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風が見えたら

−沢木耕太郎さんのエッセイから

DND事務局の出口です。世界最高レベルのタイムを競った往年のアスリートが、 他の走者の足が引っかかって転倒するアクシデントで血を滲ませながらも、笑み を浮かべて浅草・雷門正面では走りながらの合掌、すぐ右に折れたところでも再 び手を合わせて沿道の声援に答えていました。


有森裕子さん、40歳。オリンピックで銀、銅の2大会連続のメダリストは、こ の日5年3ケ月ぶりのラストランでした。ゴールで付近では、向きを変えて後方を 見やって深々と頭を下げて礼をとっていました。時間は2時間52分45秒、自己最 高より25分遅いタイムで5位でしたが、満ち足りた安堵の表情がなんとも晴やか に感じられましたね。


皇居、東京タワー、銀座4丁目、人形の浅草橋、両国、浅草‥やはりこみ上げ るものがあったのでしょうか。走りながら何度も合掌する、その心からの感謝の 気持ちが伝わってくるようでした。家族に、恩師に、ファンに、42.195キロの ロードに‥何を感謝し、それらの恩返しに何をしようと考えているのでしょうか。 沿道の励ましやボランティアの声援には、「いままで日本では味わったことのな い体験でした」と率直な感想を述べていました。そして、「世界を元気に」とい う国連親善大使など次ぎの活躍の舞台のスタートラインに向っていました。


有森さんも、風のあの人のように、東京マラソンで周囲の風景に気持ちをすっ かり奪われてしまったのかもしれませんね。


〜前夜はぐっすり眠れたし、走り始めてからも、いつも悩まされていた腹痛が 起ってこない。快調にさえ感じられていたという。ところが、神保町から日比谷 にかけてのコースを走っているうちに、思いがけない気分になってきてしまった らしいのだ。周囲の街並みにたまらないほどのなつかしさを感じてしまった。こ こから少し行けばかつて自分が住んでいた家に出る、あそこを曲がれば働いてい た会社が見える、ここはあんなことがあったところだ、あそこはあの人と歩いた あたりだ。「彼女」がそのような思いを抱くのも無理はないところである〜。


これは、愛読するノンフィクション作家、沢木耕太郎さんの『バーボン・スト リート』(新潮文庫)の中に納められている、「風が見えたら」の一節です。 「彼女」とは、この「風が見えたら」のタイトルのヒロインで、女子マラソンの 先覚者のゴーマン・美智子さんのことでした。有森さんの人生と二重写しになっ て見えます。


足跡を辿って見ると、1974年第78回のボストン・マラソンで優勝、2時間47分1 1秒の記録でした。1976年には2時間39分11秒の世界最高記録を樹立していました。 続く、1977年のアメリカ建国200年を祝うニューヨーク・マラソンでは、2時間43 分10秒で再び優勝、男子は、ビル・ロジャーズで、ゴーマンとともに2連覇を達 成、彼女にとっては、渡米10年目の快挙で、インタビューで「私は東京からき た」と答えていたという。


その2年後の1979年、舞台は東京で、初の女子フルマラソンが行なわれた第1回 「東京国際女子マラソン」。当時の優勝者は42歳の主婦のジェイス・スミスでタ イムが2時間39分48秒と30分台の記録をたたきだしていました。日本勢は17位が 最高でした。


そこで、「意外だったのが‥」と沢木さん、続けて〜彼女の記録が16位で2時 間54分9秒とふるわなかったことであった。最盛期は過ぎたとはいえ、ボスト ン・マラソンとニューヨーク・マラソンで2度ずつ優勝し、きっと優勝戦線に割 り込んでくるものとばかり思っていた〜という。その期待は、裏切られた格好だ ったようです。


ゴーマン・美智子は、東京の商事会社のタイピストでした。28歳の時、米軍の 大佐の家でベビー・シッターのアルバイトをしたことが縁で、アメリカで学ぶチ ャンスが与えられ、10ドルを手に単身渡米、その彼女が、「U・S・A」のゼッケ ンをつけて東京の都心を走っている。その彼女に何が起こったのだろうか〜「風 が見えたら」は、そのところを深堀りしていきます。


周囲の風景が様々な思いを伴って見えてきたとしても当然のことだろう。しか し、風景が懐かしいだけならよかったのだが、そのうちに彼女は「もうこれで充 分」というような妙な満足感を覚えてしまい、追い抜かれてもあまり口惜しいと は思えなくなってしまったのだという。(新潮文庫99P)。


レースの翌日、ゴーマン・美智子は、新聞で沿道の観客があれほど多かったの にもかかわらず、優勝者のジョイス・スミスは、まったく「気づかなかった」と いう談話を読んで愕然とした。勝つためにはそれくらいでなくてはならないのだ が、そういえば、以前(優勝のレース)は、レース中にあのような雑念が湧いた ことが一度もなかった、自分は負けるべくして負けたのだ、と思ったのだという。 (『バーボン・ストリート』新潮文庫99P)。


