◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2007/03/07 http://dndi.jp/

「半鐘」の悲鳴が聞こえますか?

付録:理系文系の呪縛からの解放論議沸騰!

DND事務局の出口です。寝静まった深夜、自宅の裏庭から、カエルの鳴き声が聞こえてきました。そっと、息をひそめて障子越しにのぞくと、気配を感じたのか、パタリと止んで警戒し、さっと人の影‥しばらくすると、また、辺りを伺う様にグッ、クワッ‥、グックワッ‥。発声が断続的で、鈍く低いのは、たぶん、冬眠から覚めた、初鳴きだったからか、あるいは‥。


もう啓蟄(けいちつ)。ネットで検索すると、啓は「ひらく」、蟄は「土中で冬ごもりしている虫」の意で、地中で冬ごもりしていた虫が春の到来を感じ、草木が芽吹くと同時に地上へ這い出してくるという意味というらしい。が、季節の変わり目は、何が起こるか分からないし、とんでもないものも現れるから要注意です。


今朝の新聞を見て、愕然としました。あやや、なんとまだ続発しているんですね。ステンレスや銅の金属を盗むという、あの卑劣な泥棒の暗躍です。いやあ、なんとも品性下劣、公共のモラルの欠如というレベルの問題では、すでにない。モノを盗む、と言っても、その狙うモノがひどすぎる〜。


それに手をつけていいものか、どうか、その辺の見境がない。金目のものならなんでも手当たり次第、というから空恐ろしい感じがしてきます。守り抜いてきた由緒ある文化的な半鐘ですら、鉄クズと一緒に換金され、燃える高炉で溶かされているとしたら、そんなことを思っただけで、怒りがこみ上げてきます。我慢がならない。許せない。志ん生落語じゃありませんが、これじゃ世の中、「おじゃん」です。


新聞報道を見ると、水田から給水管の蛇口約80個、神奈川県の小田原市では公衆トイレの銅製の屋根、川崎市の霊園では200基の墓の線香皿(40万円)、水門の支柱は特注で50万円相当、滑り台は階段を残して無残だし、閉館の日光のウエスタン村では土産コーナーのアルミ製サッシ24枚、青森で電線600b、広島では鉄筋9300本など、まあ、書き並べたらきりがありません。


ニュースは、もう慣れっこになって地方版で扱いは小さい。今朝7日の読売・埼玉版は、「ステンレス、アルミ盗、3市で被害額106万円」との見出しで2段扱の記事になっていました。


川口市内で盗まれたアルミ製の建材15本は、金額にして15万円だが、亡くなった夫が使っていたものーと76歳の未亡人が話していました。建材職人の年季が沁み込んでいたかもしれない。板金会社の倉庫からは、南京錠を壊して太さ0.5aのクギ7500本入りのダンボール15箱が盗まれていました。きっと、全国のあっちこっちで、こんな盗難事件が頻発しているんでしょうね。


で、最も腹立しいのは、火の見やぐらの半鐘です。栃木・茨城で被害が40件を超えていました。どうですか、半鐘のある農村の風景というと、画家・谷内六郎さんの絵を思い浮かべませんか、それに象徴されるように牧歌的な日本のシンボルでもあり、昔から火事や水害などの有事の際に使われる唯一の警報の役割を果たしてきました。


盗まれたモノのうち、茨城県常総市の青銅製の半鐘(高さ40a、直径30a、重さ8キロ)は、古老の説明によると、徳川8代将軍、吉宗が統治していたころから伝わる歴史的文化財で、集落の人々の心のよりどころだった、というから、早く返してください、という心境ですね。


買えば、一般的に半鐘の価格は、10万円から20万円相当という。常総市のような古い物となれば、その価値は、金額では表せない、のは当然かもしれません。盗まれた半鐘は、50キロ、あるいは80キロの大きいものもあったそうです。


しかし‥。これが昨日今日の話じゃないんですね。昨年1年間での金属盗難は、全国で5701件、総額20億円に上り、それが今年に入っても連続しているんです。最近、新聞やテレビが大きく取り上げるから、なんだか大きな騒ぎになっているように感じるんですね。


まあ、北京五輪を控える中国の建設ラッシュが影響して、金属相場が「高騰」しているのが遠因というが、捕まったのは、日本人です。これら盗んだ金属がヤミの業者に流れ、どこかの工場で"金属ロンダリング"されているのは確かなようです。しかし、金属ドロの検挙は、昨年1562件もあったというのに、その裏のシンジケートの実態が解明されていないのももどかしい。盗んだ連中の名前、顔写真を公表してはどうでしょう。


