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NHK「こだわり人物伝」から

DND事務局の出口です。その悲しさをあるいは笑いに、希望に昇華させてい るのかなぁ。『リボンの騎士』の笑顔に、『ブラックジャック』のあの顔に、あ るいはピノコの運命に、『三つ目がとおる』の和登さんの涙に、自分の分身とし て思いを乗せて、作品にしてきたんだね~。


 とびっきりの自慢を鼻にかけてみせたり、身もだえしながらう~んと、くぐも った渋い声を絞り出す立川談志さん。こんな風なしゃべりができる人は、そうは いやしない。腕を組んで考えながら、カメラをのぞきこむようにして指でメガネ をちょいとあげて、あの得意の間をおいて、その間合いに緊張が走り、ついつい その話術に取り込まれていました。


 「談志が語る手塚治虫~天才の条件」は、NHK教育の「知るを楽しむ」(月 ~木)のうち、10月の「私のこだわり人物伝」(毎週火曜日4回シリーズ)で 放送されていました。談志さんが型破りのホスト役を演じて、過去の映像記録や 家族、友人の証言、あるいは初めて公開される手塚さんの切ないくらいの闘病日 記、それに談志さん自身との交遊などを交えて、漫画家・手塚治虫の真の人間像 に迫る‐という一種の知的なドキュメント番組は、その構成といい、内容といい、 さすがにNHKならではの出来映えです。


 早朝の再放送、未明の再々放送‥と繰り返し放送されるから、不意に眠れない 夜、なにげなくテレビをつけて、そんなどっしりと手応えのある、奥の深い番組 に接すると、挫折して立ち上がって、そして前を向いて進む、ひとりの人間ドラ マに自分を重ねてみるから、不思議と安らいで癒されて、そして生きる勇気が湧 いてくる感じがしてきます。


 番組は、容赦なくその真実の姿を浮かび上がらせていました。虫プロが信頼し た社員の横領で経営が悪化しアニメの不振も祟って、総額4億円あまりの負債を 背負ってどん底に突き落とされていく。昭和48年当時、この時とばかりに新聞は 犯罪者のような扱いで無情に書きたてていました。失意の手塚は、「人を信じ、 人を信ぜず」と話していました。やさしさいっぱいの手塚が、心に深い傷を受け てしまっていたようです。


 最終回は、昭和61年1月放送のNHK特集で取り上げた映像を紹介していまし た。手塚は、書斎の机に向かってカメラに語りかけていました。


 「体力が衰えて最近、本当に丸が描けなくなった。僕のマンガは、丸からの発 想ですから、アトムにしてもヒゲおやじにしても、お月さまも太陽も、いとも簡 単に描けたのに、上にこうパッと勢いづけて持ち上げる線は描けても、それから きれいに持って下へ降りる時に、ペンが震える、目に見えて震える。それを見て、 ほんと、もうおしまいだなあ~と物凄いジレンマを感じる」と苦衷の胸のうちを 吐露していました。そして63年3月の胃の異変を訴えて入院、年号が変った翌月 の厳冬に‥。


 「鉄腕アトム」、「火の鳥」、「ブラックジャック」など700本を越えるマン ガやアニメを手がけた、マンガの神様は、60歳で亡くなる直前まで、病床でも新 たなアイディアの構想を練りマンガを描く事に執念を燃やしていたそうです。


 談志さんが愛する手塚漫画の一押しが「雨降り小僧」、泣かせるいい話です。 手塚漫画の芸術と推奨するのが、「ばるぼら」でした。どんな状況に陥っても、 漫画を書き続けるという覚悟を決めた作品だったという。取り寄せて目を通すと、 ずっしりと胸に響くストーリーでした。


 その「私のこだわり人物伝」、9月の番組は、これも静かに見せてじっくり聴 かせるドキュメントでした。「古今亭志ん生~えー、人間とォいうものは」を映 画監督の山本晋也さんが紹介していました。


 酒が好きで身上を潰すほどなのだが、落語をこよなく愛しながら売れない、そ んな戦前の志ん生一家の極貧の暮らし、ひたすら志ん生の才能を信じる妻・りん さんの健気な献身、長女の美濃部美津子さんの志ん生似の軽妙な語り口、いやあ、 日常生活そのまんまのやり取りが、秀逸な人情小噺になっていましたから、志ん 生の芸風を地でいくような番組構成に仕上がっていました。


