DND事務局の出口です。懲戒解雇‐この文字の忌まわしいほど厳重な審判は、 その人生にどれほどの重荷を与えることになるのでしょうか。その行く末を案じ れば、重苦しい痛みが胸に刺し込んでくるようです。地方支局のエリート記者の 挫折の理由は、気の毒なほど、稚拙で他愛ない。
朝日新聞社で起こった虚偽の取材メモに基づく、報道記事の一連の問題に対し て同社は、虚偽報道事件として陳謝し、編集局長らの更迭などの処分を行い、信 頼回復への特別チームの立ち上げを表明しました。重すぎる処分‥そりゃ当然、 そうですよね、って言う批判は案外、多い。その社会的影響と伍して、その批判 勢力も半端じゃない。発表、陳謝、処分、調査委設置‥不祥事は時を経て、人を 変えて、そのまんま、繰り返されているようです。
問題の新聞を恐る恐る、ひっぱり出してみると、8月21日(日)朝刊2面の 下段に「郵政反対派 第2新党が浮上」と小ぶりの3段記事。「国民新党に続き、 都市部の有権者からの支持を目指す『第2新党』を立ち上げる方向で検討してい ることが20日わかった。田中康夫長野県知事に党代表を務めてもらうよう打診 している」−という独自ダネで、行数にして39行のその最後の段落の5行に、 落とし穴が‥。
それには、「亀井氏は今月中旬、長野県内で田中知事と会談。国民新党など反 対派への協力を要請したとみられる」とありました。どう見ても一種の観測記事 で、この5行が無くても全体の記事の要旨は変わらないのに、なぜ?この紙面に 限っていえば、いやあ、まさに蛇足、余計なことをしてくれたわ。主語が、亀井 氏なら、広島支局への手配で、亀井氏側からも裏を取ってもよさそうなものなの に。どっちにしても間違いだったわけですが、なぜこの下りがそんなに必要だっ たのか、その意味が判然としません。
違和感がついて回る、この勇み足が、致命傷となったわけです。虚報といえば 虚報、取材していないから捏造といえば捏造となるのだが、なんともすっきりし ない。敢えて言えば、何やってんの、もうひと呼吸置いて必要の無いものは削っ たらよかった。それにしても亀井氏と田中氏の会談の場所が、長野県か東京都内 か、それってどういう意味があるの?って、首をかしげるざるをえない。あるい は、そんな事で、いちいち多忙な地方支局を手足に使わないでください、本社っ て何様!って、他社の事ながら怒りがこみ上げてきます。この時期、9.11総 選挙を控えて、候補者のやれ顔写真だの、略歴だの、序盤の情勢分析だの、企画 だの、候補者のインタビューだの、いやはや臨戦態勢なのだ。
朝日新聞では、「今回の事件は、1人の若い記者に魔がさしたといって済むこ とではない」と述べ、「今回の経緯を含めて取材現場の実態や問題点を徹底的に 点検する」と社説「記者と報道」で約束し、看板コラムの「天声人語」では、「こ れ以上、読者の信頼を損なえば、輪転機を止めざるを得ない日すら来かねない」 と、その事態に危機感を募らせていました。
問題を起こした若い記者は、県政担当の28歳という。順当なら、もう少しで 憧れの本社勤務、そして志望の道を走り出すはずだったのではないか。この虚偽 の取材メモひとつで、懲戒免職の処分を受けてしまいました。もう記者としての 敗者復活の道はないのでしょうか。同世代の子を持つ親として、不憫でなりませ ん。この悪夢をどう受け止めているのだろうか、いやあ、彼の心境を思うとほん と、切ない。なんとかならんのでしょうか〜。
記者は特ダネを追い常に誤報というリスクと背中合わせのタイトロープに身を 置いています。自分の書いた記事が印刷の輪転機が回ってヒヤリ背筋が寒くなっ たことは一度や二度じゃありません。思い起こせばほぼ30年記者生活を無事に 通り抜けた方が不思議なくらいなような気持ちになります。
個人的な経験でいえば、本社からそれも政治部から、支局デスクに電話が入る、 と支局内に緊張が走ります。本社からの要請は、天の声のようなもの。どんなに 支局が多忙でも、デスクらがなんとしてもその依頼に応えようとするのは、必然 です。本社が地方より上で、偉いからです。勢い、支局長やデスクは、頼りにす る県政担当に「本社、政治部からの確認を急いでくれ!」と指示します。あっち こっちに確認してみるが、そのような話の断片すら聞くことができない。しかし、 支局から「まだかぁ?」、それに対して「ええっ、間もなくです、いま確認中で すから‥」って、ついあせって言ってしまったら大変。次に連絡が来る時までは、 なんらかの原稿のメドをつけておかないと締め切りが迫る。すると、デスクから 「いま取材中って本社に連絡しておいたから、早くしてくれ」と催促が入ったら、 いやあ、「確認中」って言ったのになぜ「取材中」になってしまうのか、今更、ま だ取材していませんって、とは言えない。断れば、デスクの面子も立たないし、 己の出世にも微妙に響く、念願の政治部‥そして思い余って取材メモの創作へ。 これは、あくまで、私の勝手な想像です。
