DND事務局の出口です。日がとっぷり暮れて、待つわけでもなくソワソワし て期待していると、「どうした‥」との誘いが舞い込むことがありました。こん な日は、と思う時にほどよいタイミングでしたから、以心伝心というのでしょう か。そっちから電話をかけていながら、「どうした‥」はないもんだと思いつつ、 この人恋しい季節になると、それでもあの頃の、歯切れのいいあの上司の声が懐 かしく思い起こされます。
熱く語って覚悟を決めさせれば、ちょっとした仕草で笑わせてみたり、可愛い さ余っていじったり、感が良く睨みが利くから、避けたりかわしたりすれば、と ころ構わず叱り飛ばすのに、小憎らしいほどの情の機微を見せるし、浜っ子を気 取っておしゃれで、それに話題が豊富でなにより面白い‥もう夢中で体当たりし ていました。
その憧れの上司は、山下幸秀(ゆきひで)さん、ひと回り以上も先輩で産経新 聞社会部の名物部長を経て、夕刊フジ営業局長、サンケイスポーツ編集局長、産 経の事業・広告担当の役員、大阪では販売も経験し、新聞の現場をオールラウン ドに踏んだ記者は、そうざらには見当らない。若くしてそれらの責任ある立場で 数々の武勇を積み重ねた後に、常務取締役から僚紙で低迷していた日本工業新聞 社の社長へ。その再建のために、不退転の覚悟で渾身の指揮をとっていました。 記者から経営者へとその役が回転していても、その多くのオリジナルなサクセス ストーリーは輝かしい足跡となっていました。
駆け出しの地方記者時代から、恐ろしいくらいに凄みのある伝説の事件記者、 その山下さんの門下に入りたい‐という長年の思いは、日本工業新聞への出向と いう形で実現したものの、新設の地球環境室のデスク時の月刊誌の創刊から始ま って、販売、広告、事業等‥経営にコミットした収益部門に身を売って、怒涛の 嵐に向かう難破船のような激しい揺れを体験していました。事業モデルや収益予 想の新規の事業計画書は、身の丈ほど書きましたが、原稿はついに1行も紙面に でることはありませんでした。
まっすぐに事を起こし、どんどん前に進んで、ひと度決めたら、なんとしても 事を成就しないと気がすまない彼の性格から、時には息をするのも苦しい場面も ありました。飲むほどに、しゃべりながら聞きながらメモし、声を上げて次々を 浮かぶアイディアがいつもメーンデッシュとなっていました。環境自治体の創刊 も経営大賞創設も、新聞の大型連載企画も‥。
ある時、その柔和な顔が一変したのは、「それを何時ごろから取り組めばいい ですかね〜」という、何気ない同僚の一言からでした。ガツンときましたね。 「何時って、明日朝からすぐやるに決まっているじゃないか。今から取り掛かっ ても遅いくらいだ。アイディアなんてこの世の中、他社が考えていない訳がない。 同じことをやろうとしている人間は、少なくても3人はいる。そんなのんびりし たこと言ってると、人生終わっちゃうぞ」というのが口癖でした。
その山下さんが社長時代、熟慮の末、腹を据えて踏ん張ったのが、「価値ある 産業情報企業体」を目指す‐という理念の社員への周知でした。全体会議を招集 しては伝え、出席できない社員へは、最後のひとりまで社長室に呼ぶ、という徹 底ぶりでした。しかし、業績はやや上向きでしたが、積み重った負の遺産は、一 向に改善する兆しが見えてきません。保身のための、側近幹部の粉飾も取り沙汰 されて経営は、空回りの状態が続いていたようです。
そんな時でした。ひとつの素材を幾通りにも活用を展開する、ワンソフト・マ ルチユースな思考や産業情報企業体という従来の新聞社の方針だけでは、納得で きなかったらしい。それは、自社が生き残るための単なる手段であっていいのだ ろうか、という山下さんの見識から発した問題提起でした。
「これは独りよがりの身勝手な考えではないか。メディア(新聞社)は、ここ で禄をはむ私たちの独占物ではない」と断じて、従来の理念を進めて「産業情報 企業体」の頭に、「価値のある」という5文字を付け加えて、再起を図ろうと試 みたのでした。
「価値のある」とは、スポンサーやユーザー、そして、株主。つまり、お客さん にとって、「価値」のある「情報産業企業体」でなければならない。お客さんに 価値のあるメディアでなければ、社会的に存在する値打ちはありません、と言い 切って、「ここが重要です。存在価値のない企業は、新聞社とはいえども消えて 行く運命にあるでしょう」と、社員を集めては繰り返し熱弁をふるっていました。
それは、もう5年前のことでした。新しい産業製品を自在に検索する電子メデ ィア事業の「産業店」、デジタル時代を先取りした「IT経営大賞」の創設、全 国の自治体と企業を結ぶ専門誌「環境自治体」の創刊、環境自治体ISO会議の 創設、編集局に「ITセンター」設立と人事発令など、次から次と新機軸を打ち 出し、個人的には、それらのいくつものプロジェクトを兼任して走り回っていま した。
