DND事務局の出口です。高台から、眼下に海を望む贅沢はなく、それも日が 沈む間際が、刻々と風の向きを変え辺りの色を整えて、なんとも素晴らしい。光 輝く海面、夕日に染まる島影〜風の写真家、緑川洋一さんがモチーフとする風景 が点在する三重県の鳥羽湾、そこの小さな島のひとつを訪ねてきました。
伊勢湾口の真ん中に浮かぶ、離れ孤島の、神島。人口500人余りで、三角錐の 島の形状は勾配がきつく、登り斜面の危険が伴う段々に軒を寄せ合う家々は、過 酷な風雪に耐え抜いた燻し銀の風情で、寡黙な漁村でした。
鳥羽港からフェリーで40分、愛知県側の伊良湖岬により近く、中部国際空港セ ントレアからもさほど遠くはない。しかし、なんといっても作家、三島由紀夫の 小説「潮騒」の舞台であり、島の随所に小説の名場面の案内パネルが設置されて いて、島巡りはそのまま、潮騒の、それと若き日の多感な三島の息遣いが伝わっ てくる、文学散歩の趣でした。
が、今回の目的は、鳥羽市と連携の友好協定を結んだ三重大学の地域貢献の視 察でした。大学の先生らが、コーディネータの仲介で医学部の医師、教育学部の 体育の助教授、それに付属病院の栄養管理士らがタッグを組み、熱心に離島振興 の具体的なプログラムを提供していました。
偉いな〜。大学が地域に目を向けると、なんか世の中が明るく見えてくるから 不思議です。地方の大学が、地域の問題解決に自主的に動き出す、こんな時代が 具現化しているようです。先の徳島大学が中心となった第3回産学連携学会の初 日のシンポジウムでは、産学官一体で、「地域で何をすべきか」、「地域でもと められているものは何か」が主題でしたが、その答えのひとつが三重大学の取組 みにありました。
地域との連携が結果的に大学の基盤を強くする‐という全学上げての取組みを 実践する三重大学が、新たに鳥羽市と協定を結び、島の地形や歩行道の研究、郷 土料理の食材を丹念に調査し、そしてひねり出したアイディアが、糖尿病や血糖 値が気になる方のための2泊3日の宿泊体験ツアー「島人がもてなすウエルネスの 旅」でした。対象の島は、神島と、ひと回り大きい答志島でした。
ツアーは、昨年冬、今年の3月に実施していました。糖尿病が専門の三重大学 医学部付属病院第3内科講師で医師の住田安弘さんが同行し、糖尿病の治療に欠 かせない食事療法と運動療法、そのふたつを同時体験しながら、生活習慣改善の コツを教える講習も行っていました。
食事。その中味は驚きです。やはり同病院の栄養主任で栄養管理士の岩田加寿 子さんらが、朝、昼、夜の全ての食事のレシピを考え、適正なカロリー計算に基 づく、大胆な食事を用意していました。例えば、2日目の夕食の品書きは、先付 け「アオリイカ」、前菜「とこぶし蟹身奉書巻メヒビ寒天寄せ」、酢の物「ナマ コ」、お造り「ヒラメ、ホラ貝、スズキ」、煮魚、残酷焼き「伊勢海老」、焼貝 「大アサリ」、鯛しゃぶ、茶碗蒸し、鯛の潮汁、ご飯、漬物、フルーツの豪華メ ニューでざっと815カロリー、すっごいね。腹いっぱい食べて満足度を高めな がらも健康にいいというのは、運動療法を取り入れることによって「食事のバリ エーションが増えた賜物」というから、是非、次回は参加したい。
そして、歩くという運動指導には、三重大学教育学部から保健体育科の助教授 でオリンピック陸上競技強化委員のベテラン、杉田正明さんが加わり、登りも坂 道もチェックして、事前のストレッチからマッサージ、それに効果的な歩き方な どを伝授していたようです。しかし、この「旅と健康」の鳥羽方式は、日本の全 国どこでも見習えば、いいかもしれませんね。関心があれば、ご一報ください。 ちゃんとつなぎます。
そんなツアーを実施した経緯やその評判を、窓口となる調整役の、三重大学創 造開発研究センターの産学官コーディネータの松井純さんからお聞きし、当日の 案内役を買ってでてくれました。伊勢志摩の出身ですから、地の利に詳しい。そ して野球で鍛えた、その屈強な体型に似合わず、目配りが行き届いていました。 ご一緒したのは、同センターの助教授でこの取組みを紹介してくれた菅原洋一さん、出身は秋田県ですが地元三重の女性と結婚し、以来ずっと三重の人、温和で同年齢の52歳。そしてもうひとり、産学官コーディネータの小畑秀明さん、この4月所帯をもった36歳、同伴でもよかったのに、と水を向けると目を細めて笑っていました。端正な顔立ちです。
