DND事務局の出口です。NHKの人気番組のひとつ、毎週金曜日夜11時の 「にんげんドキュメント」(3月4日放送)は、「認知症」、そのありのままの 現実を突きつけていました。タイトルは「ふたりの時を心に刻む」。
福岡市在住の越智俊二さん(58)、そして須美子さん(52)夫妻の日常生活と 介護にあたる須美子さんの心模様を紹介していました。ふくよかで艶のある広瀬 修子アナの語り口が、痛々しいはずの、その夫婦の情感を安らいだ奥深いものに していました。
口に手をあて、息を凝らして、流れる涙を拭いながら、その映像に釘付けにな ってしまいました。記憶が徐々に遠のいて、どうすることもままならず悄然とす る夫、いつしか自分のことさえ忘れてしまうのでは、という恐怖感に負けまいと 健気な陽気さを見せる妻の孤独‥しかし、精一杯の日常の歩みです。
‐7年前、念願のマイホームを買いました。子供が成長しようやく夫婦の時間 がもてる、と思った矢先、夫がアルツハイマー病と診断されました。夫の前では 努めて明るく振舞う須美子さんが心の内を日記に綴っていました。 「悲しみと不安が一度に来てしまった。我が旦那はしたいことだけして忘れ去 っていくのか。オレがついているから大丈夫と言ってください、私は女だ、男じ ゃないぞ」
病気になるまで家庭を顧みなかった夫、須美子さんにはずっと我慢してきたと いう思いがあるようです。営業マンだった俊二さんは、仕事の付き合いを優先し、 毎晩午前様でした。3人の子育ては須美子さんにまかせっきりでした。その俊二 さんが回想していました。
「接待、接待やけんね。終わったらホッとするからまた行きつけに行って、そこ でまただから、帰ってくると遅くなる。そういうのがずっと続いていたから、迷 惑しちゃった」。いやはやなんと、少し昔の小生の生活と二重写しのようで、弁 解の余地もありません。いまでもそのような仕事優先の生活を余儀なくされてい る知人は、少なくありません。
ドキュメントの迫真は、俊二さんが通う認知症専門のディケアサービスセン ターが主催した、発表会の場面でした。広瀬アナは、これまで認知症の患者の胸 の内にとどめられていた言葉です‐と紹介していました。俊二さんが登壇してい ました。
「今日は、私にとって一番大切な母さんに聞いてもらいたいことがあります。 もの忘れになり、投げやりになった私に、必ず治るから‐と言ってくれました。 それがなかったら、いまの私はないと思います。そして以前と変わらない普通の 生活ができるようにしてくれて、ありがとう。他の感謝の言葉を探しても、やっ ぱり『ありがとう』しかありません」
「このごろは、早い速度でいろいろなことを忘れていきます。思い出がいっぱ
いあるはずなのに、消えていきます。記憶にとどめておくことができないのです。
子供みたいですが、私は母さんのことを忘れたくないのです。もし、忘れたとし
ても、私の心の中に残るはずです。そう思っていたいのです」
「大切なのは、今日、いちにち、いちにち、いちにち、その時その時、母さん
と一緒に前に前にの気持で、笑っていきたいです。どうもありがとうございまし
た」。
朴訥ながら搾り出すように話す俊二さんの体験談に300人の会場は、拍手と
涙で溢れていました。その夜の須美子さんの日記には‐として広瀬アナが紹介し
ていました。
「子供たちも来る。お父さんの思いが聞けてよかったと言っていた。3人とも
涙ぐんでいた。私は泣けなかった。これくらいで泣いていたら、いつも泣いてお
かなければならない」。
「恍惚の人」など認知症を題材にした小説や映画は多く発表されてきました。 最近では、「男性が泣く恋愛小説」と話題になった、ニコラス・スパークス著の 「きみに読む物語」があります。80歳になったノアが、アルツハイマー病で記 憶をなくした妻、アリーに二人の十代の頃からの恋愛の物語を読んで聞かせる− という設定で描かれていました。同名の映画のラストシーンは衝撃的でしたが、 それらは一様に介護する側の視点が中心だったと思います。その意味で、そのN HKのドキュメントは患者側からの視点をも深く掘り下げていましたから、なか なか難しい撮影に挑戦したと評価してもいいと思います。番組の制作統括には、 佐藤公さん、小宮英美さんの名前がありました。
認知症は徐々に進行し、直前の体験を忘れる、同じ事を繰り返す、今がいつで、 ここがどこなのか分からなくなる‐といった症状が出てくる。それは本人にとっ ても、家族にとってもつらい体験ではあるが、病気に対する社会の認識や対応に よって、そのつらさの度合いは実に大きく変わってくる−と、社会の認知の仕方 の大切さを説いているのは、産経新聞の宮田一雄論説委員でした。エイズや感染 症などをご専門に数々のキャンペーンを手がけてきた敏腕です。国際的なジャー ナリストながら、宮田さんといるとほのぼのして、気持ちが落ち着いてくるから 不思議です。尊敬する根っからの新聞記者です。
その宮田さんによると、認知症の患者が勇気をもって多数の人の前で話しをし たり、介護の現場で患者の話を家族や職員がきちんと受け止め、それを報告して きた結果、少しずつそうした理解は広がってきたが、まだまだ十分とはいえない、 としながらも厚生労働省が昨年末、お年寄りのアルツハイマー病などに使われて いた「痴呆」という用語を「認知症」に改めることを決め、そしてこの4月から 「認知症を知る一年」の年間広報キャンペーンに乗り出すことなどに対して、官 庁の言語感覚に疑問を指摘しながらも「それで病と闘う人たちの苦しみが大きく 緩和されるなら話しは変わってくる。認知症が社会に広く認知されることをあえ て望んでおきたい」と語っていました。
高齢化に伴って、認知症のお年寄りの数は増加し続けています。厚労省の試算 では10年後の平成27年には現在より100万人増えて250万人に達する見 通しです。お年寄りばかりではなく、40〜50代の働き盛りにも増え、そのケ アが切実な問題となってきているようです。最近の研究や介護技術の進展などで、 不安や孤独を感じさせたりプライドを傷つけたりしなければ、症状が抑えられる ということもわかってきているようです。
実際、まさにその渦中で、これらを遥かに凌ぐ凄惨な現実と向かい合っている 知人も少なくありません。認知症は他人事ではなく、誰にでも忍び寄る不可避の 病との認識が必要な気がします。いくら万全の注意をして気をつけていても認知 症にならない保証がないからです。そしてその原因の解明や治癒への特効の研究 は、まだ途上のようですから‥。
脳のことならば、と養老孟司さんの著書から「養老孟司の〈逆さメガネ〉」 (PHP新書)を引っ張り出してみました。本文の「脳への出力と入力―知行合 一と文武両道」の項で、脳への入力は五感です。目で見る、耳で聞く、手で触る、 鼻で嗅ぐ、舌で味わう。それなら出力はどうか。なんと筋肉の運動だけなんです。 普通の人はそれに気づかないんですな」と指摘していました。
書店でみつけた「脳」を活かす!の特集は、月刊「潮」の4月号でした。あな たの脳を活性化する「八つの智恵」と題して、フリーライターの小此木(おこの ぎ)律子さんが@ウォーキングは脳にもいいA指先を使う人はボケないBよく噛 むほどに脳は活性化C変化する脳は若返り可能D脳に最高の刺激は対話だE脳の 若さを保つ「かきくけこ」:感動、興味、工夫、健康、恋の頭文字F人生の達人 は「忘れ上手」G脳は老いても使命がある−とまとめていました。