DND事務局の出口です。昔、総合企画室なんていう一応の経営戦略の部署で、
ボスが変って数日後、部屋の同僚らを集めた酒席で、「なんでも言ってみてくだ
さい。不平不満、批判なんでも‥ここは自由に発言してくださって結構です」っ
て新米ボスが猫なで声で吹きかけるから、酒が入ってその気になって‥
あれがこうなの、誰が問題だの、奴と奴がどうの、あれはお前だろ、君がダメ なの、前任のボスがいつも白紙領収書を使って〜って暴露合戦してしまったら、 その後、それらの発言の内容が文字にされて、そっくり査定の対象にされてしま って、それで、部屋のみんなが密かに心に誓った言葉、いやはや、上司なんて信 用しちゃいけない〜。
我が上司の流儀:『上にも下にも強く』
そして入社20数年目でやっとめぐり合えた、と思った憧れの上司といっても関 連会社の社長、仕事も遊びも一流、面倒見がよくて懐が深い。が、いつもの性癖 で飲んだ席は、決まって部下を挑発する〜その日の質問は、どんな管理職が求め られるか?というものでした。部下に強い、管理職か?上司に強い、管理職か? さあ、どっち!その理由は?
そのボスは早食いの名手、グイグイとピッチが上がり、なんともうれしそうに 答えを待っている風なのだ。料理に箸をつけている場合じゃない。う〜む。呻吟 していると、部下に強いだけでは単なる弱いものイジメ、下にばかり威張って上 司にペコペコしているのをヒラメ、あるいは小判鮫といって最も嫌われるタイプ だ。それは最低の管理職、最も軽蔑される。しかし、上司にだけ強いというのも 扱いにくく困った存在で、上司とうまくやれないと人事や昇給で部下を守れない、 ともいう。
そのボスの言う正解は、「上にも下にも強く」。まあ、彼の若い時の数え切れ ないくらいの痛快な武勇を聞かされて、「上にも強く下にも強い」は、そのボス の流儀だったんですね。そんなことそう簡単に誰でもできるものではない。
しかし、それを酒席での自慢話と受け流していていればいいものを、ブルース リーの映画を見終わった後の疑似体験よろしく、「ヒヤオー!」って、すっかり その気になって「上にも強く下にも強い」を呪文のように自らに言い聞かせなが らファイティングポーズを取るから、これは危ない。まだ大人の世界を充分に知 らない45歳ごろだったかなあ〜。
翌日朝の会議から、自分が預かる部署の経営的数字がすこぶる順調と言うこと も手伝って(少し自慢!)、営業部門の粉飾まがいの報告、その甘〜い数字の見 通しに「ビシッ!」、突っ込みの弱い編集紙面に「喝!」、役員間の連携の悪さ と判断力の鈍さに「ズバッ!」ってやるものだから、忽ちバッシングを受けるは めになってしまいましたね。トホホ、まったく稚拙でアホだわなあ〜。
その社長が、どう?って、また酒の席で聞くから、いやあ、組織を動かすには それなりのポジションと権限がないとやり切れない、って愚痴ると血相を変えて、 そんなこと聞いているんじゃない、どうするかだ〜嫌だったら止めろ!って怒鳴 って、その席を蹴って帰り仕度を始めてしまいました。あちゃ〜。
何がなんだかわからない。どう?って聞いてくるから素直に言ったのに‥ねぇ 〜。目の前のカウンターに、手付かずの塩焼きのキンキが恨めしく、好物のそれ を尻目に、急いで追っかけて、銀座界隈の行き先はいつものお店でした。
どうか、そこで機嫌を直してください〜って、ポケットに手を突っ込んで肩を 揺らして前を歩く、その背中に手を合わせていました。
『組織の壁、その弊害』
理不尽、不合理‥どんな会社だってそんなことがついて回るのだから、と言い 聞かせながらも、ちょうど50歳を目前に転機が訪れ、それを節目に早期退職制度 の適用で円満退社、といっても辞表を受け取ってもらえない押し問答の場面も少 しあって、「これは手続きです」とやんわり伝えて、渋々受理された経緯もあり ました。
