◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2006/12/06 http://dndi.jp/

時空を超える、DND読者からの「夢のつづき」


DND事務局の出口です。縁は奇なものですね〜。もう何度かメルマガに的確な 論評や感想を寄せてくださっている北澤仁さんが、こんなメールをしみじみ返し てくれました。言葉というか、文字というか、それらに魂が籠もるらしく、それ によって一喜一憂するから不思議ですね。う〜む、脳裏に浮かぶ走馬灯が、ゆる やかに止まったかと思えば、後戻りして反転するような、そんな過ぎ去った時間 が再び甦る、さて、これをどう言葉に置き換えればいいのでしょうか。ウェブは、 まさに時空を超える奇妙な言葉の夢芝居〜。


本年締め括りの第1弾は、見も知らぬ読者から届いたメルマガへのメールを紹 介します。


【その一幕】(2006・12・5受信)〜出口さん、「飯塚、35年目の恩返し」(2 006・11・29配信)の貴メルマガの最後に「ダッカにて新井明男」という署名の 小文を読み、それは丁度1年前バングラデッシュ・ダッカでお会いした新井さん ではないだろうか、とその時の名刺を確認しましたら、やっぱり、新井さんご本 人でした。


小生(北澤さん)、昨年10月下旬1週間、筑波周辺の日本アーティストたち とミッションを組んで、文化交流目的でダッカに行ってきました。小生は吉田茂 国際基金監事の肩書きで応援団長の役で参加しました。


40年前からの長い間、筑波大学の芸術関係に留学したバングラの人が大勢お り、既に卒業してダッカ大学教授や文化関係の政府高官などになっており、その 一人が国立ミュージアム館長で、その人のお世話でバングラデッシュ-日本文化 交流芸術展がダッカの国立ミュージアムで開かれました。


先方は開会式に文化大臣も出席する騒ぎで、日本側からは日本大使、勿論バン グラはJICAのODA重点地区ですからJICAのダッカ所長、新井明男氏に も御臨席願い、マスコミも大勢は入り大成功でした。そのときに新井所長には段 取り等大変お世話になった次第です。その時の写真がありますので添付ファイル で御覧ください。35年前振りとは懐かしいでしょう。縁は奇なものですね。1 2・5北澤仁〜。


添付に写真が2枚。そのひとつに、なんとその新井ちゃんが昔と変わらぬ実直 さでテーブルの中央に座っている姿が写っていました。何か説明をしているので しょうか、耳元で彼の歯切れのいい声が響いてくるようでした。不器用だが、こ んな誠実な人柄は、そうお目にかかれない。美人の奥さんは、ちょっとは知られ る胡弓奏者で、バングラに赴任する前夜、彼の自宅で小宴を開いて、私たち夫婦 を招いてくれました。部屋に響く胡弓の音は、仲睦まじいご夫妻にお似合いでし た。演奏する妻を見入る姿は、羨ましもあり、眩しい限りでした。


思い起こせば、あれは、35年前、大学1年の心理学の授業の後、大江健三郎 氏の『ヒロシマ・ノート』(岩波新書)を参考に研究会を立ち上げたい、といっ て学生運動の余燼が燻るキャンパスで、「ねぇ、一緒にやらない〜」って誘いを かけてきたのが、彼でした。


当時から「アジアに光を!」との思いが強く、迷わずその道に進んでいきまし たね。ああ、あの時の光景が鮮烈です。こんな思いにさせてくれた北澤さんに感 謝しなくてはいけません。が、北澤さんとは、実は、まだ面識がない。来年は、 是非、お会いしたいですね。楽しみが増えました。役得ですね。


【その二幕】(2006・9・9受信)それは、「グリーンノート」という署名の主 からペンネームで、「火山さんのオカリナ演奏の『土の詩』は見つかりました か?」とのメールが届きました。それはもう1年半前のメルマガ「孤高のオカリ ナ奏者、火山久さん」(2005・3・9配信)に対する質問でした。そのメルマガの さわりを少し紹介します。沖縄のスナックでマスターが偶然、オカリナを演奏し てくれたところの様子です。


〜いくらか酔いにまかせて、目をつむって聴いていると、奥深い山里で孤高を 保っていた、ある音楽家のことが思い出されてきました。あの人もオカリナを焼 き、演奏もしていました。もう27、8年も前の事でした。沖縄から帰って調べ ると、1997年5月に逝去、享年72歳でした。