沢木さんは、そこで、いくつか大事な問題提起を友人の言葉として紹介してい ます。誰でも、何をしていても、最初は一心不乱に前へ進もうとする、がやがて その行為に慣れてくると、周囲の状況が眼に入ってくる。それとともに前に進む スピードが鈍るようになる。〜だからといって、いつまでも一心不乱に走ってい ればいいとは思えない。確かにスピードをゆるめると、周囲のすべてが美しく、 懐かしく見えることがある。耳元を通り過ぎる風の音が聞こえ、色までが見えて くる。しかし、その色を見ることは走ることにとっても決して無駄ではないはず だ。問題は、ひとたび風を見た人が、どうしたら再び走れるようになるかという ことなのだ〜と。


う〜む。これだから、沢木文学は痺れるんですね。気負いも照れもない。きっ と誰もが経験する、大事なことをさらっと綴って澄ました顔している、風なんで すね。


まあ、この「風が見えたら」の項には、ゴーマン・美智子以外のランナーも顔 を出します。例えば、今回の東京マラソンで、テレビの解説を務めた、瀬古利彦 さんが、かつてゴメス選手に競り勝って見事復活を果たした「東京ニューヨーク 友好マラソン」を引き合いに、瀬古選手とコーチの中村清氏との師弟関係を「信 仰に近い」関係だとし、逆に70年代に世界のマラソンをリードしたビル・ロジャーズ選手の「自主自立の精神」との対比、あるいは、「一心不乱のまま一生を 終えた」、東京五輪銅メダルの円谷幸吉選手が自らを追い込んでいく背景などに ついて触れながら、「円谷はおそらく風を見たことがなかったにちがいない」と 断じ、瀬古選手については「瀬古は風を見たことがあるのだろうか、コーチの眼 ではなく自分だけの眼で、はっきりと‥」という具合でした。


う〜む、奥が深いなあ。「風」を通してその人間存在の根源に迫る、という一 見抽象的なのですが、極めて現実的な離れ技を見せていました。今のお立場での、 皆様の周辺にはどんな「風」が吹いているのでしょうか。その風の色が見えますか。なんだか、これじゃ、デズニーのポカホンタスになっちゃいますね。


さて、第1回の東京マラソンは、成功でした。ボストンやニューヨークなど世 界の5大マラソンに見劣りしない−と専門家らの称賛の声を紹介した記事で、「T OKYO世界級へ助走」なんて、上手い見出しをひねったのは、19日付け朝刊の朝日 新聞「時々刻々」でした。


テレビで観戦していました。ぼっと見ながら時折り、考えさせられました。冷 たい雨の東京で日曜の18日午前9時10分、号砲が響いて紙吹雪が舞うスタートの 都庁前を埋め尽くす3万人の大群衆、その市民ランナーの緩やかな行進は、壮観 で、迫力がありました。が、警察も消防も医療班も、それに1万人を超えるボラ ンティアのサポート、それにしても96%以上の完走率は、凄い。どうしたらそん なに走れるのだろうか。経済産業省の石黒憲彦さんは、趣味はマラソンというか ら、どのようにすれば、そんな体力が鍛えられるのか、不思議でなりません。別 人28号ですね。


もう20年近く前ですが、新都庁舎落成直後の記者クラブ担当でしたから、いま さらながら、こんな使い方もできるんだって感心して見ていました。カメラアン グルといい、紙吹雪の演出効果といい、その数百mに及ぶ幅広の直線が遠慮なく 確保されているなど、好条件が揃って、市民マラソンのスタート地点としては、 これ以上の場所はないのではないか、と思うほどのポイントです。


それも、市民が集う都市の広場、その庁舎はなんであれ市民が中心という、欧 米のシティーホールの概念を新都庁舎に盛り込んだのが、世界の建築家、故・丹 下健三さんでした。きっと遠くから目を細めて眺めていることでしょうね〜。


余談ですが、「風が見えたら」−の出典を探すのに実は、『バーボン・スト リート』をすっかり失念していました。さらにゴーマン・美智子の名前も出てこ ない。『彼らの流儀』、『路上の視野』、『敗れざる者たち』、そして『沢木耕 太郎ノンフィクション作品集』なども漁って、片っ端から開いて読んで‥気が狂 いそうでした。


オフィスや自宅の書棚を一斉捜索、あるのがわかっていても見あたらないから、 スタッフの伸城君に秋葉原の本屋に2回走らせました。ここでは書き切れません が、つい寄り道しちゃって、毎日新聞の杉山康之助さんの遺稿集『御意見無用』 を読みふけったりして、フルマラソン並の書物探索、いやいや迷路に嵌って抜け 出せなくなりそうでした。しかし、たぶん、自宅かなあ〜って昼過ぎにとんぼ返 りして、家宅捜索。それでも見つからない。何をやっているんだか〜。


ああ、ついに昨日は19時近く、ねえ、なんとかなんないかなあ〜とスタッフ にSOS。ネットで検索してくれない!日系二世、女性、マラソン・ランナー、風を見た、とかなんとか‥。


貴志、清志、それに伸城のスタッフ3人が、一斉にキーボードを叩くと、瞬時、 いや即、それもわずか1分以内に、『バーボン・ストリート』の「風が見えた ら」にヒット、そして文庫本がまもなく手元に届きました。同じ本が、また一冊 増えましたが、メルマガは今のところ、一心不乱です。風は、見えてきませんね。


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