ、 それも遠くからわざわざ来ていただいて恐縮です、っていいつつ、6年前からM OTを視野に入れて準備をし専門職大学院としてスタートして3年、スタッフ1 2人をコアに頑張ってもらっていますが問題点もあることは事実ですので、そこ を洗い出して日本のMOT協議会の発展のために、今回の試行を本事業に生かし てほしい。外は台風が近づいておりますが、この場では台風が吹き荒れてもいい と思います〜と短くもユーモアのあるお話を披露していました。


試行の段どりは、古川さんが趣旨説明し、続いて山口大学の上西さんが配布資 料に基づいて説明に入りました。事前に準備した専門職大学院の設置、運営等に かかわる目的や入学試験等に関する「設置基準」が5項目、教育目標や教育課程 の編成、成績評価などに関する「教育課程」の基準が17項目、進路状況や学生 による評価を定めた「教育の成果」の基準が3項目、教員数や活動評価を規定し た「教育組織等」の基準が8項目、施設や設備などの質を問う「施設設備等の教 育環境」の基準が3つ、そして最後の教員の評価や自己点検の実際を調べる「教 員の質の向上及び改善」が7項目あり、全部で6基準43項目という構成になっ ていました。


協議会が検討を重ねて作り上げた基準に、認証評価を受ける大学が自己点検書 を提出、各項目を5段階で評価する、という内容でそれらに付随する参考の資料 を別途添付し、それらを上西さんが逐一説明する、という流れでした。その説明 後、認証評価委員が諮問という名の質問、いやあ、場面では言葉はおだやかでし たが詰問調の厳しい指摘もあって、いささか心配する暗いムードにもなりかける ところもありました。これは、その三木さんの期待通りの展開でしたね。その後、 施設見学、そして修了者や学生の面談、山口大学の先生は席を外しています。全 部で6人、いずれも社会人で地元の大手企業に勤務する学生や、建設業を営む経 営者、ベンチャーの社長などでした。建設会社の社長は昨年終了し、今年から社 員を送り込んでいる、と話していました。


皆さん、なかなか教育が行き届いているのか、将来の希望についてやはり会社 の役員以上、CTOを目指すという強い表明がありました。認証評価委員の一人 は、これは皆さんの後輩のために、どこに問題があるか、それをきちんと解決す るためにヒアリングしているんですーと熱いメッセージを送る委員もいらっしゃ いました。真剣勝負でした。古川さんを中心に認証評価委員の評価審議、そして 山口大学の先生を前にした講評というところで、午後13時から17時すぎの4 時間にわたった試行はひとます成功裏に無事終えることができました。認証評価 委員は、それぞれの項目にコメントを書いて採点を行うという宿題もありました。 それらを含めて、古川さんが全部取りまとめて山口大学に送付して完了となりま す。


千葉さんは民間の立場から、MOTの定員をもっと広げて宇部から有能な人材 群を輩出し、目指す地域経済の自立的発展の新たなモデルを構築していってほし い、と訴えておりましたね。技術畑の千葉さん、現場で鍛え上げた燻し銀の趣で 存在感がありました。その宇部興産は今年で創業110年の佳節を迎えたんです ね。「技術の翼と革新の心」というメッセージが田村浩章社長から新聞に寄せら れていました。創業時の理念、「共同同栄」、「有限の石炭から無限の工業へ」 は堅持する、という。いまでいうイノベーションのマインドを創業当時から掲げ ていらっしゃった、と感じました。


さて、これはあくまで試行といっても文部科学省の定めで5年以内に認証評価 を実施しなければならず、その意味では一歩先行した動きとこれらの動向を評価 すべきかもしれません。それで次回は、来週20日には芝浦工業大学MOTキャ ンパス、そして東京理科大学で同様の認証評価の試行を行い、これらで得られた 経験を本番に役立てていく考えのようです。夕刻、東京から駆けつけた文科省高 等教育局の専門大学院室推進係長の君塚剛さんもこの日の成果を評価し、今後の 本番に期待を寄せていました。