天分に恵まれた孤独な音楽家、火山(かやま)久さん、とんでもない不幸が連 続していたのに、表情にその片鱗も見せず、いつも楽しそうに遊んでいる風でし たから、不思議な人です。


(中略)静かに逝ったのかもしれません。もう一度、お会いしたい、そんな思 いに駆られています。昨日から、スタッフと都内のCDショップ、レコード店を あちこち走り回って火山さんが残したオカリナのCD「土の詩」を探しています。 せめて、その旋律を聴きながら、供養としたいものです〜と。


メールの主は、後ですぐに判明するのですが、石川県金沢市で自然食品を扱う 研究所「グリーンノート」の代表で、自らオカリナを製作し、普及指導にあたる 「土の音工房(アトリエクレイトーン)」主宰の上村彰さんでした。


上村さんに、「実は見つかっておりません。もう探すのは、諦めております。 きっと先生(火山さん)は、あの世で笑っていらっしゃると思います」と返信し ていました。


いつ、どんなメールが誰から届いて、それになんと返事を書いて出したか−を再確認するのは、過去のメールをスクロールすれば、あっという間です。年間の 受信するメールの本数も半端じゃないですよね。これが手紙やFAXだったら、ま ずお手上げでしょうね。


で、数日後、「さっそくCDを送付いたします。お話しを聞くチャンスがあれば と思っております」と筆で書かれた手紙と一緒に、2枚の火山さんのCDが同封さ れていました。


驚きましたね。1枚は40年前のレトロな伴奏で、もう一枚は1970年12月に日本 コロムビア第2スタジオで録音したものだ、という。いずれも数少ない火山さん 自身によるオカリナ演奏のテープから音源を取った極めて貴重なCDでした。


郷愁をそそる日本の故郷の詩、誰でも知っている欧州の代表的な民謡〜透明感 のある火山さんの音色に初めて触れて、きゅんと胸がしめつけられる思いでした。 せめてもうちょっと我が家のCDプレイヤーの性能がよければ、宗次郎さんのライ ブのような、繊細で優美なオカリナの魅力が伝わってくるのでしょうね。それで も土と音の響き合いを追求し抜いた、音楽家・火山さんの執念を感じさせてくれ ました。


その後、上村さんが上京し、昼食をとりながら火山さん談義に花を咲かせてい ました。上村さんは何度も火山さんのご自宅のある足利に通ったようです。そこ で、上村さんは、おもむろに茶褐色で光沢のあるオカリナを布袋から出して「実 は、これが火山さんの作品です」と差し出して見せてくれました。ブリキ細工の ようなシックな色合いで、しっくり手に馴染む感触は、なんともいえぬ温もりが 感じられました。


上村さんが、DNDメルマガを知ったのは、以下のような経緯からでした。図書 館でオカリナ関連の本を調べていて、1965年初版の古く変色した香山彬子著『き りこ山のオカリーナ』を探し出し、そのあとがきに「私は、音楽家Q氏のつくる 美しいオカリーナとその音色や演奏を愛しています‥」とあったので、火山さん、 本名、渡辺久三郎氏、それの名前をネットで検索したら、出口さんのメルマガに ヒットし、それでメールしました−という。


上村さんとのご縁、この人も不思議な人でした。修験者のような逞しい骨格な がら、その物腰は柔らかで静かな口調は、そばにいるだけで癒されるようでした。 まだ1度しか、お会いしていないのに、火山さんが縁で忘れられない人になりそ うです。金沢は、もう雪が降っているのでしょうか。8日は、北陸は福井県鯖江 市で、地元の若手が地域活性化を目指して立ち上げたLLP「鯖乃家」のITセッシ ョンに参加します。そこの代表の出水孝明さんから、「出口さん、カニを食べに きませんか?」というお誘いにOKすると、猫なで声で「少し話してもらってよろ しいでしょうか〜」という。元気がよく全国を飛び回るフューチャーラボラトリ の橋本昌隆さんもご一緒です。長身の橋本さん、出口さん書いてくださいねって、 結構、売込みが盛んです(苦笑)。踏ん張ってね。


【その三幕】(2006・8・16受信)まあ、それはひっくり返るほどの驚きでした。 90年前の歴史の闇に眠ったままの、密かな論争が、その生き証人の子孫の登場に よってなんとか決着がつけられる格好でしょうか。


