◆ DND大学発ベンチャー支援情報 ◆ 2005/02/16 http://dndi.jp/

マルタの風

DND事務局の出口です。ヨーロッパは地中海に飛んで、しばし悠久の歴史の 迷路にはまり込んでしまっていました。遠く離れて、日本を、そして自分を見つ めることも大切かもしれません。戦後60年の繁栄の光と影、もうすっかり失っ てしまった他者へのおもいやり、しかし、そこには、うるわしいほどのホスピタ リティーがどっこい根付いていて、喧騒の都心で知らず知らず受けていた胸の痛 みが癒え、安らいでいくのを実感していました。


 地中海の十字路と形容されるマルタ共和国。シチリア島の南に位置し、北アフ リカのチュニジアへは約200キロと至近で、面積は淡路島より小さい島ですか ら、その人口も38万人と、比較すれば、私が住む埼玉県越谷市の規模です。が、 紀元前のピラミッドより古く、世界最古の巨石神殿の遺跡などが多く点在し、聖 パウロの漂着伝説から遥か2000年余りの歴史を刻み、中世に活躍する聖ヨハ ネ騎士団、そして幾多の侵略、占領、征服、破壊‥その歴史の上にマルタは存在 していました。


東海大学のエクステンションセンターが主催した「世界遺産と地中海の島マル タ研修」に参加していました。駐日マルタ共和国名誉総領事であり東海大学政経 学部教授の白鳥令さんを団長格に一行23人、参加者に病院長夫妻、元医科大学 理事、行政マン、院生、学生、それに築地でマグロの卸の7代目の夫妻、週刊誌 記者、カメラマンら。さすがに名誉総領事となれば、よくよく現地の事情に明る く、段取りもよく、大統領との面会は議会開会中でキャンセルとなりましたが、 教育大臣、観光大臣をそれぞれ訪ね、長い時間、懇談する機会をえました。


観光大臣としては新任のディメルクさんは、今年5月のEUの加盟を控えて、 大変重要な時期にある、と前置きして、マルタの産業の柱である観光について、 年間200万人を数える観光客がリゾートとしてだけでなく、スポーツなどの体 験や語学研修など、異なるプログラムを用意していく‐と語っていました。日本 からの訪問者は、1990年に1305人だったのが、2000年に入って毎年 1000人規模で増え、最近では不確かですが7000人余りに急増しているよ うです。


「日本からの観光客はブレークしそうですね」と、白鳥さんに水を向けると、 「もうすでに加熱気味かもしれない」といい、旧首都の静寂の街、イムディーナ を散策していると、突如として100人規模の団体と鉢合わせし、それがみんな 日本人、細く曲がって続く石の回廊は、マルタ石独特のハニーカラー(蜂蜜の色) の佇まいながら、右にいっても左に抜けても日本人ばかりでした。いやはや、そ れら団体の一行は、100人単位で5回、500人が前後して訪れるという話に、 ぞっとし、なんとも紅葉時期の日光の参道の趣きを禁じえませんでした。


個人的な関心は、人口38万の国家がなぜ成立するのかーという単純な疑問で した。沖縄が、四国が、北海道が‥日本の地方の自立へのヒントが隠されている かもしれない、という興味からの参加でした。欧米からのエグゼクティブのリ ゾートの背景、金融都市としての基盤造りの実情、カダフィー政権のリビアの経 済封鎖が解かれる以前から、良質で安価な石油がなぜマルタを経由して日本など に送られてくるのか、そして、評判の高い街の安全性と、同じ事なのでしょうけ れど、マルタ人のホスピタリティーなどについて‥う〜む、クッキリ見えてきた ものもありました。


ローマから1時間半のフライトでマルタ島南の空港へ。バスで、目指したマル タの最初の一歩は、ヴァレッタ地区でした。レゴブロックを幾何学的に積み重ね たような直線的で、壮麗な街並は、実は、岩に立つシラベス半島の地形に沿って 巧みに計算され尽くされた城塞都市がそっくり、そのままの形で現存していまし た。道は、半島の先、つまり、攻めくる敵の姿が一望できるようにまっすぐ、数 百メートルにわたっていく筋も伸びていました。


後のマルタ騎士団となる聖ヨハネ騎士団がロードス島を追われてマルタに辿り 着くのですが、再びオスマントルコ軍の侵攻、それに迎え撃つ騎士団の攻防、い わゆる1565年の大包囲戦、その劣勢を跳ね返した武勇が今日まで繰り返し伝 えられており、マルタ人の誇りなのかもしれません。宮殿やら教会が立ち並ぶそ の周辺は、大統領府や官邸、役所が混在する政治の中心地となっているようでし た。