 ある日、部屋からぼーっと庭の池を眺めていた志ん生が弟子を呼んで、「池の 側(そば)んところに止まっているだろう。さっきから見てんだけれども、あす こから1時間も動かねえ。何考えてっかわかるか」、「鳩がですか?さあ、何考 えてんでしょうね」、「ひょっとすると、身投げだ~」。


 晋也監督は、これを聞いて、志ん生の深いところにある独得の生命観を感じた ‐といいます。爆笑落語でもなく、高尚な芸術でもない、唯一無二の志ん生落語 の真髄ということらしい。


 美津子さんは、母のりんさんについて「それでも不思議と貧乏と思っていない んです。それは、絶対にお父さんのことを、しょうがないねぇ、仕事もしないし お金も入れない、お酒ばっかし飲んで‥という、こぼしごとは、お母あちゃんは、 絶対しなかった」と話していました。


 志ん生、81歳の暮れ、そのりんさんが急逝しました。享年74歳。その時の様子 を美津子さんが回想していました。最もショックを受けたのは、勿論その志ん生 で、呆然としたまま、何にも口を聞かない、涙も出ない‥。しかし、葬式を終え た翌日、二人でテレビを見ていたらふいに、名人・文楽師匠の訃報が飛び込んで きて、そうしたらその途端に、ワーッと泣き出したんです、みんな先に逝って‥ と、堰を切ったように慟哭する志ん生を「妻や親しい人を一辺に失って可愛そう でした」と思い返していました。いやあ、情にあふれた江戸っ子のその語りの調 子のよいことといったら、たまりません。


 そしてその晩年、息を引き取る際の、その前夜の「酒はやっぱりうまいなあ」 の最後のセリフに込められた親娘の交歓は、一幅の名画を見るようでした。昭和 48年9月21日、永眠、83歳でした。それから33年経っているというのに、東京・ 谷中あたりは、いまでも志ん生の気配が息づいている、という。


 昭和を飾る落語会の最高峰といえば、文楽、そして志ん生、それに昭和の爆笑 王となれば、林家三平師匠ということのようです。東京・新宿コマ劇場10月公演 は、モノマネをエンターテイメントのステージに押し上げる、人気のコロッケが 林家三平を演じていました。


 「笑われたかった男~林家三平物語~」。喜寿の父と一緒に雑踏の新宿へと、 その千秋楽の舞台にいってきました。身を乗り出して、笑って泣いて体を揺すっ てを繰り返し、あっという間の4時間の舞台は、満足でした。


「どうも、すみません~」、「ヨォーシィーコォさ~ん」。物語は、俗なオヤジ ぎゃくによる一瞬の冷めたシラケ、その後の遠慮のない笑いの渦‥その三平の何 が面白いのか、そのヒミツが知りたい‐という設定なのだが、ルンペン役ながら ストーリーの核心を問う難しい役にルー・大柴さんが挑み、円熟の母親役が赤木 春恵さん、妻役に演技に磨きがかかる熊谷真実さんらが、二つ目から真打ちへと 進んで人気を取る破天の師匠を取り囲んで、数々の苦悩を越える「絆」が主題と なっていました。


 いやあ、「林家正蔵」の名跡(みょうせき)というのでしょうか、その継承を めぐる海老名家の矜持が、こぶ平さんの襲名でやっと適えられたことの、その涙 の意味がその舞台を見て気づかされました。


 それにしてもコロッケさんの、フランク永井、北島三郎、そして傑出した淡谷 のりこのモノマネはアドリブも利いて抱腹絶倒のステージでしたが、高座を努め る三平役は、顔や形態で意表を突くモノマネで受けを狙うのではなく、ただただ 小噺の連続で客の笑いを誘っていました。


 それは、落語家コロッケの誕生のようでしたし、コマ劇場がそっくり浅草演芸 ホールに舞台を移したかのような錯覚にとらわれるほどでした。座長としてのコ ロッケさんは、礼儀正しく、表も裏も気配りを怠らない姿が、実は若い日の三平 さんの生き写しだったようです。