いくら鉄クズ相場が5倍、銅の建値(非鉄精錬所の販売価格)が3.7倍に高騰している、といっても鉄クズは、1トン当たり3万1千円、銅は78万円ですから、大き目の100`の半鐘とて相場換算で7万8千円です。とすれば、江戸時代から伝わる、といってもわずか8キロの半鐘は、7000円程度にしかなりません。それを秤売りするほどアホじゃないでしょう。ヤミの回収業者だってその辺の価値に気がつくハズですよね。せめて、骨董趣味の裏のルートで取引されて無事であることを祈りたい。


ひとつの歴史文化財の半鐘から、皆さん、何が見えますか?それが村の集落の火の見矢倉に厳然と存在し、今日に代々継承されているということの、歴史や文化や生活の重みを感じさせてくれてはいませんか。採掘から精製、そして製造のプロセスに思いを馳せると、型をおこして熱く溶けた銅を流し込み、叩いた音がどう響くのかどうか、それらを極める職人があれこれ悩んで、試行錯誤を繰り返したに違い有りません。その半鐘の音に技術の差が現れ、その音色の違いで職人が判別できるのかもしれない。そして、村人に危険を伝えるという大きな役割を担ってきたんですね。


う〜む。稲と鉄、それは、弥生時代を象徴する2大文化であることは、考古学的にも疑う余地はありません。その鉄の文化が、やがて技術創造の源流となり、明治以降、その鉄の文化が一時忌避されてしまう理由や背景、それに日本に科学が生まれてくる条件などに言及していたのが、詩人で評論家の高内壮介氏でした。氏の『古代幻想と自然―縄文から湯川秀樹まで』(工作舎、1985年刊)に詳しく書かれています。


もう20数年前、高内さんの出身地、栃木県鹿沼で一度取材したことがありました。この半鐘などの金属ドロのニュースに接して、なんだかふわっと思い出し、氏の署名の入った赤茶けた本を書棚から引っ張り出してめくってみました。第4章「相としての自然―観相学から量子力学以降まで」(277P)。


〜日本の科学的自然観「相としての自然観」なのである。それを僕は、「相理論」と呼ぶことにする。(中略)その江戸時代に現れた例として佐藤信淵が祖父・不昧軒の著書を校正した『山相秘録』を取り上げてみよう〜として、佐藤は鉱物を発見する手法として、始めから分析法をとらない。で、何をするか、というと「山の相」を観じるらしい。


金、銀、銅、鉄、錫、鉛、水銀を七金という。これらを山から見つけ出す方法は、ヨーロッパ科学のように鉱物なら鉱物を「個物」として取り出さない。ひとつを取り出して、これを分析することはしない。近代の西欧科学なら計器に(鉱物の)それらしきものが現れてこない限り、ここには銅はない、と諦めてしまうが、佐藤はそうではなかった。もし、銅というものがあったなら、それは必ず、周囲の環境とセットとなしているはずだ。


この鉱物があるところには、必ずこんな花が咲いている、土はこんな色をしているはずである。そして、水の味はこういうものである。太陽にあたると、山肌がかくかくの光をはなってくる。ちゃちな人間のつくった計器になんの反応を示さなくても、それで諦めてはいけない。自然を総体として眺める、それが相としての自然だ〜というのです。


これは、江戸時代の秘録ですから、鉱物探索の技術は、随分と進化しているにちがいない。しかし、何か私たちが忘れかけている、総体として観る―という大事な概念を示唆してくれている気がしてなりません。


      ☆             ☆


さて、さて、好評連載のイノベーション25戦略会議への緊急提言は、議論沸騰です。自慢じゃないですが、この辺が、凄い。知性の原山優子さんが「理系文系の呪縛」からの解放という核心にズバリ切り込んで、それに呼応して見識のNEDO企画調整部長の橋本正洋さんが、その手段としての「技術経営力」を論じて話を繋げば、そこにベテランの前内閣府大臣官房審議官の塩沢文朗さんが「専門人材教育を考える」との論評を寄せてくれています。見事なリレーですね。こんな議論がウェブで展開できるとは、思いませんでした。どうぞ、ご覧になってください。


理系文系の呪縛、そこからの解放は、その理念についての考えは近いと思いますが、その具体的なアプローチやプロセス、あるいは問題点やリスクはないのか―と問うと、おっと経済産業省の論客、大臣官房審議官の石黒憲彦さんが、いまさっき自らの体験を交えて投稿してくれました。一挙に4本は贅沢ですので、これは少し取り置きにさせていただきます(笑い)。いやあ、編集子冥利に尽きますね。これだから、面白いんですね。皆様に感謝です。少し元気がでてきました。これから名古屋へ向います。


記憶を記録に!DNDメディア塾
http://dndi.jp/media/index.html

このコラムへのご意見や、感想は以下のメールアドレスまでご連絡をお願いします。
DND(デジタルニューディール事務局)メルマガ担当 dndmail@dndi.jp