例えば、僕のような、かけ出しの新人時代から顔、態度が大きいと、「どうも、 間に合いません。いや、確認とれません。相手がつかまんないス。ぎりぎりまで やってみますけれど、他もあたってください。本社じゃわかんないですか‥」と、 放言して、一時険悪になるでしょうけれど、そんな事で叱られても、評価を下げ られても、そんなことを気にしていられない。戦場なんですから、はっきり言い 切ります。指示されたら、最後まで粘って必ず、ちゃんと報告する‐という習慣 は身につけていましたが、無理なことは無理なんです。
警視庁担当などは、とくに現場からのYes Noは、紙面の方向性を決定付けま すから、曖昧では務まらない。
28歳当時は、宇都宮支局の足利通信部に赴任していました。他社の先輩記者 には教えられました。特に朝日のHさんは、恩人です。北海道の海沿いの街で、 今も現役の記者として鋭い目を光らせています。Hさんに電話して、記者の処分 について聞くと、虚偽の報道という記者としてはやってはならない事件ですから、 社の倫理規定からすれば、やむを得ない判断だと思う、と語っていました。
「支局の実情からいえば、かつてはデスク周辺に絶えず人が集まって、記事ひ とつひとつの手直し、確認などの作業を記者と向かい合って、息を感じながらや り取りしていた。が、いまは様子が違って、デスクの回りを取り巻くのは、パソ コンなどOA機器が占有していて、人の気配が少ない。ここだね、問題は。
新聞は人間が作るんだから、デスクや支局長らが、支局員のひとりひとりの特 技や癖、今の悩み、家族の状況を掌握するのが、大切になってくる。しかしそれ がうまくいっていない。支局は支局員が作る、支局員は現場が育てる、この意味 をもう一度考え直さなければならない」。という。
どの社も支局といえば、大部屋風情で将来の記者の卵を孵化するようなインキ ュベーションみたいなところですから、そういう大事なところで傷つくのはいい が、挫折させてはいけない。
産経新聞の編集局長で筑波大学教授の要職にあった青木彰氏の遺作「新聞力」 (東京新聞出版局)を読むと、新聞の誤報、虚報がずいぶん昔から数多く繰り返 されていることに気づきます。
その本の「責任メディアの不祥事」の項で、朝日新聞について語った、読売新 聞の渡辺恒雄社長の「僕は、新聞人生の半分以上を朝日への対抗意識で過ごして きた。‥朝日に追いつけ、追い越せとね。だから、朝日新聞がなかったら、今日 の読売新聞はなかったろう」(VS朝日新聞)という言葉に同感する新聞人は多い に違いない、と青木さんは述べて、良きにつけ悪しきにつけ朝日新聞は、読者は 勿論、同業他紙にとっても"リーディング・ペーパー"的存在なのである、と、そ の存在の重さを強調していました。
そして、取材の過程で逸脱行為が問題になった朝日新聞の米子支局記者の手に なる「鳥取・上淀廃寺の創建 法隆寺と同時期か」の記事にふれて、それ以前の 「サンゴ事件」の教訓が生かされなかったように思われるのが残念である‐と述 べていました。
その理由として、本社の目が届きにくく、かつそのシワ寄せをこうむりがちな 支局では、「エリート記者集団内の激しい競争意識がもたらすあせり」、「"少 年探偵団"と陰口をたたかれる支局取材スタッフの若さ」、「紙面を埋めるのが 精一杯といわれる支局取材のずさんさとデスクのチェックの甘さ」など課題が山 積している、と喝破していました。そして、今回の不祥事の調査結果をもとに、 再発防止の抜本策が打ち出されるはずである、として「だが、どんな新しい制度 や組織が生まれたとしても、究極はそこに働く人々の意識や行動のあり方が問わ れる。スキャンダルと政治改革のイタチごっこを繰り返す政界のまねだけはして ほしくない」と警告を発していました。
その青木さんの警鐘から12年。再び「責任メディアの不祥事」問われていま す。青木さんの嘆きとため息が洩れてきそうです。