なお、文部科学省が認証し、技術経営系専門職大学院協議会に参画している大 学は、芝浦工業大学、早稲田大学、東京理科大学、東京工業大学、東京農工大学、 日本工業大学、山口大学、九州大学、長岡技術科学大学、新潟大学の10校を数 えています。


MOT協議会では、9月27日午後13時から東京・大手町の日経ホールを会 場に第3回MOTシンポジウムを開催します。テーマは、MOT教育の最前線、 評価試行を踏まえてーで、基調講演には花王の後藤卓也会長、日立製作所のフェ ロー、中村道治さんらが登場します。パネルは、古川さんがモデレータ―で芝浦 工業大学の柴田順二教授、MOT協議会専門委員長の亀山秀雄さん、東京理科大 学の坂本正典さん、山口大学の上西さん、日立の中村さん、日本経済新聞社編集 委員の中村雅美さんらが登壇します。近く、ウェブ上で参加の申し込みを開始し ます。DNDでは産学連携情報にこちらも掲載します。


山口大学の若手の一人、研究科長特別補佐で准教授の福代和宏さんからさっそ くメールが入り、これをPRしてくださいーっていうから、これは確か宴席で、 なんでも言って頂戴〜なんて太っ腹なところをみせていたようですから、しょう がない(笑)。しかし、これはMOTの国際シンポを山口大学が中心になってや ろうーというから、これはたいしたものです。古川さんといきましょうかね、っ て相談していたところです。内容は、【第4回イノベーション&マネジメント国 際会議】12月5日(水)〜6日(木)会場:全日空ホテル宇部、主催:山口大 学大学院技術経営研究科、共催:オランダ・UNU-MERIT(国連大学新技術研究 所)、中国・武漢理工大学、後援: MOT協議会、MOT学会、西日本MOT コンソーシアム、研究・技術計画学会、PM学会。内容と申し込みは、本日のD ND産学連携情報にアップしていますので、どうぞ〜。


いやあ、長くなりましたね。さて、外は、台風が九州北部、四国付近に接近し、 雨脚と風がどんどん強くなってきていました。懇親会は、そんなことも忘れて議 論が弾んでいました。長州人の議論好きは、まさに噂通りでした。いやあ、有意 義でした。攻める永田さん、守る上西さん、会議室では向かい合って火花を散ら したこのお二人、その後の宴席では仲良く横に並んで、僕と向かい合いながら、 終始なごやまでしたね。聞けば、お二人は48歳の同年代、どうもウマが合う分 です。本当にご苦労さまでした。僕もいい経験をさせていただきました。


雨の翌日、僕は皆さんと別れて、一路、厚狭駅へ。そこからまっすぐ北進する 美弥線に乗って山陰本線の長門市駅、そして東に進んで、吉田松陰ゆかりの萩市 に入りました。東萩駅から松本川を渡ってさらに西に歩いて、まず一番に向かっ たのが、野山獄跡、アメリカ密航を企てて失敗した吉田松陰が投獄された場所で した。その反対側が岩倉獄でした。松に桜の木が茂り苔むした石碑が並び、よく 掃き清められた周辺は、光を閉ざしてほどよい薄暗さでした。地図を眺めている と、日本海に望んで北東に松本川、東西に橋本川、その中洲一帯が萩の中心部な んですね。珍しい形状です。そこに高杉晋作、久坂玄瑞の誕生地とあり、松陰の 誕生地は東の田床山の麓でした。


「おいでませ」。そのやわらかな言葉の響きとは裏腹に、維新の志士の激烈な 魂が、ここ萩の地に息をひそめているかのようでした。密航留学生を描いた「長 州ファイブ」の実録は、日本の未来を変えるため長州藩から国禁を犯してイギリ スにわたった若者たちのことで、英国人は彼らをそう呼んだという。映画にもな り、その物語を朝日新聞の宮地ゆう記者が山口支局在任中に書いていました。そ の冊子を買い求めました。いやあ、とこをみても歴史の舞台の真中に立っている 気がしてきました。


