DND事務局の出口です。残暑で蒸す街頭。額に汗し、髪を振り乱し、マイク を握って声を嗄らす、その各党の党首、代表、そして委員長らの第一声でスター トした9・11総選挙。その様子をテレビで見ていると、ある種、切羽詰まった 興奮が、リアルに伝わってきます。もう、じっとしていられない。
どう動いても、どう転んでも日本が変わる、どのように変わるかは、その結果 次第なのだが、その変化への興味と感心に、期待と不安が複雑に重なって、起こ りうる新しい変化に対して、自らは主体者なりえるのか、そのためにどう動くべ きか、どのような結果であれ、その現実にどう対峙していくのか、が問われてい るような気がしてきます。
ちょっとややこしい言い回しになりましたが、「あんたはどうすんねん」、 「知らないふりはできないねって」という感じで、旗色を鮮明にしなくてはなら ない時なんです。
候補者の各陣営、その支持者、そして有権者、それらを取り巻く取材陣や評論 家らも、そのみんなの態度が、明らかに今までの選挙とは、ちょっと違う。事前 の電話調査では、選挙への関心が、すごく高い。投票に「絶対行く」、「行くつ もり」を合わせると92%にも及ぶ調査もありました。そして、みんな真剣に、 本音で語り始めているようです。
政治が、いわば「小泉劇場」の封切りで、とても身近な存在となり、すっかり 日常となった気がします。「自民党をぶっ壊す」から「郵政民営化は、殺されて もヤル」の叫びは、その手法への一部の反発はあるものの、国民の多くの耳目を 集めたのは確かです。その生々しいフレーズで、漂流傾向の政治的関心を、ぐい っと手繰り寄せて、そして、むにゅっと民意を鷲掴みにした感じがあります。政 治的リーダーの覚悟のシンボルとして、後世長らく伝えられる出来事だと思いま す。
テレビの政治討論が、普段なら日曜の朝と決まっていたのに、今回は早朝番組、 午後のワイドショー、夜のニュース番組と連日連夜、切れ目なく取り上げられて いることも、そのヒートアップの大きな要因と思います。いやあ、ジワジワ視聴 率が上昇し、各局が競うように取り込む政治討論番組。NHKは、そのスタイル を確立した伝統的経緯から、いささか面白みには欠けるももの、与野党のバラン スを重視しながらも、小数政党の主張をきちんと聞き、かつ重責を担う政権政党 への気遣いもあり、確かな政策論議を提供してくれますから、安心して見ていら れます。
本日の朝日新聞第3社会面の「メディア」欄には、放送各社の政治討論を取り上 げて、その各党の戦略の裏舞台をクローズアップしていました。例えば、21日 のフジテレビ系の生番組「報道2001」を見ながら、民主党政調会長の仙石由 人氏の秘書は祈った、という。番組は、各党の政策責任者による討論会、終わり を迎え、司会者が締めくくろうとした時、出演していた仙石氏は、独自に用意し ていたパネルを机の上に取り出した。「民主党 日本刷新 8つの約束」と書か れた題字と、8つの重点政策項目が画面に映ったーという。事前の打ち合わせで、 党のスタッフが仙石氏に念を押していた「マニフェスト選挙」を印象づける作戦 だったらしい。あの手この手、いろいろ考えているのですね。興味深い話でした。
公示の日の30日の読売新聞朝刊は、その社会面で「ワイドショー選挙が占 拠」と洒落て、「衆院選がテレビのワイドショーを乗っ取っている。刺客や新党 結成、ホリエモンと永田町から次々と話題が提供され、芸能ニュースや3面記事 を押しのけてしまった」とその背景を記事にしていました。