歴史のその現場にたっていると、その影から、ふと、騎士団が鎧姿で現れてき そうな錯覚に陥るようでした。ラッパに太鼓、彩り鮮やかな衣装、気がつくと、 山車が繰り出し、若い50人ほどのグループが次から次と仮装して踊り、街を練 り歩いていました。2月8日は恒例のカーニバルのフィナーレを迎えていました。 10日は聖パウロ難破記念祭、夕刻、花火が上がり、夜、数千人の信者がミサに 街を練り歩いていました。帰国の前日は、野党に転じた労働党の反政府デモ、祭 り気分の楽しげな行進が繰り広げられていました。


昼食に入ったオズボーンホテル。ゴマのパンにステーキの食事を世話してくれ たのは、ウエイターのMunu(ムヌ)さん、髪を七三に分けた初老ながら、動きは機 敏でした。が、静かに、そっと、さりげなく‥なんというのでしょう、その先の 動きを見透かしたかのようなフォロー、そしてケアーなんです。週刊誌の記者の イスの背もたれに掛けたジャンパーが、片側がずれて落ちそうなところを、さっ と整えて、さりげなくその記者の腕に手をそえていました。


同じテーブルのひとりが目を泳がすようにしていると、さっとパンが差し出さ れてきました。それがバタバタしないんですね。気配を感じて動くんですね。


ガイドさんの柳井純子さんを通じて、彼に聞いてみました。すると、オズボー ンホテルで28年勤め、15歳から通算するとウエイター一筋に46年、この3 月9日は61歳の誕生日を迎えると、年金がもらえるーと表情を和ませていまし た。ウエイターとして最も心を砕いていることは?「それは、お客にストレスを 与えないことです」と話していました。すごいな〜。職業への誇りを垣間見た思 いでした。豊かな精神性を感じます。


そこで、年金の金額を訪ねたら、ただ笑っているだけでした。ガイドの柳井さ んによると、マルタ人は、周辺を気にします。彼らの同僚に年金の額を知られる ことを避けているようでした。とってもやさしいんです。道を聞いたら、とこと ん、分かるまで教えてくれます‐という。その柳井さん、すでに在マルタ9年、 マルタ人と結婚し、一児の母でした。


「こちらは、95%がカトリックなんです。旦那の母からは、あなたにはあなた の宗教があるから、それはそれでいい」と理解を示してくれたと感謝していまし た。


最終日の晩餐は、騎士団のパリシオ宮殿で開催されました。この辺の演出は、 白鳥さんの腕の見せ所でした。ゲストは、元大蔵大臣のジョン・ダリ夫妻、現代 アートを手がける世界的なアーティストのアタード夫妻、アタードさんはゴゾ島 にプール付きの住居、アトリエを構えていました。数日前、自宅でのパーティー に呼んでくださいましたから、大変、当初から和やかな歓談が続いていました。 今年の夏以降、徳島県で招待出品のため来日する‐というから白鳥さんに確認す ると、「それはたぶん富山県の間違いではないかと思う」ということでした。是 非、行かなくては‥。そして、「マルタ・日本の友」協会の会長のサムート夫妻、 同じテーブルには、マルタ大学の経営学部長のピロッタ夫妻が席に着き、2時間 近い歓談は、得るものがたくさんありました。


マルタ大学は現在8000人の学生を抱えており、近年、中国からの留学が急 増し500人を超えているそうです。主に、日本については、経営の手法として 「家族主義」、ファミリー経営の強さを具体的な例を引き合いに教えている‐と いっていました。ピロッタさん、夫人の名はメリーローズさん、ご本人は、ゴッ ドフリーといい、素敵なおしどり夫妻のようで今年結婚25年、記念に是非、日 本に行きたいーと話していました。


そして、談たまたま、オズボーンホテルのMunuさんのことに及びましたら、私 も高校を卒業したあと、コミノ島のホテルでウエイターとして働いた経験があり ます。あの時の、若い日の苦労があるから、今があると思います‐と胸を張って いました。


成田からローマ経由で14時間、空港は、こんな狭いところに5千メートルの 滑走路が整備されていて、日本からの直行はないが、ヨーロッパの主要38都市 から国営のエアーマルタでマルタ入りができています。北海道も沖縄も国際空港 の整備は、重要かもしれません。そうそう、明日、中部国際空港の開港ですね、 セントレアが新しい風を運んでくるのでしょう。


《参考》
 最初に訪れた日本人は、幕府が1861年にヨーロッパに派遣した使節団の一 行として参加していた福沢諭吉だそうです。第1次世界大戦では、イギリスと同 盟関係にあったことから1917年に駆逐艦「榊(さかき)」が潜水艦の攻撃を受 けて大破し59人が戦死していました。きれいに整備された公園墓地の一角に、 その墓碑があり、戦死者の名前が刻まれていました。手を合わせ、深い祈りを捧 げてきました。近年は、1989年12月、冷戦の終結を象徴した米ブッシュ大 統領と旧ソ連のゴルバチョフ書記長の巨頭会談「マルタ会談」の場所として知ら れていました。


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