街並みは漆喰の白壁が時代を感じさせてくれています。奇麗な街です。繁華な アーケードの商店街は少し寂しそうな気がしました。時期はちょうど、瀬つきア ジのシーズンで、萩漁港に面した道の駅「萩しーまーと」は瀬つきアジ祭りの真 っ最中、脂がのってシコシコととてもアジとは思えないうまさでした。相島のス イカは格別でした。活イカもウニもアユも、夏ミカン菓子もみんなおいしい。雨 の中、街の中を巡回バスにのってよく歩きました。帰るのが惜しい、って思って いたら新山口発東京行の寝台特急「はやぶさ」は運転中止の報、飛行機も欠航〜 というなんか嬉しいニュースが飛び込んで、ここに宿をとることにしました。萩 本陣の新装の温泉は、お風呂だけ堪能しました。翌日の15日は昼過ぎに萩から JRバスに揺られて新山口の手前の湯田温泉へ。 途中、峠を越えたら快晴でした。さわやかでした。中央公園は建物の外観も景 色も素晴しい。県庁周辺はケヤキ並木がうっそうと茂り、緑がいい感じに映えて いました。歴代8人の総理を輩出する、そういう歴史的風土や自然環境があるの でしょうか。


バスを降りると、名物のういろう屋さん。松田松栄堂は4代目、材料を吟味し 手作りで丹念にお菓子を販売していました。3代目の未亡人はもう80近いのに 華奢で涼やかな美人でした。萩の老舗の和菓子屋から嫁いだという。松田房乃さ ん。その前日、萩で偶然、萩風月堂に立ち寄った店でみつけた長門鍔(ながとつ ば)の銘菓が、房乃さんの実家の流れをくむのだという。


いい気分で、湯田温泉の日帰り旅館を探して歩き出すと、すぐ左に枕木を張っ たエントランスに瀟洒なコンクリートを打ちっぱなしの外観を目にして立ち止ま ってしまいました。中原中也記念館でした。中也の心の中にあった深い悲しみは どこからくるものなのでしょうか。


 外の壁にアクリルのパネルが並び、そこに中也の詩が添えらていました。その ひとつ〜。


雨が、あがって、風が吹く。
 雲が、流れる、月かくす。
 みなさん、今夜は、春の宵。
 なまあつたかい、風が吹く。


なんだか、深い、溜息が、
 なんだかはるかな、幻想が、
 湧くけど、それは、掴めない。
 誰にも、それは、語れない。


『在りし日の歌』より、「春宵感懐」でした。中原中也生誕100年を今年4 月29日に迎えた、という。この25日から特別企画展「小林秀雄と中原中也」 を開催するという。中也は、ここ湯田温泉の生まれだったのですね。


 定刻通り、新山口を夜8時26分発の寝台特急「はやぶさ」に乗りました。車 窓をずっと眺めながら、この数日間のできごとを思い浮かべていました。記憶の 中に身を沈めていたようです。深夜、ご婦人がなにやら叫んでいました。トイレ に行って戻る部屋が見つからない。前に後に…を繰り返していたようです。車掌 さんが、困惑していました。ご本人もカーテンを閉めてぶつぶついいながらしゃ くりあげるように泣いていました。窓から漆黒の闇に自分の姿を映しながら、ご 婦人がトイレに立つのを待ち構えていましたら、出てきたので、トイレはこちら ですよ、そしてお席はこちらですよ、とエスコートしてあげました。とても喜ん で恐縮していました。僕と同じように通路のイスを引いて窓から外を眺めていま した。


翌朝9時58分、東京駅に無事着きました。お天気です。ご婦人は、連れの旦 那と一緒でした。すっかり元気な様子で、昨晩のことはまったく覚えていないよ うでした。電車を降りるとき、段差があるので、荷物を受け取り、手を取って抱 えるようにホームに引き上げてあげました。ご主人にもそうしてあげました。今 度はご主人が、なんども手を振って感謝の気持ちを表してくれていました。


東京駅から京浜急行に乗り換えてしばらくすると、車内アナウンスがあって、 10時14分ごろ、新潟で震度6強の地震がありました、という。束の間の、夢 のような旅日記は、いきなり吹っ飛んでいました。台風に続く地震、新潟中越沖 地震の一日も早い復旧と犠牲になられた方々のご冥福をお祈りします。


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