DND事務局の出口です。秋晴れ。久々にオフィスのテラスから、眼下の神田川を望むと、ここは隅田川と合流する河口だから、さっと一陣の風、そしてさわやかな風が吹き上げてきます。肩の力が抜けて、気持ちがいい。
さ〜て、机に向かって、パソコンを開き、しばし瞑想に。う〜んと首をひとひねりして、ぼんやり遠くに目をやったり、煙草に火をつけて吐く煙の行方を追っていると、次第に文章の一節が輪郭を現してくるから不思議です。
が、どうも思考回路がいささか分裂気味で、テーマを決め、補足の材料を探しながら調べものをしていると、ちょっとした寄り道のつもりが、どんどん深みにはまって迷い込み、気がついたら後戻りできなくなっていました。
きっかけは、小樽商科大学ビジネス創造センター副センター長で、専門職大学院アントレプレナーシップ専攻の専任助教授の瀬戸篤さん。ベンチャー起業論、技術と事業革新などの分野で、その持ち前のパワフルな弁舌と現実的な理論をひっさげて、海外への調査視察、国内での講演と忙しい。
その瀬戸さんが、東京・六本木アカデミーヒルズで「日経ビジネスクリエーション塾」のオープニングセミナーに参加する‐というのでスタッフを誘ってでかけてきました。午後13時半開演、やや遅れていくと400人収容の会場は、ぎっしり。
「目指せスーパービジネスマン」をテーマに、人気の一橋大学イノベーション研究センター教授の米倉誠一郎さんが、身振り手振りの熱弁で、過去5年間のアントレプレヌールアクティビティの国際比較のデータから「日本はロシアより下なのはなぜ?これって淋しくないですか!」と訴えかけながら、新しいベンチャー創出の方向性を示唆し、そして決めセリフをド〜ン。
「Be your own Boss ?」−。初めに入る大学、会社を思い込みすぎてはいませんか‐と問い、30歳、40歳、50歳の時にどうやっていたいか‐をイメージする方がはるかに重要、会社に入ることは重要じゃない、自分のキャリアは自分でコントロールしなさい‐の独特で強烈なキャリアデザインへのメッセージを投げかけていました。講演というより、そのパフォーマンスは、すでにエンターテナーの域に達していて楽しく、同世代とは思えないほどのダンディーぶりでした。
セミナーの趣旨は、新たなビジネスに挑戦するためのヒントや社内活性化を実現するためのビジネスクリエーションの手法を学び、ビジネスマンに元気を!という狙いらしく、今回は、そのイントロのはずが、いきなりハイテンション、元気がでてきました。11月上旬から、東京大学理事で副学長の小宮山宏さんが「知の構造化」〜統合知・新技術の創造に向けて〜と題して6回の講座を開くほか、神戸大学大学院助教授の高橋潔さん、米倉さん、瀬戸さんらがそれぞれ6回の講座を担当する予定(有料)です。お勧めします。
その瀬戸さん、米倉さんの後の熱気を引きついで、テーマは「大学発ベンチャーの活用」。もう、(株)ジェネティックラボ(北大医学部発)など瀬戸さんらの関わる大学発ベンチャーは11社。自ら、北海道電力の民と小樽商大の学の両方の経験から、「企業から見た大学」、「大学と企業のアライアンス」、「企業側のインターフェース」など実践的な課題や弊害を細部にわたって言及していました。
「大学教員との契約方法」では、独法化された国立大学教員との契約に触れ、その方法は3つ。@教員への技術アドバイザーの委嘱、「これでは大学の組織的取り組みが望めない」と指摘し、A大学法人との受託共同研究契約、「これでは教員への経済的インセンティブが期待できない」と続け、B教員兼業型大学発ベンチャーとのアライアンス締結‐をデメリットがなく、教員にとって望ましい選択肢である‐と結論づけていました。
「大学と企業のアライアンス」では、大学と企業が対等なアライアンス・パートナーとなることが理想だが、双方に内なる「セクショナリズムと官僚主義」の弊害が立ちはだかる‐と、それこそ決して軽くない問題をサラリと言ってのけていました。大学発ベンチャーの周辺から漏れ伝わる課題に、学内のハレーション、どうも産学連携やベンチャー、特許へ向かう教官らのポジションが安定しない。「つぶされそうです」との悲鳴が、あちこちから上がってくるから事態は、瀬戸さんの指摘の通り、かなり深刻です。
