DND事務局の出口です。この時期の楽しみは、梅干と梅酒、梅ジュース、それ に塩らっきょと、甘酢らっきょの仕上がりです。梅干の瀬戸物の容器は、重石を 持ち上げるかのように、たっぷりと白梅酢が上がってこぼれそうです。赤や黄の 香り高い梅は、実に福々しい。
わが子の成長を見守るような、穏やかさで、忙しいわりには、ほんのり幸せな 気分に浸れます。梅雨が明けて晴天が続いたら土用干し、3日間、夜露にあわせ て干すのだ、と言います。どんな塩梅か、自然の風味、すっぱい梅にすっかり心 を奪われてしまったようです。
名古屋市に本社がある(株)EM総合ネット社長の宮澤敏夫さんから、梅はいら んかね?って連絡が入り、和歌山名産の南高梅、それも丹精込めたEM栽培の梅と いうから、青梅10キロ、そして木から落ちるのを待って収穫した梅干用の梅1 0キロ、あわせて20キロを注文してしまいました。10キロ単位だから、仕方 ありません。表情を変える家人の驚きは、それまではまだ序の口で、やれ焼酎、 砂糖、蜂蜜だの、容器だの、なんのかんのと、雑貨店、スーパーを行ったり来た りしていました。
「高級国産らっきょ」のキャッチに釣られてついでに買っていました。塩らっ きょは、泥を落とし、皮をむいて洗って上下を切り落として、塩をふって混ぜて、 瓶にいれて蓋をする。手がべとついて、すっごい臭いでしたが、当初のそれを忘 れさせてくれるほど、いまとなっては、色といい食感といい、申し分ありません。 いやあ、こういう自家製の食材の仕込みは、段取りや下ごしらえが基本ですから、 やって見ると、大騒ぎしながらも意外なほど面白く、時間が過ぎるのを忘れてし まうほどでした。
茶の間のテーブルの上に新聞紙を敷き、青梅ひと箱分を水洗いした後、並べて 梅のヘタを爪楊枝で取り除く。梅のヘタの脇から楊枝を差し入れると、ほろっと 落ちるように取れました。1個1個じゃ手間だから、無造作に3、4個の梅を左 手に握って、ひとつひとつ順番に楊枝を動かしたら、早い。好きな音楽を聴きな がら、無心に梅と向き合う、普通の生活のひとコマがなんとも贅沢に感じられて きます。
それらを大きなザルに並べて、広口の瓶の容器は5つ用意して、きれいに洗っ て乾かしておきます。梅2キロずつを小分けにして、梅ジュース用には、蜂蜜と 米酢の混合を2瓶、それに蜂蜜だけのものを1瓶、氷砂糖と焼酎を適量いれた梅酒 は2瓶つくり、梅干は容器に5キロずつ分けました。明け方、梅酢があふれかえ って床をぬらしてしまうハプニングもありました。重石が重すぎたようです。そ れでも、日々、何かが育ち、熟成し、大きくなるのを待つというのは、とても豊 かなことのように感じられます。
家内が、しゃべりたくてしょうがない、この性格を揶揄して、「また梅を漬け た、らっきょを漬けた、ヘタを取った、とみんなに言いふらすんじゃないの」と 冷やかすから、そんなささやかで個人的な楽しみを自慢してどうするって、切り 替えしながらも、頭の中は「DND事務局の出口です‥」の書き出しが、浮かんで は消え、消えては浮かんでくるのをどうしても抑えることができませんでした。 黙っていられない。図星です。
家に居て、休日のひとときを、何気ない梅漬けに心鎮めている‐そんな生活ス タイルの落ち着きは、どうも生活の習慣が微妙に変わってきたからかもしれませ ん。新年早々、禁煙。30年近く続く1日2箱の常習、そのヘビーなスモーカー の意味のない看板を下ろして、俄かに健康宣言をしていました。それから、まも なく半年が経ちます。
