DND事務局の出口です。ひょんなことから、リンゴ売りのオヤジに変身、野球帽に長靴、酒屋のロゴの入った前掛けを腰に巻いて、「いかがっスカ〜無農薬で新鮮、葉つきダイコン、あま〜ぃリンゴ、ご試食くださ〜い」と終日、声をからしていました。
いやぁ〜農業の現場は、しんどい。が、収穫の喜び、それに販売を通して得た幾つかの成功体験は、貴重な財産となりました。「出口商店」臨時営業−家族を巻き込んでの週末起業の顛末記‥。
紅葉のシーズンでにぎわう栃木県・日光東照宮の境内、それも五重塔前広場にテントを張り、先々週から土日祝日の週末に限って店を出していました。店というより、吹けば飛ぶような露天での商です。
周辺は、天を突く樹齢400年の杉の巨木群、石の鳥居、年輪を重ねた石畳、そこへ津波のように押し寄せる観光客らを相手にするわけです。
開店当日。早朝7時。猛威の台風22号が去ったというのに、小雨。眠い目をこすりながら日光・小倉山にある丘陵地の畑へ。あちこちに野生のシカに荒らされた痕跡が生々しい。25歳の清志君が、22歳の伸城君が、親類で20歳の美由紀ちゃんらが、腰をかがめながらダイコンを引き抜き、長ネギを選び、ミズナの根についた土を落としていました。農薬や除草剤を使っていないから雑草が伸び放題、家内は懸命にそれらを引き抜いていました。無言‥。遠くからシカの鳴き声が聞こえてきます。
泥がついて濡れた作物を抱えるように運び、洗い場で1本1本水洗い、ミズナは数回水を通して洗っても泥が落ちないし、200gずつ計って束ねなければならない。なんとも手間がかかります。そして、その山から1`余りの境内へ搬送。じんわり額に汗。
午前9時。
前夜までに長野からブドウ、リンゴ、弘前からリンゴとリンゴジュースが届いていました。仕入れ原価を計算しながら売値を決めるーそして、それぞれ店先に並べて客を待つ。
先々週の経験で、ダイコン、ミズナ各200円では売れないから各150円、リンゴは特選の紅玉を1個200円、普通の紅玉を150円と設定し、しかも4個のまとめ買いは、それぞれ600円と400円にし、カゴ盛りにしました。
参道を行き来する観光客らが、雨に濡れる姿を見て、「カサが売れるんじゃない」と言ったのは美由紀ちゃんでした。また、テントにお年寄りが来て、「何か飲み物ありますか?」の問いかけをヒントに、無添加のリンゴジュースを1本550円の販売をやめて、1杯100円の小売に切り替えました。1本から7〜8杯の分量があり、氷、紙コップ代を差し引いても利幅は大きいし、客引きに効果があります。
カサが売れ出しました。100円で仕入れたビニールカサは12本用意、売値は200円。昼前には、残り3本。「これじゃ300円でも売れるね!」、「300円にしよっか?」のやり取りに、割って入って「そんなことしちゃダメ、ダメだって言うのに‥」と頑なに言い張ったのは、清志君。カサは完売。天候次第では、100本は見込めたし、仕入れ次第ではもっと安く買えたかもしれないーみんなの表情がにわかに活気づいてきました。
小売のジュース販売。ビンゴ!でした。ビン入り10本はたちまちはけて、在庫からさらに6本持ってきて、それもあっという間に底がついていました。右から左から、100円玉が乱れ、店の軒先にジュースをもとめる客の列でパニック状態が1時間続き、完売。買い損ねた客の悲しい顔、空になったクーラーボックスがなんともうらめしい。2日間で2万4000円の売上でした。
「もっと在庫があれば、この4倍は売れたね。惜しいな。次回は、ちゃんと考えよう」と美由紀ちゃん。20歳のビジネス初挑戦から、何か貴重なものを掴んだようです。ブドウも完売、リンゴは2箱分売れ残り、ダイコンなどは苦労の割りに不調でした。
商いの常道、それは客の志向を逃さない。そして、それへの充分は事前の準備が不可欠―という教訓を実感しました。それと、試食の効果は絶大でした。とくに外国人が、その場でリンゴを丸かじり、ひと粒のブドウにも目を丸くし、感嘆の声を上げていました。日本の果物は、欧米のそれに比べて、甘味、品質ともに群を抜いているようです。
境内では、持ち帰りができないから、駐車場の方が帰りついでに買ってくれるよ‐とは妻、思いついたらすぐ実行。青のビニールシートに売れ残ったダイコン15本並べて、「お安くしますよ。朝摘みの安全なダイコンですよ!」と黄色い声をからして、雨の中、2時間。が、誰も振り向いてもくれません。
