DND事務局の出口です。不思議な、あやしい、ありそうにない話。しかしどこ か、あなたの近くで起っているかもしれない物語〜。これは、ブームの村上春樹 さんの『東京奇譚』(とうきょうきたん、新潮社)の帯のキャッチコピーです。 5つの短編小説、その中でも「偶然の旅人」は、リアルすぎて少し怖い。
時期外れの、DNDメルマガ。それも師走に入ってそのEXTRA(番外編)を配信す るには、実は、それなりの理由があります。それは、とても不思議な話しだから です。
201回目のメルマガは、「飯塚で、35年目の恩返し」とのタイトルで、福岡県 飯塚市は、九州工業大学情報工学部で24日開催のe‐ZUKAトライバレー産学官技 術交流会2006に参加し、地元の多くの方々との交流を、強い思い入れいっぱいに 書いたものでした。が、そこでご一緒したのが、インド・ケララ州の産業インフ ラ開発公社のミッションでした。
熱風のインド〜って、そこでふっと浮かんだのが、「学術の風」のコラムをDN Dでお持ちの内閣特別顧問でイノベーション25戦略会議の座長の黒川清さんで した。
その頃、寒い北京からインドのニューディリーへ。きっと、ご講演の最中でし ょうか、ってそのタフなスケジュールに同情しながら、幾つか届いたメールに、 「ご自愛ください」って、医師でもある黒川さんの健康を心配していました。黒 川さんといえば、これはあまり公になっていないことですが、世界的に有名な科 学専門誌「Nature」の国際版11月23日号に「a Fresh Start For Japan」の見出しで、詳しく解説記事が掲載されました。
う〜む、実は、前回のメルマガで、そこの大事なところを「ニューズウィーク 誌」とし、11月29日号と誤まって書いてしまいました。ここで「訂正とお詫び」 をしなければならないのですが、ひらめきに近い僕の関心が、頭のてっぺんでぐ るぐる回って、なんとしてもこのEXTRAでこれを機に、お詫びをも兼ねて報告してみたい、と思い立った次第です。しかし、なぜこんな勘違いがおきてしまうのか。目眩がしそうなくらい、ショックです。
Natureに掲載−ってこれは凄いという認識がありますが、そこで前回のメルマ ガでも少し触れましたが、冒頭、こんな書き出しで始まります。
〜新首相、新学術顧問と協働で、日本に科学政策を変えるチャンスが来た−と いう。大学や研究機関の独法化で、自治権が拡大し、戦略的研究に惜しみなく研 究費が注がれるようになった。その具体例として、3000個のタンパク質の構造を 5年計画(来年3月まで)で解明する「タンパク3000」のプロジェクト、目標が達 成しつつある、2008年まで30万人の患者から標本を集める「バイオバンク」、収 集標本は、肺がん、胃がん、糖尿病や脳梗塞を含む47種の疾病の遺伝因子を調べ るのに使われる−ということも指摘し、明快な解説も載せていました。
そして、日本は今、根本的に科学技術政策を見直す時期に差しあたって、安倍 晋三氏が9月に首相に就任した際、まさにその見直しを公約に掲げ、イノベーシ ョン25戦略を打ち出し、2025年までの日本の科学と技術政策の長期戦略策定に 乗り出した。そこで、その実質的に構想を練る立場に、内閣特別顧問として黒川 清氏という科学者を抜擢したことは前代未聞で、安倍首相が科学政策を真剣に捉 えていることの証明であり、これはとても感心すべきことであるーと絶賛してい ました。そして、科学政策に関しては、やはり専門の知識や経験が豊富な科学者 による、専門委員会にその判断を任せるべきであろうーとの苦言も呈していまし た。
よく日本の実情を理解されているんですね。そこで、その英文を辞書片手に読 みながら、知人に解説を頼んでみたりして、ふ〜む、どこかで似たような記事を 読んだかもしれない〜と思って、いま火を噴くような熱い議論が巻き起こってい るDND「イノベーション25戦略会議」の緊急提言で、そうそう、アンジェスMG 創業者で大阪大学大学院教授の、森下竜一さんの提言論文「オープン・イノベー ション実現のための戦略とは?」でした。