辞めたら少しはのんびり旅行でもいくのか?という先輩もいましたが、そんな 時間も余裕もないし、辞めてから次を考える、というようなもったいないことは しません。いま思えば、その理不尽な人間関係の幾つもの壁、組織主義の弊害、 その時々の気に入らない、あるいは気に入った上司や先輩らの、忠言、苦言、そ れに叱咤に嫉妬、約束反古に朝令暮改、保身のための言い逃れなどは日常茶飯事 で、その体験が血肉となり、心の財産となっていることは事実です。
夢の中の29年間、過酷だがエキサイティングな記者生活のお蔭で、何があって もへこたれない、そういう覚悟が備わったのではないか、と多くのボスに感謝し つつ、次の夢の実現にもう一歩、前に進んでいきたい。やや悲壮感が漂って見え ますが、案外気楽なもので、己の道を自らが決める、というのは実は、とても快 感なんです。こうも不器用なのに、どうしてそんなに調子よく見られてしまうの だろうか〜。
『国の根幹は人つくり』とは黒川清さん
どうしてこんな独り語りを続けるか、って言うと、今の若者が些細なことで萎 縮し、孤独の影を引きずって見えるからです。日本学術会議会長の黒川清さんに いわせると、「国の根幹は人つくり」、石黒憲彦さん連載による本日アップの 「志本主義のススメ」の第65回でも、人材育成の現場がよくルポされていました。 まあ、実は、人材育成は、何よりも尊く、至難で、偉大な事業である事は普遍で す。
僕のような態度も顔も大きい輩は、どうするか、嫌な奴は、ぶん殴って張り倒 すか、無視するか、どっちかなのですが、まぁ…ぶん殴るは冗談として、いずれ にしてもそれ相当の精神的、肉体的な負荷はある程度覚悟しなくてはなりません。 この僕だって、会社では、随分泣きましたよ。オイオイ、声を上げて‥。しかし、 後で振り返れば、案外たいした事ではないんですね。きっと、それらが後で、生 きる糧になるから、若い人も負けないで踏ん張れって、声を大にしたいですね。
困ったら、メールでも電話でも頂戴、って本当に思いますね。もっと、若い人 に光をあててください。
『ブラザー&シスターの存在』
希望を抱いてせっかく会社に入っても、落ち込んで体を壊したり、真面目なば かりに業務成績が思うように伸びなくて悩んで将来を悲観したりする事も、時機 もあるでしょう。大学から修士、博士と研究者の道に進んでも将来の自分の姿が なかなか見えてこなかったり、専任教官の冷ややかな対応に躓いたり苦慮したり ‥そういう事も連続的に起きてきます。嫌なことがない、というのはありえませ んから。
時代が変わって、まあ、今日の現状は、若者にとってちょっと辛い事情も分か ります。その原因のひとつは、ブラザー&シスターの存在、お世話好きな3年か ら4年上の兄貴分、姉御肌が見あたらない、という実態でしょう。逆に、これら 団塊ジュニアが、極端に面倒見が悪い、という悲鳴に近い報告がいくつもの会社 から上がってきます。
「おめぇがちゃんとやらねぇから、俺が怒られるだろう〜」って言うような、 新人イジメが陰湿に横行しているらしい。ひと昔は、叱ってもその後のフォロー があって、深夜までつき合って教えてくれたし、まあ、そうじゃない先輩もいま したが‥。
「私は、会社の目的は人を育てることだと思う。利益のために社員を使い捨て にするのではなく、社員を育てるために利益をだすのだと考えるべきです」(第 三文明10月号)と指摘するのは、人材教育会社社長のSさん、見出しに「叱る上 司が本物の上司」とあり、後段に「次の時代の人材を育てることが上司の責任で す。だからこそ、長い目で部下を叱ってみてください。本物の上司になるための 第1歩が、ここにあります」というご指南でした。特集の「叱って、伸ばす」は いいけれど、う〜む、ちょっと違うなあ、目的は、本物の上司かよ!って見透か されてしまいます。微妙ながら、この少しのズレが実は大きい。ブログ炎上の ターゲットをみれば、元新聞社の論説委員が標的にされるのをみると、なんか偉 そうにしながら、実は文章が独りよがりで、警戒心がない。若者を揶揄する、そ んな雰囲気が文面から滲み出ているんです。
若い人は、それは批判力が本来旺盛で敏感です。文系のMBA的な教官が、ベ ンチャーの起業家を相手にこうコンサルしているのをそばで聞いて思わずのけぞ ってしまったことがありました。