これは個人的な感想ですから、異論があると思いますが、政治討論番組で好印 象なのは、日曜の朝の各局の定番を除いて、テレビ朝日月曜夜21時の「たけし のTVタックル」、常連のハマコーさん、政治評論家の三宅久之さんの辛口論評 は、時折暴発しますが、切れ味がよい。司会の北野武さんと並ぶ「この人に会い たい」の阿川佐和子さんの澄ましたコメントは、沸騰した鍋の差し水のようで、 ご意見番の老練な政治評論家らを手玉にとる様子は、見ていて楽しい。難しい政 治討論をバラエティー番組に仕立てた草分け的存在で、与野党の別のない、平場 の議論が人気の要因でしょうか。
もうひとつは、早朝5時半から始まる、人気のTBS生番組「みのもんた朝ズ バッ!」。春の改編から気にしながら見ているのですが、みのさんの庶民感覚の 目線が感心するほど、お見事です。それに明晰な分析で芯がぶれない、毎日新聞 特別編集委員の岸井成格氏の論評は、嫌味がなく、真っ当です。「権威に屈せず、 大衆に迎合しない」との社是を具現されているようです。どうも政治の混乱には 胸を痛めながらも、扱いにくいはずの個々の政治家を丁寧に扱っている印象があ ります。まあ、政治評論では、好感度NO.1でしょう。
その番組は、解散前後から、9・11総選挙の独自ネタで連日勝負、タイム リーな生激論を提供してくれています。凄いです。先日、白熱して口汚く、他党 批判を繰り返す醜い場面があって、番組がギャーギャと騒がしく、音声多重の混 線状態に陥ってしまいました。その時、さすが場慣れしている、みのさん、「ハ イ、分かりました。じゃあ、いいですか、いいですか」と両手を広げて、各党の ゲストの発言を制して、そしてレギュラーの国際金融アナリスト・末吉竹二郎さ んを名指しして、コメントを求めました。
その末吉さんの以下の発言には、感心させられました。それもあらかじめ、み のさんと打ち合わせしていたかのような、絶妙のタイミングでした。
「この番組は、投票する国民、有権者、その家族の子供も聞いているんですよ。 あまり、つまみぐいの議論をされるんじゃ、どこの党の(政策の)ことだか、わ からない。相手の言葉尻ばかりをとらえるような議論をしないで欲しい。もっと 大事なことでしょう、政策ということは‥」と、ピシャリ。みのさん、そばで腕 組しながら、うなずいていましたね。
確かに、その通りです。せっかく、政治が日常の多くの人の手に落ちてきた感 があるのに、国政を担う立場の人たちやその関係者らの口から、ただやかましい だけの、過激な批判ばかりを聞かされたら、嫌になります。教育上もよくない。 それが政治不信につながることを意識しなくてはなりません。もっぱら、口撃を 武器にする政治家は、やはりそういう印象が伝わりますから、視聴者は、その辺 の心の動きを見逃しませんから、大声を張り上げてみてもよい結果にはならない、 ということを肝に銘じなければなりません。末吉さんの勇気ある発言は、岸井さ んの論評とともに「当確」です。
テレビにどう映るか、映った姿や言動が視聴者らにどのような印象を与えてし まうか、そういったメディア戦略の良し悪しが、有権者の投票行動に影響を与え る、というのは確かです。地縁、血縁重視の従来型から欧米型の政策重視のスタ イルに変わる、政権選択の選挙に一歩踏み出したかの印象を強く持ちます。そう なれば、街頭の演説より、テレビが主戦場となり、画面を通して訴える政策内容、 その姿勢、その言葉遣い、その声の質、なんともその場の空気の読み方なども重 要視されることになります。
本日の各紙朝刊をめくると、朝日新聞の一面は、「この選挙の特徴は‥」から 始まる記事の後半には、「地域密着型か、理念・政策型か。きれいに分かれてい るわけではないが、今回の選挙が各党の候補者像が変わっていく契機となる可能 性もある」と締めくくっていました。日本経済新聞一面の「改革は進むか」の連 載2では、1994年の政治改革で衆院小選挙区比例代表並立制が導入されて以 来、「衆院選挙は政権選択の選挙、首相を選ぶ選挙に一歩一歩近づいてきた」と、 指摘していました。産経新聞3面では、個人的に良く知る政治部長の関田伸雄さ んが署名記事で「選挙のやり方と選挙後の政治のあり方も地元利益優先・義理人 情尊重から、政治改革の主眼であった政党中心・政策本位へ大きく変わろうとし ている」と他紙と同様の分析をし、「めくられた歴史のページを戻すようなこと があってはならない」と断じていました。
