DND事務局の出口です。阪神淡路大震災から10年−特集番組は、総力を挙 げて取り組んだ感のあるNHKの特番に3日間、釘付けでした。被災者らの、い まだ癒えることのない心の傷をそっといたわるように、随所に細やかな思いやり をみせながら、じっくり時間をかけて、そして膨大な取材、記録の生の蓄積の中 から、ひとこまひとこま選び出して丁寧に仕上げた番組だったと感心しました。
震災発生直後から復興への足跡、そして今日までの10年間の記録を1000 本のテープに撮り収めていました。被災者の方々からの2万人のアンケートも圧 巻でした。愛する家族、思い出の詰まった家屋、人と人が触れ合う街、それらを 失った焼け跡に佇む遺族の姿をずっと、追いかけて記録し続ける報道姿勢は、さ すがです。
率直にいって、番組に接して何かが足元から崩れ落ちそうな錯覚に何度も陥っ てしまいました。いまある、ごく平凡な日常が突如、なんの前触れもなく驚愕の 谷底に突き落とされる現実をどう理解すればいいのでしょう、そのところの日常 との落差が埋められない。
いまだ9800人が仮設住宅の生活を余儀なくされている新潟県中越地震の被 災者の方々が、降り続く豪雪に耐えている厳然とした現実、死者18万人を越え る未曾有の犠牲者を出したインド洋大津波、繰り返し放映される惨状になす術の ない己の存在‥それらへの戦慄と心痛がさめやらぬまま迎えた17日、長く深い 祈りと鎮魂のなかで、尊い命、それに人の絆、その「命の絆」に思いを巡らせ、 重い1日として受け止めていました。その現実から目をそらしてはいけない、そ して、被災者の方々の痛みをどこまで理解できるか、あるいは、自分にいったい 何ができるのだろうか−と、自戒もし、思いあぐねてもいました。
愛する者を亡くした喪失感を抱えて生きる人、住み慣れた土地を離れ孤独に暮 らす人、二重ローンを抱えながらも懸命に働く人‥17日、16日の連夜シリー ズのNHKスペシャル「焼け跡の町はいま、鷹取商店街、再生への記録」、そし て、15日夜放送のNHKのETV特集「作家高村薫・阪神淡路大震災10年思 索の旅」、それら一連の阪神淡路大震災シリーズは、出色でした。
特に高村さんの思索の旅〜統括ディレクターは浦林竜太さん。これまでどんな 番組を手がけたか興味を覚えるほどでした。ベテランの森田美由紀アナは落ち着 いていますね。
高村さんの言葉を引用して、「表面には見えないひとりひとりの悲しみを思う 時、想像もできないような奥深い人生が見えてくるのです」と語り、無名の人々 を見つめる作家、高村薫さんの場合、それは、作風の変容に現れてきました−と、 おそらく高村ファンには衝撃の事実を明かしていました。ナレーションは、こう 続けていました。
〜デビュー以来、高村さんは社会を描く骨太の社会サスペンスを書いてきまし た。しかし、震災後、人が死ぬようなストーリーを書くことにも、事件を作り出 すことにもまったく興味をもてなくなってしまったのです。震災後5年の歳月を かけて完成させた『晴子情歌』。それまでとはまったく異なる純文学的な作風、 作家、高村さんには決定的な変容でした。主人公は還暦を前にしたある平凡な女 性、晴子。遠洋漁業で船に乗る息子にあてた何十通という手紙のなかに晴子は自 分の人生を書き綴っていきます。小さな恋や家族との死別、生活のこまごまとし た苦労や喜び、例えば、私は急に口紅のことを思い出しています。母のものです が当時、時々外出していたのです。目は切れ長で‥。晴子情歌は、震災の犠牲者 に思いを馳せ、被災地に生きる人に心を寄せるうちに高村さんの中で自然に沸き 起こった作品でした〜。
「変ないい方ですが、普通の人々の再発見とでもいうのでしょうか、人間に、 本当の意味で‥人間に目がいくようになった。勿論それは、表現できるかどうか、 そこは能力の問題で別です。自信もないのですけれど、書けるかどうか別ですけ れど、人間を見ようとする、その立ち位置というか、視線は、震災を経験したか らだと思う」と高村さん。
この番組をみて、翌日すぐ書店に走りました。日本推理サスペンス賞の「黄金 を抱いて翔べ」、日本推理作家協会賞の「リヴィエラを撃て」、直木賞の「マー クスの山」、毎日出版文化賞の「レディ・ジョーカー」、そして「晴子情歌」を 上下巻買い込んで、同時に読み進めています。比べてみると、別人のような筆致 に気づきます。本の帯、あるいは、解説からの引用です。
「俺は今日からマークスだ!いい名前だろう!精神に暗い山を抱える殺人者マー クス。南アルプスで播かれた犯罪の種子は16年後発芽し、東京で連続殺人事件 として開花した」(マークスの山)。
