DND事務局の出口です。堀江貴文さん率いるライブドアのニッポン放送の経営 権争奪をめぐる一連の展開は、乱高下する株価の動きと相まって、百家争鳴、 喧々轟々の様相ですが、一部に興味本位の報道がなされていないだろうか、そし て本質を離れた場違いの論評には、腹ただしく、いささかやりきれない。
特にジャーナリストを自認する民放のキャスター、それにコメンテーター諸氏 の、八つ当たり的な批判や反撃は、断絶した親子関係に似て、醜い。こんなに世 代間の格差を見せつけた例も珍しい。ご専門のジャーナリズム論を押し付けても 意味がない。包み込んであげなければ、ジャーナリズムって、どこか貧しい印象 を与えてしまいかねません。
しかし、どうでしょうか?テレビでの堀江さんとのやり取りは、赤面するほど 混乱しています。個人的には尊敬していた著名なコンサルタントが、「なんであ んたが評判悪いか、自分でわかる?」、「だって株価が下落しているじゃない の?それってどう説明するの」なんて見下したような態度で接していました。お いおい‥とテレビに向かって制止しそうになってしまうくらいでした。ライブド アの戦略や堀江さんの存在について、それらをどう認識していいのか、その扱い 方がわからない。だから右に左に揺れてしまうんですね。
32歳。まあ、テレビカメラを前に非難に近い、あれだけの質問を浴びせられた ら、普通は、参ってしまいます。憎らしいほど、堂々としていて能弁ですから、 きちっと向き合って、ちゃんとしたジャーナリストとしての対応が必要になって きます。困らしてやろう、みたいな意図が随所にテレビ画面から見え隠れしていました。そうであってはいけないんです。本当にこんな事続けていると、若者らが反乱を起こしかねません。
これは、堀江さん、このタイプへの好き嫌いはあるでしょう。その堀江さんに ついて、マネーゲームだとか、乗っ取りだとか、酷評しても彼の株主としての言 動は、明らかに、グローバリゼーションの進行のなかで展開されるひとつの合法 的なM&Aであり、経済行為の一環との見識をもって対処しなければ、経済社会 の原理原則が根底から狂ってしまいます。新しい動きに対してそれを差し止める 場当たり的な制度改正が行われると、世界の信用を失うし、制度設計が基本から 崩れてきます。
いつの時代かの「鎖国」に戻って、「最新科学の成果を利用している人が同時 に最も浅ましい狂信者であるというような奇妙な現象」(和辻哲郎著の鎖国から) が起こりつつあることを憂いています。
例えば、世評指摘される、その株取得をめぐる一連の行為に違法性があれば、 それは問題にされるでしょうし、事件となって処罰されます。そういう事態のリ スクは彼が負うわけですし、その時点で今回のM&Aは頓挫してしまいます。
しかし、新株予約権をめぐる16日の東京地裁の異議申し立て審決定、その司法 の判断では、「ライブドアによる株の取得経緯に証券取引法違反があったとは認 められない」と明言していました。その判断は軽くないと思います。そして、こ の是非については本日夕刻に東京高裁の最終判断が下される見通しですが、その 結果次第で、両者の優劣がはっきりしてきます。
まあ、どっちにしてもまた大騒ぎになるんでしょうけれど、公平に冷静に報道 の役割を果たして欲しい。これはあくまで市場経済というリング上の経営権争奪 戦ですから、好き嫌いや世論がどうのこうのとかは、関係ない。資金力と智恵の 勝負と思います。フジテレビ側も増配や500億円の新株発行登録の実施などを発 表し、防衛にやっきです。この攻防は、とんでもない結末が用意されているかも しれません。勝つか負けるかしかないように思えるからです。
評論家の草柳大蔵さんは、昭和55年に発刊された大宅壮一全集の「ジャーナリ ズム講話」に解説を寄せていました。没後十年を経た今も、社会に何か突拍子も ない事件が起こるたびに「大宅が生きていたらなんといったろうか」という声が 絶えない‐と、そのような期待が起こるのは、大宅氏の論評がユニークであった り、珍奇なものであったからではない。およそ、3つのことが大宅氏の評言のな かに生きていたからである、として、以下の3つを指摘していました。
第1.論評する対象(国家・思想・現象・人間)に対して、つねに距離を保って
いたこと。「どっちつかず」という消極的な地点からではなく、言語と文
脈による独自の作業によって保たれていたことである。
第2.読者の言葉で語っていたこと。大宅氏は、しばしば「比喩の名人」とか
「造語の神様」といわれているが、それらはたちまち大衆の間に溶け込ん