ちょっと席を離れたスキにシートに車輪の跡、ダイコンが無残に散っていました。と、まあ駐車場狙いは、惨憺たる結果でしたが、それはそれでひとつの経験です。考えたことを、ともかくなんでもやってみて、そこから得た成否の蓄積がノウハウとなって次に繋がる‐のでしょう。
集計。ざっと売り上げは、初日48、200円、2日目58、130円で合計10万円突破。「やったね!」と子供らの顔が輝いていました。収支は、食事、宿泊代、交通費、それに仕入れ原価などを除くと、現実はう〜ん。しかし、確かな一歩でした。
残った野菜やリンゴを、知り合いの料理店や旅館を回って、表玄関から元気に「毎度〜っ!」、カウンター越しに「毎度はいいですから‥」と結構、冷ややかな反応にも屈せず、極力、明るい顔で、じゃ割引?これもサービスと、投売り状態‥背後で妻らが、そのやり取りに息をこらしていました。
「みんな、よくやったね。お疲れ様」と声をかけると、「お父さんもよくがんばったよ」と言ってくれていました。
事の顛末を、このビジネスに協力してくれた名古屋に本社がある(株)イーエム総合ネット社長の宮澤敏夫さんに伝えると、「いいねぇ、いい話ですね。若者に農業と収穫と販売と集計と、それに次にどうする!ということを考えさせられたことは、素晴らしいことですよ‥」と、なぜか、いつになく明るい声でした。
ひょんなこと、それはー日光東照宮の宮司の稲葉久雄さんが、日光杉並木の樹勢回復のために、宮澤敏夫さんに有用微生物利用での処方を依頼し、ついでに日光東照宮の畑を使って無農薬の野菜を栽培することになったのが、発端でした。畑の栽培の指導は、宮澤さんのところの社員で、ハワイ出身で琉球大学大学院農学研究科修了の岩瀬尉司さん、28歳。彼がリーダーとして日光入りし、昨年から作付け、収穫を始め、そして境内で販売を行ってきました。
その岩瀬さん、山間部での劣悪な条件に耐えながら農業を営む零細農家の存立が危い、全国のそれらの地域をなんとしても再興したい‐というのが、大学、大学院で農学部を専攻し、そして現在の会社への就職の動機でした。
若者に広がる農村回帰‐その特集を、日経ビジネスの「農業再興」(6月28日号)で掲載していました。パソナが出した「半年間の農業研修生募集」の告知に応募者が殺到し、定員10人に150人。元外資系金融マン、MBA(経営学修士) 取得者ら選りすぐりの若者が揃っていた‐という。
農業はいきなり経営者として独立することですから、一切が自己責任。そこが魅力なのかもしれません。
自ら面接したパソナグループ代表の南部靖之さんは、「落とすに落とせない。日本の農業を変えるという気概のあるヤツを、と思っていてけれど、みんなやる気がみなぎっていた」といい、女性を含む13人を合格としていました。応募の条件は「フリーターであること」というから、南部さん、いい仕事をしていらっしゃる。
若者が農業に目覚める‐そんな統計もあります。農家の年齢別人口構成を7年前と比較して、30〜59歳が30.4%減、60〜64歳が34.3%減なのに対して、15〜29歳は2.8%の増となっており、研修受け入れの門戸を広げれば、「一気に加速する可能性がある」と言われています。
百姓とは百を知らないとできない‐という意味と指摘するのは、三洋電機会長の井植敏さんで、「工業と農業の融合によって、兼業農家を維持・発展させるべきだ」との持論から、従業員の農家の兼業を奨励し、ビジネスモデルの確立を急ぐ。
あと5年‐。減反政策が終了する2009年、それが日本の農業の崩壊なのか、あるいは、そこから新しい農業のモデルが創造されていくのかー転換期の農業現場から目が離せません。若者による自立的な農業の再興―を期待したい。
さて、今回でメルマガは100回目。毎週1回のペースを続けて丸2年の積み重ねでした。これを機に、各号の登場した人物名を索引にしました。ざっと400人余りになります。誰がどの号に登場したかが、一覧できます。読者の永倉規子さんからの要望でした。今後、順次、メルマガで掲載した大学名、団体・企業名、それに書籍、映画、曲名などの索引も整備し、それぞれにリンクを張り、索引から本文に飛んでいけるようにいたします。
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