〜出口様、初めまして、荒木と申します。検索で引っ掛かり、【DNDメルマ ガ続マルタ:駆逐艦「榊」の真実】(2005・2・23配信)を興味深く読ませて いただきました。私の祖父は、この駆逐艦「榊」(さかき)に海軍機関大尉とし て乗り組み、地中海まで赴きました。そして、オーストリア海軍の魚雷が5分早 く発射されていれば、艦長の隣に立っていた祖父は艦長と一緒に戦死していまし た。ちなみに、この時いったん祖父の戦死公報が流れ、祖父は死んだことになっ ていました。


さて、本題。「榊」の真実の核心部分、それは〜『駆逐艦「榊」は、英国の民 間客船護衛中にドイツ海軍の潜水艦から発射された魚雷を見つけましたが、魚雷 がすでにその民間客船に近すぎて連絡しても魚雷を避けることが不可能と判断、 自らの船体を魚雷の進行経路に進め、その魚雷を防ぎ、その客船を守りました。 榊が潜水艦の攻撃を受けたのではありません。』

DNDメルマガで、上記のような内容を読者からの指摘で『榊の真実』として美 談に仕立てられているのですが、荒木さんは、「いったい、どこからこういう話 が出てくるのでしょうか」と首を傾げていました。


そして〜。祖母から聞いた祖父の話を紹介し、また、被雷時の状況について詳 述している以下のHPなどを紹介して、事実関係を整理してくれました。
http://homepage3.nifty.com/hscedoyashiki/edoyashiki/edoyashiki.htm


それに関連本。片岡覚太郎著『日本海軍地中海遠征記―若き海軍主計中尉の見 た 第一次世界大戦』河出書房新社。http://tinyurl.com/e6djf


 荒木さんは、この『日本海軍地中海遠征記―』は、当時日本海軍が正式な記録 として出版した「遠征記」の後半に収録されているのですが、この「遠征記」を 小説の資料としてC. W. ニコルさんに渡し、それが縁で復刻された、という。ま た、昨年5月に出版された、C.W.ニコル著『特務艦隊』(文藝春秋)の本の後半1 5章には、以下のような記述がありました。


それは、1918年6月11日、海軍が製作費三千円で発注した忠魂碑がマルタ島カ ルカラにイギリス海軍墓地に建立され、日本艦隊戦没者の慰霊祭が行われる場面 に、哀悼を捧げる荒木さんの祖父、荒木機関将校が「榊」の生存者として登場 (320P)していました。


主人公の三郎が「忘れてはならぬ男たちだ」といい、そばで荒木将校は「雷撃 を受けた時、私はたまたま食事をしに行って、水中に投げ出されたんです。いま 彼らの仲間入りをしていないのは、単なる偶然にすぎません。決して忘れません よ、少佐」というやり取りが描かれていました。


「いまも地中海はマルタ島に建つ慰霊碑。それは友軍のために果敢に戦い、地 中海に散った日本海軍軍人を祀る。英国海軍軍人を父に持つC.W.ニコルが勇壮に 描きつくす第一次世界大戦の秘話」とは、その本のキャッチコピーでした。


ちょっと重い話でしたが、90年の時空を超える、日本海軍の矜持、その子孫の 荒木純夫さんは、実は、(株)ビューポイント情報科学研究所の代表で「国際派 を目指す人のためのリスクマネージメント」など幅広いコンサルタントで、共通 のテーマが「リスクマネージメント」です。これまで3度お会いし、気心があっ てとても親しくさせていただいています。


いやあ、「榊」は沈没し、乗組員は全員死亡した、と思っていました、という と、荒木さん、真面目な顔で、だって私がこうしているじゃないですか、祖父は、 助からなければ、私はいません。祖母が祖父から聞いた話しでは、おひつを抱え て食事するところにドーンときて海中に投げ出されて九死に一生を得たらしい、 という。