さて、フェリーが着いて、歩いて数分の旅館「山海荘」、部屋割りを決めて着 替えて、まず島内一周4キロのウオーキングへ。糖尿病の小生としては、願って もない健康道場の入門気分でワクワク、なんか嬉しい。先頭は、麦わら帽子の松 井さんでした。神島漁港を右に見下ろしながら、山間の一本道を緩やかに登った り下ったりしている間に、神島小・中学校の校舎わきを抜けて、目に飛び込んで きたのは、横一列に丸太を縦に打ち付けた背丈を越える防風林でした。断崖から 陸路へと続く境を隔てる門扉のようで、台風や厳冬の烈風を警戒しているのでし ょうか。崖下の砂浜は、ニワの浜と呼びます。「潮騒」の案内パネルに海女姿の 若い頃の吉永小百合さんを撮った映画ロケの写真が、小説「潮騒」の文章と一緒 にプリントされていました。向かい合うように、俳句の道なる、入選の句が石碑 にいくつか刻まれていました。「神島の空に道あり鷹渡る」(津市、宮田正和)。 「登山者の手に手にとんで秋の蝶」(いせ市、坂本剛子)。
う〜む。のびやかで壮大なそれらの句に思いをめぐらせながらメモをしていた ら、松井さんが大声で、ここから少々、登りに入ります、と山の方を指差してい ました。うっそうと茂る夏草のトンネルを登り、カルスト地形と呼ぶ風化した岩 の上空に数羽のトンビが、獲物を狙うようにゆっくり旋回していました。こっち を覗っているようで、なんか不気味、嫌な予感がします。そして‥。
流れ落ちる汗をぬぐいながら、傾斜のきつい山道を登って押し黙ったまま数十 分、丸太を埋め込んだだけの階段は、ざっと数えて400段越え。ヒザが震え、ノ ドが乾き、呼吸が苦しく、心臓がバクバク、クラッと目眩がしてきました。ギブ アップの言葉が何度も口をついてでるのを、手で押し戻すようにしながら耐え抜 いて、それでも休みなく登り続けました。
実は、この時ばかりは、恨み節でした。ウエルネスといっても、これじゃ拷問 みたいじゃないの、と意を決して発した冗談に、誰も反応しません。松井さんは 遥か先、同輩の菅原さんは、聞こえていても返事すらできない。一番若い、そう 新婚の小畑さんは、脱落?随分前から姿が見えません。いやはや‥。
しかし、一陣の風。やっとの思いで頂上付近に着いて、来た道を振り返ると、 断崖の下方、それも遙か遠く、西日を浴びた伊勢の海がゆったりと波を止めて、 静寂の中で、眩い小さな光をいっぱい集めていました。鳥羽の海は、霞み深くて も美しい。目を閉じると、今でもその海門を往来する、逆光で影のような米粒ほ どの汽船や貨物船、それに漁船が脳裏に焼きついて、映像のように浮かんできま す。
帰りは、「潮騒」の名場面を辿る、三島文学の道。あの嵐の日に、主人公の新 治と初江が焚き火を挟んで裸で向き合った場所、旧陸軍の着弾点を監視した施設 「監的哨」跡、そこから北西へ進み、夜間航行の難所、伊良湖水道の安全を守っ てきた「神島灯台」、無人の灯台周辺は顔の小さいネコが何尾も棲みついていま した。右手には、由緒ある「八代神社」。町へ通じる石段は213段。小説は、終 盤のクライマックスへ。
「二人はお互いの頬を、触れようと思えばすぐ触れることもできる近くに感じ た。その燃えている熱さをも。‥そして二人の前には予測のつかぬ闇があり、灯 台の光は規則正しく茫然とそれをよぎり、レンズの影は白いシャツと白い浴衣の 背を、丁度そこのところだけ形を歪めながら廻っていた。(中略)闇に包まれてい るこの小さな島が、彼らの幸福を守り、彼らの恋を成就させてくれたということ を。‥」(新潮文庫)。その後、数行で「潮騒」の物語は、完結します。小説は、 冒頭から「燈台の当たりは、没する日が東山に遮られて、翳った。明るい海の空 に、鳶が舞っている」という風に、光と影のコントラストを執拗に捉えていまし た。
