DND事務局の出口です。白い髪の質感や生え際の輪郭、そして柔和な眉や目 ‥う~む、よく似ていらっしゃる。促されて、緊張の対面では、迷うことなく前 に進んでしっかり抱き合っていました。異国の人となって遠く離れてしまっても 兄と弟、その命の絆は、確かだったようです。
兄は日本語が話せなくなってしまっていました。しかし、ふたりに言葉はいら なかったようです。生きて会えてよかったね、そんな感動が辺りを包み込んでい ました。このシーンに接して、戦後、どこかに置き忘れてしまった、大切な、何 かを思い起こさせてくれたような気がしてきました。それは‥しかし、文字にす るとふっと萎んで消えてしまいそうなので、心に書き留めておくことにします。
「運命」。この一言に大きな重みがあった。今はサハリンと呼ばれる樺太に出 征して63年ぶりに故国の土を踏んだ元日本兵、上野(うわの)石之助さんの言葉 だ▼記者会見で、これまで帰国しなかった理由を問われ、ロシア語で述べた。 「答えたくない。ただ運命だった」。戦後の生活については、「どんな状況にな っても生き抜いていく。それしかなかった」。テレビ画面での、言葉を絞り出す ような姿は、たどってきた人生の厳しさをうかがわせる。一方で、83歳で見せる 軽やかな身のこなしや時折の笑顔に、今の暮らしは静穏なのだろうと想像した~、 と「天声人語」は、筆が冴えて、細やかな表情や動きをも見逃しません。
記事などによれば、上野さんは終戦後、サハリンにしばらく滞在していました が、58年から消息が途絶え、2000年に戦時死亡宣告をうけていました。最近にな って、妻の故郷のウクライナに生存していることが確認されていました。
そして20日午後、上野さんは、息子のアナトリーさん(37)を伴って岩手県に 入り、岩手県庁の知事室で弟や2人の妹、親類と再会していました。報道陣も大 勢詰め掛けていました。これらの素材にメルマガを書いていながらケチをつける わけではないが、再会の場面は、親類だけに限って、そっとしてあげれば、よか ったのに‥と思いましたね。その辺を察して、知事の増田寛也さんが、「早く実 家に帰り、家族とゆっくり話をしてください」と労る様に話されていたようです。
生まれ故郷。冬は長く雪に閉ざされる、岩手の県北・旧大野村。今年1月に隣 接の種市町との合併で新しい町、洋野町に編入されたところでした。もう少し北 上すると青森県八戸市で同じ旧南部藩とあって昔から交流が深い。素朴で口数が 少なく保守的だが、地道で粘り強く努力家が多いのは、南部人と共通している、 という。
冷たいみぞれが再び雨に変わった、その日の夕刻、歓迎ムードに包まれた熱気 の大野庁舎にワゴン車で姿を現すと、村人らみんなが顔をくしゃくしゃにしなが ら出迎えていました。手を握り、肩を抱いて、頬を寄せながら、なんとも慈愛の 眼差しを上野さん一点に向けていました。
地元の岩手日報を東京・銀座の東京支社から数日分を買って、帰郷の様子を拾 ってみました。翌日は、亡き父、三之丞さん、母、ハルさんの墓前に手を合わせ ていました。23日は、地元の体育館を会場に歓迎会、婦人らが赤飯や山菜の煮し めを用意し、子どもらが伝承の「駒踊り」を披露したという。真心のもてなしが よほど心を打ったのか、何か子どもの頃の記憶が甦ってくるのか、ハンケチを握 り締めながら右に左に、何度も何度も涙を拭っていました。
その数日間の新聞に掲載された写真を並べると、表情が刻々と変化しより穏や かになって、ふっくらした感じに見えました。何か、63年間引きずった心の重荷 をようやく下ろすことができたのかもしれません。身も心も楽になって、予定で は、もうひとつの家族が住む、ウクライナに向けて28日に帰る、という。また、 その別れも‥。
故郷は、広々とした大地、のびやかな九戸高原、遠くの久慈平岳、緑の風が吹きぬけているようです。故郷はいいなあ、故郷を持つ人は、それだけで幸せです。
岩中祥史さんの名著「出身県でわかる人の性格」(草思社)で「岩手県」の項 を見ると、高村光太郎の『岩手の人』の一節の現代文訳。そして、岩手県を評し て、「今の世の中は、すべて金次第で良くない」という人の割合が全国で最も高 い(NHK県民意識調査)と特徴づけていました。
続けて、かつては岩手県の行政、人間的に、よりナチュラルに、素顔のままで 新世紀を歩きはじめましょうーとの「岩手流『がんばらない』宣言」もいい。宮 沢賢治は、岩手県を「イーハトーヴォ」と呼んで「理想郷」の意味を込めた、と も記述していました。
増田知事はHPで、賢治は「そこではあらゆることが可能である。人は、一瞬 にして、氷雲の上を飛躍し、大循環の風を従えて、北に旅することもあれば、赤 い花杯の下を行く蟻と語ることもできる」と讃えました、と解説を加えていまし た。
美しい岩手県、そこは、忘れかけた父母の匂いが残る、やさしい故郷が昔のま んま、きちんと息づいているのが嬉しい。新緑の5月、連休が近づくと無性に故 郷が恋しくなってきます。そして、なんとなく木山捷平の詩「ふるさと」が浮か んできます。
五月!ふるさとへ帰りたいのう。
ふるさとに帰って わらびとりに行きたいのう。
わらびとりに行って 谷川のほとりで
身内にいっぱい山気を感じながら ウンコをたれてみたいのう。
ウンコをたれながら チチッ チチッとなく
山の小鳥がききたいのう。