「ITの次はバイオ」との方針を口にしていたのは、やはりその頃、平成12年 の春でした。バイオは、情報・通信と融合し、重要な位置にある、しかし、現状 は、記者、営業マン個人の感性にゆだねていたこともあり、会社として十分な取 組みができていない‐と語り、「バイオは日本の未来を切り拓く、日本の将来を 担う重要な新産業であり、新産業、新事業創出を支援する立場として、これから バイオに取り組む」と宣言し、そこから生まれたのが、日本バイオベンチャー大 賞という顕彰制度でした。
山下さんの執念に近いその目論みは、平成14年3月、大阪のリーガ・ロイヤル ホテルで第1回の日本バイオベンチャー大賞の授賞式にまでこぎ着けていました。 うらやましいほど友誼を結ぶ、高円宮殿下のご臨席を賜り、晴れのグランプリは、 大阪大学の森下竜一さんが創設のアンジェスMGに輝きました。誇らしげな受賞 者らの笑顔が会場に満ちていたようです。山下さんの口からは、嬉しそうに、森 下さんの名前を聞いたのは、随分と早い時期でした。「若いけれど彼は本物だ。 凄い、楽しみだ」と語っていました。その年の9月、アンジェスMGは東証マ ザーズへの上場を果たします。
翌年15年の第2回目の授賞式は、グランプリに総合医科学研究所、その総合医 科学研究所も同年12月に上場していましたから、日本バイオベンチャー大賞のグ ランプリ獲得は、上場への片道切符を手に入れたものという伝説になるかもしれ ない。
昨年の第3回は、グランプリの該当が見送られていました。そして、第4回目を 数える今年は、本日19日の夕刻から始まり、高円宮殿下の遺志を継ぐ形で、高 円宮妃殿下がご臨席になられる予定です。それも大きなニュースです。
その輝かしいグランプリには、培養皮膚や軟骨など再生医療製品の事業化に初 めて道を拓いた再生医療のパイオニア「ジャパン・ティッシュ・エンジニアリン グ」(愛知県蒲郡市、小澤洋介社長)が射止めました。
お気づきでしょうか。そうです、先週のメルマガで紹介した日本バイオベンチ ャー協会の副会長で、名古屋大学大学院教授の上田実先生が、再生医療のベンチ ャー設立を働きかけた相手の小澤秀雄さんが、現在その会社の会長職にあり、上 田先生は同社の技術顧問として開発のサポートをしています。
思い起こせば、2回目の授賞式で、高円宮殿下のご逝去に伴って出席者全員で 黙祷し、アンジェスMGの山田英社長が挨拶に立っていました。「大変光栄でし たのは、『とても大事な仕事ですが、とても楽しいことですね。受賞が、これか らのジャンプになりますよう、今後のご活躍を期待しております』という激励で した」と語り、高円宮殿下からのお話の一端を紹介していました。そのお言葉の 通りの飛躍を遂げています。
その山下さんは、その年の秋に静かに一線を退きました。幾つもの山下計画は、 挫折しましたが、この日本バイオベンチャー大賞は、主催が日本工業新聞からフ ジサンケイ・ビジネスアイに媒体名が変り、その新たなビジネス紙の先頭に立つ 熊坂隆光社長に引き継がれて、さらに充実してきているようです。山下さんが描 いた夢の「価値のある産業情報企業体」の輪郭がようやく浮き上がってきたよう に思います。
さて、今回受賞するベンチャー企業を紹介すると、経済産業大臣賞に核酸医薬 品研究の「ジーンデザイン」(茨木市、湯山和彦社長)、文部科学大臣賞にバイ オナノカプセル事業の「ビークル」(岡山市、谷川敬次郎社長)、バイオインダ ストリー協会賞に鮭白子DNAをベースにした独自の環境フィルター事業の「日 生バイオ」(北海道恵庭市、松永政司社長)、フジサンケイ・ビジネスアイ賞に は白金ナノコロイドで化粧品、食品分野の商品化を狙う「シーテック」(東京都 渋谷区、中西信夫社長)、近畿バイオインダストリー振興会議賞には高置換キメ ラマウスの「フェニックスバイオ」(東広島市、中村徹雄社長)、大阪科学機器 協会賞には脳の活動などのイメージングシステム開発の「ブレインビジョン」 (東京都板橋区、市川道教社長)など将来有望なバイオベンチャー7社が名を連 ねました。
今回を含め、グランプリなど各賞の受賞企業の累計は、ざっと29社を数えます。 このうち大学発ベンチャーが6割を超える18社が占めています。関西を国際的な バイオの拠点へという意気込みが、受賞企業の一覧からも読みとれますが、どっ こい北海道のバイオ戦略もなかなか侮れない、そんなバイオを巡る地域の戦略の 強弱が見えてきそうです。第2回の授賞式の様子は、DNDメルマガVOL.17 「バイオベンチャー大賞」で紹介していました。
さて、今回はどんなエピソードを用意してくれているのか、起業家のみなさん の晴れの姿を見るのも、楽しみです。私も会場へ足を運んできます。
