DND事務局の出口です。理屈っぽくて議論好き、教育熱心で郷土愛がひじょうに強い‥というから、覚悟しながら臨んでみたら、案外、遠慮深いというか、県外からのゲストへの対応は痛々しいくらい細やかで、懐が深い。愛すべき信州、夏の陣〜。
「産学官連携シンポジウムin信州」。主催の信州大学地域共同研究センターの助教授の松岡浩仁さんからの招きを受けて、先の土、日と信州入り。ご一緒だったのは、北海道から駆けつけた北大教授の荒磯恒久さん。
このシンポには訳ありで、この6月、九州・福岡で開催の第2回産学連携学会の打ち上げの夜、その理事らの集まりの席で、正面に向かい合った松岡さん。
「いやあ、信州大学ももう一歩、踏み出さないと乗り遅れてしまう。いろいろやりたいけれど、なかなか‥」というから、「独りから始める、そうしたら後で人がついてくる」‐と酔いに任せて言い放ったのは、荒磯さん。小生も続けて「できる限りの応援するから、やんなきゃ。昨日より今日、今日より明日へ‐だよ」と、戸惑う松岡さんをけし掛けていました。が、素直というか、実直というか、それらの後押しを真剣に受け止めて、決断し、相方の産学連携コーディネーター、鶴田憲応さんとタッグを組んで、この夏、講師選定や学内の調整やら、チラシ作成や後援団体の確認、それに進行台本、記録、広報などそれら一切の段取りに奔走して、疲労困ぱいの様子。不安をいっぱい抱えながら当日を迎えていました。
41歳、松岡さんの初陣です、三世代住宅の自宅に、1歳の愛娘。台風16号の直撃は外れて31日は快晴。キャンパス内の工学部研究棟を会場に、午後1時から5時間余り、その日の朝にはNHKローカル、信濃毎日新聞のニュースや記事の援護もあって、盛況。立ち見がでるほどでした。
で、開演。開会に先立って、同センター長の深海龍夫さん、「国立大学の法人化に伴う産学官連携の動きが急を告げて、信大の教官らに戸惑いが見られますが、信州大の今後の展開に参考となるサジェスチョンを期待したい」と短く挨拶。続いて信州大理事の白井汪芳さんは「本日の開催を大変喜んでいます」と前置きし、信州大学の産学連携に関する取り組みを紹介しながら「改めて、新しい局面で産学官連携の推進、地域社会への貢献をしっかりと進めていこうと思います」と、決意を表明していまし た。
さて、基調講演は4つ。トップは、内閣官房知的財産戦略推進事務局の参事官、大木宰子さん。「いま、なぜ産学連携か?」と問い、「イノベーションシステムの構築が急務であり、産学連携はその要であり、産業活性化の鍵」と言い切り、続けて「卓越した個人の能力を生かす、そのために大学改革が必要です」と話していました。この6月に文部科学省から異動になり、内閣府のホットポジションに。知的でかつ淡々とした口調に説得力がありました。同事務局長の荒井寿光さんが送り込んでくる専門官は、さすがに洗練されている‐と事務局関係者の話題となっていました。
前の中野市長で国際特許関連の所長の綿貫隆夫さんが、ご専門の日米特許の比較論を体験的に詳述したのに続いて、3番手に小生が「人的ネットワーク形成のノウハウ〜帰属組織からの脱却」をテーマに25分。あなたの夢を現実化させる「成功の9ステップ」(幻冬舎刊)の著者、ジェームス・スキナー氏の「他人の成功を応援する」をネットワーク形成のポイントとして紹介しました。いや、帰属組織からの脱却に関連して、大学の理事向けに紹介した体験的な新聞記者論は、どっと笑いがでるほどの受け方でした。具体的に書けませんが‥。
そして、荒磯さん。まあ、彼は数日前も大分での講演を終えたばかりで、全国行脚を続けるスピーチの達人ですから、1度として同じネタはなく、日々精進、君子三日会わずんば刮目すべしーでした。北海道北キャンパス構想、自ら立ち上げた地域の中小企業との連携道場「HOPE」の活動など、話題は豊富、特にフィンランド・オウル市と北海道大学キャンパスの経年的に増殖する街の計画的な発展のプロセスは、貴重なデータでした。
圧巻は、パネルデッスカッション。「産を活かし、学を活かし、モノを創る」をテーマに、そのパネラーの顔ぶれが、多士済々で新鮮でした。地元出身で家業の機械工具販売商社の経験を活かし、自ら「インダストリーネットワーク」を立ち上げながら、ものづくり関連の製造業のレベルの高い産業集積を誇る諏訪、岡谷地域の産業振興に活躍する、いわば地域コーディネーター役の大橋俊夫さん。大橋さんを軸に、これまで諏訪・岡谷地域の関わりのある研究者らがズラリ、それも40代の若手だから頼もしい。
