DND事務局の出口です。それだからもう、じっとはしていられないらしい。 汗をふきながら、夜の賑わいで知られる中洲の川沿いをやや下って西へ進むと、 繁華な天神の広場、天空に舞う、彩色鮮やかな金色の鳳凰を飾る祇園山笠、伝統 の勇壮な祭は、もう間もなくクライマックスを迎えるのでしょうか。
七夕の日、福岡に飛んで、その夕刻から開催の九州大学の技術マネージメント 交流会に参加してきました。ここも宵祭りの風情で、汗と熱気でいっぱい。ホス ト役は、九州大学ベンチャービジネスラボラトリー助教授で、ベンチャービジネ スの情報交換ネットワーク「WINWIN」主宰の五十嵐伸吾さん、この人、 (株)トランスサイエンスの取締役も兼務して、凄いスピードで動いて、話して、 そして機関銃のようにメールを打って、さらに学生とひざ詰めで向かい合ってい るようでした。
梅雨の晴れ間、のんびり市内を走るバスの窓から街を眺めていると、右に福岡 ドーム、そしてまもなく正面方向に福岡タワー〜。海風が吹き上げてくればいい のに、ジトッと湿度が高い。しかし、気分がいいのは、遠くにうっすらと浮かぶ 島影、その点描でした。そこは、もう夕日がきれいな博多湾を望む、埋め立ての 新興開発エリア、シーサイドももち(百道)にある、福岡ソフトリサーチパーク でした。
ソニー、ホンダ、松下電器、日立、富士通など大手企業が自社ビルを構えて進 出、地元のテレビ局、通信、医療、防災、金融機関などを加えた110社余りが集 積する情報通信関連企業の一大拠点を創り上げていました。
福岡県は、なかなかやるもんだ。赤字で破綻状態の東京・臨海副都心エリア、 東京シーサイドより遥かに自立的かもしれません。おっと、これは火花を散らす オリンピック誘致合戦に福岡の地域力が勝って東京を押しのけて、一歩アドバン テージがあるかもしれません。そこのキャッチが「起業は福岡から、活躍は世界 で!」でした。
域内の就労人口は6000人、居住用のマンションも立ち並び、職住近接の街づく りも同時に進んでいました。そして中国、台湾、韓国など至近の東アジアを睨ん で、半導体をコアにした東アジア地域の開発拠点を目指す福岡シリコンシーベル ト(SSB)プロジェクトの中核施設となる、福岡システムLSI総合開発セン ター(福岡県産業・科学技術振興財団が運営)が、2004年11月から稼動を 始めていました。
交流セミナー開催前のちょっとの時間を割いて、同センターの若手職員の向井 征太郎さんが五十嵐さんと一緒に懇切丁寧に施設を説明してくれていました。
7階建ての館内は、まるで研究ラボのような趣でした。半導体産業分野では、 すでにわが国の3割、世界の1割のシェアを占める福岡県、その突出した産業を さらに拡充し、質を高め、技術を磨き、起業を支援し、そして人材を供給する、 というミッションは明確です。
五十嵐さんもそのベンチャーの入居資格審査の担当でした。総額8億円の各種 機器、整備ツールが、無料であるいは安価で、入居のベンチャーに利用されてい ました。例えば、高額な億単位のLSIテスターを時間8000円、LSIカレッジ は設計技術の有料講習で500人が受講済みだという。
知的創生クラスターには九州大学などの研究者20人があたり、入居企業のひと つ、創業4年の(株)アルデートは、半導体産業をテストエンジニアリングで支 える‐を合言葉に顧客第一主義を貫いて業績をあげていました。もう産学連携や ら、コンサルやら、人材派遣やら、ソフトウエア商品の販売やら、お客さんのた めなら懸命にやります‐の姿勢で、社長は、42歳で貫禄の久池井博さん、小柄 ながらエネルギッシュで福々しい。翌日の朝、日本テレビ系列の番組で紹介され ていました。
さて、そこから、いよいよメーンの交流会に。センターを出てから海沿いの瀟 洒なビルへ。いい所だわ〜。行った先は、見晴らしのいいAIビル9階の、麻生 塾研修センターセミナールーム。所有は、地元65社の有力企業を統括する麻生グ ループ経営でした。戦前戦後,いや明治初期に事業を起した元代議士で、先代の 麻生太吉さんから、一貫して地域の基盤産業創出、経済、医療、それに文化事業 までを下支えしてきました。「安心をカタチに、生きがいをデザインする」とい うのが麻生グループのコピーでした。