賞といえば、先週末の日本ベンチャー学会の第8回総会で、会長で早稲田大学 大学院教授の松田修一さんから、「清成忠男賞」制定の提案が出され、満場一致 で承認されました。これもビッグニュースです。清成さんは指摘するまでもなく、 前会長、前法政大学総長でベンチャービジネスという言葉を生みました。そして わが国を代表するベンチャー推進派の重鎮であることは、ご承知の通りです。
自らの名を冠した顕彰制度に、少し戸惑って、やや照れながら律儀に感謝の気 持ちを表わしていました。小柄ながら、壇上ではひと際、大きく感じられます。 今回の総会では、若く35歳未満の研究者らの発表や活躍も目立ちました。それに 触れて、私がベンチャービジネスを始めてから35年、その当時、生まれた赤ん坊 が本日ここでベンチャー論を展開していることに考えを巡らせると、「感無量の 思いにさせられます」と述懐していました。
その選考の任にあたる、審査委員には、委員長に慶応義塾大学大学院の奥村昭 博さん、委員に加護野忠男さん(神戸大学)、金井一頼さん(大阪大学)、榊原 清則さん(慶応義塾大学)、西澤昭夫さん(東北大学)、平尾光司さん(専修大 学)、前田昇さん(大阪市立大学)、柳孝一さん(早稲田大学)、米倉誠一郎さ ん(一橋大学)らが選ばれていました。錚々たる顔ぶれです。
審査の対象は、「学会誌」と「書籍・出版物」の二つの分野から、ベンチャー 関連の論文で、出版はベンチャー学会の会報の最終ページに掲載された書籍や出 版社からの推薦も含まれていました。
学会誌の分野では、学会員の推薦状があれば、他の学会誌、論集をも含むとあ りました。表彰の対象年齢を45歳未満と区切り、若手研究者の育成を重点に置い ているところや、その趣旨も、審査基準も、審査委員のラインナップも、みんな 清成さんの功績にふさわしい顕彰制度となっています。
その栄えある第1回の清成忠男賞は、東北大学が幹事校となる来年11月4(土) 5(日)の両日開催の第9回総会で表彰される予定です。副賞には、賞状、盾、そ れに金一封が贈られます。清成さんからは、それらへの多額の寄付の申し入れが あったそうです。
松田さんからは、審査委員に対して「学会の機能を引き上げる役割を担ってい ただきたい」との期待が寄せられていました。それにしても、日本ベンチャー学 会の運営は、ガラス張りで合理的というか、考えがしっかりしていて、好感が持 てました。会長や副会長、それに理事の任期や選任の方法が明確です。理事、50 人を擁する半数は、1700人近い会員からの投票の形態をとり、理事職は、「産学 連携、地域のクラスター、それに大学発ベンチャー、MOTなどの各分野に目配 りした」と松田会長。新たに東京農工大学大学院の教授で東京MOT6大学連合 会を立ち上げた古川勇二さんの名前も紹介されていました。また、女性陣が仕切 る事務局の、ローコストでハイクオリティーな心のこもった運営には、松田会長 からもねぎらいの言葉がありました。
それにしても充実した2日間でした。「大学発ベンチャーの光と影」を総合 テーマに、同様のタイトルでのパネル討論は、出色でした。内容は、後日学会誌 に収録される予定ですので、この場では控えますが、産と学のいずれの立場にも 精通した東京大学大学院教授の松島克守さん、バイオベンチャーの旗手、オキシ ジェニクス社長の高木智史さん、知的資産戦略の先頭に立つ慶応義塾大学教授の 清水啓助さん、好感度の高い大学連携推進課長の中西宏典さん、それに進行役で 早稲田大学大学院の看板教授の柳孝一さんらの、現場からの実践的な具体例を ベースにした、整理された議論は、大学発ベンチャーの光の部分に多く焦点が当 たっていたようです。
「大学発ベンチャーの質と量と言ってもたかが1000社、今後さらに質も量も深 めていく必要があり、産学官連携も20年のレンジでみれば、ようやく折り返し点、 大学発ベンチャーの影のことばかりいっても、光があって初めて影がある、その 辺を考えていかなくてはいかんのではないか」との、松田会長の総括スピーチは 至言でした。そして、今後とも大学発ベンチャーを同学会の大きなテーマに据え ていく、と確認したのは意義深いことだと感じました。
賞といえば、もうひとつ、NPO「つむぎつくば」などのコアメンバーの滝本 徹さん(内閣府参事官)らが発起人となって設立した「つくばベンチャー大賞」 に茨城県内から37社のベンチャーから自薦他薦の応募があり、11月18日(金)に 「つくばテクノフェア」を会場に授賞式が行われる運びとなりました。なんとし ても筑波学園都市を中心に、茨城県から地域活性を牽引するようなベンチャー企 業の輩出しようーという意気込みが滲み出ているようです。
日本バイオベンチャー大賞、清成忠男賞、つくばベンチャー大賞の、それぞれ の賞における、次代を引き継ぐ各分野のフロントランナーの功績や研究への意気 込みもさることながら、それらの人たちを溢れんばかりの思いで激励しようとす る賞の制定者らの、粋な心の種をそっと両手に包み込んで、晴れやかな高い空い っぱいに飛ばしてみたい心境です。