東京工業大学教授の出口弘さん、同姓でいささか気恥ずかしい感じでしたが、いやはや雄弁で実力派。国立大学の法人化後の大学のマネージメント能力とアカウンタビリティーに触れて「大学という研究室の工業団地をどうちゃんとマネージメントするか?」などをテーマに、その実践的な問題提起は鋭く、手厳しい。
実際に研究成果を社会に役立つ製品への開発をも手がけていて、大学から研究成果を具体的な試作品という形で、地域・岡谷市の工業集積とのコラボレーションを大きなミッションと定め、新たな産業創出のモデルを探っているようです。他に筑波大学教授の寺野隆雄さん、京都大学情報メディアセンター教授の喜多一さん、京都大学助教授の松井啓之さんの面々。
モノづくり‐という日本の経済産業の根幹を握る現場に通い、大学という知の創造の成果をひとつひとつ、試作品という見える形で世に問う彼らのネットワークは、研究者らのモデルケースになるかもしれない。司会の信州大学産学官コーディネーター、田草川信雄さんが、その出口さんの活躍ぶりに関心を示して、「ところで、(東京工業)大学の(出口さんへの)評価は?」と聞くと、間髪入れず、「ありません。基本的に独立です。独立して動く。(仲間と)ビジョンを擦り合わせながら、志を高くしていくことが必要です」とピシャリ。
講評を求められて、内閣府参事官の大木さんの一節を借りて、「卓越した個人の能力を活かす‐そのための大学改革」を訴えましたが、私自身、若手研究者らの努力を無駄にしてはならない‐と肝に銘じましたね。
大事な人をもうひとり。パネラーとして唯一、信州大から参加していた理事で工学部長の野村彰夫さん。屈強で若々しくどうみても50代前半。還暦には見えないから、経歴を聞くと野球部出身、南極観測の越冬隊員の経験があり、東京生まれながら、すっかり信州人。近寄りがたい大学人に対する地域を意識して、松本市を中心とした中信エリア、長野市のそれの北信エリア、上田市周辺の東信、名古屋との関わりが深い飯田や伊那、それに山梨に近い岡谷、諏訪の南信をぐるり周り、「頭を低くして地元企業の社長さんらとひざ詰でお話させていただいて、それらを信州大学のバリアフリーと呼んでいます」と会場を笑わせていました。
柔和な表情は、ここまで‥。続けて、ファイティングポーズを取って、「諏訪・岡谷奪還へ」と宣言。いやはや、根が深い。山梨大学が「諏訪・岡谷はかつてから武田領だった」という理由を盾に、このエリアに進出し岡谷市との提携を具体的に進めてしまったから、野村さん、信州人としてこの現状に我慢ならないらしい。モノづくりの拠点、諏訪・岡谷をめぐる信州大と山梨大の攻防の火蓋が切っておろされた‐ようです。岡谷市が「テクノプラザ岡谷」を開設し、そこに、信州大、山梨大、芝浦工業大、東京理科大などが呉越同舟してサテライトオフィスを構えている‐という。岡谷市が先進的で戦略的なのかもしれない‐と思っていたら、ひとりの司会で、岡谷市の工業技術振興参事の中沢晃さんが、実は、山梨大学の岡谷でのリエゾンオフィス開設を紹介したのは私です‐と衝撃の告白、続けて、山梨大学の客員教授もやっています、というから、さすがの野村さん、言葉を失っていました。
「信州人はよく勉強をする。本もよく読む。信州人と口論になってもなかなか勝てないのはそのためだし、仮に一時的に言い負かすことができてたとしても、必ず再戦を挑まれることだろう。勝つまでは決して引き下がろうとしないからである」『出身県でわかる人の性格』(岩中祥史著、草思社刊)。
信州大学の威信をかけて、工学部長、野村さんの戦いは、一番槍・松岡さんの初陣に気をよくして次の妙案を練っているようです。
そういえば、お世話になった日本事務器の前社長、南朝日さん、当日名古屋から駆けつけたEM総合ネット社長の宮澤敏夫さん、産学連携学会長で九州大学教授の湯本長伯さん、また、DNDのデザインを担当してくれているアートショップの杉山一期さんらは信州人、縁が深い。ふと、思い浮かべると、みんな勤勉で、笑顔がよく似合います。信州、愛すべき人たち、紅一点の同地域共同センターの羽田女史の陰の奮闘は特筆すべき手際よさでした。多謝。