「潮騒」の本文は、島の名前を「歌島」と変えた以外、そのほとんどが写実的 で、史実も地名も、そして眺めのいいポイントからの点描もリアルでした。三島 のその情景描写の巧みな表現力、その奥深い筆致‥その溢れんばかりの感性と才 能には驚きを禁じえません。それから、5度に及ぶ映画化、なにより小説の舞台 がそっくり現存しているという歴史的事実、その遺産は、半世紀すぎてもなお 初々しい。祖父、父、そして本人と3代続けて東大法学部卒、そして官僚へと進 むエリート家系ながら、その天賦の文才には、すっかり魂が奪われそうになって しまいます。
鳥羽港への車中、東京からバッグにしのばせた「潮騒」は、読み進めるうちに 何か別の記憶が甦るようでした。難解で複雑という三島の著作とは随分趣が異な り、実に明朗で清潔、無垢な恋愛小説でしたから、ページをめくる度に、あの映 画の全編に流れるピアノのメロディー「愛のテーマ」が響いてきていました。小 説は、その名作「ニューシネマパラダイス」(ジュゼッペ・トルナーレ監督)のス トーリーと酷似しているからかも知れません。
映画の舞台は、シチリア島でやはり島、貧しい母子家庭の青年と、裕福な家庭 の少女との一途な初恋物語、その男女の貧富の対比、立ちふさがる少女の怖い父 親という役どころも同じでした。物語が好転する、そのきっかけとなるのは、親 代わりで常に親身な中年夫婦の存在でした。拾い上げると、類似点が多いように 思います。。これは偶然ですが、三島が「潮騒」を書き下ろした当時が1954年4 月、映画の時代設定も1954年でした。調べると「潮騒」は、2世紀から3世紀ごろ にギリシャで書かれた恋愛物語「ダフニスとクロエ」(作者不詳)の作品から着想 を得ていたというのは有名な話で、根っこは、遠くギリシャの時代、エーゲ海に あったのかもしれません。
そんな夢想を引きずって、さて、眺望のいい4階のお風呂で汗を流し、そして 夜の晩餐。4人で部屋飯し。特大サザエの塩焼き、カサゴの煮付け、伊勢海老の 特大お椀、それに岩ガキ、お造りは、巨大な舟盛りで、伊勢海老、アワビ、タイ の刺身と湯引き、名物のタコなど、いずれも地元で採れた新鮮な活き造りでした。 伊勢海老のヒゲがゆらり揺れていました。仕上げは、にゅうめん。いやはや、こ んな豪華な食事は初めてです。浦島ムードで糖尿病の悩ましい心配はどこか飛ん でしまって、存分に食べました。1泊2食で12000円でした。
段取りのいい松井さんが、持ち込みで焼酎を振舞ってくれました。飲むほどに 酔うほどに、饒舌になって、よく憶えていませんが、それで地域貢献はどうなっ た!みたいな議論になって、いよいよ松井VS出口のバトルトークが激しさを増 し、ジッと固唾をのんで菅原さんと小畑さんが議論の落ち着き先を案じている様 子でした。
夜、海風に吹かれて、潮騒を聞きに行った帰り道、その丁字路で鉢合わせした、 地元の幼い兄妹、遼太君と芽衣ちゃん。お風呂帰りでさっぱりしたその表情に屈 託がない。将来は、きっといい子に育ちます。夜霧の港町に哀愁がありました。 翌朝、お世話になった宿の、働きものの女将、山本晶子さんと記念撮影している と、遠慮がちで健気な娘さんが、にこやかな笑みを浮かべていました。隣近所の 寄り合いがひんぱんだった昭和の日本人の、切ないくらいのやさしさが、この島 に息づいているようでした。
それから、東京に戻って数日後、念のため、あの日、鳥羽港まで見送りに来て くださった鳥羽市まちづくり課の係長で、離島振興の仕掛け人の山下正樹さんに 電話すると、「三重大学との連携協定は着々と実を結んでいます」と語り、次回 は秋に実施しますが、糖尿病と同時に肝臓疾患などいろいろ内容を変えて他の島 でもやれる企画を練っています、と話していました。
逆にどうでしたか?と山下さんが聞くので、あの階段、何段ですか?と尋ねる 213段というから、「それは八代神社の階段でしょう、そうではなく、ニワの浜 から山に入る坂道の丸太の階段ですよ、あの延々長いの‥」。電話口から一瞬、 山下さんの声が途切れて、やや間があって、「あそこは登りません。神社側から 登って、あそこは下りになります。逆コースです。間違えましたね。気分、悪く なりませんでしたか〜」。「う〜む、山下さん、やっぱり。実は、目眩がして呼 吸が苦しくて、罰ゲームみたいでした‥」。
あれれっ。ザザザッ〜。潮騒が、細く消えて、意識がだんだん遠くなっていき そうです。