「昭和50年、洋上にいる息子へ宛てられた母・晴子の長大な手紙。そこには、 みずみずしい15歳の少女がおり、未来の母がいた。30歳になって知る母の姿 に、激しく戸惑いながら、息子・彰之は初めて母という名の海へ漕ぎ出してい く」(晴子情歌)。
それにしても「晴子情歌」で披瀝している、流れるような文体は、読む人に息 をつくのも忘れさせるほどの筆力です。これは、ご本人が謙遜していうところの、 能力とか自信とかをはるかに超えた、才能ですね。正しく美しい日本語、風ひと つの表現をとっても実に巧みで、奥が深く、いろんな風が吹いていました。作家 として何か新しい命が吹き込まれたような勢いを感じさせます。
無名の人の人生を見つめる、主人公晴子は高村さん自身がモデルだといいます。 普通に洗濯をして掃除をして週2回買い物にでかける、なんでもない日常が震災 後、尊いと思えるようになった高村さん、震災によって人生観や作風までが変わ ってしまった高村さん、しかし、晴子情歌は骨太なサスペンス小説を期待してい た読者からは受け入れられず、部数も伸びませんでした。でも震災で変わった自 分は間違っていない−高村さんはそう信じたいと、森田さんが解説していました。 光眩い、神戸ルミナリエ〜高村さんは、震災から初めて足を運びました。華やか な光のひとつひとつには、亡くなった人たちへの鎮魂の思いがこめられていまし た。神戸の冬の風物詩として毎年観光客がバスを連ねてやってくるようになりま した。この年末には全国から238万人が訪れました。しかし、震災の悲しみを 忘れてはいけないと思う時、高村さんは、この華やかな場所に複雑な感情を抱い てしまいます〜。
「みなさんが、その復興という言葉を使われる時に、その街の復興、心の復興 この二つはよくおしゃいますが、私の中には、別々にあるものではありません。 復興とは何か?ずっと考えてきました。6400人の犠牲者の方の犠牲に報いる、 同じような地震が起きたとき、犠牲者が出ない街、そんなときに、復興という言 葉を使ってもいいのではないかなあと思います」と高村さん。
日本列島は、いま地震の活動期に入り、全国の活断層は2000、M7級の地 震が30年以内に起こる確率は70パーセント以上と、地震学者は予想していま す。地震で人が死なない街ができてこそ、神戸の真の復興が遂げられると、高村 さんは考えています。番組では、そこで、高村さんが消防研究所の理事長、室崎 益輝さんを訪ねるシーンが出てきます。
国の中央防災会議の専門委員を務める室崎さんは、昨年春まで神戸大学で研究 をしていました。阪神大震災で多くの犠牲者が出たことを防災の専門家として、 結果責任だと重く受け止めています。次の地震の犠牲者をひとりでも少なくする ために、国の中心から震災の教訓を発信しようと、拠点を東京に移した−という 真摯な人です。
特筆すべきは、室崎さんが発案して始まったという「震災犠牲者聞き語り調査」 でした。阪神の犠牲者6433人、ひとりひとりの記録を残そうと、遺族への聞 き取りをし、それを記録に残しています。亡くなった時の状況をはじめ、命を落 とした方の人柄や、エピソードまで細かく書かれています。阪神淡路大地震では、 8割以上が家屋の倒壊によって亡くなりました。どのように家は崩れたのか、そ の時、家具はどこに倒れていったのか?この記録には、6400という統計数字 では伝えきれない、ひとりひとりの死の背景と死の重みが、記されています。ひ とりの調査について、一冊ずつ、現在までに340人分の聞き取りが行われまし た。亡くなった人の無念の思い、遺族の悲しみを無駄にしてはいけない、という 思いが込められた記録です−というから、頭が下がりました。
「命がいかに大切か、それは命を失ったものしかわからないかもしれないけれ ど、そのことを伝えていかなくてはならない。命がいかに大切か、そこが原点で あり、そのことを外して防災はない」(室崎さん)
「防災?燃えない街づくり、壊れない都市づくりがこの10年、一向に進まな い。そうして、次に同じような地震が起きたら、同じように犠牲者がでるだろう −と平気で言われている。次の犠牲者、私たち、大事にされてないなあ−」(高 村さん)。
阪神大震災揺れを経験して、その作風まで変わってしまった高村さん、いま、 続編を執筆中です。普通の人間をみつめ、平凡な人生を描く、戦後日本を支えて きたあまたの無名な人々の物語です。世間の流行や価値観と自分はズレているか もしれない。たとえ書いた本が売れなくても自分の信念の下に普通の人々を書き 続けようと思っています。子供の頃から大好きなこの街(神戸)、阪神淡路大震災 から10年、高村薫さんは、ひとりの物書きとして震災と向き合い続ける覚悟を 決めました‐という。