資料をめくると、昭和3年に創った家訓が「程度大切、油断大敵」、語感から ピリリとした当時の緊張感が伝わってくるようです。
社長の麻生泰さんは、北朝鮮制裁決議問題で国際的な緊張の渦中にある外相の 麻生太郎代議士の実弟、という。で、麻生グループ企業の企画や資本政策を統括 するセクションの事務局長、馬場研二さん(44)らの配慮で会場を提供していた だいた、そうです。感謝ですね。
まあ、後述しますが、その馬場さん、つい先日、東京の丸ビルで開催した五十 嵐さん主催のワークショップが初対面なのですが、なんだか、初めてのような気 がしませんで、いつの間にか、肩に腕を回して、「ねえ、馬場ちゃん〜」。さあ、 急ぎましょう〜。
予定時間ちょうど、17時30分から、主催の五十嵐さんが口火を切りました。会 場には、サポート役で九州大学知的財産本部の特任助教授(起業支援部門リー ダー)のパワフルな坂本剛さん、技術移転グループの実力のアソシエイト、平田 徳宏さん、そして助っ人の九州大学ビジネススクール助教授で知的財産本部技術 移転のリーダーの敏腕の高田仁さん、もうひとり、五十嵐さんの運命を微妙に変 えた、というより五十嵐さんを九州大学にスカウトした、九州大学大学院工学研 究院、ユーザーサイエンス機構教授のにこやかな坂口光一さんも駆けつけていま した。
九州大学大学院の学生ら15人余りも熱心にメモを取り、五十嵐さんに促される ように質問に立ち、交流会でもパネラーの方たちに挨拶し、話を聞いて目を輝か せていました。料理に箸をつけていなかったのは、躾がいいし、感心です。
生きた教育、その実践の様子を目の当たりにしながら、この学生らは幸せもん だ、としみじみ思いましたね。
ワイシャツ姿の学生が頬を紅潮させて、おずおずと近づいて、「あの〜僕も起 業したいと思っています」というから、『困ったら、連絡して‥』と名刺を渡し てついそう言いそうになったのを堪えて、「がんばってね、五十嵐先生にしっか りついて学びなさい」と激励しました。素直で、いい子ばかりだわ。もう少し、 したたかなワルになっても、いいかもしれない。まあ、伝統の九州大学、五十嵐 さんという、旬の本格的な人材を学内に招いて、研究、教育、そして地域貢献と 質の高いパフォーマンスを展開しているようです。
その五十嵐さん、冒頭の講演、というより講義風のテーマは、「日本のスター トアップ企業の概観」でした。技術型ベンチャーにどのような課題があるのか、 日本のスタートアップにどういう問題点があるのか〜をテーマに、「なぜ、日本 でベンチャービジネス、急成長する会社がでてこないのか?」を問い、その背景 となる課題を列記して、最近の独自調査に基づいたデータやヒアリングから現代 日本の起業家像を浮き彫りにし、VCによるベンチャーの成功確率などに言及し ていました。君子三日会わずんば〜でした。
続いての基調講演は、東京・お台場のテレコムセンターに拠点を移したサイ バーレーザー(株)社長の関田仁志さん、一見、朴訥な語り口、実はそんな外見 に惑わされてはいけません。いやあ、なんとも天晴れな事業展開でしたね。研究 主体の技術者ながら、事業に必要な手当てを見事に封じ込めて、完璧なビジネス モデルを描いていました。
フルオーケストラのシンフォニーのようで、何気ないイントロから入って、謎 めいたキーワードを繰り返し耳にしていると、やがて大河のうねりに巻き込まれ て、壮大な宇宙の響きに失神しそうなくらいの、劇的なスケール感がありました。 その感動が会場を包み込む、凄い内容の講演でした。
「オーバーなんだから、出口さんは〜」と思うでしょう。いえ、いえ、ねぇ、 五十嵐さん、秀逸でしたよね。テーマは「ハイテクスタートアップ企業の起業の 実際」と、案外地味で普通でしたが、関田さんは、冒頭、「21世紀は、光の時代 になります、人類の扱うエネルギーの大きな変革期がきている。その光産業をや っていこう、と覚悟を決めていました」という。どんな世界なのか〜。