逞しく、堂々と、45分の持ち時間いっぱいの講演は、予定通りキッチリこなし、続くパネルデッスカッションに臨んでいらっしゃいました。まるで、疲れを見せない少年のように健気に映りました。
どうしたら、こんなパワーが発揮されるのか、そのベンチャー創出にこだわるモチベーションはどこからくるのか?瀬戸さんのレクチャーを聞きながら、前日の夜の懇談の場面を思い起こしていました。
瀬戸さんが東京にくる‐というので何人かの仲間に声をかけてお待ちしていたら、雑誌の対談を終えた足で汗を拭きながらDND事務所に、定刻通り、駆けつけてくださいました。話は、もっぱら、日本の産業の活性化への手法‐大企業からのスピンオフベンチャーの推進を加速させる、との主張でした。少々のお酒が回るに従って時計が止まった感じになっても、論理の前後に揺るぎがなく、その振る舞いに微塵のぶれも遊びもない。
何かの拍子に口をついて出たのが、「人一日に千里をゆくことあたわず。魂よく一日に千里をもゆく」と、その古の比喩を上田秋成の雨月物語から「菊花の約(ちぎり)」の章を引き合いに出して、「名前の篤(あつし)は、父が信義に篤い徳のある人に〜の思いを込めて付けました。だから、人との約束は必ず‥」と語っていました。
急ぎ、書店にスタッフを走らせて、調べてみると、その章の後段に「尼子経久このよしを伝え聞(きき)て、兄弟信義の篤きをあわれみ、左門が跡をも強いて逐(おは)せざるとなり。ああ軽薄の人と交わりは結ぶべからずとなん」(雨月物語、ちくま学芸文庫)とありました。いやいや、読み進めると、わき道に迷い込んでしまって‥9篇のそれを、一気に読んでしまいました。夜陰に潜む人の魂‥格調高く無駄のない文体とそのテンポ、わが国の怪異小説史上、最高傑作の短編集といわれるだけの内容があり、すっかり堪能してしまいました。物語のちぎりの日は、9月9日でした。
「雨月物語」といえば、溝口健二監督が1953年に映画化しており、その物語の「蛇性の淫」、「浅茅ケ宿」を題材した傑作で、溝口映画の最高峰といわれたらしい。製作は大映京都の永田雅一氏、脚本は川口松太郎氏、主演は、全盛の京マチコさん、田中絹代さん、あの上田吉二郎さんの名前もありました。小生の生まれた年なのに、いまだに舞台や演劇の題材として扱われています。
語りの舞台では、野村道子さん主宰の「オフィス・デュオ」(電話03−5459−6558)が、東京のウッディ・シアター中目黒で、その「菊花の約」を矢島正明さんの朗読、福原賢太郎さんの鼓で今月23、24の両日、開きます。
太宰の「走れメロス」はその「菊花の約」をモチーフにしたもの‐との指摘もありました。それらは常識なんでしょうけれど、いやあ、初めて知りました。
これも、余談ですが、「菊花の約」は、「信義の人」を題材に描きながら、「軽薄の人との交わり」を本文の前後にわたって戒めているのも興味深い。軽薄の人は、付き合うのも早いが、去るのも早い‐と。考えさせられますね。こんな風にしていると、深みにはまってなかなか抜け出せなくなります。で、本題に戻ります。
瀬戸さんの名前、「篤」の由来を紹介したら、命名者について触れなくては、落ち着きません。ご尊父、弘さん。72歳。北海道電力のエンジニアとして活躍し、その退職後の88年にバイオベンチャー(株)セテックを設立していて、現役の起業家として活躍していました。ネットで調べると、いまなお、「世界を目指す」(会社案内から)と意気軒昂で、「新開発の発酵方式によるバイオガス利用のコジェネシステム」、「石炭灰利用の排煙乾式脱硫脱硝システム」などを手がけていました。特許も豊富です。
北海道にふさわしい技術開発と環境分野へのエンジニアの取り組みには、高い「志」を感じます。お会いしてみたい。その風貌や語り口が伝えられないのが、口惜しい。
篤さん‐北海道北見生まれ、46歳。イギリス留学経て小樽商大を卒業し、北海道電力入社後もニューヨーク大学や国際大学の大学院への派遣と、そのキャリアは先進的な欧米の空気をいっぱい吸ってきているはずなのに、古風で愚直な人柄は、ベンチャラスで一徹な弘さんの影響なのかもしれません。
北海道発ベンチャーの旗手、世代を継ぐ挑戦‥もうひとつの「北の国から」、それは、ドラマです。