  豊かな気分で帰宅すると、その日曜の夜のテレビ朝日は、昭和の歌姫、美空 ひばりの「17回忌‥最後の特番」を放映していました。最後の曲「川の流れのよ うに」の誕生秘話、5万人が泣いた伝説の沖縄公演-その2時間の特番は、そっ くり美空演歌で綴る昭和史と重なっていました。歌への不屈の執念、不慮の病か らの復活‥昭和62年8月、両側大腿骨骨頭壊死、慢性肝炎の病で入院先から退院。 その退院会見で「もう一度、歌いたいという信念が私から消えませんでした」と 涙をぬぐっていました。


 その復活の歌が「みだれ髪」(作詞・星野哲郎、作曲・船村徹)だったようで す。話は、またNHKの「こだわり人物伝」に戻りますが、遡ってその8月の特集が 「美空ひばり泣くことの力」でした。語り手は、「美空ひばりと日本人」などの 著作がある、この5月まで国際日本文化研究センター所長だった宗教学者の山折 哲雄さんでした。みだれ髪に言及し、福島県いわき市の断崖の上にある、塩屋埼 灯台、その眼下の海岸にその歌碑があり、みだれ髪の3番の歌詞が刻まれている ことを紹介していました。


 「春は二重に巻いた帯 三重に巻いてもあまる秋 暗(くら)や涯てなや


 塩屋の岬 見えぬ心を照らしておくれ ひとりぽっちにしないでおくれ」


 山折さんは、ここの岬に訪れる観光客が年々増え、その7割が、ひばりの熱狂 的なファンで50代前後の女性だとして、「いま、塩屋埼を訪れる人たちは、そ んな戦後のなかで精一杯に生きたみずからの人生を、また、そこで味わったよろ こびや悲しみを、その時々の美空ひばりとかの女の歌に重ねて生きてきた人たち に違いない」と語っていました。なるほど‥。


 「談志が語る手塚治虫~天才の条件」、「古今亭志ん生~えー、人間とォいう ものは」、「笑われたかった男~林家三平物語~」、そして、「美空ひばり泣く ことの力」。人に歴史あり、と言います。その人の人生に焦点をあてると、華や かな表の舞台以上に、同じ屋根の下の家族の日常生活のなかにこそ、その人物の 本質が見えてくるのかもしれません。


 しかし、ひと筋の道に生きる、そういうこだわりの人々が身近にあふれていた 昭和の日常が、どんどん遠くなっていくようです。損得をそっちに置いて、人に 生きる勇気を与える、そんな生き方は、たとえどんなに時代が移ろうとも尊く立 派なことには変りはないと信じたい。


    ※これは余談になりますが、このところのNHKは、内外に受難が続き、逆風に 晒されているようですが、番組内容は、目を見張るものがあります。何があって も番組への信頼はそうは簡単に揺らぐことはない、と信じる視聴者は少なくない と思います。


 ブラジルと日本とに70年間引き裂かれた姉妹のドラマ「ハルとナツ~届かな かった手紙」では、5分に1回は泣きました。強く生きる女性を描く朝の連続ドラ マは、どれほど多くの勇気を与えてくれたことでしょうか。毎週月~木のビビッ ドなテーマの核心に切り込む「クローズアップ現代」はもう2159回を数え、毎回 の題材に衰えがみられません。表情のいいキャスターの国谷裕子さんのファンも 多いようです。


 また、その歴史の時々の決断や苦悩のドラマを描く「その時 歴史が動いた」 はもう6年目。番組について「信頼は勲章」を認じる看板キャスターの松平定知 さんの語りのリズム、そしてあの深く澄んだ声とおおらかな抑揚は、祝言の謡曲 のようでもあり、しみじみと聴かせてくれています。


 それにしてもNHKならではのコンテンツの充実ぶりとは裏腹に、受信料の支払 拒否の連鎖には、日本人の廃れた心の澱のようだ‐という友人の嘆息も理解でき ますが、状況は深刻です。個人的には賛成しかねますが、NHKの民営化という選 択肢もある、と思います。そして、CMや事業という新たなビジネスや、現在控え 目なメディアの根幹をなすジャーナル的な主張、論評、批評を展開していくとい うのも、それもひとつの可能性であり、チャンスかもしれません。NHKのことを あれこれ書いていると、ついついそんな事が頭いっぱいに膨らんでしまいました。




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