戦後60年の節目を刻む、9・11総選挙は、だんだん、明日の日本の方向を 決定付ける歴史的な審判となるような予感がしてきます。「このままでは、日本 が壊れてしまう」−という、ある候補者の訴えが、大げさな表現には思えません。 ベテランキャスターの筑紫哲也さんは、公示日の夜の番組で、「大きな分かれ道 です。思い思いの改革、それを判断する賢さ、それを求められるのが有権者です。 5パーセント、100人のうちの5人、大きな変化を起こすことが可能です。 9・11は私たちが主役」とコメントしていました。
公示から投票日までの、いわゆる選挙運動期間を迎えると、候補者でもないの に、俄かに落ち着きがなくなり、もはや選挙好きを通り越して、寝ても覚めても 選挙の動向が気になって、何にも手につきません。そんなことを、これまでずっと胸の内にしまい込んでいたら、同じ思いの同志がいました。
「名古屋学」の著者で、出版プロデューサーの岩中祥史さん。書店でその在庫 切れが続く、近著「選挙だワッショイ!」(バジリコ刊)のプロローグで「選挙 って、とにかくおもしろいんです」といい、「こんな言葉があるかどうか定かで はないが、私はもの心ついた頃から選挙が楽しみでしかたがない"選挙マニア"で あった」と告白していました。いやあ、ともかく真面目に、面白い。
投票日が近づくと、新聞には情勢分析=選挙(の当落)を占う予測記事がでた。 それを隅から隅まで食い入るように読んで、「支持層をほぼ固めた」、「組織が フル動員」、「ツバ競り合い」、「独自の戦い」といった選挙の時にしか登場し ない独特の用語を覚えてしまったーとの子供の頃の記憶を綴っていました。
そうなんですね。「独自の戦い」は、泡沫候補を扱う、あまりよい表現ではあ りませんが、そんな風に使いましたね。選挙取材は、これは選挙好きの記者とし ては、わくわくの毎日、多くの候補者の陣営から、選挙の当落予想を書く段にな ると、「猛追、後、もう一歩」、あるいは、「接戦で当落線上に」という風に書 いて欲しい、と要望を受けていました。
いくらダントツのリードをしていても「選挙は水モノ」、投票日3日前でひっく り返ることもあります。直前になって無党派層の票が動くし、「安泰、リード」 という情報が流れると支持者らの緊張が緩んでしまうことを警戒しているんです ね。確かに、敗れる陣営の多くは、実は、陣営がかく乱されて、支持者が直前に 離脱する、という内部崩壊、その支持者らの油断が原因となることがあります。
で、その岩中さんに電話で、今回の9・11総選挙の意味をお聞きすると、 「小泉劇場は今のところ、脚色は思い切り施されているが、演出っぽくない印象 を無党派層に与えている。短期決戦だから、今の状況で進めば、最後までうまく いくかもしれない。しかし、有権者の4分の3は、ホンネの部分では無党派層。 野党が投開票日までに、有権者の心をつかむようなアピールがあれば、大きく変 化する可能性がある。日替わりだから、議席は読めない。が、テレビが娯楽媒体 として面白くしようという角度で取り上げる。与野党の逆転や、選挙後の政界再 編や政権交代という劇的な変化の可能性を秘めている今回の選挙に面白さを感じ れば、若い人が投票に行くでしょう。今回ほど楽しみな選挙は、ありません。私 の本を読んで選挙を分析すると、もっと知的な選挙の見方ができます」と話して いました。