で大衆のものになってしまっている。これは、読者の言葉で文章を書いて
いるからであって、言葉が思想と感情を運ぶ道具であるからには、至極当
然のことなのである。
第3.論評の中に「未来予測」が含まれていたこと。「未来は現実のなかにあ
る」という言葉があるが、大宅氏の著作の多くが今日においてもその鮮度
を失わないのは、時代や人間に対する深い洞察が未来の時点をも、その
視座に取り込んでいるからである。
大宅氏は、また、いわゆる取材やインタビューの手法となる「談話筆記」につ いて、大変示唆に富んだ文章をも残していました。
「談話筆記をとるのは、一見だれにでもできるようにみえて、実はこんな難し い仕事はないといっていい。会いたがらない人間に会うのだけでも、大変だし、 会ってこちらの注文どおりにしゃべらせることは、なみたいていの苦労ではない。 しかもちゃんとまとめて、一つの記事に仕上げるのであるから、ほんとは駆け出 しの編集者などにはできることではないのである」と断じて、その「談話筆記の 要領」を5つ挙げていました。
A 巧妙な社交術を心得ていて、相手に決して悪感を与えぬこと。
B 相手に関してはできる限り予備知識を持ち、相手の言葉、思想、立場、心
理をじゅうぶんに理解すること。
C 速記的技術の必要。
D 談話筆記の種類により、相手の言葉や個性をいきいきと文章に現すだけ
の文学的才能を有すること。
そして、ここが一番肝心なところですが、
E 相手の話の意味を歪曲しないこと。
大宅氏をして「人ふるれば人を斬り、馬ふるれば馬を斬り」と評し、尾崎士郎 氏は「朝に一城を抜き夕に一畳をほふり」とおだてて、ついに「ゴルフ・パンツ を履いた蜂須賀小六」としてカリカチュアライズした‐と自ら書いていました。 大宅氏の愛する人物に、尾崎士郎氏と林芙美子氏がいました。
その理由を草柳さんは「大宅氏は有名文士や高名学者に対して悪態の限りを尽 くしている感があるが」と言って、その批評のモノサシになっているのは、「自 分の与えられた運命を精一杯に生きて、つねにその生きざまを曝(さら)してたじ ろがぬ人間たちなのである」と結んでいました。
《訃報》 昨日22日午後14時8分、世界的建築家の丹下健三さんが港区の自宅で心不全の ため逝去されました。91歳でした。生前、長らく親しくさせていただいていまし た。
数日前から、容態の変化の知らせをうけていて、刻々と近づく「その時」に恐 れを抱いていました。しかし、ついに‥安らかで静かな最後だったと確信してい ます。本日の各紙の朝刊一面にその訃報が大きく掲載されていました。朝日新聞 は、フジテレビとシラク大統領、愛知万博、そして丹下先生とそれぞれ縁の深い ところのニュースが、同時に紙面に掲載されていました。あまりに奇遇です。特 にシラクさんは‥。
評伝とすれば、日経のコラムは出色でした。また、朝日の文化欄には、「日本 の美の原点に迫る」と題した評伝が、編集委員の松葉一清さんのペンで仕上げら れていました。さすが一流の文章でした。松葉氏は、全国紙で最強の建築担当記 者です。もうずっと注目していた記者のひとりです。先生も松葉さんの筆に書か れて本望と思います。端正な表情の写真もいい感じでした。
建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞を日本人初の受賞した際、ニュー ヨークにご一緒していました。パリでの丹下健三建築展、第7芸術センター竣工、 シンガポールでのナイヤン工科大学建設視察、OUBセンター竣工などその折々 に同行し、取材をさせていただいてきました。
現在、お台場周辺の賑わいは当たり前になっていますが、先生は臨海エリアへ の都市設計案を「1960東京計画」として発表していました。
もう日本建築のお手本となりそうな建築に、日光東照宮の新宮殿があります。 あまり知られていませんが、シラク仏大統領が以前、お忍びでその建築を見学に 訪れて讃嘆していました。長く続く回廊の直線美、その壁面のガラスを包み込む 障子から、やわらかな光が溢れんばかりにそそいでいました。
「小さな巨人」と称したのは、ニューズウィーク誌でした。世界の丹下の異名 は、都政など全国に革新の嵐が吹いていて、仕事が先細りになってその活動の拠 点を海外に求めたためでした。いつも献身的に丹下先生を支えていらっしゃった のは妻の孝子さんでした。警視庁担当、都庁担当時代を中心におおよそ10年余り、 丹下先生の「番記者」を担当していました。小生の記者時代の最も輝いていた時 期かもしれません。ありがとうございました。心よりご冥福を祈ります。