そこで、イノベーション25への提言を語る前に、まずは、黒川先生の内閣特別 顧問への就任の意味を考えたい、今回の内閣特別顧問就任は大きな意味を持って いる−と前置きして、中国やシンガポールでは首相や、主席自身がテクノクラー ト出身で、フランスでもアメリカでも、科学技術特別顧問が必ず任命され、トッ プに意見具申をしています、いままで日本では内閣に科学技術担当顧問がいなか ったから、その意味で、やっと先進国の仲間入りです−と喝破していたんですね。 その森下さん、流石、大学発ベンチャーのフロントランナーです、「重要なポイ ントは見逃しませんね」、その分、逆にこちら側が、世の中の森羅万象の本質を 掴む、というその資質が問われるわけです。
緊急提言のコーナーが設置されて、間髪を入れずの、投稿でした。時間がたっ てその論点は、益々光彩を放っているようです。Natureが取り上げたから、って、 後日、改めて森下さんの慧眼を認識するようじゃ、ピッピッ〜ピッ!で しょ うか。
ところで、この緊急提言にフォローの風が吹いて、11月初めにスタートして、すでに29本の原稿が新たにアップされました。DND連載の常連の執筆陣に加えて、経済産業省の大臣官房審議官の本部和彦さん、前内閣大臣官房審議官の塩沢文朗さんも参戦してくれています。執筆者は11人を数えています。
これはそもそも総合科学技術会議議員で東北大学教授の原山優子さんのアイデ ィアでしたが、その原山さんも積極的で、11月21日号の「イノベーティブなひと、 とは?」で、野中郁次郎さんの「Phronesis」(賢慮)を紹介し、知性、感性、 価値観を育てよ、と提言していました。
で、経済産業省の大臣官房審議官の石黒憲彦さんが11月28日号で、「イノベー ティブな人々」とのタイトルで原山さんの見識に触発される形で、「イノベーテ ィブな人々の話を聞けば聞くほど、『天から降ってくるような閃き』で研究史に 残る成果やデザインや料理や演技を考え出した方はいませんでした」と指摘し、 そしてこう解説していました。
『どうも経験から蓄積された引き出しのようなもの、無意識の世界にある過去 の経験や感動、そうしたものから、イノベーティブなものが生まれてくるようで す。「集中力」があるからこそ「濃い経験」が蓄積され、「濃い経験」があるか らこそ「集中力」によって経験と経験がつながって、或いは経験と新たな刺激が 加わって、アイディアが沸き、勘が働き、全く新たなものが生み出されてくるよ うです。』と。終章は、「Phronesis」(賢慮)、黒川さんも何度となくご自身 のコラムで紹介してもいました。
DNDで今流行りは、「Phronesis」(フロネシス)。石黒さんの総括文をもう一 度掲載します。野中さんは〜個別具体的な場面のなかで、全体の善のために、意 思決定し行動すべき最善の振る舞い方を見出す能力、と紹介し、原山さんは「こ こでキーとなるのが主観であり、その主観がよりどころとする価値体系の構成要 素である倫理観、歴史観、社会観、政治観、美的感覚なのです。科学的知識と実 践的知識を融合してアクションを取るイノベーティブなひとには規範的な側面に おいても卓越していることが求められるのではないでしょうか」と結ばれていま す〜と。
もうひとつ、それは、九州工業大学を取巻く、偶然の符合です。塩沢文朗さん からメールで、「飯塚に行かれたのですね」とあり、「私も、1年ほど前に行き ました。嘉穂劇場は、まだ水害の被害から復旧中でしたが、おかげで回り舞台な どの仕掛けも見させていただくことができました。地域の元気を嘉穂劇場を見て 感じたものです。」と。
そして、飯塚に行ったのは、実は、九州工業大学の飯塚キャンパスに創設され た情報工学を結節点とする産学連携センターの開所式に、九州工業大学の下村学 長の熱心なお誘いを受け、出席したことがきっかけでした、という。
で、奇妙な感覚に捉われたのは、こんなことが起きたからです。塩沢さんから のメール受信は29日(水)23:04分でした。そして、その直後の23:2 1分に、今度は、黒川清さんからメールが入りました。その内容が奇妙に符号し ていたのです。
黒川さんからは、こうでした。
「九州工業大学は下村学長のところですね?23日に初代総長の山川健次郎先生
を記念したシンポジウムがあり、北京のために参加できず、以下のようなメッ