「ちゃんと毎年売上を伸ばしていくようなビジネスモデルが肝要です」ってい う。これは、笑えない。この教官は、こんな調子でいつも大学で教えているんだ ろうか〜。この製品では販促に経費がかさんで利幅が薄い、そして売上がそれほ ど伸びない、さて、どのようなビジネスが最適か、そんな議論の最中の発言でし た。ビジネス本のはしがきみたいな解説を、ベンチャービジネスの個別の実践の 場で披露することの、そのズレに気がつかない。
森博嗣氏著の『大学の話をしましょうか』
「大学の話をしましょうか〜最高学府のデバイスとポテンシャル」(中公新書 ラクレ)は、人気作家で工学博士、国立大学法人N大学工学部助教授、森博嗣 (もり・ひろし)氏が20数年の国立大学教官歴をベースに洒脱に語る、今までに ない大学論!という。「大学に20数年勤めてきて一番感じていたことは、自分の 意見はマイナなんだな、ということでした」と帯に書かれています。その続き〜。
「学力低下」を「まず、身につけるべき『力』とは何か、という点を議論する ことが大事なのでは?」と諌め、「ニート」では「ちゃんと働いているけれど他 人に迷惑をかけている人よりは、働かないでも周囲に迷惑をかけない人の方が良 い状態だと思う」と擁護し、「体験学習」は「つまり、言葉で説明すれば一瞬で 伝達できるものを、わざわざ効率を落として伝えるわけです。そもそも好奇心と は、『さあ、これをご覧なさい』といって引き出すものなのでしょうか」と首を 傾げる様子が目に浮かんできます。
森さんの本は、その昔から我がDNDスタッフのK君が「すべてがFになる」 (講談社、第1回メフィスト賞)など熱烈なファンでその著者の難解とも思える著 作を読破しまくっていて、その本は、僕が客員教授になったのを機にさりげなく デスクの脇に置いていった一冊でした。なかなかどうして、森さんの意見が少数 派なら、僕もその意見に組して喜んで少数派と呼ばれてみたい。
『不正受給の疑問、預金通帳のコピー流出』
「大学論」大学ってなんでしょう〜の章で、「科研費(科学研究費補助金)に まつわる奇妙な慣習」、「備品に関する馬鹿みたいな話」などの内幕を紹介して いましたが、この本の出版日が昨年の10月だから早稲田大学教授の不正受給が問 題となる遥か前であり、やはり、一部マスコミは容赦なくその教授を糾弾してい ましたが、なんだか、その背景には「ぎょうさん問題がありそうでんなあ」(な んだか関西弁は柔らかで、こういう批判ぽい指摘には都合がよろしい)。それに しても、その教授の不正を暴露したのは、内部告発らしく一部の業界紙には、研 究室に保管されていたらしい彼女の預金通帳のコピーやなんかも持ち出されてい た、という。不正受給は確かに問題だが、何者かに極秘の資料がコピーされて業 界とはいえ新聞社に持ち込まれる、というこの裏技、これってどういう事?もっ と別なやり方がなかったのでしょうか。
先般、第3回産学連携実務者ネットワーキングのシンポに参加した最終日の9日 は、「大学の情報管理」が議題に上っていましたが、研究室は誰でも入って勝手 に通帳までコピーされるんですかね。ああ、寒々しい。
学長選挙をめぐる内部抗争の標的にされた、という指摘もあります。僕が知っ ている早稲田って、そんな大学ではない。佑ちゃんが知ったら、きっと眉をひそ めることでしょう。
『読売新聞連載「科学立国は今、不正を断つために」』
読売新聞は、「科学立国は今、不正を断つために」と題して、この問題の根っ こを探るべく識者からの論評を連載しています。3回目には、科学技術振興機構 理事の北沢宏一さんが「目的外使用」の現実とその問題点を浮き彫りにして、具 体的な解決策を提言していました。第6回目には、日本学術会議会長の黒川さん が「研究費の不正受給と相次ぐ論文データの捏造、改ざん問題は、その背景は根 っこで互いにつながっている」と指摘し、その大きなバックグランドに言及して いました。まあ、ここはその問題を指摘するコラムじゃないので、この問題は、 別の機会にしっかり捉えたい。