深夜、ヒューヒューと聞こえる音が自分の呼吸による、ノドや肺からのものと は気がつきませんでした。が、やがて数ヶ月でその不気味な音が止み、なんとも 焼け付くような嫌な胸苦しさは、薄紙をはがすように徐々に消えていって、最近 では、痰や空咳がまったくなくなりました。じっとしていて、息をしているだけ でも体が楽です。
そして、雀荘やパチンコ、それにゲームセンターなど煙が充満するエリアには、 すっかり行く気が失せてしまっていました。困った事に酒席にも、それほど気が 乗りません。健康街道をまっすぐ走れば、だんだん付合いが悪くなってくるよう です。どうした、どこか具合でも悪いんじゃないって、逆に心配されてしまいま す。家に居座り始め、俄かに世間並みの生活に戻ったといっても、そんなことで そう易々とは、健康で和楽の生活が訪れるもののようではないようです。
悪夢は、4月に入ってから、その健康風の生活をあざ笑うように、いきなり近 づいてきました。体がだるい、重い、力がでない。更年期障害かもしれない、と 思いつつ、いや、そのようなものじゃないなあ、と思い直し、そして、幾ら食べ てもお腹が満たされない異常のシグナルが何なのか、それを誘発する原因に対し て、薄々感じるところがありました。タバコを止めから、何を食べても美味しい ‐というのは、素人判断でした。無気力感と同時に、ノドの乾き、指先のしびれ、 それに頻繁な尿意‥。
ある朝、トイレに常備の試薬を使ってみれば、淡い紫の元の色が瞬時に黒い紫 色に変色し、血糖の数値の高さを示していました。再び復元することのないダム の決壊です。即刻、その日、ネットで調べて東京・日本橋にある専門医に行くと、 尿検査と血液検査の結果、空腹時血糖値が210の数値。正常値は110未満で すから、「糖尿病ですね」との宣告が下りました。原因は、食べすぎ、それも間 食、運動不足、ストレス?これはないかも‥いずれにしても生活習慣による糖尿 病という診断でした。
タバコを止めて酒席を控えて、品行方正にするから、病気になる‐と陰口をた たく知人も少なくありません。しかし、それからは案外、素直に医師の処方に従 って、投薬と運動を忠実に実行してきています。毎朝、毎晩の散歩、早歩きで万 歩計は10000歩を越え、車通勤から電車通勤に変更し、ひと駅手前で下車して歩 く、荷物を極力持たずに歩き、エレベーターは使わない。数週間後の数値は、9 3に下がっていました。医者から、よく頑張りましたね、とねぎらいの言葉をも らいましたが、油断は禁物です。
厚生労働省が実施した糖尿病実態調査(2002年)によると、糖尿病の疑い が強い人が約740万人、その予備軍を入れると約1620万人に及び、40歳 以上の10人に1人が糖尿病というから、まさに国民病とも言われているようで す。同じ病の中高年は、結構、多いかもしれません。
朝晩の散歩は、新潟から取り寄せた藍染めの作務衣姿で、さっさっさっと街の 中を通り抜けます。忍者のような勢いで、宙に浮くような軽業で、風のような早 足です。どこからみても異様な風体ですが、歩きながら胸いっぱいに新鮮な空気 を吸うと、頭はすっきり、体はしゃんとしてきます。より道の公民館の庭から、 5つ葉と4つ葉のクローバーを見つけることもしばしばです。
歩くことが、これほど気分いいこととは、つい最近まで知りませんでした。今 は、この病のお陰で生活スタイルが一変しました。病気とどう付合うか、が人生 後半の大事なテーマのような気がしています。
さて、その最初の梅干は、おいしくおかゆで食べることに決めています。それ は、「美しい言葉」を産経新聞文化欄で書く、同期の記者で畏友の梶山龍介さん が、そのようにしている、と偶然、知ったからです。今週の27日付のコラムは 「塩梅」が題材でした。今、梶山さんの飾らない文章が、心に沁みてきます。