セージを送りました。この第1回は、去年、私の発案でアインシュタインを記念
する国際物理年の一環として行われた日本での行事でした」
「山川健次郎氏については、私のサイト内で検索すると、9つほど出てきますが、 一番上に出てくるカラムでもまず見てください。近代日本の科学教育教育の最大 の貢献者です。東大総長を都合12年(最長)勤めた方です。私の最も尊敬する 方です。『山川健次郎伝』(星亮一著)が3年前に出ました。それで、星さんと もお会いしました。ちなみに、日本人で初めてアメリカの大学教授になったのが、 「朝河貫一」で、これもYaleの教授です。この方についても私がWedgeで紹介し ていますが(カラム2003/04/03)が、この方も凄い人です。みな、熱いですねPhro nesisのかたまりです。」という。
黒川さんが最も尊敬する、山川健次郎氏、東大総長で、しかし、九州工業大学 の初代総長ともいう。黒川さんと塩沢さん、おふたりのメールの行数から推量す ると、僕宛に、同じ時刻に前後して、下村学長、九州工業大学と打ち込んでいた と思われます。黒川さからのメール〜塩沢さんが僕に宛てたメールの内容を知っ て、その会話に入り込むような、不思議な、あやしい、ありそうにない、そんな 感じの話でしょう。九州工業大学の初代学長まで登場してきて、ちょうど、九州 工業大学で僕らが講演の前日にその記念のシンポジウムが開催されていたんです ね。ほんとに‥ありそうにない話、しかし、あなたの近くで起っているかもしれ ない物語〜。このことは、黒川さんも塩沢さんも、このEXTRAメルマガを読むま で知らない。
さて、僕宛のメールにその記念シンポへのメッセージが紹介されていました。
少し長いけれど、素晴らしい内容です。迸るような熱いメッセージが随所に散り
ばめられています。読んでいると胸が熱くなってきます。
その全文掲載します。
「山川記念シンポジウムの開催、おめでとうございます。山川とは山川健次郎先
生、九州工業大学の初代学長です。153年前、会津のお生まれで、14才で白
虎隊の生き残りとなるも、勉強熱心が認められ、幸運にも17才で国費留学生に
なる機会を与えられ、正式にYale大学入学、苦労しながら、多くの人に育てられ、
助けられながら、正式に卒業した初めての日本人、という努力家です。22歳で
帰国し、一生を教育にささげられました。
後に第6代の東京帝国大総長となりますが、ここではその理由は述べませんが、
1905年に4年で退任。その後、この大学が明治専門学校として発足したと
きに九州にこられたのです。詳しくは、今日のお客様の星亮一さんのお話を聞い
てください。山川先生は、日本の科学教育の構築を通して多くの人材を育成、大
学の自治確立に大きく貢献されました。
日本の多くの方は北海道大学とクラーク先生のことをご存知です。この関係が
この大学と山川先生の関係といえるでしょう。でも、山川先生のことがそれほど
知られていないのが残念です。
山川先生は、その後、九州帝国大学の初代総長になられ、その後はまた東京
帝国大学総長を8年勤められ、その間に2年間、京都帝国大学総長も兼務され
た、もっとも偉大な大学人です。
先生は、次代を背負う学生をとても大事にされ、また大学の自治を守ることに
力を注がれました。近代日本の科学教育は、実にこの山川先生の貢献なしにはな
かったといっても過言ではありません。
このような偉大な先生のご功績をここで知り、偲び、次の世代へ引き継いでい
くことは、教育の大事な一面です。
今日、ここにお集まりの皆さんは、このような偉大な先人によって導かれてき
たことを、深い感謝の念で思い起こし、若者を育てることに、山川先生の信念と
情熱を少しで注入していただければ、どれだけ山川先生にも、また先生の関係者
一同にとってうれしいことか。
そして、みなさんが、自分一人ひとりの日常の生活、活動を通して、どれだけ
若者に勇気と希望を与えることができるだろうか、深く思いをはせていただけれ
ば、本当にうれしいことです。
私は、今日から所要で北京へ行きますので参加できませんが、皆さんがすばら
しいひと時を一緒に過ごされることを心から祈念しています。」
黒川清 前日本学術会議会長 内閣特別顧問(科学、イノベーション政策担当)。