【その四幕】(2006・11・26受信)。では、短めにもうひとつ〜あらためて、あ の日、ふと思い立ってご連絡してよかったなと思いました〜というメールは、中 川一徳さんでした。ご存知ない方が多いと思われますが、彼から突然、電話で 「あの〜増井さんのメルマガを読んだ、メディアの〜中川って‥」というその辺 で、僕は、あああっ、フジサンケイグループの内幕を描いた、あの著者の‥って すぐ反応し、「少しおしゃべりしませんか」というから、その夜会って、う〜む、 プロのジャーナリストだあ、と感心し、ずっと頷いて、気分よく飲んで、饒舌に なって、その人の言葉の虚実を射抜く、そんな鋭い眼光と屈強な風貌とは裏腹に、 細やかで繊細な仕草を、僕は僕で見逃しませんでした。


中川さんは、『文藝春秋』の記者として、「事件の核心」「黒幕」「悶死―新 井将敬の血と闇」などを執筆。2000年に独立、事件、経済、政治などをテーマに執筆活動を続けている。単行本は、本書が第1作となる〜という記述は、その彼 の渾身の秀作『メディアの支配者』(上下巻、講談社)でした。いくつかの賞を 受賞していました。巻末に一覧の主要文献はざっと140冊。


僕にとっては、あまりに身近で、フジサンケイグループの前議長、鹿内宏明氏 の解任劇は、フジサンケイグループ事務局の一員として実際に目撃していました し、フジテレビのお台場進出は、都庁キャップとして僕のミッションでもあって、 本文を読み進めると、その大半が自分史と重なってきました。


毎日新聞の地検特捜で慣らした元事件記者の友人から以前、あの本『メディア の支配者』は凄いよ、本当に凄まじい取材力だから読んだ方がいいって薦められ ていました。


中川さんが、この僕に電話をかけてこられたのは、DNDメルマガ「遺影の中の 社会部長」(2005・6・8配信)を「増井誠」の名前で検索して読んだからだ、と いう。点と線、そのつむぐ根気と執念、それにいくつかの仮定を描いて浮き上が る、虚々実々の構造、ふ〜む。


読んで、ふと、頭の隅で一瞬パーンと何かが弾けた〜のだが、もう随分と時間 がたってしまって記憶が薄れ、考えると夜も眠られなくなりそうです。増井さん が、不自由な晩年、体を震わせながら必死に訴えようとしていたのは、何だった のだろうか。


あの時も・・・戸外に飛び出して打ったいくつかの社運を背負った特級の特ダネ 〜その重大な事実を生かせなかった、その代償は、あまりに大きく、彼のその後 の運命をあっさり変えてしまっていました。


新聞編集長の頂点の裏側から、闇の追撃によって転落を余儀なくされ、その後 の20数年に及ぶ晩年は、もっぱら上下の狭間に翻弄されてしまっていました。告 別の日、居並ぶ大勢の同僚、先輩を前に、遺影の中で彼は、何故くぐもった表情 を見せたのか、中川さんの『メディアの支配者』を読むと、ぼんやりそれが透け て見えてくる感じがしてきます。


これも偶然ですね、こんな日にこんな記事が目にとまるなんて〜本日6日付の 朝刊、「首相動静」の欄で、【午後】6時46分、東京・銀座のイタリア料理店 「エノテーカ ピンキオーリ」で会食‐の某新聞社の「会長」と「社長」の名前 がありました。ワシントン特派員時代の増井さんの上司がその「会長」で、部下 が「社長」となっているんですね。社内の人望や経営手腕などやはり実力がモノ をいうのでしょうか。


【その五幕】(2006・12・7受信)これは明日の予告です。本日は、これでおし まいです。こんな風に、見知らぬ人からそれも突如、なんの前触れもなく舞い込 む様々なメール、そのメールから新たな扉が開いていくんです。こんなにも、い ろんなことが身の回りに連続して起って毎日がエキサイティングですから、もう やめられません。


実は、DNDは、来年から自立モードに入ります。経済産業省の後押しでここま で継続してきましたが、そろそろ一線を画して独立し、いわば、フリーランスで、 脱エスタブリッシュメントになります。DND事務局のスタッフ一同、心を合わせ て、DNDのウェブを死守する覚悟でございます。引き続き、ご支援賜ります。「T enaciousness」(テネーシャスネス)、変な奴って、明るく呼ばれたい。



 師走、外の風は冷たくなりますので、ご自愛ください。


    ☆         ☆          ☆ 
「ともかくも あなたまかせの 年の暮れ」(一茶)
「お奉行の 名さえ覚えず とし暮れぬ」(来山)
「泥棒も 坊主も走る 師走かな」(?)


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