そのさわりをギュッと凝縮すると、いわば、モノづくりの世界を巧みな超先端 レーザー技術で、破壊的創造、イノベーションを起し、他の追随を圧倒する、決 して追いかけてこないレベルのブレークスルーを狙う、という野心的で骨太のビ ジネスモデルでした。砂塵を巻き上げて疾駆する、猛スピードのF1レーサーの ような輝きと勢いを感じさせていました。
関田さんは、91年にNECに入社後、スタンフォード大学応用物理学部招待 研究員など経て2000年に次世代レーザーである「フェムト秒レーザー」の開発を 核としたサイバーレーザー社を設立、以来、レーザー研究への機器提供、医療用 レーザー販売などの分野で事業を展開する、スピンアウト型のベンチャーでした。 今、やっと時代が関田ワールドに接近しつつあるようです。
さて、その耳慣れない「フェムト秒」、秒ですから時間の単位なのですが、 1000兆分の1秒をいう。光さえ、1フェムト秒で、0・3マイクロメートルしか走ら ない。で、そこで関田さんの特異な「フェムト秒レーザー」技術といえば百フェムト秒レベルのパルス幅の、その微細なレーザー光源を駆使して、驚異の様々な超微細化工、計測分野に応用されており、日々進化し続けていました。
フェムト秒レーザーの特徴を延々と綴ると、それほどの理解もないし紙面もな い(笑い)。ただ、昨日夜のNHKスペシャル、テクノクライシスの3回目を見 ていたら、頻発するジェット旅客機のエンジン破損事故と性能向上に挑む技術者 らの苦闘を描く中に、レーザーでエンジンのタービンブレードに小さい穴を等間隔に開ける火花のシーンが繰り返しでていました。あの火花、エンジン損傷の原因にならない?あるいは、フェムト秒レーザーで、その加工技術に応用できるのではないだろうか、と思って見ていました。
フェムト秒レーザーなら、レーザーが熱に変る前に加工が可能だというから、 その熱による損傷を防ぐことができるハズです。ほんのちょっとした傷が長時間 の高温の連続で、思わぬ事故を招いてしまいます。ひょっとして安定性がよく、 メンテナンスフリーで耐久性に優れ、寿命が長く信頼性が抜群、というフェムト 秒レーザーがジェット機エンジンへの応用も時間の問題なのかしら、と感じ入っ ていました。もうすでに始まっているのかもしれません。
さらに電子部品加工、半導体の生産現場、医療現場やDNAより小さい糖鎖解 析の国家プロジェクト分野での利用も進んでいるようです。例えば、その特徴を 紹介すると〜。
関田さんの製品はすべてクリーンルームで製造し密閉して損傷の原因とされる 空気中の微小なコンタミを寄せ付けない。その結果得られた安定性は驚異的で、 ちょっと前までが2000時間の連続動作における、無調整運転というレコードでし た。1日8時間、年間250日の連続使用に耐えられる、という。が、そのレコード もあっという間に、5倍の10000時間をクリアし本試験を完了、で、関田さん、そ の講演で〜。
「不可能といわれた10000時間、メンテナンスフリーで動かすことに成功、い ま30000時間に挑んでいます。これを可能にできるのは、世界にわが社のフェム ト秒レーザーしかない。他社があきらめるくらい差別化する、やると決めたら、 集中して、他社が真似できないレベルにスピードをあげる。製品の質を圧倒する ような耐環境温度にバリエーションを広げて、工場、エアコンなしでできる、ク リーンルームがいらない、そういうお客のニーズに合わせた差別化を急ぐ。わが 社は、フェムト秒レーザー分野での、国の商品化のロードマップを何年も短縮化 した。徹底したマーケッティング戦略が役に立ちます。市場ニーズがどのくらい 迫っているか、商品の投入をどのように優先するか、そういう見通しから差別化 されたビジネスチャンスが生まれてくる。顧客ニーズといっても何が欲しいか、 よくわからない顧客も少なくない。そこに明解な答えを用意するわけです」と自 信をのぞかせていました。
チームを組んで、懸命に走る、急ぐ、スピードを上げる関田さん、表情に屈託 がありません。茨城県古河市出身の42歳。いま世界1に挑む、夢の真ん中あたり でした。懇親会の会場では、若い学生に取り囲まれて、真摯に向かい合っていま した。じっと良くみると、風格というか、世界1を目指すのにふさわしい雰囲気 を持ち合わせていらっしゃいました。