で、作家・森さんの話の続きです。最も心動かされたのは、以下の文節でした。 タイトルは「どこを見ているか」。大学の先生はどこをみているのだろうか?大 学は、どこを目指しているのだろうか?と静かに問い、そして行を数行置いて、 「若者はそれを感じている。」というくだりです。
その長い文面から、昨今の凶悪な少年犯罪、それを誘発する原因の輪郭がぼん やりだが、浮かびあがってきます。大人の、お粗末過ぎる、醜いトリックが若者 にとって我慢ならないとしたら、その大人の行状は誰によって諌めことができる のでしょうか?今の大人は、今の若者以下である、という自覚を持つべきでしょ う。なぜ?って、いつの時代も新しい世界を創り上げるのは、若者の情熱と力だ からですよね〜。
『国際派プロへのキャリアステップ』
長くなって恐縮ですが、日本学術会議会長の黒川さんと一橋大学大学院国際企 業戦略研究科教授の石倉洋子さん共著の「世界級キャリアのつくり方」(東洋経 済)は前回も触れましたが、この本の凄いところは、国際派プロへのキャリアス テップを紹介し、そのパート2の全部が、20代まで(学生時代)の過ごし方、20 代(キャリア形成期)の過ごし方、30代(キャリアアップ期)の過ごし方、そし て30代以降の過ごし方―という具合に、そのメッセージのターゲットを20代から 30代に絞り、そのあらゆるキャリア形成の手の内、そのノウハウを惜しみなく捧 げている、ということです。そして、国際派プロに必要な5つの力を「現場力」、 「表現力」、「時感力」、「当事者力」、「直観力」として、それぞれ、実践に 基づく体験と智恵の数々を盛り込んで、黒川さん、石倉さんの渾身のメッセージ を伝えていました。
現場力を磨く―では、その妨げとなる意識、行為について、「聞いた話を鵜呑 みにして、ウラをとらない」、「言われた通りの予定、やり方を疑わずただ従 う」、「外国や新しい場所へ行っても表面だけしか見ない」などを指摘していま した。科学者、研究者にとっての重要な資質は、その物事への追求、「真実」へ の執拗な姿勢なのでしょうか。新聞記者顔負けですね。大学にはいろんな風評が 飛び交います。そこの真偽をしっかり掴む、そういう姿勢が求められます。
「現場力」のところで黒川さんは、「どこの社会でも基本は同じだが、特に医 師は現場で育つものだ」と単刀直入に書き出して、多くの指導者や同僚とともに、 多くの患者に接し、現場を経験し、知識と経験を共有し伝えていく。これが人材 の育成だ。
(中略)。手術を行うまでは、患者を診て、判断する能力が必要で、それも臨床 医のスキルである。(中略)例えば、意識のない人、出血のひどい人が救急で運 ばれてきた時には、何が起きているのかを瞬時に判断し、プライオリティを判断 し、それを順次対応する必要がある。判断を間違えると、最悪の場合命にかかわ る」と解説していました。その現場体験から説き起こした臨場感は、スリリング です。
本書にも触れていましたが、Professionの語源は、英語のProfessで、神の前 で宣言する、告白するの意、神に誓いを立てて従事する職業をいう。
Educationは、教育、それは教えて育てる、と黒川さん。語源は、Eはout、du c-はラテン語で導く、引き出すの意で、個人の才能や能力、個性を引き出すの意 味でしょうか。ついでに、Cultureは、cultivare=work at(耕す)の意で、人 の心を耕す、という解釈があります。
荒井寿光さんの『知財革命』
さ〜て、本日から東京・国際フォーラムで、第3回目の大学の知の見本市、イ ノベーション・ジャパンの開幕です。大阪ではバイオジャパン2006の開幕ですね。 午後13時からは、NEDOフェローワークショップのシンポで、パネリストのひ とりとして参加します。
テーマは「人材育成」。黒川さんの本を持参し世界級キャリアのススメを訴え、 そして、元特許庁長官で内閣官房知財戦略推進事務局長、知財の伝道師の異名を とる、荒井寿光さんの近著「知財革命」(角川書店)に書かれている、「知財は 人なり」から、5つの知財人材像をも紹介するつもりです。