DND事務局の出口です。東武浅草駅に近づく鉄橋を渡ると、にわかに陽が差し 込んで、車窓からは、幅広の隅田川が、わっ〜と一望できます。花見も花火もそ こからの見晴らしが絶景です。ガタゴト、ガタゴトとゆっくり進むのも情緒です ね。通勤の、ほんの数十秒の至福は、やはりこの季節が一番です。
もう春の訪れを色濃く映し、数千本に及ぶ名所のサクラ並木がうっすら紅みを 帯びて見えます。ちらほら枝先に赤い花を咲かせているのは、なんという種類の サクラなのでしょうか。少し風があるようで、川岸は波立っていました。
二月より三月寒しまたも雪(子駿)
再びの名残の雪と思いけり(高木晴子)
NHKのラジオ深夜便から生まれた俳句の「季語で日本語を旅する」(NHKサービ
スセンター)の目次をめくると、二月は「春を待つ」、三月は「春動く」とあり、
四月は「桜」でした。
「春の雪」は、春になってから降る雪のこと。いくぶんニュアンスが違うのに、 「淡雪」、「沫雪」、「泡雪」、いずれも「あわゆき」で、「牡丹雪」もあると いう。冬ならば、地面が真っ白になるが、それが春になってあちらこちらにまだ らになって残ります。それの状態が「はだら雪」、「はだれ雪」で、春になって から降る雪を「雪の果て」、「忘れ雪」、「名残の雪」ともいう。季語はなんと も美しい響きがありますね。
初雪や名残の雪か春の雪
と、まあ、明日から三月。東京はついに雪がひとひらも降りませんでしたから、 三月に雪が降ったら、こんな句も成立するかもしれません。雪が降らない街なら それでもいいが、雪が降らなくなった街というのは、いささか何か大事なものを 見失った感じがして、どこか落ち着きません。除雪がないのはお年寄りには救い ですが、この花粉の猛威は、その反動でしょうか。
なぜ、人は、ひとりで孤独に生きていけるのか〜という問いがあり、それは、 四季折々に変化が訪れるからだ、という意味のことを何かの本で読んで、納得し、 しばらく記憶に留めていました。ひとり棲む、年老いたその人は、男体おろしが 吹きつける栃木県の日光で、趣味の草花を愛でながら自然との語らいの中に慣れ 親しんでいるのかもしれません。