テープを早回しするように、関田さんの講演趣旨のキーワードを羅列してみま した。光の発生時間を短縮、3ミクロン、光が止まった時間に加工する基盤技術、 産学カスタマー向けにアレンジ、研究開発用ツールから、産業用、工場、液晶、 半導体、微細加工、波長レザー、コンソーシアム、光源開発、フェムト秒レー ザー加工の特徴、5分の1、微細加工、裏側、ガラスの中に3次元、光コンピュー ティング、光メモリー、透明材料、ダイヤ、白色LED、発光素子、サファイヤ、 液晶、バイオ、マッピィング、京大、大学の先生の影響、起点を支援、ソニーの 生産ライン、キヤノンの加工材料‥。
どうでしょうか。何か、イメージが膨らんできましたか?ご興味がありました ら、サイバーレーザー社のプライベートセミナーが明日13日14時から、幕張メッ セの国際展示場で、開催中のインターオプト'06に併せて、ホテルニューオー タニ幕張を会場に「第3回アドバンスト・レーザー・セミナー」と銘打って開か れます。また展示には、フェムト秒レーザーIFRITなどが新製品として紹介 されているようです。
補足すると、その装置名のIFRIT(イフリート)、ギリシャ神話の炎の神 を指す意味からネーミングしたそうで、IFRIT−BIOは、バイオテクノロ ジー産業へ突撃する、烽火(のろし)の意味なのかもしれません。いやあ、関田 さんを取り上げてみると、奥が深く、書き切れませんね。実は、この後のパネル デッスカッション「急成長を目指すベンチャーに求められるもの」での関田さん の言葉も熱心にメモして、それを一度、書き起こして、延々と長い文章が続くの ですが、これは、大切にしまっておきましょう。が、特に印象にのこった言葉を 紹介します。
「一生懸命になれる、それは、使命感というか、熱意というか、高い志みたい なもの、自分の利益以外の高い志があれば、頑張れるのではないかなあ、と思い ます」。
そんな気分のいい余韻を残しながら、五十嵐さんの司会で、ディスカッション に場面が切り換わります。さくっと紹介すると、パネラーは、その関田さんに加 え、ネットエイジキャピタルパートナーズ社長の小池聡さん。
聞くと、電通からアメリカに飛んで、iSi電通アメリカ副社長としてGEおよび 電通の各種IT、マルチメディア、インターネット・プロジェクトに従事し、1997 年にiSi電通ホールディングスCFO兼ネットイヤーグループCEOに就任,ニュー ヨークのシリコンアレーや、西海岸のシリコンバレーを中心にネット・ビジネス のインキュベーション及びコンサルティング事業を展開していました。
その華麗な経歴にふさわしく、ダンディさと洗練された物腰は、なかなかクー ルでしたね。そんな格好のいい人とはご一緒したくない、って交流会の〆の挨拶 で冗談をいいましたが、結局、最後までそばでご一緒していました。
いま、日米IT・投資業界での20年以上の経験を生かして、ベンチャー育成に傾 注しています。雑談の中で、1993年当時、すでにインターネットの商用化を米国 で耳にしていたーというから、インターネットを日本人で最も早く知っていた人 物、ということになりますね、たぶん、きっと〜。
「儲かったら、やりたいように、自分のペースでやればいい。しかし、投資を 受けちゃいけない。VCの立場からいうと、投資を受けたベンチャーには、成長 しないという、選択肢はない」と明確でした。もう一点、こんなエピソードを紹 介していました。「94年にインターネットが動き出した時、あのビルゲイツは、 これ(インターネット)はダメと言った、その点からすれば、しかし‥そういう (朝礼暮改の)頭の切り替えも大事かもしれません」と。
続くパネラーは、地場経済界などが出資し、2003年11月に発足した地域 密着型VC「九州ベンチャーパートナーズ(KVP)」で実務の指揮を執る、取 締役でファンドマネージャーの水口啓さん、8年ぶりにシリコンバレーから帰っ た、とあって、クリアな物言いで、シリコンバレー時代の生々しい体験を披露し ていました。「ベンチャーにとって、成長より進化する、ということが、生き伸 びる秘訣です」が持論。
そして、もうひとり、五十嵐さんと一緒にこの交流会をお世話した麻生グルー プ経営事務局長の馬場さん、金融機関の国際事業を経験した実力派で、口数は少 な目だが、内に秘めた福岡への思いは人一倍強い。
ご専門は、本職の金融関係以外に、起業家育成、そしてコミュニティーづくり。 東京に拠点を置く、NPO日本MITエンタープライズ・フォーラムの理事を兼 ねており、8月30日には、そのフォーラムが実施しているビジネスプランコンテ ストの最終プレゼンだという。充実の地域コミュニティーには、決まってこうい う気配りの利く人にやさしいネットワークの要のような人が活躍しているもので す。
「成長するのをベンチャー、それ以外はソーホーでしょう。ベンチャーの原則、 それは知財、戦略、グローバル、組織力、拡大、時にはIPOを目指すことだと 思う」と話していました。
そして、今回の企画、演出、司会、講演、そして運営全般に尽力した五十嵐さ ん、「ベンチャーの生存と成長、競争のない会社は生存できない」とコメントし ていました。それぞれのパネラーの言葉は、その全体の一部ですから、全部を引 用できないし、引用しても誤解を招きそうだし、それでも何か引用しないと始ま らないし‥悩ましいことです。しかし、今回の九州でのワークショップは、集ま りもよく成功でした。会場はぎっしりで、汗ばんでいました。やはり、地域の抱 える課題や夢、そういうところにいかにコミットしていくか、を強く認識させら れました。お疲れ様でした。次回、10月6日、そしてその次は来年1月という予定 が明らかにされていました。
その後の交流会、何人もの方々から声をかけていただきました。帰ってからは、 メールやお手紙までいただきました。九州大学大学院医学系学府整形外科の山中 功一さん、期待していますよ。日本タングステンの深見信吾さん、達筆な文字と その文面に感謝です。
自慢の800万画素のデジカメには、70枚のショットが記録されていました。あ の人、この人、思い出しながら、その感動の余韻に浸っています。その内、デー タで送ることにします。
博多の夏、前日の夜は、親しいジャーナリストや事件記者時代の毎日新聞のラ イバルらと一緒でした。柴田さん、佐々木さん、博多のお好み焼き「ほおずき」 の女将さん、可愛い人でしたね、その年齢にはとても見えません。
さて、今回も長編でした。お蔭で、昨日午後のコラボ産学官2周年記念の群馬 大学や福井大学の学長ら9人が勢揃いしたシンポは見送りとなってしましました。 申し訳ありません。
で、地方にいく楽しみは、地元新聞を見開くことです。8日付の西日本新聞9面 には、10日付の人事異動で九州経済産業局長から中小企業庁経営支援部長にご栄 転された松井哲夫さんが情報ネットの「人」欄に登場していました。
「名残惜しい」という気持ちを伝えて、九州が中国や韓国など環黄海地域との 交流を活発に行っていることに対して「赴任してその重要性を実感した」と感想 を述べていました。
九州・福岡を綴る、その心に沁みるのは、日本経済新聞夕刊の終面の「こころ の玉手箱」でした。昨日はその2回目。福岡県知事の麻生渡さんが、自身の半生 を振り返って、その原点に触れていました。
私(麻生知事)の父も鉄工所が軒を並べる戸畑区の「沖台通り」に小さい作業 所を構えていた。(中略)小学校のころ、級友の質屋の息子に大声で「おまえの ところのお袋さん、昨日うちに来ていたよ」と皆の前で言われたことがある。黙 って下を向いていた。家の状態が分かっていたし、子供心にも心配していた〜と 述懐し、続けて、通産省入省後の下請代金支払遅延等防止法をめぐる議論に、中 小企業の経営のどん底の実感を政策に生かす努力をした、という感動のシーンが 描かれていました。こういう街工場を肌で知る人が通産で政策を練る、というの は、とても大事な話と思います。
そして、鉄を鍛える音、クレーンの動く音、油のにおい。本当に懐かしく、腹 の底からエネルギーがわいてくる。希望と活力に満ちた八幡製鉄所や鉄工所街。 これが私の人生の原点だ〜と晴やかに結んでいました。
血涙、どんな思いで綴ったのでしょう。そんな深い思いの知事さんのようです。 偶然、宿泊のホテルですれ違いました。堂々としていながら、やわらかで、貫禄 と品格のある一流の歩き方で、その後姿をしばし目で追っていました。ウーム